ダークロHP / レスラーノート

田上明

1961年5月8日
埼玉県秩父市出身
192cm 120kg 血液型A型
タイトル歴:三冠ヘビー GHCヘビー 世界タッグ アジアタッグ
得意技:俺が田上(アトミックドロップの体勢に持ち上げてからの高角度ノド輪落とし。三沢とのタイトルマッチに向け、01年5月12日に初公開) 喉輪落とし ダイナミックボム(ライガーボム。ジャンプしてのパワーボムのこと。95年2月に初公開) 秩父セメント(ブレーンバスターで抱え上げ、脳天から垂直にノド輪落とし)

秩父農工時代は相撲部で活躍。2年の時にインターハイ個人戦3位となる。80年1月、大相撲の押尾川部屋にスカウトされた。80年1月、在学中に初土俵。7月に序の口に昇進。9月に序二段に昇進。81年1月、三段目に昇進。82年5月場所で幕下に昇進。86年5月場所から四股名を玉麒麟安正に改名し、十両に昇進。十両6枚目まで昇進。87年7月に親方とケンカ別れして廃業。通算成績は199勝149敗7休。相撲部屋によく来ていた三遊亭楽太郎の紹介で8月にプロレスに転向。楽太郎は馬場の友人でもあった。当初はジャパンプロの所属だった。88年1月2日後楽園ホールのバディ・ランデルポール・ハリス組戦(パートナーは馬場) でデビュー。6分58秒、馬場の16文キックからバックフリップを決めて勝利した。90年6月に仲野と組みアジアタッグ王座を獲得。当初は恵まれた体格を活かしきれず、むしろ持て余し気味なところもあったが、ジャンボ鶴田の助言と本人の努力の甲斐あって怪物殺法を習得。巨体を活かした喉輪落としを最大限に駆使するなど、ダイナミックな攻撃がウリとなる。91年4月18日、日本武道館大会で川田利明と対戦。15分53秒、場外マットを外してアームボンバーを決めてリングアウト勝ち。川田から初勝利を挙げた。92年3月、鶴田と組んで世界タッグ王座を獲得。93年5月20日、札幌中島体育センター別館大会で川田と組んでゴディウイリアムス組の世界タッグ王座に挑戦。28分28秒、田上がのど輪落としでウイリアムスに勝利。世界タッグ王座を獲得した。5月21日、札幌中島体育センター別館大会でダニー・スパイビーと対戦。11分50秒、のど輪落としで勝利。6月1日、日本武道館大会で三沢、小橋組を相手にタッグ王座の防衛戦。29分12秒、川田がパワーボムで小橋に勝利。7月26日、石川県産業展示館大会でゴディ、ウイリアムス組を相手にタッグ王座の防衛戦。31分4秒、川田がパワーボムでゴディに勝利。7月29日、日本武道館大会でビッグ・ブーバーと対戦。8分39秒、のど輪落としで勝利。9月3日、日本武道館大会でハンセンデビアス組を相手にタッグ王座の防衛戦。13分12秒、ハンセンのラリアットに田上が敗れてタッグ王座から転落した。10月14日、松本市総合体育館大会で川田と組んでハンセン、デビアス組の世界タッグ王座に挑戦。18分15秒、ハンセンのラリアットに川田が敗れた。94年3月19日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。3月20日、後楽園ホール大会でダグ・ファーナスと対戦。12分29秒、のど輪落としで勝利。3月23日、桐生市民体育館大会でビッグ・ジョン・ノードと対戦。10分34秒、のど輪落としで勝利。3月24日、平塚総合体育館大会で小橋と対戦。30分時間切れ引き分け。3月27日、松本市総合体育館大会で小橋と対戦(非公式リーグ戦)。30分時間切れ引き分け。3月30日、福井市体育館大会でジ・イーグルと対戦。10分35秒、のど輪落としで勝利。4月4日、佐世保市体育文化館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。15分17秒、ドクターボムに敗れた。4月6日、博多スターレーン大会で秋山準と対戦。11分50秒、のど輪落としで勝利。4月7日、大分県立荷揚町体育館大会でジョニー・スミスと対戦。11分53秒、のど輪落としで勝利。4月11日、大阪府立体育会館大会でハンセンと対戦。17分31秒、のど輪落としで勝利。