デビュー戦 平成 4年 9月 14日 島根・松江市総合体育館 vs山本広吉(現天山広吉)戦
弟はシドニー五輪アマレス69キロ級銀メダルの永田克彦。16歳でアマレスを始める。日体大時代はアマレスで活躍。全日本学生選手権グレコローマン82キロ級で3連覇。92年全日本選手権グレコローマン82キロ級優勝。92年4月、新日本プロレスに入門。9月にデビュー。切れ味鋭いスープレックスとキックで頭角を現し、95年のUインターとの対抗戦では打撃、グラウンドの両面で実力を発揮した。96年3月、第7回ヤングライオン杯に準優勝後、97年2月米国武者修行へ出発。3月よりWCWマットに参戦。98年1月、東京ドーム大会にワンマッチ凱旋し、8月の大阪ドーム大会に凱旋帰国。9月、蝶野が負傷返上したため、ノートンとIWGPヘビー級王座決定戦を行う。惜しくも敗退した。99年8月のG1では藤波、健介らを破るなど大躍進。8月に中西とのコンビでIWGPタッグ王座に君臨。00年3月に、中西らと格闘集団G−EGGSを結成し、5月のIWGPタッグ防衛戦ではUFOの小川、村上組と初対決し勝利した。8月のG1では2年連続で藤波から白星を奪い、準決勝進出。11月、飯塚とのコンビで第2回G1タッグに優勝。12月31日「猪木祭」に同コンビでマーク・コールマン、マーク・ケアーと対戦し健闘。01年5月の異種格闘技戦ではレイニー・マルティネスに完勝。7月にG−EGGSを発展的解散。8月のG1クライマックスで武藤、蝶野らを撃破し初優勝。10月の東京ドーム大会では秋山と初タッグを結成。12月の猪木祭でK1戦士のミルコ・クロコップと対戦し、開始早々に左のハイキックを浴びて21秒でTKO負け。02年1月の新日本プロレス東京ドーム大会で秋山のGHCヘビー級王座に挑戦。試合は19分58秒、秋山のエメラルドフロウジョン、垂直落下式エクスプロイダー、リストクラッチ式エクスプロイダーの猛攻の前に敗退。4月に安田を破りIWGPヘビー級王座を獲得。以後、歴代最多防衛新記録となる10度の防衛を達成した。03年5月2日、東京ドーム大会で高山善廣に敗れてIWGP王座から転落。11月、棚橋と組んで小橋、本田組を破りGHCタッグ王座を獲得した。12月31日、イノキボンバイエ2003〜馬鹿になれ夢をもて〜でPRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。「氷の拳」の前になすすべもなく、カメの体勢のまま、1分2秒、レフリーストップ負け。04年6月12日、全日本プロレスの愛知県体育館大会でケンドー・カシンと組んで世界タッグ王者の小島聡、カズ・ハヤシ組に挑戦。24分17秒、永田のバックドロップホールドで小島を破り世界タッグ王座を獲得した。その後、7月1日にカシンが全日本プロレスを解雇されたこともあって、同王座は防衛戦をすることなく返上。05年1月の東京ドーム大会では弟とのアマレス対決に勝利。さらにアルティメットロワイヤル(総合格闘技風のバトルロイヤルというコンセプト。実際は1つのリングで2試合同時に行なう勝ち抜き戦)にも出場。あまりの企画倒れ、さらにひどすぎる試合展開のせいで客席が静まりかえる中、ブルー・ウルフ、ドルゴルスレン・スミヤバザルを破り決勝まで進出したが、惜しくもロン・ウォーターマンのアームロックに敗れて準優勝に終わった。4月に新日本本隊を離脱。アマレス出身者の藤田和之、ケンドー・カシン、中西らと共にチームJAPANを結成して活躍。05年末ごろに長州力が現場監督に復帰してからチームJAPANは自然消滅した。07年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、三冠王者の鈴木みのるに挑戦。流血してのアームバー、サンダーデスドライバー、バックドロップでみのるを追いつめたが、逆落としからのスリーパーホールドにレフリーストップ負け。3月にNEW JAPAN CUPに出場し、1回戦で石井、2回戦で蝶野、準決勝でジャイアント・バーナード、決勝で真壁を破って優勝。IWGP王座への挑戦権を獲得した。4月13日、大阪府立体育会館大会でIWGP王者の棚橋に挑戦。左ハイキックからバックドロップ2連発で勝利。3年11ヶ月ぶりにIWGP王座を獲得した。5月2日、越中詩郎を相手に防衛戦。人気絶頂の越中のヒップアタックに苦戦したが、ナガタロック3やリバース・ナガタロック3で反撃。最後は14分11秒、バックドロップホールドで勝利して初防衛に成功。