ダークロHP / レスラーノート

馳浩

1961年5月5日
富山県小矢部市出身
183cm 105〜120kg 血液型A型
タイトル歴:IWGPタッグ IWGPジュニア インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
得意技:裏投げ ジャイアントスイング ドラゴンスープレックス ノーザンライトスープレックス

富山県出身だが石川県金沢市育ち。星稜高校でレスリングを始める。専修大学時代には83年に全日本学生選手権優勝。84年、全日本選手権制覇。同年秋にはロサンゼルス・オリンピックでグレコローマン90kg級に出場。母校、星稜高校で国語の教師を務めていた。専修大学の先輩、長州の門を叩き、85年8月にジャパンプロレス入門。 86年2月28日、プエルトリコ・カグアス・シティーアリーナのミゲル・ペレス・ジュニア戦でデビュー。プエルトリコ、カルガリーなどで武者修行を積んだ。カルガリーではマスクマンのベトコン・エクスプレス2号として活躍。10月3日、カルガリーでベトコン・エキスプレス1号(新倉史祐)と組んでインターナショナル・タッグ王座を獲得。 87年12月27日、両国国技館大会での凱旋帰国マッチで小林邦昭のIWGPジュニア王座に挑戦。17分3秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。IWGPジュニア王座を獲得した。88年3月11日、愛知県体育館大会で高田を相手に防衛戦。18分57秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。3月19日、後楽園ホール大会で越中詩郎を相手に防衛戦。19分44秒、ドラゴンスープレックスで勝利。5月8日、有明コロシアム大会で越中を相手に防衛戦。18分10秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。5月27日、宮城県スポーツセンター大会でオーエン・ハートを相手に防衛戦。13分7秒、高角度後方回転エビ固めにフォール負けして王座転落。88年度のプロレス大賞で新人賞を受賞。89年1月16日、大阪府立体育会館大会で越中のIWGPジュニア王座に挑戦。16分42秒、首固めにフォール負け。2月8日、札幌中島体育センター大会で越中のIWGPジュニア王座に挑戦。16分10秒、反則負け。3月16日、横浜文化体育館大会で越中のIWGPジュニア王座に挑戦。14分56秒、ノーザンライトスープレックス2連発で勝利してIWGPジュニア王座を獲得。5月25日、大阪城ホール大会でライガーを相手に防衛戦。8分39秒、ライガースープレックスに敗れて王座転落。その後、ヘビー級に転向。6月に飯塚と共にソ連に遠征。サンボ修行を積んで裏投げを習得。同年の猪木の参議員選挙の時には、猪木のボディガード兼私設秘書として活躍。その後は佐々木武藤とのコンビで通算3度IWGPタッグ王座に君臨。91年9月10日、大阪府立体育会館大会のメインで藤波と対戦。19分20秒、延髄斬り2連発からの足4の字固めに敗れた。12月に猪木の対戦相手をめぐりタイガー・ジェット・シンと巌流島で対戦。1時間11分24秒の流血戦の末、馳が裏投げでKO勝利した。92年の1月4日に猪木と対戦。1年以上のブランクがあった猪木に対し、序盤戦ではスリーパーで失神したが、裏投げ4連発で反撃。5発目の裏投げをアームブリーカーで防がれてから延髄斬り、スリーパー、延髄斬り、卍固めをくらう。なんとかロープエスケープしたが、最後は10分9秒 延髄斬り2連発からの卍固めに敗れた。93年1月4日、東京ドーム大会でスティングと対戦。15分31秒、飛びつき式DDTからのフライングボディプレスに敗れた。9月23日、横浜アリーナ大会のメインで天龍源一郎と対戦。19分7秒、WARスペシャルに敗れた。10月8日から始まったSGタッグリーグ戦に武藤と組んで参戦し、優勝。 94年10月9日から始まったSGタッグリーグ戦に武藤と組んで参戦し、優勝。 95年7月、参議院選挙に立候補。猪木の選挙時代からの自民党とのつながり、及び卒業、就職した金沢の星陵高校のつながり、専修大学からのスポーツ人脈など、幅広い人脈を通じて選挙活動を行った。当選し、レスラーとして2人目の国会議員となった。 96年1月4日、東京ドーム大会で佐々木健介を相手に「引退試合」。16分36秒、ノーザンライトボムに敗れた。11月、全日本プロレスに電撃入団。 97年8月26日、札幌中島体育センター別館大会で小橋と対戦。32分49秒、ラリアットに敗れた。 98年5月1日、東京ドーム大会で秋山準と対戦。26分35秒、エクスプロイダーに敗れた。 99年5月2日、東京ドーム大会で川田利明と対戦。右腕尺骨骨折からの復帰戦となる相手に対して序盤から強烈な裏投げ、グラウンドで圧倒した。ジャイアントスイングや、垂直落下に落とす裏投げなどで見せ場を作ったが、最後は20分55秒、ジャンピングハイキック3連発、パワーボムからの垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。9月4日、日本武道館大会で田上明と対戦。15分11秒、のど輪落としに敗れた。 