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泉田純至

本名:泉田純
1965年10月28日
宮城県栗原郡築館町出身
185cm 132〜139kg 血液型B型
タイトル歴:アジアタッグ IWAタッグ
得意技:不入ドム(「ふにゅうどむ」肩に担いで相手を回転させながら叩きつける) 隕石(トップロープからダイビングへッドバット) ノリタケ(仰向けに寝ている相手にジャンピングヘッドバット)

県立築館高校の相撲部で活躍。東京農大農学科に進学したが父の急死によって2年で中退。青雲竜の四股名で大相撲の東関部屋に入門。東関親方の現役時代の四股名は高見山。この年の1月に興したばかりの新しい部屋だった。入門時の身長は181cm、体重は103kgだった。幕下まで進み、その後は相撲教習所で教官を務めていた。通算成績は121勝103敗7休。最高位は平成3年五月場所・幕下西37枚目。91年に全日本プロレスに入団。92年5月25日、宮城県スポーツセンターの永源大熊戦 (パートナーは馬場木村)でデビュー。 当初のリングネームは泉田竜角。泉田竜舞と名のっていた時期もある。当初はコミカルなファイトを中心に戦っていたが、経験を積むことで次第にシリアス・ファイトの方を前面に出すように。かつてはジャイアント・キマラとのイベント・コンビなども結成した。97年3月のチャンピオンカーニバルに参戦したが、開幕戦のタッグマッチで左足首を骨折し、全試合不戦敗となった。98年3月のチャンピオンカーニバルに参戦し、全敗に終わった。10月に本田とのコンビでアジアタッグ王座を獲得。その後、00年にノアの旗揚げに参加。中堅として活躍。02年4月26日、IWAジャパンに登場し、一宮章一と組んでタッグ王座決定トーナメントに参戦。1回戦で金村キンタロー、サン・ポール組と対戦し、5分31秒、一宮がシャイニングウィザードでポールに勝利。準決勝では三宅、上野組と対戦し6分21秒に泉田のパワーボムで上野に勝利。決勝戦では松田慶三、宇和野貴史組と対戦し、17分41秒に一宮のパワーボムで宇和野に勝利。IWAタッグ王座を獲得した。6月23日、IWAジャパンの後楽園ホール大会で松田、ジャイアント・ドラゴ組を相手にタッグ王座の防衛戦。8分33秒、一宮の垂直落下式ブレーンバスターで松田に勝利。10月1日、代々木競技場第2体育館大会で松田、宇和野組を相手にタッグ王座の防衛戦。一宮が宇和野の首固めに敗れて王座転落。04年6月11日、後楽園ホールでの選手会興行でKENTAと対戦。鉢巻を締め橋本のような格好で登場。KENTAのステップキックは頭が固いためにKENTAが足を痛める。ブサイクへのヒザ蹴りを両腕で完全ブロックし、ヘッドバットをからめたコンビネーションから「ブサイクからのヒザ蹴り」を炸裂させた。ステップキックからコーナーへの顔面キックも放ったが、KENTAを場外に投げて若手と小競り合いをしているうちにカウントが進み、リングに戻ろうとしたがKENTAにスライディングキックで防御されて5分、リングアウト負けに終わった。11月に「勝ったら軍団入り決定マッチ」で川畑輝鎮に不入ドムで勝利し、秋山準率いるスターネスに入る。05年11月に泉田純至に改名。06年1月22日、日本武道館大会で小橋と組んで曙、力皇組と対戦。セカンドロープに乗った曙の上に力皇が乗っての「リキボノスプラッシュ63」をくらってフォール負けしたが、頑丈さを印象づけた。07年2月15日の試合中にパートナーの秋山に不入ボムを放ち、スターネスを脱退。2月17日、ディファ有明大会で秋山とシングルで対戦。頭突きや隕石を決めて奮闘したが、7分1秒、垂直落下式エクスプロイダーがかつてないほどの急角度で決まり、敗れて担架で運ばれた。秋山は「何もやらないよりは何かやる人間のほうがいいけど、もっと実力的に上がって互角になってからケンカを売るべき」と苦言を呈した。08年4月30日、WWAの韓国・ソウル・チャムシル体育館大会で秋山と対戦。6分32秒、エクスプロイダーに敗れた。09年から専属契約を解除されて年間報酬保障フリー契約選手になり、ノアでの出場が減る。12月31日でノアとの年間報酬保障契約を解除されてフリーに転向。10年5月9日、健介オフィスの郡山市総合体育館大会で梶原慧、滝澤大志と組んでビッグ村上、南野タケシ、卍丸組と対戦。15分4秒、村上の飛びヒザ蹴りに梶原が敗れた。8月24日、ドラゴンゲートの後楽園ホール大会で菊地と組んでCIMA、Gamma、望月組と対戦。休憩時間終了を知らせる曲を入場曲と勘違いして入場する失態を演じたが、15分8秒、橋がGammaに高尾山固めで勝利。11年1月10日、後楽園ホールでのレジェンド・ザ・プロレスリングの旗揚げ戦で橋、菊地と組んでヒロ斎藤、福田、田島組と対戦。13分52秒、菊地が火の玉ボムで田島に勝利。7月21日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで本田、菊地と組んで初代タイガーマスク長州藤波組と対戦。11分57秒、長州のリキラリアットに泉田が敗れた。10月2日、レジェンドプロレスの浜中町総合体育館大会でベアー福田と対戦。10分1秒、体固めで勝利。10月15日に泉田純寿に改名し、新木場1stRINGでプロレスリング頑(かたくな)を旗揚げ。旗揚げ戦では3試合に出場した。10月30日、泉田純佑に改名。11月10日、後楽園ホールでの天龍のデビュー35周年記念興行に出場。第1試合で志賀、菊地と組んで天龍、百田グレート小鹿組と対戦。10分53秒、百田のサムソンクラッチに志賀がフォール負け。12年3月15日、宝島社から「内側から見たノアの崩壊」が発売。泉田による告白という体裁で、ノアの反社会的勢力との関係を暴露した内容が反響を呼んだ。3月23日、ノアの公式サイトが、反社会的勢力との交際を理由に仲田龍GMと永源の一般社員への降格を発表。実際には3月9日の取締役会で降格が決定されていたとの記載があった。

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