ダークロHP / レスラーノート

ハルク・ホーガン
HULK HOGAN


本名:テリー・ジーン・ボレア
1955年8月11日
フロリダ州タンパ出身
201cm 115kg
タイトル歴:WWF世界ヘビー WCW世界ヘビー IWGPヘビー
得意技:アックスボンバー レッグ・ドロップ

アメリカンプロレスの80〜90年代を代表するレスラー。高校時代からウェイトリフティングに熱中。UCLA在学中にはラッカスなるロックバンドを結成。大学卒業後、ヒロ・マツダのコーチを受けて77年にテリー・ブルドーの名でデビュー。マスクマンのザ・ゾディアックにも変身。その後、ニューヨークMSGに79年12月に初登場したのを機にハルク・ホーガンと改名。アメコミの超人ハルクから名を取る。フレッド・ブラッシーをマネージャーにWWWFで活躍。初来日は80年5月、新日本プロレスのMSGシリーズ。81年5月、新日本プロレスの第4回MSGシリーズに参戦。7勝2敗1引き分けでリーグ戦4位に終わった。同年からニック・ボックウィンクルと抗争し、AWAで活躍。 82年公開の映画「ロッキー3」に出演。映画ではサンダー・リップスというプロレスラー役を演じ、ロッキーと対決した。82年の年末に新日本プロレスのMSGタッグリーグ戦にアントニオ猪木と組んで参戦。リーグ戦を1位で突破。12月10日、蔵前国技館大会での優勝決定戦でキラー・カーンタイガー戸口組と対戦。31分17秒、猪木が卍固めで戸口に勝利。タッグリーグ戦に優勝した。 83年6月にはアックス・ボンバーでアントニオ猪木を失神させ、第1回IWGPリーグ戦を制覇。初代IWGP王者となった。年末にMSGタッグリーグ戦に猪木と組んで参戦。リーグ戦を1位で突破。12月8日、蔵前国技館大会での優勝決定戦でディック・マードックアドリアン・アドニス組と対戦。11分10秒、猪木が延髄斬りでアドニスに勝利して2連覇を達成した。 84年以降はWWFで活躍。一時代を築いた。 84年1月、アイアン・シークを破りWWF世界ヘビーを獲得。90年4月1日、レッスルマニア4でアルティメット・ウォリアーに敗れてWWF王座陥落。4月13日には東京ドームでの「日米レスリング・サミット」に来日し、メインでスタン・ハンセンと対戦。12分30秒、アックスボンバーで勝利した。91年3月にレッスルマニア7でサージェント・スローターを破りWWFヘビー級王座を再び獲得。4月1日、SWSの神戸ワールド記念ホール大会に来日し、メインで谷津嘉章を相手にWWF王座の防衛戦。7分54秒、アックスボンバーで勝利。11月にジ・アンダーテイカーに敗れて王座陥落。12月12日、SWSの東京ドーム大会に来日し、メインで天龍源一郎と対戦。13分57秒、アックスボンバーで勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。92年4月5日、レッスルマニア8でシッド・ジャスティスを相手に「引退試合」。シッドのセコンドのハービー・ウィップルマンの乱入で反則勝ちに終わった。 93年4月4日、レッスルマニア9で復帰。ブルータス・ビーフケーキとタッグ戦に出場し反則負けに終わる。メインイベントのブレット・ハートヨコヅナ戦がセコンドのミスター・フジの塩攻撃からヨコヅナの勝利に終わった後に、リングに登場。反則をレフリーに抗議した。フジに挑発されてリングに上がり、試合開始。23秒でレッグドロップで勝利してWWF世界王座を獲得した。6月13日、PPV「キング・オブ・ザ・リング」でヨコヅナを相手に防衛戦。必殺のレッグドロップをカウント2で返され、悪党マネージャーのハービー・ウィップルマンに火の玉を顔にぶつけられ、最後はレッグドロップに敗れて王座転落。この試合を最後にWWFを離脱。 94年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、藤波と対戦。13分33秒、アックスボンバーで勝利。6月にWCWへ電撃移籍。7月、フレアーを破りWCW王座を獲得した。96年にはナッシュホールと共にnWoを結成、一世を風靡した。98年にはWCW解雇、引退、大統領選挙出馬表明、引退撤回、現役復帰と目まぐるしく動き回った。00年4月のWCW新体制に伴い正規軍「ミリオネアーズクラブ」を結成。WCW崩壊後、02年、9年ぶりにnWo軍として、WWEへ復帰した。03年5月2日には新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、蝶野正洋と対戦。アックスボンバーで勝利したが、試合自体は19分45秒という当時のホーガンにしては長い試合となったせいか、凡戦に終わった。その後もWWEで活躍。ハルクアップで立ち上がり、「YOU!」と相手を指さしてからのパンチの連打、ビッグブーツ、レッグドロップを決める必勝パターンで活躍し続けた。07年4月27日、メンフィスレスリングの「アルティメットクラッシュオブレジェンズ」でザ・ジャイアント・ポール・ワイト(ビッグショー)と対戦。213センチ、200キロ以上のポール・ワイトをボディスラムで投げ、レッグドロップで勝利した。08年10月にTV番組「セレブリティ・チャンピオンシップ・レスリング」を開始。有名人にプロレスを教えて対戦させていく番組の司会・進行役となった。09年11月21日から28日にかけて、「ハルカマニア」を旗揚げし、オーストラリア・ツアー(全4戦)を開催。メルボルンのロッド・レイバー・アリーナでの旗揚げ戦のメインでフレアーと対戦。17分18秒、ハルクアップ、スリーパンチ、ビックブーツからのメリケンサック攻撃でフォール勝ち。その後の3大会もフレアーとシングルで対戦し、全勝した。10年1月4日からTNAにプロデューサー的な役割で登場。団体内での実権を握り、六角形のリングを四角形に変更し、自らの派閥のレスラーを多数TNAに登場させた。3月8日からTNAはWWEと同時間帯での月曜日に放送時間を変更。この最初の放送でTNAでの初試合。番組の第1試合でアビスと組んでAJスタイルズ、フレアー組と対戦。突如乱入したスティングのバット攻撃をくらう。フレアーのイス攻撃をくらって額から流血。無効試合に終わった。大会のメインで同一カードでの再戦を行ない、アビスがブラックホールスラムでAJにフォール勝ち。10月16日、PPV「バウンド・フォー・グローリー」でスティングと対戦。仲間のフレアーによる乱入もあり、一方的に攻めたが、凶器を奪われて流血するなど劣勢となり、最後はスコーピオンデスロックに敗れた。試合後に仲間のイモータルがスティングを暴行していたが、観客の大声援を受けてスティングを救出。ヒールからベビーに転向した。12年3月22日、IMPACTで、GM辞任を表明したスティングからTNAの新GMに指名された。13年10月、TNAを離脱。14年、WWEに登場。7月11日、両国国技館でのWWEの日本公演に登場し、リング上でパフォーマンスを披露。7月12日、舞洲アリーナでの日本公演にも登場し、WWEと契約したKENTAをリング上で祝福した。15年7月24日、約8年前に録音された会話の中に人種差別発言があったことを理由に、WWEを解雇された。

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