00年1月9日、福岡国際センター大会で三沢光晴と対戦。24分42秒、エルボーバットに敗れた。5月には1度議員を辞職するが、同年6月に衆議院議員選挙に当選。日本初の衆議院議員レスラーとなる。その後も全日本プロレス中心に参戦を続ける。 01年3月17日、名古屋に突如現れ、武藤率いる超党派ユニットBATT参加を表明。6月6日、新日本プロレスの日本武道館大会で武藤と対戦。7年8ヵ月ぶりのシングル対決となった。序盤からグラウンドの攻防を長く続け、39分8秒、シャイニングウィザードに敗れた。その後は議員として多忙になり、国会のない期間に試合に出場。 02年10月27日、全日本プロレスの日本武道館大会で小島と対戦。20分41秒、ラリアットに敗れた。 05年9月に衆議院選挙に当選。11月、文部科学省の副大臣に就任。 06年7月23日、全日本プロレスの金沢・石川県産業展示館大会で引退記念興行として武藤、小島と組んでTARU、近藤、YASSHI組と対戦。試合ではジャイアントスイング32回転など大活躍。超高角度の裏投げ、ノーザンスープレックスと畳みかけて勝利した。8月27日、全日本プロレスの両国国技館大会で引退試合。小島、中嶋と組んでブードゥー・マーダーズの近藤、YASSHI、諏訪魔組と対戦。セコンドに佐々木健介、リングサイドに同郷の森喜朗前首相、夫人の高見恭子が見守る中、ジャイアントスイング45回を披露するなどブードゥー・マーダーズ相手に奮闘。森元首相の座席の近くで乱闘となり、馳にはがい絞めにされたTARUに対し、森元首相はパイプイスを手にして殴りかかろうとして側近に止められる場面もあった。最後は20分36秒、ノーザンライトスープレックスホールドでYASSHIをフォールした。試合後に「本当に、20年間、長いようであっという間でしたが、みなさんのおかげです。本当にありがとうございました。いつか内閣総理大臣になったら、まあ、その時はSPを連れてリングに上がりたいという夢を持ちながら、国会で頑張ります。みなさん、本当にありがとうございました」と挨拶した。 07年7月15日、全日本プロレスの第3代PWF会長に就任。 09年6月13日にノアの三沢光晴が試合中に死去した事件を受けて、6月18日に自民党の渡海紀三朗と共に発起人になって、自民党本部での自民党文部科学部会・文教制度調査会で合同会議を実施。「6月18日は三沢さんが生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつした馳は、「プロレス業界として統一された協会、コミッションがない。最低のルールづくりをしてほしい」と要望。日本プロボクシング協会を例に挙げて選手の資格や健康管理、出場停止制度、講習などコミッション的な役割も持つ「協会」設立を要望した。新日本プロレス(菅林、三澤威)、ノア(仲田)、全日本プロレス(武藤、内田)、森喜朗、神取忍、松浪健四郎らと意見交換。事故の再発防止のため、プロレス団体の統一機構設立に向けて協議した。09年の選挙では、小選挙区では落選したが、比例代表で復活当選した。 13年6月21日、全日本プロレスのPWF会長を辞任。 15年10月、文部科学大臣に就任。プロレスラー出身者で初の大臣となった。 17年7月26日、後楽園ホールでの「プロレスリングマスターズ」で一夜限りの復帰。当時と同じ黄色いコスチュームで往年の入場曲「Two Hearts」に乗って入場。1626人超満員札止めの観衆から大歓声で迎えられた。藤波、長州と組んでムタ、カブキTNT組と対戦。9分すぎには指をグルグル回すアピールからカブキの足をつかみ、ジャイアントスイング20回転を披露。16分41秒、馳が裏投げからのノーザンライトスープレックスでTNTに勝利。 18年8月5日、全日本プロレスの石川県産業展示館3号館大会で秋山準、長州と組んでヨシタツKAZMA野村直矢組と対戦。ジャイアントスイング22回転を決めるなど、観客を魅了し、15分31秒、馳がノーザンライトスープレックスでKAZMAに勝利。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで太陽ケア人生大谷と組んで越中、AKIRA青柳齋藤彰俊組と対戦。青柳にジャイアントスイング22回転を決めた。21分9秒、セコンドの武藤のシャイニングウィザードのサポートを受けて馳がノーザンライトスープレックスでAKIRAに勝利。 19年8月30日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会で武藤、ライガーと組んで永田中西西村組と対戦。20分55秒、武藤がシャイニングウィザードで西村に勝利。

あの人、勉強もすごくできて、専修大学のレスリング部で伝説として残ってた。だいたいレスリング部って朝練終わったら、みんな寝てて授業なんてロクに行かないんだよ。オレもそのうちの一人だけど(苦笑)。でも、馳さんは授業に毎日行って、夜も机に向かって勉強してたらしいよ。大学院からレスリング部で唯一進学を打診された人って伝説として残ってるよ。 (週刊プロレスNo.1607 秋山準のインタビューより)

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