4月12日、松阪市総合体育館大会でジョニー・エースと対戦。12分6秒、のど輪落としで勝利。4月14日、愛知県体育館大会で川田と対戦。20分20秒、パワーボムに敗れた。リーグ戦は8勝2敗1引き分け(1不戦勝)に終わった。7月17日、博多スターレーン大会で小橋と対戦。30分時間切れ引き分け。95年1月24日、山形県体育館大会で川田と組んで三沢、小橋組の世界タッグ王座に挑戦。60分時間切れ引き分け。1月25日、福島市体育館大会でハンセンを相手に3冠王座挑戦者決定戦。17分59秒、ラリアットに敗れた。3月21日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で小橋と対戦。エプロンから場外へ決める断崖式のど輪落としを初公開し、25分22秒、変型パワーボムで勝利。3月25日、長岡市厚生会館大会でダニー・クロファットと対戦。10分24秒、のど輪落としで勝利。3月27日、浜松市体育館大会でダグ・ファーナスと対戦。10分19秒、のど輪落としで勝利。4月3日、大分県立荷揚町体育館大会でハンセンと対戦。16分4秒、ラリアットに敗れた。4月5日、博多スターレーン大会で大森隆男と対戦。8分40秒、のど輪落としで勝利。4月6日、岡山武道館大会で秋山と対戦。10分26秒、大車輪のど輪落としで勝利。4月8日、大阪府立体育会館大会で川田と対戦。23分51秒、ダイナミックボムで勝利。4月11日、名古屋市体育館大会でダニー・スパイビーと対戦。9分、のど輪落としで勝利。4月12日、後楽園ホール大会で三沢と対戦。30分時間切れ引き分け。4月13日、宮城県スポーツセンター大会でジョニー・エースと対戦。14分56秒、のど輪落としで勝利。リーグ戦を8勝1敗1引き分けの同点1位で終了。4月15日、日本武道館大会で三沢を相手に優勝決定戦。27分3秒、タイガースープレックスに敗れた。6月9日、日本武道館大会で川田と組んで三沢、小橋組の世界タッグ王座に挑戦。42分37秒、川田がパワーボムで三沢に勝利。世界タッグ王座を獲得。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。7月8日、鹿児島アリーナ大会でザ・パトリオットと対戦。13分20秒、のど輪落としで勝利。7月20日、新潟市体育館大会でファーナス、クロファット組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分25秒、田上が大車輪のど輪落としでクロファットに勝利。7月21日、後楽園ホール大会でジョニー・エースと対戦。20分2秒、のど輪落としで勝利。7月24日、日本武道館大会で小橋と対戦。30分時間切れ引き分け。8月30日、豊橋市総合体育館大会でパトリオット、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。24分10秒、川田がパワーボムでエースに勝利。9月10日、日本武道館大会で三沢の3冠王座に挑戦。エプロンからの喉輪落としは防がれ、投げっ放しジャーマンやダイナミックボムで追いつめたが、20分50秒、ローリングエルボーをくらってフォール負け。 10月15日、愛知県体育館大会で三沢、小橋組を相手にタッグ王座の防衛戦。60分時間切れ引き分け。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦で川田と組んで参戦。12月9日、日本武道館大会で三沢、小橋組と優勝決定戦。27分4秒、小橋のムーンサルトプレスに田上が敗れた。96年1月24日、松本市総合体育館大会でハンセン、オブライト組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分40秒、ハンセンのラリアットに川田が敗れて王座転落。2月20日、岩手県営体育館大会で川田と組んでハンセン、オブライト組の世界タッグ王座に挑戦。20分53秒、田上がのど輪落としでハンセンに勝利。世界タッグ王座を奪回した。