レスラーノート

仲野信市

1963年3月14日
神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身
185cm 110kg

タイトル歴
世界ジュニア
WWCジュニア
アジアタッグ
得意技
ジャーマンスープレックス

学生時代は柔道や野球で活躍。日大藤沢高校では投手として活躍。新日本プロレスの道場を見学しに行った時に、山本小鉄に「いい身体してるな。勉強が嫌いだったらプロレスに入らないか」と誘われる。78年12月に高校を中退して新日本プロレスに入門。 81年3月1日、東京都大田区体育館の斎藤弘幸戦でデビュー。新日本プロレスでは前座をにぎわす存在でしかなかった。 84年9月にジャパン・プロレスに参加。全日本プロレスに上がり実力をつける。長州派が新日本プロレスにUターンした後も谷津嘉章とともに全日本プロレスに残留し所属レスラーとなる。 88年9月に高野俊二と組み冬木川田組を破りアジアタッグ王座を獲得。 89年4月16日、後楽園ホール大会でをジャーマンスープレックスで破り世界ジュニア王座を獲得。4月20日、大阪府立体育会館大会での初防衛戦で百田光雄と対戦。15分12秒、フロントネックチャンスリーに敗れて王座転落。 90年6月5日、千葉公園体育館大会で田上明と組んでデイビーボーイ・スミス、ジョニー・スミス組とアジアタッグ王座決定戦。17分49秒、仲野がノーザンライトスープレックスでジョニーに勝利。アジアタッグ王座を獲得した。10月のSWS旗揚げに参加。10月19日、横浜アリーナ大会でスネーク・ウイリアムスと対戦。11分42秒、ジャーマンスープレックスで勝利。11月10日、SWSの道場大会で片山明と対戦。5分41秒、ヒザ十字固めで勝利。11月17日、SWSの道場大会で高木功と対戦。5分13秒、バックドロップを切り返されての片エビ固めにフォール負け。12月1日、SWSの道場大会で折原と対戦。6分16秒、三角絞めで勝利。12月6日、姫路市厚生会館大会でジュニアヘビー級トーナメントに参戦し、1回戦で新倉史裕と対戦。10分26秒、首固めでフォール勝ち。同大会の決勝で佐野と対戦。13分4秒、タイガースープレックスに敗れた。 91年2月7日、長崎国際体育館大会でアトランティスと対戦。9分17秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。3月9日、函館市民体育館大会で北原と対戦。13分19秒、ノーザンライトスープレックスで勝利。SWSでは谷津と行動を共にし、反天龍派に加わった。その後はSPWF、夢ファクトリーなどに移籍。 95年10月21日、WARの弘前克雪トレーニングセンター大会で大刀光修と対戦。9分17秒、ワキ固めで勝利。11月21日、WARの後楽園ホール大会で天龍と対戦。SWS末期からの遺恨マッチとなり、無数の顔面蹴りをくらって、5分47秒、WARスペシャルに敗れた。 96年8月、夢ファクトリーで藤原喜明を相手に3番勝負で対戦。8月11日、群馬県スポーツセンター大会での第1戦では16分28秒、ワキ固めに敗れた。8月13日、後楽園ホール大会での第2戦は15分35秒、パイルドライバーに敗れた。8月25日、横須賀臨海公園大会での第3戦は16分8秒、ワキ固めを決められたが下になった藤原にカウント3が入ってフォール勝ち。12月1日、代々木競技場第二体育館での「INOKI FESTIVAL」で藤原喜明と対戦。8分50秒、スリーパーホールドに敗れた。 98年3月3日、無我のEBiS303大会でのメインで藤波と組んで西村修石川雄規組と対戦。18分23秒、西村のノーザンライト・スープレックスホールドに仲野がフォール負け。 01年10月7日、無我の後楽園ホール大会で倉島信行を相手に引退試合。9分53秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。引退後は夢ファクトリー時代から勤務していた佐川急便でサラリーマン。 16年1月9日、全日本プロレスの伊那市民体育館大会に出場。中島洋平と組んで渕、佐藤恵一組と対戦。13分25秒、中島がダイビングフットスタンプで佐藤に勝利。 21年6月26日、全日本プロレスの大田区総合体育館大会で西村修、SUSHIと組んで渕正信、越中詩郎高杉政彦土方隆司組と対戦。9分44秒、越中のジャンピング・ヒップアタックに力が敗れた。