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蝶野正洋

1963年9月17日
東京都三鷹市出身
186cm 108kg 血液型O型
タイトル歴:IWGPヘビー NWA世界ヘビー IWGPタッグ WWAヘビー&TV選手権 CWFタッグ カナダ・インターナショナル・タッグ
得意技:ケンカキック(旧称、ヤクザキック) STF シャイニイングケンカキック

父は大手製薬会社のエリート社員。父の転勤先だったシアトルで生まれる。高校時代はサッカー部。84年4月、新日本プロレス入門。84年10月5日、越谷市体育館の武藤敬司戦でデビュー。87年3月のヤングライオン杯に優勝し、6月に海外遠征。12月までヨーロッパのトーナメントに出場。その後、アメリカに遠征。88年2月、マイク・ジョージを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。同年秋にヨーロッパのトーナメント大会に出場。89年1月からアメリカ・アラバマのCWFに出場。9月にバージニア州のルー・テーズのジムに1ヶ月間入門し、STFをマスター。10月に帰国。その後は武藤、橋本と共に闘魂三銃士として新日本プロレスの中心選手として活躍した。90年4月、武藤と組みIWGPタッグ王座を獲得。90年度のプロレス大賞で武藤と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 91年5月30日、大阪城ホール大会(藤波のデビュー20周年記念大会)のメインで藤波のIWGP王座に挑戦。18分33秒、ドラゴンスリーパーで勝利した。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会で長州力と対戦。14分17秒、STFで勝利。8月9日、両国国技館大会で橋本と対戦。30分時間切れの引き分け。8月10日、両国国技館大会でビガロと対戦。12分38秒、卍固めで勝利。2勝1引き分けで橋本と並んで同点1位。8月11日、両国国技館大会で橋本を相手に優勝戦進出決定戦。15分50秒、STFで勝利。同日のメインで武藤を相手に優勝決定戦。ムーンサルトプレスを両膝を立てて防ぎ、29分3秒、パワーボムで勝利してG1クライマックスに優勝した。この優勝をきっかけにトップグループ入り。11月5日、日本武道館大会で藤波のIWGP王座に挑戦。19分49秒、足を抱えこんでのヘッドロックに敗れた。12月にドイツ人のマルティナ・カールスさんと結婚。 92年1月4日、東京ドーム大会でレックス・ルガーのWCW世界ヘビー級王座に挑戦。15分9秒、ダブルパンチをくらってフォール負け。8月6日、G1クライマックスに出場。優勝者はNWA世界ヘビー級王座を獲得する大会だった。8月12日、両国国技館大会での決勝でリック・ルードと対戦。29分44秒、ダイビング・ショルダーアタックで勝利して優勝。2連覇を達成し、第75代NWA世界ヘビー級王者となった。 93年1月4日、東京ドーム大会でIWGPヘビー級王者の武藤を相手に、自らのNWA王座も賭けてダブルタイトルマッチ。19分48秒、ムーンサルトプレスに敗れて王座転落。 94年1月4日、東京ドーム大会で橋本のIWGP王座に挑戦。28分、ジャンピングDDTに敗れた。8月、G1の3度目の優勝を機にヒールに転向。 95年2月に天山ヒロ斎藤と狼群団を結成。10月15日から始まったSGタッグリーグ戦に天山と組んで参戦し、優勝。10月28日、UWFインターの国立代々木競技場第1体育館大会で安生洋二と対戦。ゴング前にハイキックをくらってダウン。8分17秒、急所蹴りからの変形足4の字固めに敗れた。95年度のプロレス大賞で天山と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 96年1月4日、東京ドーム大会で越中詩郎と対戦。9分45秒、スモールパッケージホールドにフォール負け。9月19日、岡山県体育館大会で日米対抗スーパースターズ・トーナメントに参戦し、1回戦でスティングと対戦。11分4秒、サソリ固めを狙ったが、首固めに切り返されてフォール負け。12月にWCWに許可を受けてNWOジャパンを設立。