7月6日、真壁を相手に防衛戦。大流血戦の末に19分31秒、バックドロップで防衛に成功。8月にはG1に出場し、決勝トーナメントに進出。12日のトーナメント1回戦で中邑真輔と対戦。飛びつき逆十字を切りかえして逆十字をかけたところで、中邑が肩を負傷しドクターストップ勝利。決勝では棚橋と対戦し、ハイフライフローに敗れた。10月8日、両国国技館大会で棚橋を相手に防衛戦。大技を連発する攻防の末、ハイフライフローで敗れ、王座転落。08年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でカート・アングルと対戦。アングルの持つIWGPベルトをかけた対戦となった。アンクルロックとナガタロックの切りかえしの応酬など、一進一退の攻防を続け、大熱戦を展開。試合終盤にムーンサルトをかわし、雪崩式フロントスープレックス、ナガタロック2、ナガタロック3をたて続けに決めて、リバースナガタロック3でフォールするがカウントは2。最後はキックをつかまれて、18分29秒、アンクルロックに敗れた。試合後のインタビューでは「悔しいという気持ちは残っているけど、完全燃焼した」と語った。2月17日、両国国技館大会で後藤洋央紀との対戦が予定されていたが、大会前の練習中に目まいを起こす。左半身にしびれがあったため、脳梗塞の疑いで都内の病院に直行し、後藤戦は中止となった。その後、「海綿状血管腫の疑い」で欠場。5月2日、後楽園ホール大会で復帰戦。中西、金本と組んで田中将斗、崔、日高組と対戦。19分22秒、中西のヘラクレスカッターが崔に決まり勝利した。8月からG1に出場し、3勝3敗でリーグ戦を終了。8月29日、ゼロワンMAXの後楽園ホールで大谷晋二郎と対戦。19分5秒、バックドロップホールドで勝利。10月13日、両国国技館大会で、ゼロワンの世界ヘビー級王者の田中将人と対戦。18分6秒、バックドロップホールドで勝利して世界ヘビー級王座を獲得。試合後に「ゼロワンMAX、敗れたり!」とマイクアピール。ゼロワン勢と乱闘し、佐藤耕平に王座挑戦をアピールされた。10月30日、ゼロワンMAXの後楽園ホール大会で佐藤耕平を相手に防衛戦。13分26秒、延髄斬りからのバックドロップ2連発で勝利。12月17日、ゼロワンMAXの新宿FACE大会で高岩竜一を相手に防衛戦。17分53秒、バックドロップで勝利して防衛に成功。大谷、田中、佐藤、高岩と、ゼロワンMAXの中心選手全員に勝利した形となった。09年1月4日、東京ドーム大会で田中将斗を相手に防衛戦。11分41秒、バックドロップホールドで勝利し防衛に成功。2月15日、両国国技館大会で後藤洋央紀と対戦。16分57秒、バックドロップホールドで勝利。2月27日、ZERO1の後楽園ホール大会で大谷を相手に世界ヘビー級王座の防衛戦。20分48秒、ドラゴンスープレックスに敗れ、王座転落。3月15日、後楽園ホールでのNEW JAPAN CUP2回戦で飯塚と対戦。凶器攻撃、急所攻撃、GBHの乱入など反則攻撃を受けつづけ、14分49秒、レフリー暴行により反則勝ち。3月22日、尼崎市記念公園総合体育館での準決勝で後藤洋央紀と対戦。14分51秒、変型腕固めに敗れた。3月29日、沖縄大会の試合後に飯塚に襲撃され、チェーン攻撃で額から流血し、首を絞められて失神。担架送りにされた。4月5日、両国国技館大会で飯塚とチェーンデスマッチで対戦。両者流血の激闘となり、アイアン・フィンガー・フロム・ヘルでの地獄突きをくらって、エプロン上でチェーンで首を絞められ、21分58秒にレフリーストップ負け。5月3日、福岡国際センター 大会で飯塚とドッグカラー・チェーンデスマッチ(首輪でつながったチェーンデスマッチ)で対戦。両者流血の大熱戦を展開し、20分7秒、KO勝ち。8月からG1に出場。後藤、天山に勝利して杉浦貴に引き分け前半戦を負けなしで終えたが、その後、中西、中邑、飯塚相手に3連敗してリーグ戦に敗退。G1開催期間中には毎試合、ご当地のプロ野球チームのユニフォームを着て入場し、会場を盛り上げていた。9月には井上亘、平澤、スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成。12月5日、愛知県体育館大会で中邑のIWGP王座に挑戦。19分39秒、ボマイェに敗れた。
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