ダークロHP / レスラーノート

バディ・リー・パーカー
BUDDY LEE PARKER


本名:ドウェイン・ブルース
1960年5月14日(55年説あり)
ジョージア州アトランタ出身
182cm 105kg

88年11月にデビュー。ジェームズ・R・ライトとステート・パトロール(ステート・ポリス)を結成。軽快なテーマ曲とポリスマンのコスチュームで活躍。91年5月、ライトと共に全日本プロレスに初来日。試合前後にスピード違反の切符をばらまいた。レフリーの目を盗んでの警棒攻撃も行った。6月4日、東大阪市立中央体育館大会ではカンナムエキスプレスと対戦し、18分16秒にパーカーがファーナスのフランケンシュタイナーに敗れはしたが好勝負を展開した。92年2月に全日本プロレスに2度目の来日。3月6日、カンナムエキスプレスのアジアタッグ王座に挑戦。ライトがブレーンバスターに持ち上げたところにパーカーがダイビングショルダーアタックを決めたが、クロファットにカットされてカウントは2。13分43秒、パーカーがファーナスのフランケンシュタイナーに敗れた。その後、サージェント・バディ・リー・パーカーとして軍曹ギミックでWCWに登場。現役も兼ねながらWCWの道場「パワープラント」でコーチとして活躍。ゴールドバーグもコーチした。03年4月にジョージア州ジャスパーでレスリングスクール「スーパー・パワー・プラント」を開校。

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