96年度のプロレス大賞で天山、ヒロ斎藤と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 97年11月18日からはじまったSGタッグリーグ戦に武藤と組んで参戦し、優勝。12月20日、ドイツに遠征し、CWAのブレーメン大会でエキー・クリスチャン・エクスタインと対戦。13分49秒、ツームストンパイルドライバーからのヤクザキックで勝利。97年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 98年1月4日、東京ドーム大会で越中と対戦。15分5秒、ケンカキックで勝利。8月8日、大阪ドーム大会で藤波のIWGP王座に挑戦。19分53秒、STFで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得した。椎間板脊椎症のため防衛戦を行わずに王座を返上した。 99年4月に東京ドームで大仁田厚と電流爆破デスマッチで対決。試合は16分10秒、両者KOで終わったが、大仁田とは対照的に防具をつけて試合した。5月にはドン・フライアキラらとT2000を結成。 00年1月4日、東京ドーム大会で武藤と対戦。25分、クロス式STFで勝利。9月、全日本プロレスに初参戦しに快勝。 01年1月4日、東京ドーム大会で佐々木健介と対戦(IWGP王座決定トーナメント準決勝)。11分28秒、ストラングルホールドγに敗れた。 02年2月、札幌で猪木から新日プロの現場責任者に任命される。猪木は期待を込めて「蝶野は力があるから。チョーノー力」と記者団に対し言った。3月に天山と組みIWGPタッグ王座4度目の獲得。8月にG1クライマックスで8年ぶり4度目の優勝。 03年5月2日、新日本プロレスの東京ドーム大会でGHCヘビー級王者の小橋建太に挑戦。左ひざをケガしていた蝶野は大苦戦。高角度バックドロップ4連発、ケンカキック、STFで小橋を追いつめたが、ハーフネルソンスープレックスを6発くらってリング上で大の字。28分27秒、最後はラリアット2連発で敗退した。 05年1月4日、東京ドーム大会で闘魂杯巴戦に出場。最初に長州と対戦し、6分54秒、スライディング式ケンカキックを決めてフォール勝ち。次に天山と対戦し、11分33秒、FTSで勝利した。8月に15年連続でG1クライマックスに出場。8月14日、決勝で藤田和之と対戦。入場時には7月に亡くなった橋本のテーマ曲「爆勝宣言」をイントロに起用したテーマ曲を流した。STF、FTS、膝蹴りでダメージを加え、シャイニングケンカキックの連発で藤田に勝利。5度目の優勝を遂げた。試合後、天にマイクを突き上げた蝶野は「おい、橋本!05年G1チャンプはアイ・アム・チョーノ!!」と勝利を報告した。10月30日、神戸ワールド記念ホール大会で天山と組んで棚橋中邑組のIWGPタッグ王座に挑戦。29分31秒、蝶野が裏STFで中邑に勝利。IWGPタッグ王座を獲得した。 06年1月4日、東京ドーム大会で大森、越中組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分28秒、蝶野がシャイニングケンカキックで越中に勝利。10月15日から始まったG1タッグリーグ戦に中邑と組んで参戦し、優勝。 07年8月5日から始まったG1クライマックスに参戦。開幕戦の大阪府立体育会館大会で天山と対戦。17分20秒、バッファロースリーパーに敗れた。8月6日、ツインメッセ静岡大会でジャイアント・バーナードと対戦。3分40秒、2段蹴りに敗れた。8月8日、横浜文化体育館大会でと対戦。7分45秒、後頭部へのシャイニングケンカキックからのSTFで勝利。8月10日、愛知県体育館大会で永田と対戦。16分15秒、シャイニングケンカキックで勝利。8月11日、両国国技館大会で真壁と対戦。11分17秒、ダイビングニードロップに敗れた。リーグ戦は2勝3敗に終わった。10月18日から始まったG1タッグリーグに曙と組んで参戦。3勝4敗でリーグ戦を終えた。12月9日、愛知県体育館大会でミラノコレクションA.T.と対戦。13分56秒、シャイニングケンカキックで勝利。 08年8月30日、後楽園ホールでの新日本プロレス「PREMIUM」で大森隆男と対戦。