63年12月、大相撲の二所ノ関部屋に入門。73年の1月場所から幕内力士となる。12年8ヶ月で77場所に出場し、748戦393勝355敗。最高位は西前頭筆頭で幕内在位15場所。76年9月に角界と決別し、10月15日に全日本プロレス入門。現役の幕内力士のプロレス転向は豊登以来22年ぶりだったため大きな話題となった。30日に渡米し、テキサス州アマリロのファンク一家のもとで修行した。11月13日、テキサス州ヘレフォードでのテッド・デビアス戦でデビュー。15分時間切れの引き分け。マゲをつけたままのデビュー戦だった。いったん帰国して断髪式を行い、再び渡米。77年6月11日、世田谷大会でジャイアント馬場と組んでマリオ・ミラノ、メヒコ・グランデ組を相手に日本でのデビュー戦。天龍が回転揺りイス固めでグランデにフォール勝ち。78年8月から79年10月に2度目のアメリカ遠征。80年2月から3度目のアメリカ遠征。
ノースカロライナに定着し、81年2月7日、ミスター・フジと組んでNWAミッドアトランティック・タッグ王座を獲得。5月に帰国。7月30日、ビル・ロビンソンと組んでインタータッグ王者の馬場、鶴田組に挑戦。3本勝負を1対2で敗れはしたが、大善戦。その後は馬場、鶴田に次ぐ全日本プロレスナンバー3の位置で活躍しはじめる。84年2月23日、蔵前国技館大会でのUNヘビー級王座決定戦でリッキー・スティムボードと対戦。21分13秒、グラウンド・コブラツイストで勝利してUNヘビー級王座を獲得。初のシングル王座獲得となった。9月に鶴田と組んでインタータッグ王座を獲得。87年6月、全日マットの活性化を目指し、阿修羅原らと天龍同盟を結成。エースの鶴田に対し抗争を開始。8月31日の武道館大会で鶴田と4年4ヶ月ぶりにシングル戦。ロープ越しのラリアットを決めて21分35秒にリングアウト勝利。10月6日の鶴田との再戦にも勝利して全日本プロレスの中心選手として台頭。88年には自ら保持するUN王座、鶴田のインター王座、ハンセンのPWF王座を統一する三冠統一戦を提唱。3月9日に横浜文化体育館大会でハンセンを破りUN、PWF王座の二冠王者となる。4月15日にブルーザー・ブロディと史上初の三冠統一戦。30分、両者リングアウトで引き分けた。結局、三冠王座は89年4月18日に鶴田が初代王者となったが、同年6月5日に天龍は鶴田に挑戦。24分5秒、パワーボムで勝利して2代目の3冠王者に君臨。90年4月19日、鶴田と最後の対戦。バックドロップホールドに敗れた。鶴田との通算対戦成績は天龍の3勝4敗2分け。同月に全日本プロレスを退団。5月にSWSに移籍。契約金は3億円とも言われている。SWSではエースとして活躍。91年12月12日、SWSの東京ドーム大会でハルク・ホーガンと対戦。真っ向勝負を挑む。試合中盤にジャンピング・ニーバットの着地で左ヒザを痛めたホーガンを攻めて、パワーボムでホーガンを追いこんだ。ホーガンの完全に決まった必殺技レッグドロップ2発とアックスボンバー1発をカウント2で返す健闘を見せたが、最後は13分57秒、アックスボンバー2連発に敗れた。この試合はプロレス大賞のベストバウトに選ばれた。92年6月にSWSが解散。7月にWARを設立。新日本プロレスとの対抗戦では長州、橋本、蝶野、藤波らを撃破。94年1月4日の東京ドーム大会では猪木に勝利し、馬場、猪木からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとなった。3月2日、WARの両国大会で阿修羅原と組んでFMWの大仁田厚、ターザン後藤組と対戦。後藤にビール瓶で殴られて流血。18分13秒、最後は天龍が大仁田のサンダーファイヤー・パワーボムにフォール負け。この試合はプロレス大賞ベストバウトを受賞した。5月5日、大仁田との決着戦として、FMWの川崎球場大会でノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで対戦。パワーボムの連発で快勝する。98年1月、荒谷を破り初代J1王者に輝く。2月にWARが活動停止。フリーとなる。4月より平成維震軍と共闘し、7月には越中と組みIWGPタッグ王座を獲得。99年12月に武藤を破りIWGPヘビー級王者に輝き、2大メジャー・タイトル制覇を成し遂げた。00年7月に全日本プロレスに復帰。10月28日に川田利明に勝利して3冠ヘビー級王座を獲得。01年4月、チャンピオンカーニバルに優勝。6月8日、武藤敬司に敗れて王座転落。02年4月13日、垂直落下式ブレーンバスターで武藤敬司に勝利して三冠王座を獲得。10月27日にグレート・ムタに敗れて王座転落。04年1月18日、大阪府立体育会館大会のメインで川田の三冠王座に挑戦。17分59秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。2月15日、新日本プロレスの両国国技館大会でのIWGP王座決定トーナメントに出場し、1回戦で蝶野と対戦。6分25秒、顔面へのサッカーボールキックでTKO勝ち。準決勝で棚橋弘至と対戦し、10分32秒、53歳の2連発で勝利。決勝戦で天山広吉と対戦し、13分1秒、ダイビングヘッドバットに敗れた。2月22日、日本武道館大会で渕正信と対戦。10分43秒、パワーボムで勝利。5月22日、後楽園ホール大会で天龍と組んでザ・グレート・コスケ、獅龍組のアジアタッグ王座に挑戦。21分43秒、渕がバックドロップで獅龍にフォール勝ちし、アジアタッグ王座を獲得。8月には新日本プロレスのG1に出場。リーグ戦を突破して決勝トーナメントに進出。8月15日、両国国技館での決勝トーナメント1回戦で佐々木健介と対戦し、8分11秒、53歳で勝利。準決勝で棚橋弘至と対戦し、6分34秒、首固めに敗れた。05年11月5日、ノアの日本武道館大会で三沢光晴と対戦。14分27秒、ランニングエルボーに敗れた。11月からハッスルに出場。09年7月5日、ハッスルの福岡国際センター大会での「アルマゲドンサバイバー」に出場し、先鋒として川田利明と対戦。7分4秒、ストレッチプラムに敗れた。9月27日、ノアの日本武道館大会(三沢の追悼興行)に出場し、小川良成、鈴木鼓太郎と組んで佐々木健介、森嶋猛、中嶋組と対戦。逆水平チョップなど力強い動きで見せ場を作ったが、21分5秒、森嶋のバックドロップに鼓太郎がフォール負け。10月10日、ハッスルの両国国技館大会でハッスル連合軍対RIKI軍団の5対5の勝ち抜き戦に先鋒として登場。小路晃と対戦し、7分12秒、53歳で勝利。次にレネ・デュプリと対戦し、41秒、スモールパッケージホールドにフォール負け。この大会を最後にハッスルが崩壊。東急田園都市線の桜新町駅近くに寿司処「しま田」を開店していた(09年12月に閉店)。
――試合を組み立てたり、淀みなく技を出せるようになったと感じたのはいつ頃ですか?
