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少年時代からアマレスに打ちこみ、79年5月にプロレス入り。イギリスでは80年代最高のレスラーとして評価された。佐山聡や前田日明がイギリス修行時代に対戦した。82年6月、大英帝国ミッドヘビー級王座を獲得。83年2月、大英帝国ライトヘビー級王座を獲得。5月に世界ミッドヘビー級王座を獲得。7月に新日本プロレスに初来日。
85年1月、UWFに来日。洗練されたヨーロッパ流のテクニックを見せた。
ドイルのCWAでは90年9月から95年11月にかけてCWA世界ミドル級王座を4度獲得した。
90年2月には大英帝国ヘビー級王座を獲得。
91年2月、新日本プロレスに久々の来日。2月6日、札幌中島体育センター大会で獣神サンダーライガーと対戦。ジャーマンを1度は急所蹴りでかわしたが、2発目のジャーマンでは急所蹴りを足でブロックされてしまう。直後に背後からあびせ蹴りをくらい、最後は9分27秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。
同年12月、CWA世界ミドル級王座を獲得。93年、CWAインターコンチネンタル・ヘビー級王座を獲得。95年にはフィット・フィンレーのリングネームでWCWに登場。98年5月、ブッカーTを破りWCW・TV王座を獲得。その後はWWFのエージェントとして活動。選手のコーチや女子部門のコーチを担当した。06年1月にWWEのスマックダウンに現役復帰。こん棒を武器にヒールファイトで活躍。2月4日には横浜アリーナのWWEの日本公演に来日。セミファイナルでクリス・ベンワーと対戦。19分44秒、クリップラー・クロスフェイスに敗れた。5月26日、ポール・バーチルに勝利した後、リングの下から緑色の服を着た小さな男がフィンレイのこん棒を奪い、バーチルを攻撃。その後、このリトル・バスタード(後のホーンスワグル)をリングの下から試合に介入させはじめる。7月14日、ホーンスワグルの手助けを借りて、ラシュリーを破りUSヘビー級王座を獲得した。9月1日、US王座を賭けたトリプルスレッドマッチでミスター・ケネディがラシュリーをピンフォールしたため、フィンレイは王座転落。07年7月2日にリック・フレアーと対戦。こん棒でフレアーの膝裏を殴ってから、10分19秒、ケルティック・ナット(インディアン・デスロック)で勝利した。08年6月にホーンスワグルと共にECWに移籍。
11月10日、イギリス・マンチェスター大会でマット・ハーディーのECW王座に挑戦。ツイストオブフェイトに敗れた。12月14日、PPV「アルマゲドン」でマーク・ヘンリーと対戦。フォール勝ちかギブアップで試合が決まる以外はなんでもありのルールの中で、圧倒的な対格差とゴミ缶での攻撃でボロボロになりながらも鉄階段を振り上げたヘンリーのスキをついて低空ドロップキックでダウンさせ、ホーンスワグルから手渡されたこん棒で殴って逆転のフォール勝ち。09年2月15日、PPV「ノー・ウェイ・アウト」でジャック・スワッガーのECW王座に挑戦。ガットレンチ・パワーボムに敗れた。4月にホーンスワグルがRAWに移籍したためコンビを解消。09年6月にスマックダウンに移籍。
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