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入場曲は「パワー・ホール」。桜ヶ丘高校時代からレスリングを始める。専修大学時代はアマレスで活躍。アマレス部の主将を務めた。フリースタイル、グレコローマンの2種目の100キロ級で活躍。
71年に全日本学生選手権でフリースタイル90キロ級に出場し優勝。72年のミュンヘン五輪に韓国代表として出場。フリースタイルの90キロ級に出場し、3回戦で敗退。73年、全日本選手権で、フリー、グレコ共に100キロ級に出場し優勝。全日本学生選手権でもフリー、グレコ共に90キロ以上級に出場し優勝。
12月、新日本プロレスに入門。74年8月8日、日大講堂のエル・グレコ戦でデビュー。デビュー戦ではサソリ固めで勝利した。デビュー後すぐに海外遠征。77年2月に帰国。4月にファン公募で長州力に改名。79年6月には坂ロと組んで北米タッグ王座に君臨。82年4月、メキシコでUWA世界ヘビー級王座を獲得。帰国直前にベルトを失う。10月に帰国。「おまえのかませ犬じゃない!」と藤波に宣戦布告。83年4月、藤波からWWFインター・ヘビー級王座を奪取。5月に
マサ斎藤、キラー・カーン、小林邦昭、アニマル浜口、谷津嘉章、タイガー戸口、寺西勇と維新軍
維新軍団を結成。84年12月、ジャパン・プロレスを旗揚げして全日本プロレスに参戦。85年11月4日の大阪城ホール大会で、全日本プロレス対ジャパンプロレスの頂上対決としてジャンボ鶴田とシングルで対戦。一進一退の攻防が続き、40分を過ぎたあたりから長州がスタミナ切れ。鶴田は長州を引っぱるような形で60分フルタイムの引き分けに持ちこんだ。この試合はプロレス大賞の年間最高試合賞を受賞。両者の対戦はその後も行われず、結果的にこの一試合のみに終わった。86年4月5日、横浜文化体育館でAWA、PWF2冠王のスタン・ハンセンに挑戦。試合は18分27秒、ラリアットをレフェリーに誤爆したハンセンの反則負けに終わり、ルールによってAWA王座はハンセンの防衛、PWF王座は長州が獲得した。87年5月に新日本プロレスに復帰。88年7月22日、アントニオ猪木に初めてフォール勝ち。89年6月に現場責任者に就任。以後、新日本プロレスで実権を握った。7月にはヘビー級、タッグのIWGP2冠を制覇。96年8月、決勝戦で蝶野正洋にサソリ固めで勝利してG1クライマックス初優勝を達成。その背後には、連戦の疲れを癒すために平田をわざと休ませて不戦勝とさせ、5連戦のうちで1日の休みを取った作戦もあった。97年4月には佐々木と組みIWGPタッグ王座に君臨。98年1月4日、東京ドームで引退試合を行い現役生活にピリオドを打った。引退試合は藤田和之、吉江豊、高岩竜一、獣神サンダーライガー、飯塚高史との5人掛けマッチ。藤田には3分57秒にリキラリアットで勝利。吉江には1分42秒にリキラリアットで勝利。高岩には1分21秒にサソリ固めで勝利。飯塚には2分2秒にアキレス腱固めで敗れた。ライガーには5分9秒にプランチャをはなった後、リキラリアット2連発で勝利した。00年5月22日に大仁田の対戦要求に応じて現役復帰を表明。7月30日横浜アリーナで大仁田と因縁のノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを敢行。1万8千人の観衆を集めたこの試合で、大仁田は計5度の爆発を受け、7分46秒にサソリ固めでレフェリーストップ負け。長州の完勝だった。01年1月4日の東京ドーム大会では新日を解雇された橋本真也との遺恨決着のため試合を行うが両者レフェリーストップで決着はつかず。02年2月1日札幌大会、4月25日徳山大会に単発出場。11月12日、WJプロレスを設立。旗揚げ前の記者会見では「プロレス業界のド真ん中を歩かせてもらいます」と、「ど真ん中」をキャッチフレーズに提唱。03年3月1日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行い、メインイベントで天龍と対戦。リキラリアット2連発で勝利した。天龍との対戦は、旗揚げ戦から6連戦が予定されていたが、第3戦が終わった時点で天龍の欠場により中止。その後、長州も欠場し、初のシリーズだったが暗雲が立ちこめた。その後、WJプロレスは低迷。12月14日、ZERO−ONEの両国国技館大会のメインで長州軍対ZERO−ONEのシングルマッチによる勝ち抜き戦に出場。高岩にラリアットでフォール勝ちして橋本と対戦。右下腿ヒラメ筋不全断裂の重傷で試合に出場していたため防戦一方となり、14分26秒、ひざ十字固めにレフリーストップ負け。04年2月29日、ZERO−ONEの両国国技館大会のメインで橋本と対戦。11分8秒、ミドルキックにフォール負け。7月にWJプロレスの活動休止を表明。8月にWJプロレスの石井智宏 、宇和野らと共にRIKIPROを設立。8月19日に後楽園ホールで旗揚げ戦を行なった。05年10月から新日本プロレスの現場監督に復帰。09年3月14日、全日本プロレス両国国技館大会で高岩と組んで西村、征矢学組と対戦。長州の全日本プロレス参戦は22年ぶりのことだった。10分13秒、ラリアットで征矢にフォール勝ち。4月12日、ロックアップの後楽園ホール大会で藤波と組んで藤原喜明、大森隆男組と対戦。9分39秒、長州のサソリ固めで藤原に勝利。10月10日、ハッスルの両国国技館大会(ハッスル最後の大会)で、ハッスル連合軍対RIKI軍団の5対5の勝ち抜き戦にRIKI軍団の副将として登場。ハッスル軍大将のマグナムTOKYOと対戦し、雪崩式ブレーンバスター、リキラリアット2発からのサソリ固めで2分4秒にレフリーストップ勝ち。11月、全日本プロレスの最強タッグリーグ戦に征矢学と組んで参戦。86年以来の23年ぶりの最強タッグリーグ戦出場となった。5勝3敗で勝ち点10で3位となり、優勝を逃した。
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