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天龍源一郎

本名:嶋田源一郎
1950年2月2日
福井県勝山市出身
189cm 120kg 血液型A型
タイトル歴:3冠ヘビー 世界タッグ IWGPヘビー IWGPタッグ 日本J1選手権 PWFヘビー UNヘビー インタータッグ WAR世界6人タッグ NWAミッドアトランティック・タッグ アジアタッグ
得意技:WARスペシャル パワーボム 延髄切り 53歳

63年12月、大相撲の二所ノ関部屋に入門。73年の1月場所から幕内力士となる。12年8ヶ月で77場所に出場し、748戦393勝355敗。最高位は西前頭筆頭で幕内在位15場所。 76年9月に角界と決別し、10月15日に全日本プロレス入門。現役の幕内力士のプロレス転向は豊登以来22年ぶりだったため大きな話題となった。30日に渡米し、テキサス州アマリロのファンク一家のもとで修行した。11月13日、テキサス州ヘレフォードでのテッド・デビアス戦でデビュー。15分時間切れの引き分け。マゲをつけたままのデビュー戦だった。いったん帰国して断髪式を行い、再び渡米。 77年6月11日、世田谷大会でジャイアント馬場と組んでマリオ・ミラノメヒコ・グランデ組を相手に日本でのデビュー戦。天龍が回転揺りイス固めでグランデにフォール勝ち。 78年8月から2度目のアメリカ遠征。サンフランシスコ地区で石川孝志と組んで出場。11月からフロリダ地区に出場。ソニー・ドライバーと組んでタイガー服部をマネージャーに、マスクマンコンビ「ライジング・サンズ」としても出場した。 79年4月からジョージア地区に出場。10月に帰国。 80年2月から3度目のアメリカ遠征。ジョージア地区に出場。その後、ノースカロライナのミッドアトランティック地区に定着。 81年2月7日、ミスター・フジと組んでNWAミッドアトランティック・タッグ王座を獲得。5月に帰国。7月30日、ビル・ロビンソンと組んでインタータッグ王者の馬場、鶴田組に挑戦。3本勝負を1対2で敗れはしたが、大善戦。その後は馬場、鶴田に次ぐ全日本プロレスナンバー3の位置で活躍しはじめる。 83年度のプロレス大賞で鶴田と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 84年2月23日、蔵前国技館大会でのUNヘビー級王座決定戦でリッキー・スティムボードと対戦。21分13秒、グラウンド・コブラツイストで勝利してUNヘビー級王座を獲得。初のシングル王座獲得となった。9月に鶴田と組んでインタータッグ王座を獲得。 85年度のプロレス大賞で鶴田と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 86年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 87年6月、全日マットの活性化を目指し、阿修羅原らと天龍同盟を結成。エースの鶴田に対し抗争を開始。8月31日、日本武道館大会で鶴田と4年4ヶ月ぶりにシングル戦。ロープ越しのラリアットを決めて21分35秒にリングアウト勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。10月6日の鶴田との再戦にも勝利して全日本プロレスの中心選手として台頭。87年度のプロレス大賞でMVPを受賞。さらに原と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 88年には自ら保持するUN王座、鶴田のインター王座、ハンセンのPWF王座を統一する三冠統一戦を提唱。3月9日に横浜文化体育館大会でハンセンを破りUN、PWF王座の二冠王者となる。4月15日にブルーザー・ブロディと史上初の三冠統一戦。30分、両者リングアウトで引き分けた。7月27日、長野市民体育館大会でスタン・ハンセンを相手にPWF、UN王座の防衛戦。額から大流血しながらも奮闘したが、14分33秒、エプロンからコーナーに登ろうとしたところでラリアットをくらって場外フェンスを越えてはるかかなたまで吹っ飛んでリングアウト負け。二冠王座から転落。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。88年度のプロレス大賞でMVPを受賞。3年連続の受賞となった。 89年2月5日、オハイオ州クリーブランドで行われたWCWの「クラッシュ・オブ・チャンピオンズ」に登場。ロードウォリアーズとNWA世界6人タッグ王者に認定されてスティングマイケル・ヘイズジャンクヤード・ドッグ組を相手に防衛戦を行った。4月18日、鶴田が三冠の初代王者となった。6月5日、日本武道館大会で鶴田の三冠王座に挑戦。24分5秒、パワーボムで勝利。