レスラーノート

ダスティ・ローデス

DUSTY RHODES

本名:バージル・ラネルズ・ジュニア
1945年10月12日
アリゾナ州フェニックス出身
186cm 135kg

通称
アメリカン・ドリーム
タイトル歴
セントラルステーツ・タッグ
デトロイト地区認定世界タッグ
フロリダ・ヘビー
NWA世界ヘビー
PWF世界ヘビー
NWAナショナルヘビー
ジョージア・ヘビー
得意技
エルボードロップ
パイルドライバー

通称「アメリカン・ドリーム」。学生時代はフットボーラー。67年にプロレスデビュー。フロリダ地区のプロモーターであるカウボーイ・ルッタロース・ジュニアがマッチメイカーのエディ・グラハムに相談し、ディック・マードックとローデスを組ませることにした。68年10月、ディック・マードックとテキサス・アウトローズを結成。NWAやAWAで活躍。11月にセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。 70年3月にデトロイト地区認定世界タッグ王座を獲得。 71年11月、国際プロレスに初来日。 74年を皮切りにフロリダ・ヘビー級王座を通算10回獲得。 75年11月、全日本プロレスに来日。 76年1月30日、アトランタでジョージア・ヘビー級王座を獲得。 79年8月、フロリダ州タンパでハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得。同王座には通算3度就いた。10月に新日本プロレスに来日。 80年4月、新日本プロレスに来日し、第3回MSGシリーズに参戦。予選トーナメントを突破して決勝リーグに進出。5勝2敗2引き分けで10人中5位に終わった。5月27日、大阪府立体育会館大会でボブ・バックランドのWWF世界王座に挑戦。19分12秒、レフリーを突きとばして反則負け。 81年6月21日、ジョージア州アトランタでハーリー・レイスをフライング・ボディアタックで破りNWA世界ヘビー級王座2度目の獲得。 80年代になると、ジム・クロケット・プロモーションのブッカーに就任。ビッグイベント「スターケード」や「ザ・グレート・アメリカン・バッシュ」を開催した。 85年12月19日、ニューメキシコ州アルバカーキでNWAナショナルヘビー級王座を獲得。 86年7月26日、ノースカロライナ州グリーンズボロでの「ザ・グレート・アメリカン・バッシュ」でリック・フレアーを破りNWA世界ヘビー級王座3度目の獲得。 88年9月13日、息子ダスティン・ローデスがデビュー。 89年2月、フロリダ州にFCWを設立。その後すぐにPWFに改称。3月11日、ビッグ・スティールマンを王座決定戦で破り、初代PWF世界ヘビー級王者となる。8月、WWF移籍のためPWFを離脱。 90年9月にWWFで親子タッグを組んだ。 91年1月、WWFを離脱。同年にWCWに登場。 92年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でダスティ・ローデス・ジュニアと組んでキム・ドクマサ斎藤組と対戦。14分23秒、ローデス・ジュニアがブルドッキングヘッドロックで斎藤に勝利。 90年半ばにテレビ解説者に転身。 00年3月12日、ECWのPPV「リヴィング・デンジャラスリー」でスティーブ・コリノを相手にブルロープマッチで対戦。頭部へのイス攻撃からエルボードロップを決めてフォール勝ち。4月22日、ECWアリーナでの「サイバースラム」でスティーブ・コリノと対戦。カウベルを腕に巻きつけてのエルボードロップをくらってフォール負け。その後、WCWに登場。WCW崩壊後は地元ジョージア地区でインディ団体を運営。 02年6月1日、USAチャンピオンシップレスリングのテネシー州ナッシュビル大会でジェリー・ローラーと対戦。ロープに両足をかけてのエビ固めにフォール負け。 03年2月26日、TNAの放送でベイダーと組んでドン・ハリス、ロン・ハリス組と対戦。ソニー・シアキが乱入して反則勝ち。3月26日、TNAの放送でデビッド・フレアーとバンクハウスマッチ。カウベルで殴ってフォール勝ち。4月9日、TNAの放送でブライアン・ローラー(ブライアン・クリストファー)とラダーマッチ。ニキタ・コロフが乱入してベルトを獲得し、ベルトを渡されて勝利。8月27日、TNAの放送でグレン・ギルバーティとブルロープマッチ。乱入したクリストファー・ダニエルズに背後から殴られてフォール負け。9月24日、TNAの放送でAJスタイルズとバンクハウスブロウルマッチ。会場の外で試合を行ない、相手のセコンドのビンス・ルッソーが加勢し、リングに上がってスタイルズとトリニティのお尻を叩いてお仕置き。ノーコンテストに終わった。10月1日、TNAの放送でジェフ・ジャレットと組んでAJスタイルズ、ビンス・ルッソー組と対戦。ジャレットの雪崩式ストロークからのローデスのエルボードロップでスタイルズに勝利。10月8日、TNAの放送でAJスタイルズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。足4の字固めを決められてフォール負け。11月26日、TNAの放送でジェフ・ジャレットとランバージャック・ストラップマッチ。セコンドが乱入してノーコンテスト。 04年1月4日、ハッスルのさいたまスーパーアリーナ大会でトム・ハワード、スティーブ・コリノと組んでマスカラス、ドス・カラス、シコデリコ・ジュニア組と対戦。13分10秒、マスカラスのダイビング・ボディアタックにコリノが敗れた。3月5日、ZERO1の後楽園ホール大会でトム・ハワードと組んでスティーブ・コリノ、ダスティ・ローデス・ジュニア組と対戦。15分36秒、ローデスがエルボードロップでコリノに勝利。3月7日、ハッスルの横浜アリーナ大会でダスティ・ローデス・ジュニアと組んで大谷晋二郎、小島聡組と対戦。12分6秒、大谷の横入り式エビ固めにローデス・ジュニアがフォール負け。5月8日、ハッスルの横浜アリーナ大会でスティーブ・コリノと対戦。6分37秒、エルボードロップで勝利。6月2日、TNAの放送でジェームズ・ストームと組んでキッド・キャッシュ、ダラス組のNWA世界タッグ王座に挑戦。キャッシュに丸めこまれてストームがフォール負け。9月8日、TNAの放送でスコット・ダモールと対戦。エルボードロップで勝利。 05年9月からWWEのエージェントとして活躍。 06年6月、息子のコーディ・ローズがWWEの2軍団体のOVWでデビュー。11月26日、「サバイバー・シリーズ」でリック・フレアーサージェント・スローターロン・シモンズと組んで、スピリット・スクワッドとイリミネーション・マッチで対戦。10分31秒、フレアーが四の字固めで勝利した。 07年7月22日、「グレート・アメリカン・バッシュ」で「レジェンドキラー」のランディ・オートンと対戦。カウベルで頭を叩かれて、5分40秒に敗れた。15年6月11日、死去。