「たぶんね、ロビンソンと組んで馬場さんとジャンボとインター・タッグをやった時(81年7月30日=後楽園ホール)だと思いますよ。”ああ、プロレスって好きなことをやって、それでいいんじゃない?”って。それまでは巧くやろうとか、客にウケてやろうとか、自分が綺麗に見えることとかね、そういうのが心の片隅にあったと思うのよ。それはなぜかって言ったら、相撲から転向したっていうのが付いて回ってたんだよね、俺の中では。だから、良く観られようとか、向こう受けするようなことばっかり考えてたの。でも、そのインター・タッグの試合では、自分の気持ちをそのままぶつけていけば、お客さんはわかってくれるんだなっていうのが大きかった。それから・・・今もそうだけどね、ただ気持ちの赴くままですよ」(中略)「あの時はダラスのフリッツ・フォン・エリックのところに行くことが決まってたから、吹っ切れていた部分もあったんだけどね。あの試合は”好きなことやっていいよ”ってロビンソンが言ってくれたことが大きかったよ。俺としては”それだったら、後は修正してくれるだろう”って(苦笑)。今にして思うと、俺がコンビのリーダーだったら、あのジャンボの性格だから斜に構えてやられたと思うんだけど、パートナーがロビンソンだったからジャンボも馬場さんも真っ向から来てくれて試合が面白く成立したと思うんだよ。俺がロビンソンのパートナーに名乗り出たんだけど、あれはデカイ一言だったね。これは俺のプロレス人生を左右した試合だったよ」
(「Gスピリッツ」10号(08年12月)の天龍のインタビューより)
源ちゃんは相撲からプロレス転向して(76年10月)、髷をつけたまま、すぐに巡業に付いてきたんだけど、みんなが触らなかったっていうか、喋らなかったから「これはいけないな」と思って俺が練習を教えたんだよね。一応、幕内だから粗末に扱うようなことはしなかったけど、謙虚だったよ(笑)。(中略)フロリダで一緒だったのは79年だったかな。源ちゃん、苦労したよ。かわいそうにね。その頃、俺とマサやんはトップ取ってて11ヶ月休みなしだったけど、源ちゃんは前座。第1〜第2試合ぐらいでさ。マサやんがスケジュールの合間に新日本に戻った時には俺のパートナーが空席になるんだけど、そこに源ちゃんが入ることはなかった。あの頃の源ちゃんは一番苦労した時期だったんじゃないの。途中でイジケたみたいなところもあったしね。気難しいところがあるじゃん、あの人。向こうにいた時、源ちゃんに「腐ったってしょうがないじゃん!」って言ったことあるよ。(中略)でも、あの苦しいときにちゃんとアメリカンプロレスを覚えたから、龍原砲がうまくいったんだと思うよ。基礎はそこにあるんだろうね。あとは長州たちとやってからだね、目の色が変わったのは。「向こうが倒れねぇなら、こっちも倒れねぇ」って意地になってたからさ、それが龍原砲を生んだのかもしれないよ。昔は遠慮するところがあって「もっと行け!」みたいなところもあったけど、龍原砲になってガラッと変わった。完璧になったもんね。試合の組み立ても巧くなったし、やっぱり経験よ。俺も試合しながら燃えてたから。龍原砲の時は最高だったね、メリハリとタイミングが。例えばドロップキック食っても、バーンと受ける時は受ける。ある時はロープに引っ掛かってグラグラってなる。リングの中の位置によって、受け身の取り方が違ってくるっていうのが本当のプロ。同じ受け身ばっかりじゃなくてね。源ちゃんは器用だし、プロレスセンスもジャンボより全然上だし、リアルだよ。この前、海野興行(8月26日=新日本プロレス・後楽園ホール)で久々にアッパーとチョップで源ちゃんとやり合ったけどさ、やっぱりいいね(苦笑)。ちょっと勘違いしちゃったよ。「まだ、やれるんじゃねぇか」って(笑)。久々にチョップを食らって目が覚めたね。
(「Gスピリッツ」9号(08年10月)のザ・グレート・カブキのインタビューより)
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