3月22日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で小橋と対戦。30分時間切れ引き分け。3月26日、諏訪湖スポーツセンター大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。30分時間切れ引き分け。3月31日、愛知県体育館大会で川田と対戦。30分時間切れ引き分け。4月1日、大阪府立体育会館大会で三沢と対戦。18分18秒、ダイビング・ネックブリーカードロップに敗れた。4月3日、熊本市体育館大会で秋山と対戦。13分26秒、のど輪落としで勝利。4月4日、長崎県立総合体育館大会で本田多聞と対戦。10分40秒、のど輪落としで勝利。4月8日、広島市東区スポーツセンター大会でハンセンと対戦。15分8秒、のど輪落としで勝利。4月11日、富山テクノホール大会で大森と対戦。8分55秒、大車輪のど輪落としで勝利。4月13日、後楽園ホール大会でゲーリー・オブライトと対戦。15分15秒、のど輪落としで勝利。4月14日、宮城県スポーツセンター大会でパトリオットと対戦。15分38秒、のど輪落としで勝利。4月16日、酒田市営体育館大会でジョニー・エースと対戦。19分42秒、のど輪落としで勝利。リーグ戦を7勝1敗3引き分けの同点1位で終了。4月20日、日本武道館大会での優勝決定戦でスティーブ・ウイリアムスと対戦。21分41秒、のど輪落としで勝利。チャンピオンカーニバルに初優勝した。5月23日、札幌中島体育センター別館大会で三沢、秋山組を相手にタッグ王座の防衛戦。27分26秒、秋山の裏投げに川田が敗れてタッグ王座から転落。5月24日、札幌中島体育センターで三沢の3冠王座に挑戦。16分5秒、ジャンピング・ネックブリーカーを狙う三沢に狙いすました喉輪落としが決まりフォール勝ち。3冠王座を獲得した。6月7日、日本武道館大会で川田を相手に防衛戦。17分41秒、のど輪落としで勝利。7月9日、石川県産業展示館3号館大会で川田と組んで三沢、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。26分42秒、三沢のタイガースープレックスに田上が敗れた。7月18日、岡山武道館大会で秋山と対戦。17分32秒、のど輪落としで勝利。7月24日、日本武道館大会で小橋を相手に防衛戦。27分25秒、ダイビング延髄ギロチンドロップに敗れて3冠王座から転落。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では川田と組んで参戦。リーグ戦を8勝3敗1引き分けの同点1位で終了。12月6日、日本武道館大会で三沢、秋山組を相手に優勝決定戦。31分37秒、川田がパワーボムで三沢に勝利。タッグリーグ戦に優勝した。97年1月17日、松本市総合体育館大会で川田と組んでウイリアムス、エース組の世界タッグ王座に挑戦。26分12秒、田上がのど輪落としでエースに勝利。世界タッグ王座を獲得した。3月1日、日本武道館大会でオブライト、高山組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分12秒、川田がストレッチプラムで高山に勝利。3月22日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でジョニー・エースと対戦。16分38秒、のど輪落としで勝利。3月25日、佐久市総合体育館大会で本田と対戦。9分45秒、のど輪落としで勝利。3月26日、福井市体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。18分30秒、のど輪落としで勝利。3月28日、長岡市厚生会館大会でジャイアント・キマラと対戦。6分50秒、のど輪落としで勝利。3月29日、流山市民総合体育館大会で秋山と対戦。11分25秒、のど輪落としで勝利。3月30日、愛知県体育館大会でゲーリー・オブライトと対戦。8分18秒、大開脚キックを決めてフォール勝ち。4月5日、岡山武道館大会で小橋と対戦。