2代目の三冠王者に君臨。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。11月29日、札幌中島体育センター大会での世界最強タッグ決定リーグ戦でハンセンと組んで馬場、木村組と対戦。入場時にトペスイシーダを決めて馬場を戦線離脱させた。ハンセンと共に木村の額を叩き割ってラッシュ。応急手当を受けた馬場がコーナーに立つまでに木村をKOさせた。孤立無援の馬場を攻めたて、最後は20分22秒、天龍がパワーボムで馬場に勝利。日本人初の馬場からのフォール勝ち。馬場にとっては4年5ヶ月ぶりのピンフォール負けとなった。 90年4月13日、東京ドームでの日米レスリングサミットでランディ・サベージと対戦。10分49秒、延髄斬りからのパワーボムで勝利。4月19日、鶴田と最後の対戦。バックドロップホールドに敗れた。鶴田との通算対戦成績は天龍の3勝4敗2分け。同月に全日本プロレスを退団。5月にSWSに移籍。契約金は3億円とも言われている。SWSではエースとして活躍。10月19日、横浜アリーナ大会のメインでジョージ高野と対戦。13分2秒、パワーボムで勝利。12月7日、大阪府立体育館大会でのトーナメント1回戦でテッド・デビアスと対戦。14分54秒、首固めでフォール勝ち。同日の決勝で北尾光司と対戦。9分56秒、ボディスラムを切り返しての片エビ固めでフォール勝ち。 91年1月8日、露橋スポーツセンター大会のメインでキング・ハクと対戦。12分26秒、パワーボムで勝利。2月7日、長崎国際体育館大会のメインでウォーロードと対戦。12分24秒、ダイビングエルボードロップで勝利。4月1日、神戸ワールド記念ホール大会でランディ・サベージと対戦。8分3秒、パワーボムで勝利。6月11日、大阪府立体育館大会で佐野と対戦。7分48秒、パワーボムで勝利。9月18日、長野市民体育館大会のメインでデイビーボーイ・スミスと対戦。11分10秒、パワーボムで勝利。10月28日、長崎国際体育館大会のメインでキング・ハクと対戦。14分36秒、パワーボムで勝利。10月29日、福岡国際センター大会のメインで谷津嘉章と対戦。15分48秒、パワーボムで勝利。10月30日、熊本市体育館大会のメインでジョージ高野と対戦。11分6秒、パワーボムで勝利。11月8日、函館市民体育館大会のメインでケリー・フォン・エリックと対戦。9分11秒、ラリアットで勝利。11月10日、札幌中島体育センター大会のメインで阿修羅原と対戦。15分19秒、パワーボムで勝利。12月12日、SWSの東京ドーム大会でハルク・ホーガンと対戦。真っ向勝負を挑む。試合中盤にジャンピング・ニーバットの着地で左ヒザを痛めたホーガンを攻めて、パワーボムでホーガンを追いこんだ。ホーガンの完全に決まった必殺技レッグドロップ2発とアックスボンバー1発をカウント2で返す健闘を見せたが、最後は13分57秒、アックスボンバー2連発に敗れた。この試合はプロレス大賞のベストバウトに選ばれた。92年2月12日、後楽園ホール大会でハーキュリーズと対戦。8分10秒、ラリアットで勝利。6月にSWSが解散。7月にWARを設立。 93年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインで長州力と対戦。18分14秒、パワーボムで勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。新日本プロレスとの対抗戦では、橋本蝶野藤波らを撃破。 94年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインでアントニオ猪木と対戦。試合中にチョークスリーパーで失神。腕ひしぎ逆十字で指を脱臼させられた。15分56秒、パワーボムで勝利。馬場、猪木からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとなった。3月2日、WARの両国国技館大会で阿修羅原と組んでFMWの大仁田厚ターザン後藤組と対戦。後藤にビール瓶で殴られて流血。18分13秒、大仁田のサンダーファイヤーパワーボムに天龍がフォール負け。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。5月5日、大仁田との決着戦として、FMWの川崎球場大会でノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで対戦。パワーボムの連発で快勝する。 95年10月29日、後楽園ホール大会で冬木弘道と対戦。13分20秒、延髄斬りからのパワーボムで完勝。 96年8月17日、UWFインターの神宮球場大会で佐野と対戦。8分59秒、パワーボムで勝利。9月11日、UWFインターの神宮球場大会のメインで高田延彦と対戦。