レスラーノート

ティー・エヌ・ティー

TNT

本名:ファン・リベラ
1965年8月10日
プエルトリコ・ベガ・アトラ出身
183cm 110kg

タイトル歴
WWCユニバーサル・ヘビー
IWAカナディアンヘビー
得意技
トラースキック

12歳の時からテコンドーを習って黒帯を習得。プエルトリコの帝王、カーロス・コロンに認められ、85年にプロレス入り。87年11月、全日本プロレスにブッチャーのパートナーとして初来日。そのファイト内容が好評で88年1月のシリーズにも連続参戦。90年2月にWWCユニバーサル・ヘビー級王座を獲得。 91年7月に新日本プロレスに来日。7月19日の札幌中島体育センター大会ではグレート・ムタと組んで健介組と対戦。敗れはしたが、抜群のチームワークを見せた。新日本プロレス参戦から9日後の8月7日、後楽園ホールでのW★INGの旗揚げ戦にも登場し、メインでポーゴ、コリンズと組んで徳田、斎藤彰俊、木村浩一郎組と対戦。8分12秒、徳田のバックドロップにコリンズが敗れた。8月11日、塩尻市立体育館大会でエル・ファンタスマと対戦。11分27秒、ロープに振ってのニールキックで勝利。8月17日、W★ING旗揚げシリーズ最終戦、東京よみうりランド大会のメインで斎藤彰俊とランバージャックデスマッチで対戦。10分26秒、飛び後ろ回し蹴りに敗れた。 92年11月22日、新日本プロレスの両国国技館大会で橋本真也と対戦。2分45秒、DDTに敗れた。 94年1月からWWFにマスクマンのクアン・ザ・ニンジャとして出場。 95年5月からサビオ・ベガに改名。 97年にボリクアスを結成。12月20日、CWAのドイツ・ブレーメン大会「メガ・レスリング・ナイト」でマーシャル・デューク(WWFのデューク・ザ・ダンプスター)と対戦。14分30秒、パワースラムに敗れた。WWF離脱後はプエルトリコのIWAで選手兼ブッカーとして活動。 08年7月、TNAのエージェントになる。 09年7月31日、ヘッド・ブッカーのジェフ・ジャレットがTNAを解雇されたため、側近であったベガもダッチ・マンテルと共に解雇された。 11年1月29日、ロサンゼルスのホテル・エアポート・ヒルトンでのレッスル・リユニオン5で20人参加のレジェンドバトルロイヤルに出場。 17年7月26日、後楽園ホール大会での「プロレスリングマスターズ」に来日。ムタ、カブキと組んで藤波長州組と対戦。16分41秒、馳の裏投げからのノーザンライトスープレックスにTNTが敗れた。 19年6月15日、MLWでIWAカナディアンヘビー級王者に認定された。7月25日、MLWのニューヨークシティ大会でアレキサンダー・ハマーストーンのナショナル王座に挑戦。ナイトメア・ペンデュラムに敗れた。11月2日、MLWのイリノイ州シセロ大会でレオ・ブライエンと対戦。カウベルで殴られ、エルボードロップに敗れた。12月5日、MLWのニューヨークシティ大会でジノ・メディナとストリートファイトマッチ。頭部へのキックをくらってフォール負け。 20年1月11日、MLWのテキサス州ノースリッチランドヒルズ大会でリチャード・ホリデーと対戦。THE2008に敗れた。 21年1月27日、MLWのフロリダ州オーランド大会でリチャード・ホリデーにカリビアン・ストラップマッチで敗れてIWAカナディアンヘビー級王座から転落。2月17日、MLWのハワイ大会でミル・ムエルテと夜間のジャングルの中で対戦。バールで殴られてフォール負け。 22年1月13日、バハカリフォルニア州ティファナでのMLWの放送でパガノとハードコアマッチ。ムーンサルトプレスに敗れた。