21分22秒、ダイナミックボムで勝利。4月7日、鳥取産業体育館大会で三沢と対戦。12分14秒、ローリングエルボーに敗れた。4月10日、ツインメッセ静岡大会で大森と対戦。8分31秒、のど輪落としで勝利。4月14日、新潟市体育館大会で川田と対戦。14分17秒、延髄斬りに敗れた。4月15日、郡山セントラルホール大会でハンセンと対戦。15分6秒、ラリアットに敗れた。リーグ戦は9勝3敗(1不戦勝)に終わった。5月27日、札幌中島体育センター別館大会で小橋、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分40秒、小橋のラリアットに田上が敗れてタッグ王座から転落。5月31日、宮城県スポーツセンター大会でジョニー・エースと対戦。20分44秒、のど輪落としで勝利。7月25日、日本武道館大会で三沢の3冠王座に挑戦。20分25秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。10月21日、日本武道館大会でジョニー・エースと対戦。16分54秒、ダイナミックボムで勝利。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では川田と組んで参戦。12月5日、日本武道館大会で三沢、秋山組を相手に優勝決定戦。30分52秒、田上がジャンピングキックで秋山に勝利。リーグ戦に優勝した。97年度のプロレス大賞で川田と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 98年1月25日、横浜文化体育館大会で川田と組んで小橋、エース組の世界タッグ王座に挑戦。32分6秒、田上がダイビングハイキックで小橋に勝利。世界タッグ王座を獲得した。2月28日、日本武道館大会でウイリアムス、オブライト組を相手にタッグ王座の防衛戦。11分10秒、川田が延髄斬りでオブライトに勝利。3月21日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でキマラと対戦。9分41秒、のど輪落としで勝利。3月22日、後楽園ホール大会で三沢と対戦。15分39秒、ジャンピングハイキックで勝利。3月26日、千葉公園体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。12分44秒、アバランシュホールドに敗れた。3月28日、福井市体育館大会でウルフ・ホークフィールドと対戦。6分23秒、のど輪落としで勝利。その後、左足内側靭帯損傷によりリーグ戦を数試合欠場したが、復帰。4月11日、後楽園ホール大会で泉田と対戦。5分46秒、のど輪落としで勝利。4月12日、宮城県スポーツセンター大会で川田と対戦。9分17秒、足4の字固めに敗れた。4月13日、一関文化センター体育館大会でハンセンと対戦。6分13秒、ラリアットに敗れた。4月15日、太田市民体育館大会でジョニー・エースと対戦。8分9秒、エースクラッシャーに敗れた。リーグ戦は4勝8敗(4不戦敗)に終わった。6月5日、札幌中島体育センター別館大会で小橋、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。30分26秒、田上がダイナミックボムで小橋に勝利。6月12日、日本武道館大会でボビー・ダンカン・ジュニアと対戦。5分21秒、のど輪落としで勝利。7月15日、大阪府立体育会館大会でオブライト、高山組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分51秒、川田がジャンピングハイキックで高山に勝利。9月11日、日本武道館大会で小橋の3冠王座に挑戦。25分39秒、ラリアットに敗れた。10月11日、愛知県体育館大会で小橋、秋山組を相手にタッグ王座の防衛戦。29分51秒、川田がジャンピングハイキックで秋山に勝利。 99年1月7日、高知県民体育館大会で小橋、秋山組を相手にタッグ王座の防衛戦。25分58秒、小橋のラリアットに田上が敗れてタッグ王座から転落した。