19分30秒、パワーボムを脇固めに切り返され、最後は腕固めに敗れた。この試合でプロレス大賞のベストバウトを獲得した。9月23日、WARの後楽園ホール大会のメインでビガロと対戦。15分58秒、ムーンサルトプレスを狙ってコーナーに上がったビガロに逆転のパワーボムを決めて勝利。 98年1月、荒谷を破り初代J1王者に輝く。2月にWARが活動停止。フリーとなる。4月より平成維震軍と共闘し、7月には越中と組みIWGPタッグ王座を獲得。 99年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で天山小島組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分35秒、天山のダイビングヘッドバットに越中が敗れてタッグ王座から転落した。5月3日、新日本プロレスの福岡国際センター大会で武藤敬司のIWGP王座に挑戦。25分37秒、ムーンサルトプレスに敗れた。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。12月10日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会で武藤のIWGP王座に挑戦。26分32秒、ノーザンライトボムで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得した。 00年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインで佐々木健介を相手に防衛戦。14分43秒、ノーザンライトボムに敗れて王座転落。7月に全日本プロレスに復帰。10月28日に川田利明に勝利して3冠ヘビー級王座を獲得。 01年4月、チャンピオンカーニバルに優勝。6月8日、武藤敬司に敗れて王座転落。 02年4月13日、垂直落下式ブレーンバスターで武藤敬司に勝利して三冠王座を獲得。10月27日にグレート・ムタに敗れて王座転落。 04年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で中西学と対戦。10分20秒、フィッシャーマンズスープレックスに敗れた。1月18日、大阪府立体育会館大会のメインで川田の三冠王座に挑戦。17分59秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。2月15日、新日本プロレスの両国国技館大会でのIWGP王座決定トーナメントに出場し、1回戦で蝶野と対戦。6分25秒、顔面へのサッカーボールキックでTKO勝ち。準決勝で棚橋弘至と対戦し、10分32秒、53歳の2連発で勝利。決勝戦で天山広吉と対戦し、13分1秒、ダイビングヘッドバットに敗れた。2月22日、日本武道館大会で渕正信と対戦。10分43秒、パワーボムで勝利。5月22日、後楽園ホール大会で天龍と組んでザ・グレート・コスケ獅龍組のアジアタッグ王座に挑戦。21分43秒、渕がバックドロップで獅龍にフォール勝ちし、アジアタッグ王座を獲得。8月には新日本プロレスのG1に出場。リーグ戦を突破して決勝トーナメントに進出。8月15日、両国国技館での決勝トーナメント1回戦で佐々木健介と対戦し、8分11秒、53歳で勝利。準決勝で棚橋弘至と対戦し、6分34秒、首固めに敗れた。11月13日、新日本プロレスの大阪ドーム大会で柴田勝頼と対戦。9分9秒、グーパンチでフォール勝ち。 05年11月5日、ノアの日本武道館大会で三沢光晴と対戦。14分27秒、ランニングエルボーに敗れた。11月からハッスルに出場。 09年7月5日、ハッスルの福岡国際センター大会での「アルマゲドンサバイバー」に出場し、先鋒として川田利明と対戦。7分4秒、ストレッチプラムに敗れた。9月27日、ノアの日本武道館大会(三沢の追悼興行)に出場し、小川良成鈴木鼓太郎と組んで佐々木健介、森嶋猛中嶋組と対戦。逆水平チョップなど力強い動きで見せ場を作ったが、21分5秒、森嶋のバックドロップに鼓太郎がフォール負け。10月10日、ハッスルの両国国技館大会でハッスル連合軍対RIKI軍団の5対5の勝ち抜き戦に先鋒として登場。小路晃と対戦し、7分12秒、53歳で勝利。次にレネ・デュプリと対戦し、41秒、スモールパッケージホールドにフォール負け。この大会を最後にハッスルが崩壊。東急田園都市線の桜新町駅近くに寿司処「しま田」を開店していた(09年12月に閉店)。ハッスル崩壊後は試合から遠ざかる。 10年2月22日、新宿FACEでの折原の20周年興行のメインで平井と組んで折原、川田組と対戦。12分14秒、天龍がパワーボムで折原にフォール勝ち。3月18日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で初代タイガーマスクと対戦。