大森にとっては休業前の最後の試合、蝶野にとってはその年初めてのシングル戦となった。30分時間切れの引き分けに終わった。 09年8月23日、DDTの両国国技館大会でポイズン澤田JULIEと対戦。17分13秒、雪崩式ブレーンバスターをくらったが、澤田が立ち上がれずにKO勝ち。8月30日、全日本プロレスの両国国技館での武藤敬司デビュー25周年記念スペシャルタッグマッチに出場し、鈴木みのると組んで武藤、船木誠勝組と対戦。21分19秒、武藤のムーンサルトプレスにみのるが敗れた。10月12日、両国国技館で25周年特別興行を開催。メインで武藤、小橋と組んで中西小島秋山組と対戦。23分59秒、シャイニングケンカキックで中西にフォール勝ち。9月27日、神戸ワールド記念ホール大会でカール・アンダーソンと対戦。9分7秒、ダイビングショルダーアタックからのシャイニングケンカキックで勝利。 10年1月22日の沖縄県立武道館大会を最後に新日本プロレスを退団し、フリーに転向。2月13日、兵庫県明石市のワーナーマイカル・シネマズ明石でイベントを行い、映画館でのプロレス映像上映という業界初の試みを実践した。2月22日、IGFのJCBホール大会に来場し、実況席で解説。メイン終了後に小川直也に挑発され、「てめえの試合をちゃんとやってから言え。なんだあの試合。あれがプロレスか」と蝶野が返答した。3月6日、さいたまスーパーアリーナでのゲーム会社コーエー主催のイベント「戦国武将祭」で織田信長に扮してAKIRA(明智光秀)と対戦。ツームストン・パイルドライバーで勝利。7日の大会2日目でもAKIRAと対戦。パイルドライバー、ダイビングショルダーアタックをそれぞれカウント2で返され、納得いかない蝶野がレフリーにケンカキックを見舞う。その隙をつかれてトラースキックからムササビプレスを浴びてしまい、カウント2で返したがレフリーに3カウント取られてフォール負け。11月5日、全日本プロレスの台湾興行に出場。台北・国立台湾大学総合体育館大会で武藤と組んでTARUレネ・デュプリ組と対戦し、14分5秒、シャイニングケンカキックでTARUに勝利。11月6日、台湾興行2日目(同会場)はメインで武藤、船木と組んでKENSO、デュプリ、ドーリングと対戦。20分37秒、武藤がムーンサルトプレスでデュプリに勝利。 11年3月6日、ZERO1の両国国技館大会で、橋本真也の息子の橋本大地と、デビュー戦の相手として対戦。13分38秒、STFで勝利。4月5日、東日本大震災の25日後、アントニオ猪木に率いられ、鈴川真一澤田敦士らと共に、福島県いわき市と宮城県東松島市にある4カ所の避難所を訪問し、支援物資を届けた。8月27日、IGFの両国国技館大会で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。12分58秒、STFで勝利。9月18日、仙台市立蒲町小学校で入場無料のチャリティ興業を開催。メインで新崎人生と組んでAKIRA、気仙沼二郎と対戦。12分7秒、蝶野がシャイニング・ケンカキックからのSTFで沼二郎に勝利。10月3日、新日本プロレスの後楽園ホール大会での天山のデビュー20周年記念試合に出場。天山、ヒロ斉藤と組んで金本大谷西村修組と対戦。22分53秒、天山がムーンサルトプレスで西村に勝利。 12年4月20日、後楽園ホールでの藤波の40周年記念興業に出場。メインでヒロ斉藤、AKIRAと組んで藤波、長州、初代タイガーマスクと対戦。9分24秒、藤波のドラゴンスリーパーにAKIRAが敗れた。 13年3月17日、全日本プロレスの両国国技館大会に出場。ジョー・ドーリング、近藤と組んで曙、中之上組と対戦。7分11秒、ドーリングがレボリューションボムで中之上に勝利した。 14年4月13日、道頓堀プロレスの大阪府立体育会館・第2競技場大会で正岡大介、HAYATAと組んでグラン浜田スペル・デルフィン、HUB組と対戦。12分49秒、HUBのバイパーストライクに正岡が敗れた。 18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズのメインで天山、ヒロ斉藤、AKIRA組のセコンドとして出場し、藤波、長州、ライガー、武藤組と対戦。終盤にリングに上がり武藤にケンカキックを決めた。15分10秒、天山がアナコンダバイスでライガーに勝利。