3月6日、日本武道館大会でベイダーを相手に3冠王座決定戦。12分51秒、パワーボムに敗れた。3月26日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で秋山と対戦。12分48秒、エクスプロイダーに敗れた。3月29日、福井市体育館大会でジョニー・エースと対戦。11分58秒、のど輪落としで勝利。3月31日、新潟市体育館大会で大森と対戦。15分36秒、のど輪落としで勝利。4月3日、徳島市立体育館大会でゲーリー・オブライトと対戦。9分44秒、のど輪落としで勝利。4月5日、博多スターレーン大会で小橋と対戦。17分6秒、ラリアットに敗れた。4月6日、熊本市体育館大会でベイダーと対戦。7分41秒、ベイダーハンマーに敗れた。4月8日、大阪府立体育会館大会で新崎人生と対戦。10分53秒、のど輪落としで勝利。4月9日、ツインメッセ静岡大会で三沢と対戦。30分時間切れ引き分け。4月13日、鶴岡市体育館大会で高山と対戦。11分、のど輪落としで勝利。リーグ戦は5勝3敗1引き分けに終わった。7月19日、松本市総合体育館大会でベイダーと対戦。7分42秒、ビッグバンクラッシュに敗れた。7月23日、日本武道館大会でピエールと対戦。7分53秒、のど輪落としで勝利。9月4日、日本武道館大会で馳浩と対戦。15分11秒、のど輪落としで勝利。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではハンセンと組んで参戦。12月3日、日本武道館大会で小橋、秋山組を相手に優勝決定戦。20分15秒、秋山のエクスプロイダーに田上が敗れた。00年1月11日、鹿児島アリーナ大会で高山と対戦。12分39秒、のど輪落としで勝利。2月17日、北海道立総合体育センター大会で三沢と対戦。15分18秒、エルボーバットに敗れた。3月26日、愛知県体育館大会でトーナメント戦となったチャンピオンカーニバルに参戦。1回戦でスティーブ・ウイリアムスと対戦。17分15秒、バックドロップに敗れた。6月9日、日本武道館大会で川田と組んで世界タッグ王座決定トーナメントに参戦。1回戦でエース、バートン組と対戦。14分35秒、川田がジャンピングハイキックでエースに勝利。同日の決勝で高山、大森組と対戦。16分59秒、川田がスリーパーホールドで大森に勝利。世界タッグ王座を獲得した。00年、ノアの旗揚げに参加。01年5月、ツアー開幕戦で「俺が田上」なる新技を初公開。5月18日、北海道立総合体育センターで三沢のGHC王座に挑戦。14分12秒、エメラルドフロウジョンで敗れた。02年5月26日に札幌メディアパークスピカで小川良成のGHC王座に挑戦。15分5秒、首固めで敗れた。03年6月6日、日本武道館大会で新日本プロレスの永田裕志と対戦。15分53秒、ナガタロック3に敗れた。10月24日、広島県立総合体育館大会で池田と組んで小橋、本田組のGHCタッグ王座に挑戦。31分29秒、本田の回転地獄五輪パート7に池田が敗れた。04年9月10日、日本武道館で小橋建太のGHC王座に挑戦。トペ、花道での喉輪落とし、エプロンからの断崖式「俺が田上」、幻の大技「秩父セメント」などで攻めたてたが、28分5秒、リストクラッチ式バーニングハンマーに敗れた。05年11月5日、日本武道館大会でGHC王者の力皇猛に挑戦。観客の大声援に後押しされて、20分43秒、オレが田上で勝利し、GHCヘビー級王座を獲得した。12月4日、横浜文化体育館大会で、元付き人の森嶋を相手に初防衛戦。森嶋の放つ体重の乗ったラリアット、パワーボム、裏投げ、バックドロップの連続に大苦戦。しかし「俺が田上」、さらに場外への断崖式のど輪落としを放って逆転。バックドロップをココナツクラッシュで阻止すると、チョップの連打で森嶋を弱らせて、最後は22分19秒、ロープの反動を利用した変形ノド輪落とし「つくば薪割り」で勝利した。06年1月22日、日本武道館大会で秋山準と防衛戦。20分31秒、後頭部へのジャンピングニーパットに敗れて王座陥落。