ゴツゴツした打撃戦を展開したが、12分1秒、チキンウイング・フェイスロックに敗れた。4月19日、新宿FACEで天龍プロジェクトの旗揚げ戦。メインで高木三四郎と組んでディック東郷組と対戦。20分3秒、天龍が投げっぱなしパワーボムで東郷に勝利した。5月4日、横浜文化体育館での大日本プロレス旗揚げ15周年記念興行で岡林と組んで関本大介、佐々木義人組と対戦。関本とのチョップ合戦などで真っ向勝負を展開。16分27秒、関本のラリアットに岡林が敗れたが、試合後に「今日はプロレスを存分に満喫したよ。これを一生懸命、がんばってくれよ。またやろう!」とマイクで語った。8月15日、新日本プロレスの両国国技館大会でのセミファイナルで川田、4代目タイガーマスクと組んで長州、マシンAKIRA組と対戦。08年8月以来の新日本プロレス参戦ということで注目されたが、試合前から痛めていた左ヒザを序盤で悪化させ、動きに全く精彩がなかった。試合は8分17秒、飛びつき回転十字架固めでタイガーマスクがAKIRAに勝利した。 11年2月4日、後楽園ホールでの安田忠夫の引退興行に参戦し、メインで安田と対戦。4分36秒、足4の字固めでTKO勝ち。6月2日、ユニオンプロレスの新宿FACE大会で菊地毅と対戦。入場と同時にゼロ戦キックで奇襲されたが、場外戦での強烈なイス攻撃で主導権を握り、最後は7分15秒、ラリアットで勝利。6月9日、SMASHの後楽園ホール大会でのSMASH初代王座決定トーナメント1回戦でマイケル・コバックと対戦。5分56秒、スモールパッケージホールドでフォール勝ち。8月11日、SMASHの後楽園ホール大会でのトーナメント2回戦でスターバックと対戦。7分33秒、パイルドライバーに敗れた。9月8日、SMASHの後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。7分19秒、ラリアットで勝利。11月10日、後楽園ホールでデビュー35周年記念興行を開催。第1試合で百田、グレート小鹿と組んで泉田、菊地、志賀組と対戦。10分53秒、百田がサムソンクラッチで志賀にフォール勝ち。メインで鈴木みのる諏訪魔と組んで佐々木健介、小島太陽ケア組と対戦。歴代三冠王者がそろった試合となった。61歳にして健介と壮絶なチョップ合戦を展開。逆水平チョップは天龍は合計63発、健介は合計74発。奮闘したが、29分42秒、健介のブレーンバスターに天龍が敗れた。12月5日、記者会見を開き、腰部脊柱管狭窄症の治療を理由に長期欠場を表明した。 12年2月23日と3月8日に腰部脊柱管狭窄症の大手術。7月24日に再手術。12月29日、天龍プロジェクトの後楽園ホール大会で復帰。高山、鈴木みのる、森嶋と組んで永田中西、天山、小島組と対戦。19分54秒、永田の延髄斬りからの腕固めに天龍が敗れた。 13年4月26日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会で百田と対戦。7分38秒、ラリアットで勝利。5月11日、日本武道館での小橋建太引退記念大会で小川良成と組んで森嶋、井上雅央組と対戦。8分38秒、小川が横入り式エビ固めで井上にフォール勝ち。10月1日、天龍プロジェクトの新木場1stRING大会で河上隆一と対戦。8分22秒、レフリー暴行で反則負け。12月7日、ノアの有明コロシアム大会で田上明の引退試合に出場。藤波、志賀、井上雅央と組んで田上、森嶋、杉浦平柳組と対戦。10分40秒、田上のオレが田上に雅央が敗れた。 15年2月9日、後楽園ホールで会見を開き、11月の興行を最後に現役引退することを表明した。4月3日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会のメインで越中と組んで高木三四郎、竹下組と対戦。8分35秒、天龍が「63歳」(垂直落下式変型ブレーンバスター)からのラリアットで高木に勝利。4月30日、新木場1stRING大会のメインで拳剛と対戦。12分30秒、53歳改め65歳で勝利。11月15日、両国国技館で引退興行を開催。メインでオカダ・カズチカと対戦。18発の逆水平チョップ、15発のグーパンチ、WARスペシャル、DDT、延髄斬り、投げ捨てパワーボム、53歳を出したが、最後は17分27秒、ドロップキックからのレインメーカーに敗れた。試合後、テリー・ファンクスタン・ハンセンから花束を受け取り、「みなさん、おれは本当に腹一杯のプロレス人生でした。もうこれ以上望むものは何もありません!ありがとうございました」とマイクし、10カウントゴングを聞いた。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。
――試合を組み立てたり、淀みなく技を出せるようになったと感じたのはいつ頃ですか?
