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父は大手製薬会社のエリート社員。父の転勤先だったシアトルで生まれる。高校時代はサッカー部。84年4月、新日本プロレス入門。84年10月5日、越谷市体育館の武藤敬司戦でデビュー。87年3月のヤングライオン杯に優勝し、6月に海外遠征。12月までヨーロッパのトーナメントに出場。その後、アメリカに遠征。88年2月、マイク・ジョージを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。同年秋にヨーロッパのトーナメント大会に出場。89年1月からアメリカ・アラバマのCWFに出場。9月にバージニア州のルー・テーズのジムに1ヶ月間入門し、STFをマスター。89年10月に帰国。その後は武藤、橋本と共に闘魂三銃士として新日本プロレスの中心選手として活躍した。90年4月、武藤と組みIWGPタッグ王座を獲得。91年8月、第1回G1クライマックスに出場。8月11日の決勝進出決定戦で橋本と対戦し、15分50秒、STFで勝利。決勝で武藤と対戦し、29分3秒、ムーンサルトプレスをヒザを立てて防いでからパワーボムで勝利。この優勝をきっかけにトップグループ入り。12月にドイツ人のマルティナ・カールスさんと結婚。92年8月のG1はNWA世界ヘビー級王座決定戦として行われ、決勝でリック・ルードを破り2連覇を達成。第75代NWA世界ヘビー級王者となる。94年8月G1の3度目の優勝を機にヒールに転身し、95年2月に天山、ヒロ斎藤と狼群団を結成。96年12月にWCWに許可を受けてNWOジャパンを設立。98年8月、第22代IWGPヘビー級王座を獲得。99年4月に東京ドームで大仁田厚と電流爆破デスマッチで対決。試合は16分10秒、両者KOで終わったが、大仁田とは対照的に防具をつけて試合した。5月にはドン・フライ、アキラらとT2000を結成。00年9月、全日本プロレスに初参戦し渕に快勝。02年2月、札幌で猪木から新日プロの現場責任者に任命される。猪木は期待を込めて「蝶野は力があるから。チョーノー力」と記者団に対し言った。3月に天山と組みIWGPタッグ王座4度目の獲得。8月にG1クライマックスで8年ぶり4度目の優勝。03年5月2日、新日本プロレスの東京ドーム大会でGHCヘビー級王者の小橋建太に挑戦。左ひざをケガしていた蝶野は大苦戦。高角度バックドロップ4連発、ケンカキック、STFで小橋を追いつめたが、ハーフネルソンスープレックスを6発くらってリング上で大の字。28分27秒、最後はラリアット2連発で敗退した。05年8月に15年連続でG1クライマックスに出場。8月14日、決勝で藤田和之と対戦。入場時には7月に亡くなった橋本のテーマ曲「爆勝宣言」をイントロに起用したテーマ曲を流した。STF、FTS、膝蹴りでダメージを加え、シャイニングケンカキックの連発で藤田に勝利。5度目の優勝を遂げた。試合後、天にマイクを突き上げた蝶野は「おい、橋本!05年G1チャンプはアイ・アム・チョーノ!!」と勝利を報告した。08年8月30日、後楽園ホールでの新日本プロレス「PREMIUM」で大森隆男と対戦。大森にとっては休業前の最後の試合、蝶野にとってはその年初めてのシングル戦となった。30分時間切れの引き分けに終わった。8月30日、全日本プロレスの両国国技館での武藤敬司デビュー25周年記念スペシャルタッグマッチに出場し、鈴木みのると組んで武藤、船木誠勝組と対戦。21分19秒、武藤のムーンサルトプレスにみのるが敗れた。10月12日、両国国技館で25周年特別興行を開催。メインで武藤、小橋と組んで中西、小島、秋山組と対戦。23分59秒、シャイニングケンカキックで中西にフォール勝ち。
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