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石川敬士

本名:石川孝志
1953年2月5日
山形県東田川郡出身
180cm 110kg
タイトル歴:アジアタッグ NWA北米タッグ TWA世界タッグ CCWタッグ 大日本タッグ
得意技:スモーピオンデスロック(サソリ固め)

酒田南高校で相撲部に入り、2年でインターハイ個人で4位、3年で岩手国体で優勝。日本大学の相撲部では主将として活躍。3年の時に全日本学生横綱、全日本横綱のタイトルを獲得。アマ相撲でトップに立つ。4年生の時に糖尿病のためタイトルを逃す。75年春に大相撲花篭部屋に入門。四股名は大ノ海。幕下を3場所で通過し、75年の秋場所では十両。77年初場所で入幕。春場所に前頭4枚目の地位まで出世するが、8月4日に糖尿病を理由に廃業。10月31日にプロレス転向を表明。全日本プロレスのルートでプロレス入りするが、76年10月に天龍、77年7月に福ノ島(後のハク)をプロレス入りさせた全日本プロレスが相撲界の風当たりを防ぐため、デビュー当時はフリーな立場であった。ジャイアント馬場の計らいで、プロレス転向を表明した10月31日の夜にテキサス州アマリロ遠征に出発。11月3日、アマリロ・スポーツアリーナ大会でリップ・ホークを相手にデビュー戦。デビュー後しばらくは、マゲをつけたまま試合をしていた。アマリロではドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクパット・オコーナーらのコーチを受けた。11月17日、ボブ・オートン戦では15分時間切れの引き分けに終わった。その後、全米をサーキット。78年11月、国際プロレスの日本リーグ争覇戦に参加するために帰国。11月3日、大田原市民体育館大会でデビル紫を相手に日本でのデビュー戦を行い、フォール勝ち。リーグ戦では鶴見五郎グレート小鹿に勝利し、アニマル浜口寺西勇キム・ドク、ディーン・ホーと引き分け、ラッシャー木村に敗れての2勝1敗4引き分けの成績となり、決勝トーナメントに進出。惜しくも1回戦でディーン・ホーにリングアウト負けを喫したが、殊勲賞を獲得。思い切ったファイトで注目を集めた。79年4月16日に全日本プロレスに入団。8月には園田と共に10ヶ月間アメリカ遠征。10月13日、プエルトリコのWWCで、園田と組んでNWA北米タッグ王座を獲得した。80年8月から3ヶ月間ヨーロッパ遠征。81年6月11日に佐藤昭雄と組んでアジアタッグ王座を獲得。中堅の地位を確保する。阿修羅原マイティ井上とパートナーを変えてアジアタッグ王座を通算5度獲得した。83年1月、石川隆士から石川敬士に改名。4月4日、故郷の鶴岡市体育館大会でミズーリ・ヘビー級王者のケリー・フォン・エリックに挑戦。張り手やブレーンバスターや逆エビ固めで攻めたが、場外戦で流血。コーナーからエルボーを落とそうとしたが、ケリーにタイガークローでキャッチされ、13分41秒、そのまま強引にフォールされて敗れた。花篭部屋の先輩である輪島と結びつきが強く、86年4月の輪島の全日本プロレス入りに深く関わった。輪島がプロレス転向してからはパートナーを勤めたが88年12月に輪島と共に引退。90年10月、復帰し、SWS旗揚げに参加した。91年1月4日、東京ベイNKホール大会でキラー・ブルックスと対戦。6分3秒、サソリ固めで勝利。9月17日、富山市体育館大会でデイビーボーイ・スミスと対戦。10分8秒、ダイビングラリアットに敗れた。10月30日、熊本市体育館大会でキング・ハクと対戦。17分11秒、パワースラムに敗れた。92年3月16日、秋田県立体育館大会で新倉史裕と対戦。7分52秒、サソリ固めで勝利。3月18日、新潟市体育館大会のセミファイナルで、ジ・アンダーテイカーとシングルで対戦。圧倒的な体格差の前に大苦戦。テイカーのエルボーをかわしてドロップキック2連発からスモウラリアットで倒し、サソリ固めを狙うがロープブレイクされてしまい、最後はオールドスクール、ロープに振ってのチョークスラム、さらにツームストンパイルドライバーをくらって敗れた。SWS崩壊後はWARに入団するが、離脱。93年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で藤波辰爾と対戦し、11分41秒、ドラゴンスリーパーに敗れた。8月、新日本プロレスのG1に出場し、1回戦で木戸修に脇固めで敗退。94年12月、相撲部の後輩小谷一美(元十両の花嵐、後のリングネームは大黒坊弁慶)をスカウトして東京プロレスを設立。3億円のチャンピオンベルト(TWA世界タッグ)争奪戦で話題となった。96年4月、トーナメント決勝で安生洋二と組んでカブキ、弁慶組を破りTWA世界タッグ王座を獲得。10月8日、大阪府立体育館大会で社長の座をかけて安生洋二と対戦。右目の負傷のため大苦戦し、7分59秒、フィッシャーマンズ・スープレックスに敗れて社長の座から転落。12月4日、名古屋市体育館大会で大黒坊弁慶と対戦。5分43秒、首固めでフォール勝ち。12月7日、両国国技館大会でカブキ、弁慶と組んで冬木邪道外道組と対戦。プランチャの着地に失敗して右ヒザを負傷し、そのまま試合途中で退場。試合は7分5秒に冬木のラリアットで弁慶がフォール負け。ガラガラの客席となったこの大会をもって東京プロレスは崩壊した。9日にインディ統一機構FFFの旗揚げに参加。しかし97年1月8日に旗揚げ戦の直前でFFFが崩壊。その後、3月に石川一家を旗揚げ。4月12日、新日本プロレス東京ドーム大会で平成維震軍の越中詩郎と対戦し、11分16秒、ダイビング・ヒップドロップに敗れた。6月3日、大日本プロレスの後楽園ホール大会での王座決定トーナメント決勝で、木村健悟と組んで中牧昭ニ、岡野隆史組と対戦。19分58秒、石川がスモーピオンデスロックで岡野に勝利。大日本タッグ王座を獲得した。6月7日、大日本プロレスの横浜文化体育館大会で越中、齋藤組を相手にタッグ王座の防衛戦。8分55秒、石川がスモーピオンデスロックで齋藤に勝利。6月11日、木村健悟と仲間割れしてタッグ王座を返上。10月には新東京プロレスを旗揚げ。10月10日、北沢タウンホールで新東京プロレスの旗揚げ戦。川畑と組んでバッドニュース・アレン、ケン・ジョンソン組のCCWタッグ王座に挑戦。石川がスモーピオンデスロックでジョンソンに勝利。CCWタッグ王座を獲得した。98年1月18日、後楽園ホール大会でバッドニュース・アレン、ジェリー・モロー組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分2秒、石川がスモーピオンデスロックでモローに勝利して初防衛に成功した。98年1月19日、藤沢市の湘南大庭市民センター大会で引退試合。奥村茂雄と対戦し、11分53秒、ラリアットに敗れた。団体崩壊後、ビルの管理警備・清掃会社を設立。

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