スクラップブック
とにかくお祭り好きで。たしか日本の車に乗ってたよ、あのころから。いつも俺に会うと、「日本車、サイコー」って言ってた(笑)。すごいスピードも出してたけどね。マイアミからタンパまで250マイル。普通は5時間以上かかるけど、ダスティは3時間くらいで行っちゃう(笑)。よく覚えてることがある。マイアミの下にキーウエストってキューバに近い、リゾート地があって。2カ月に一回そこの球場場で試合をするの。ある時、ダスティがなかなか来ない。みんな「メインイベンターが来ない」って心配してたよ、それは。そしたらヘリコプターで来て、そのままリングに下りて試合してた(笑)。演出だとは思うけど、すごいことやるなぁって思ったよ。観客は知らないし、プロモーターも知らなかったんだから。みんなイライラしてたけど、結果的にはお客さんを大熱狂させた。で、試合終わったらそのままヘリコプターで帰っていった(笑)。トンパチなんてもんじゃない。多分、一部のブッカーは知ってたと思うけど、そういう演出がよく似合ったよ。スピーチもそうだし、プロレスの実力以外の面であそこまでの人は出てこないと思う。だからレスリングのうまい選手は彼とやりたがらなかった。エネルギー吸い取られちゃうから。晩年はよく政治家の応援演説もやってた。たしかブッシュの弟と仲もいいし。人間的な大きさ、人を驚かすパフォーマーぶりとかで彼の右に出る選手はいないと思う。日本だと特にいないだろうね。日本人とは気質が合わない感じはわかる。派手すぎるのかな?日本の風土には合わないよ。向こうではダスティがリングに上がるだけで泣いてるお客さん、いっぱいいたけどね。
(週刊プロレスNo.1801 タイガー服部の連載記事より)