「たぶんね、ロビンソンと組んで馬場さんとジャンボとインター・タッグをやった時(81年7月30日=後楽園ホール)だと思いますよ。”ああ、プロレスって好きなことをやって、それでいいんじゃない?”って。それまでは巧くやろうとか、客にウケてやろうとか、自分が綺麗に見えることとかね、そういうのが心の片隅にあったと思うのよ。それはなぜかって言ったら、相撲から転向したっていうのが付いて回ってたんだよね、俺の中では。だから、良く観られようとか、向こう受けするようなことばっかり考えてたの。でも、そのインター・タッグの試合では、自分の気持ちをそのままぶつけていけば、お客さんはわかってくれるんだなっていうのが大きかった。それから・・・今もそうだけどね、ただ気持ちの赴くままですよ」(中略)「あの時はダラスのフリッツ・フォン・エリックのところに行くことが決まってたから、吹っ切れていた部分もあったんだけどね。あの試合は”好きなことやっていいよ”ってロビンソンが言ってくれたことが大きかったよ。俺としては”それだったら、後は修正してくれるだろう”って(苦笑)。今にして思うと、俺がコンビのリーダーだったら、あのジャンボの性格だから斜に構えてやられたと思うんだけど、パートナーがロビンソンだったからジャンボも馬場さんも真っ向から来てくれて試合が面白く成立したと思うんだよ。俺がロビンソンのパートナーに名乗り出たんだけど、あれはデカイ一言だったね。これは俺のプロレス人生を左右した試合だったよ」
(「Gスピリッツ」10号(08年12月)の天龍のインタビューより)
源ちゃんは相撲からプロレス転向して(76年10月)、髷をつけたまま、すぐに巡業に付いてきたんだけど、みんなが触らなかったっていうか、喋らなかったから「これはいけないな」と思って俺が練習を教えたんだよね。一応、幕内だから粗末に扱うようなことはしなかったけど、謙虚だったよ(笑)。(中略)フロリダで一緒だったのは79年だったかな。源ちゃん、苦労したよ。かわいそうにね。その頃、俺とマサやんはトップ取ってて11ヶ月休みなしだったけど、源ちゃんは前座。第1〜第2試合ぐらいでさ。マサやんがスケジュールの合間に新日本に戻った時には俺のパートナーが空席になるんだけど、そこに源ちゃんが入ることはなかった。あの頃の源ちゃんは一番苦労した時期だったんじゃないの。途中でイジケたみたいなところもあったしね。気難しいところがあるじゃん、あの人。向こうにいた時、源ちゃんに「腐ったってしょうがないじゃん!」って言ったことあるよ。(中略)でも、あの苦しいときにちゃんとアメリカンプロレスを覚えたから、龍原砲がうまくいったんだと思うよ。基礎はそこにあるんだろうね。あとは長州たちとやってからだね、目の色が変わったのは。「向こうが倒れねぇなら、こっちも倒れねぇ」って意地になってたからさ、それが龍原砲を生んだのかもしれないよ。昔は遠慮するところがあって「もっと行け!」みたいなところもあったけど、龍原砲になってガラッと変わった。完璧になったもんね。試合の組み立ても巧くなったし、やっぱり経験よ。俺も試合しながら燃えてたから。龍原砲の時は最高だったね、メリハリとタイミングが。例えばドロップキック食っても、バーンと受ける時は受ける。ある時はロープに引っ掛かってグラグラってなる。リングの中の位置によって、受け身の取り方が違ってくるっていうのが本当のプロ。同じ受け身ばっかりじゃなくてね。源ちゃんは器用だし、プロレスセンスもジャンボより全然上だし、リアルだよ。この前、海野興行(8月26日=新日本プロレス・後楽園ホール)で久々にアッパーとチョップで源ちゃんとやり合ったけどさ、やっぱりいいね(苦笑)。ちょっと勘違いしちゃったよ。「まだ、やれるんじゃねぇか」って(笑)。久々にチョップを食らって目が覚めたね。
(「Gスピリッツ」9号(08年10月)のザ・グレート・カブキのインタビューより)

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