07年7月15日、日本武道館大会で三沢のGHC王座に挑戦。45才の三沢と46才の田上というベテラン同士の対決となった。16分44秒、エメラルドフロウジョン、ランニングエルボーからの変型エメラルドフロウジョンに敗れた。11月28日、新潟市体育館大会で森嶋と組んでタッグ王者のバイソン・スミス斎藤彰俊組に挑戦。28分10秒、バイソンのランニングパワーボムに森嶋がフォール負け。09年6月13日、試合中に三沢が死去。7月6日、ノアの社長に就任。9月27日、日本武道館大会(三沢の追悼興行)に出場し、武藤敬司と組んで小橋、高山組と対戦。高山にシャイニングウィザードを決めるなど見せ場を作ったが、21分53秒、小橋のラリアットに田上が敗れた。10月3日、大阪府立体育会館大会(三沢追悼興行第2弾)のメインで川田と組んで秋山、KENTA組と対戦。17分32秒、田上が「俺が田上」でKENTAにフォール勝ち。11月23日、博多スターレーン大会でモハメド・ヨネと対戦。8分58秒、キン肉バスターに敗れた。12月24日、ディファ有明大会で丸藤正道と対戦。社長対副社長の対決となった。不知火に挑戦したが失敗してバックドロップの形でダメージを負ってしまい、トラースキックをくらって、6分35秒、横入り式回転エビ固めに敗れた。10年1月、右足関節外側側副靭帯損傷のため22日の大会から欠場。1月31日、霞ヶ浦文化体育館大会に出場し、第1試合で小川良成と対戦。6分49秒、首固めに敗れた。13年5月12日、後楽園ホール大会のリング上で「私事ですが、12月にラストマッチをして、社長業に専念したいと思います」と現役引退を表明。12月7日、有明コロシアム大会で引退試合。森嶋、杉浦平柳と組んで天龍藤波志賀井上雅央組と対戦。平柳の昇龍玄藩、森嶋のバックドロップ、杉浦のオリンピック予選スラムから、のど輪落としを雅央に決めカウント2。最後は10分40秒、「俺が田上」で雅央に勝利。試合後の引退セレモニーでは小橋、川田が登場し、三沢の写真と共に四天王揃い踏みで記念写真に収まった。「私は本日をもって現役を引退します。ここまでこれたのも、みなさんのおかげだと思っております。今までご声援ありがとうございました」とリング上で挨拶した。16年11月1日、ノアをエストビー株式会社に譲渡。相談役に就任した。 17年2月に相談役を退任。18年4月16日、胃ガンの手術。
田上明 試練の7番勝負(91年1月)
第1戦 1月2日 後楽園ホール  × ダニー・スパイビー 6分41秒
ほとんど攻めこめず完敗。
第2戦 1月3日 後楽園ホール  ○ ジャイアント・キマラ2 5分37秒
コーナー最上段からのエルボードロップで勝利。
第3戦 1月7日 大阪府立第2体育館  × 川田利明 14分24秒
イス攻撃をくらい、パワーボムにフォール負け。ふがいない試合を見せた。
番外編 1月15日 後楽園ホール  × 川田利明
第4戦のブッチャー戦がキャンセルされ番外編で川田と対戦。ケンカマッチに発展し、後頭部ラリアットにフォール負け。田上の実力が開花するきっかけに。
第4戦 1月19日 松本  ○ ジョニー・エース 13分6秒
第5戦 1月22日 花巻  ○ 小橋健太 13分52秒
第6戦 1月25日 石岡  × アブドーラ・ザ・ブッチャー 7分7秒
第7戦 1月26日 後楽園ホール  × 三沢光晴 7分24秒
初公開となったタイガードライバー91に敗れた。
※7番勝負は3勝4敗の結果に終わった。
元プロレスラー田上明さん 胃がん&全摘手術でリハビリ中
(日刊ゲンダイDIGITAL 2018年8月27日より)
 1990年代、全日本プロレスで三沢光晴、川田利明、小橋建太とともに“四天王”として暴れまくり、2000年に旗揚げしたプロレスリング・ノア参加以降も看板レスラーとして大活躍。本日登場の田上明さん(57)だ。5年前に引退したが、今どうしているのか?

■意識不明に・・・出血性ショック死の可能性も
「今年3月に胃がんが発覚してさ。全摘手術をしたのが4月16日。今はリハビリをしながら、のんびり暮らしてますよ」
 え? 田上さん、がんだったの?