「右目故障で事実上引退、復帰はない」
(デイリースポーツ 19年5月27日10:00 蝶野の平成プロレス史より)
 新日本は04年6月に藤波辰爾さんから草間政一さん、05年5月にはサイモン猪木さんへと社長が交代し、05年11月には実質的オーナーだったアントニオ猪木さんの全保有株を買い取ったゲーム会社ユークスの子会社となった。
 そこから自分は次第に最前線からフェードアウトしていく。猪木さんが新日本から身を引いたことで、張り合いがなくなってしまったんだ。猪木さんは新日本の創業者、自分はそこに入った人間で、ある意味、親分子分。創業者が会社をつぶしてもしょうがない、10億円持ってこいと言われたら持ってくるしかない、というぐらいに思っていた。
 新しいオーナーがどれだけ会社のことを考えているといっても、プロレスの現場を知らない人間には求心力はない。神輿を担ぐのと同じで、その中には神がいる。神はプロレスラーでないといけない。張り合いがなくなったのは、そういう古い考えで新日本と関わってきたからだろう。今のように成果にしっかり対価がもらえる関わり方だったら、そんなこだわりもなかったかもしれない。そして、10年1月には新日本を退団した。前年の10月には自分の25周年興行を成功させたのだが、その時の会社が対応が素っ気なかったのもあって、契約を更新しなかったんだ。
 その後は全日本プロレスに参戦したり、橋本真也選手の長男、大地選手のデビュー戦で相手を務めたりしたが、14年4月を最後に試合をしていない。05年のG1クライマックス優勝決定戦で藤田和之選手と戦った時に右目が斜視になり、それが限界になったことが一番の理由だ。3本のロープが6本とか、物が二重に見えてしまい、怖くてもう試合はできないと思ったんだ。休業と言っているが、事実上の引退。復帰はない。
 そして今、自分はNWHスポーツ救命協会代表理事、日本消防協会消防応援団、日本AED財団AED大使などの社会貢献活動をしている。50代になって、社会にはいろいろな活動をしている人がたくさんいることを知った。そういう人を応援することが、自分の応援にもなっているんだ。
(スポーツ報知【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(23)「狼群団。脱帽した蝶野正洋のプロデュース力」2019年10月23日12:06配信より)
 「蝶野と話すようになって、彼の考えは自分なんかと全然違うなって思いました。自分は、単純に試合だけをやればいいっていう考えでしたけど、蝶野は、その先も考えて試合をやって、コメントもしていました。それが分かると自分も試合中に今、蝶野は、こう考えているんじゃないかと予想するようになって、蝶野のためには、こうやった方がいいのかなって考えながらリングに上がっていたんです。そうすると、次第に蝶野の考えが分かるようになってきて、オレはこうやったら次に天山がこうやるだろう、それで最後は蝶野が締めるだろうってお互いが言葉を交わさなくてもやりたいことが分かるようになったんです」
 目の前の試合だけでなくその先の展開を常に考えながら動く蝶野にヒロは共鳴した。
 「正直言って武藤(敬司)も橋本(真也)も自分のことしか考えていないんです。だけど、蝶野は常にみんなのことを考えていて、他の選手が見ている場所よりもそれ以上の所にいるんですね。そのおかげで自分なんかも名前が知られるようになって、蝶野はすごいなって、後輩なんですけど逆に先輩に見えてきました。ハッキリ言って蝶野は長州(力)さんたちよりレベルが上でした」
 ただひとつ不満があった。
 「試合終わって、マイクで蝶野が良いことを言うんです。横で聞いていて“蝶野はいいこと言うなぁ”って思っていると、“ねぇ、ヒロさん”ってオレにマイクを振るんですよ。あれには、いつも困りました(苦笑)。だって自分は口下手で何を話せばいいのか分かりませんから、そこだけが蝶野の気に入らないところでした(笑)」

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