レスラーノート

ビガロ

BIGELOW

本名:スコット・チャールズ・ビガロ
1961年9月1日
ニュージャージー州アズベリーパーク出身
195cm 165kg

通称
刺青獣
タイトル歴
IWGPタッグ
ECWヘビー
ECWTV
WCW世界タッグ
得意技
フライング・ヘッドバット
ムーンサルトプレス

巨漢ながらもムーンサルトプレスを使うなど軽い身のこなし、スキンヘッドに刺青の外見で人気を獲得。高校を中退し、賞金稼ぎに転向。メキシコで銃撃戦に巻きこまれて負傷し、6ヶ月間服役。81年にニュージャージーで傷害事件を起こし9ヶ月服役。80年から82年の間、ジョージア州のアームレスリング王者となる。クリス・キャンディードの紹介で、ラリー・シャープのレスラー養成所「モンスター・ファクトリー」に入門。 85年8月23日にポール・ヘイメンのプロデュースする大会でデビュー。テネシー地区やテキサス地区を転戦。 87年1月、新日本プロレスに初来日。1月30日、兵庫県立文化体育館大会での来日第1戦でトニー・セントクレアー、キューバン・アサシンと組んでアントニオ猪木越中詩郎武藤敬司組と対戦。ビガロは越中をリング内から場外に放り投げて3人の若手にぶつけると、4人まとめてフェンス外に吹き飛び、4分47秒、フェンスアウトでビガロの反則負け。猪木が一度もリングに出られない珍しい結果に終わった。ビガロは試合後に猪木をダイビング・ボディプレス。猪木はリング上で大の字となった。2月5日、両国国技館大会でアントニオ猪木と対戦。ゴング前にビガロが場外へ4メートルスローの殺人技。猪木は肩とヒジを痛めて一度は控室へ戻った。試合では卍固めやスリーパーホールドも決定打にさせず圧倒。しかし、猪木に右手の指2本で両目を突かれて劣勢となり、12分29秒、マネジャーのラリー・シャープが乱入して反則負け。試合後、ビガロはダイビング・ボディプレスを決めてシャープが3カウントを入れたが、すでに試合は決していた。 その後、WWFで活躍。 88年5月、WWFを離脱。その後は再び新日本プロレスに登場。新日本プロレスには、02年までに通算32回来日した。 89年4月24日、東京ドーム大会でサルマン・ハシミコフと対戦。2分26秒、水車落としに敗れた。 90年2月10日、東京ドーム大会でこの日がデビュー戦となった北尾光司と対戦。9分58秒、ギロチンドロップに敗れた。6月に全日本プロレスに1度だけの登場。6月5日、千葉公園体育館大会で小橋健太と対戦。7分38秒、ボディプレスで勝利。6月8日、日本武道館大会で川田利明と対戦し、見ごたえある好勝負を展開。13分19秒、豪快なパワースラムからのボディプレスで勝利。 91年2月5日、新日本プロレスの札幌中島体育センター別館大会でスコット・ノートンと組んで長州マサ斎藤組と対戦。ノートンのラリアットがビガロに誤爆し、8分21秒、斉藤のバックドロップにビガロが敗れた。試合後に仲間割れの乱闘を展開。2月6日、札幌中島体育センター別館大会でノートンと対戦。両者流血のケンカマッチを展開し、3分41秒、反則負け。2月8日、京都府立体育館大会でノートンと再戦。6分1秒、パワースラムに敗れた。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会で橋本真也と対戦。10分、DDTに敗れた。8月9日、両国国技館大会で長州と対戦。10分10秒、DDT3連発からのフライング・ボディプレスで勝利。8月10日、両国国技館大会で蝶野正洋と対戦。12分38秒、卍固めに敗れた。1勝2敗でリーグ戦に敗退した。 92年3月にはベイダーと組んでIWGPタッグ王座を獲得。同年夏からWWFに登場。B・ハートと抗争した。 94年7月にWARに登場。天龍大仁田と組んで「スーパーバトル★6MENトーナメント」に優勝。 95年4月2日のWWFのレッスルマニアのメインで、元NFLのローレンス・テイラーと対戦。必殺のフライングヘッドバットをカウント2で返されて、最後はエルボー2連発から、コーナーのセカンドロープからのフライングエルボーに敗れた。11月19日、PPV「サバイバーシリーズ」でゴールダストと対戦。ブルドッキング・ヘッドロックに敗れた。 96年9月23日、WARの後楽園ホール大会のメインで天龍と対戦。15分58秒、ダイビング・ヘッドバット、DDTを決め、ムーンサルトプレスを狙ってコーナーに上がったが、すばやく股間にもぐりこんだ天龍のパワーボムをくらってフォール負け。11月17日、有明コロシアムでの金網総合格闘技イベント「U−JAPAN」のメインでキモと対戦。キモのタックルからのマウントパンチで顔面流血。2分15秒、チョークスリーパーで惨敗。97年春からECWに登場。10月16日、ニューヨーク大会でシェーン・ダグラスのECW王座に挑戦。パワーボムで勝利してECW世界ヘビー級王座を獲得。11月30日、PPV「ノーベンバー・トゥ・リメンバー」のメインでシェーン・ダグラスを相手に防衛戦。フロントスープレックスに敗れて王座転落。98年3月1日、PPV「リヴィング・デンジャラスリー」でのタズとのタイトルマッチの試合中にリングが陥没。リングの下にタズが埋まってしまい、ビガロがタズを引き上げて3カウントを取ってECW・TV王座を獲得した。DDPと組んでWCW世界タッグ王座を獲得。5月3日、ECWのPPV「レッスルパルーザ」でニュー・ジャックと対戦。バルコニーダイブしてのギターショットをくらったが、お腹の上に落とす形のパイルドライバーで圧勝。8月2日、ECWのPPV「ヒートウェイブ」でタズと対戦。タズミッションに敗れた。11月にWCWに登場。北尾のデビュー戦(90年2月10日)やプロレス転向直後のサルマン・ハシミコフ(89年4月24日)、ローレンス・テイラー、トニー・ホーム(91年12月16日)などの「プロレスの素人」を相手に、引き立て役での活躍が多かった。01年3月にWCWが崩壊。WCW崩壊後はセミリタイア。インディ団体を転戦。04年に飲食店「バンバン・ビガロズ・ハンバーガー・ジョイント」を開店したが、1年で閉店。05年10月2日に飲酒運転でのバイク事故を起こし、免許失効。07年1月19日、フロリダの自宅で薬物の過剰摂取により死去。