「そう。それまでステーキなら1キロぐらいは軽く食べてたけど、今じゃ150グラム食べるのもやっと。120キロあった体重が20キロほど痩せて、100キロあるかないかだよ」
 田上さんと会ったのは茨城県つくば市郊外、最寄りのJR常磐線牛久駅からクルマで10分弱の「ステーキ居酒屋 チャンプ」。2歳年上の姉さん女房の清美さんと二人三脚で経営している。
 胃がん判明の経緯は?
「まず、3月1日に知人宅で貧血を起こして倒れてさ。翌2日にも別の知人宅で倒れて左側頭部を6針縫うケガをしたんですよ。で、3日早朝、今度は自宅で倒れて意識不明。救急車で病院に担ぎ込まれたんだ」
 検査したところ胃潰瘍で胃に穴があいており、そこから大量出血。「出血性ショック死の可能性もあった」ほど重篤で、400tの血液パックを5パック使用して最悪の事態を免れた。ところが生体検査によって、胃がんも判明・・・・・・。
「担当医は「悪性です。全摘しか助かる道はありません」って。にわかに信じられなくて夢かと思ったよ。だって2日の夜まで焼酎の水割りをガンガン飲んでたから」
 体力の回復を待ち、4月16日に手術。無事成功したものの、1週間後に切創が離開したため、丸2週間の入院となった。
「転移はないみたいだし、定期検査をちゃんと受けて、食べ物にも気をつけてれば何とかなるでしょ。とはいっても、酒がやめられなくて、焼酎のロックをチビチビ晩酌してますよ。ハハハ」

■ノア社長時代は自らの給料をカット
 さて、埼玉県秩父市生まれの田上さんは、高校時代に相撲で鳴らし、卒業を待たずに3年生の3学期に押尾川部屋へ入門。80年1月場所に本名で初土俵を踏んだ。その後、玉麒麟にしこ名を改め86年5月場所に十両に昇進。だが、幕内昇進の直前に親方と仲たがいして、87年初夏に廃業してしまった。
「体力はあるから、トラックの運転手になろうかって思ってた。そしたら知人の三遊亭楽太郎(現6代目円楽)師匠に天龍(源一郎)さんを紹介していただき、トントン拍子でプロレス入り」
 88年1月に故ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団。馬場とのコンビによるタッグ試合で華々しくデビューするや、192センチの長身と打たれ強さでメキメキと頭角を現し、92年3月には故ジャンボ鶴田とのタッグで世界タッグ王座を奪取した。
「リングに頭から叩きつけられても、すぐに起き上がって反撃する激しい試合が当時のスタイル。正直、キツかった。特に96年5月24日の三冠ヘビー級選手権で故三沢さんから三冠を勝ち取った試合は忘れられないなあ」
 その三沢を社長に、プロレスリング・ノアを立ち上げたのは00年6月。当時の人気レスラーを揃えていたため、日本武道館や東京ドームでの興行が定期化するほど人気を誇った。だが、09年6月13日、三沢が試合中の不慮の事故により他界。田上さんは2代目社長を引き継ぎ、プレーイングマネジャーとして奮闘した。
「集客力が落ちて営業的には苦労ばかり。スタッフや所属レスラーに協力してもらって、何とかやりくりしたよ」
 売り上げダウンにより、やむを得ず自らの給料をカットした。「若手選手より安かったのではないか」とは、あるプロレス雑誌の記者の証言だ。追い打ちをかけたのが、持病の不整脈。長年の激闘により、体中ケガだらけで13年春にドクターストップ。その年の12月7日、有明コロシアムで引退試合を行い、現役にピリオドを打った。
「16年11月まで社長に専念して、去年2月まで相談役。ノアと縁は切れたけど、所属選手だけでなく、遠くはドイツからもファンが店に食事に来てくれるから退屈はしてないね」
 清美さん、1男1女と4人暮らしだ。
(取材・文 高鍬真之)

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