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ターザン後藤

本名:後藤政二
1963年8月16日
静岡県島田市出身
178p 110kg
タイトル歴:CWA世界タッグ 世界マーシャルアーツ・ヘビー IWA世界ヘビー
得意技:ゴーストバスター フェイスバスター 凶器攻撃

高校卒業後、79年に大相撲の九重部屋に入門するが、翌年廃業し全日本プロレスに入門。81年2月19日、福島県霊山町民体育館の越中詩郎戦でデビュー。5分26秒、逆エビ固めに敗れた。 83年7月から童顔をカバーするためにヒゲを生やし、ワンショルダーの黒タイツを履くようになる。10月、ターザン後藤に改名。改名後はアトミックドロップやダイビング・ボディプレスを武器にダイナミックなファイトで活躍。83年度のプロレス大賞で新人賞を獲得した。 85年には海外初遠征。テネシーのCWAで佐藤昭雄とのコンビ「オリエンタル・エキスプレス」でCWA世界タッグ王座を獲得する。コンビ解消後は南部地区を転戦。女子レスラーのデスピナ・モンガスと結婚。一時期体調を崩し消息を絶つが、 88年ごろにプエルトリコに出現。結局、全日本プロには見捨てられた形となり、 89年、大仁田に声をかけられFMWの旗揚げに参加。ようやく日本の土を踏むことになる。 90年8月4日、東京・レールシティ汐留で大仁田と史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行う。プロレス大賞のベストバウト賞を受賞。以後、「鬼神」のニックネームでFMWのナンバー2として活躍。 91年5月6日、大阪万博お祭り広場大会でグレゴリ−・ベリチェフのマーシャルアーツ王座に挑戦。11分4秒、裏投げ7連発から腕ひしぎ逆十字固めを決められてレフリーストップ負け。9月23日、川崎球場大会で大仁田とノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで対戦。33,221人の大観衆を集めた。16分1秒、KO負けに終わった。試合後は後頭部打撲のため緊急入院した。 92年1月30日、大阪府立体育館大会で世界マーシャルアーツ・ヘビー級王者のビッグ・タイトンに挑戦。ロープに振ってのイス攻撃から、イスの上へのフェイスバスターで勝利して王座獲得。 94年3月2日、WARの両国国技館大会で大仁田と組んで天龍源一郎阿修羅原組と対戦。18分13秒、大仁田がサンダーファイヤーパワーボムで天龍にフォール勝ち。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。 95年5月5日の大仁田引退試合の行われる川崎大会のマッチメークを巡り衝突し、大仁田とケンカ別れ。5月1日、真FMW軍を名のりIWAジャパンに登場。8月15日、IWA世界ヘビー級王座を獲得。8月20日に川崎球場でNWA王者ダン・スバーンに挑戦し、チョークスリーパーに敗れた。10月5日、後楽園ホール大会ではキャクタス・ジャックと対戦。スリーパーホールドに苦戦したが、16分55秒、イスの上へのフェイスバスターで勝利した。11月30日、IWAジャパンの札幌中島体育センター別館大会で、タイガー・ジェット・シンとノーロープ有刺鉄線金網デスマッチで対戦。サーベルで流血したが、ミートフォークで反撃。10分11秒、スリーパーホールドでTKO勝ち。12月7日、IWAジャパンの姫路市厚生会館大会でテリー・ゴディと対戦。14分54秒、イスの上へのフェイスバスターで勝利。 96年7月13日、フィラデルフィアのECWアリーナでECWの「ヒートウェイブ」に参戦し、アクセル・ロットンと対戦。イスの上へのゴーストバスターで勝利。8月11日、IWAジャパンの後楽園ホール大会でのメインでババ・レイ・ダッドリーを相手に防衛戦。4分38秒、ゴーストバスターで勝利。 98年から革真浪士団を結成し、IWAジャパン、SPWFで活躍。 00年にターザン後藤一派を結成。島田市に道場を設立し自主興行を行った。 01年5月20日、全日本プロレスの後楽園ホール大会でバトルロイヤルに登場。約16年ぶりの全日本プロレス登場となった。 02年に新道場兼プロレス会場として「春日部インディーズアリーナ」を設立。10月27日、全日本プロレス日本武道館大会に出場し、本間朋晃と組んでアブドーラ・ザ・ブッチャーテリー・ファンク組と対戦。後藤はフォークや空き缶、ペンなどの凶器攻撃でテリーを流血させるが、ブッチャーがテリーを救出。ブッチャーがフォークを奪い、後藤の左腕に突き刺して反撃。机を振り回して対抗する後藤と本間に対し、テリーはコーナーポストの本間をとらえると、机の上に垂直落下式ブレーンバスター。13分42秒、最後はブッチャーの毒針エルボーで本間が敗れた。 05年2月5日、日本武道館でのジャイアント馬場七回忌追善興行に出場し、ブッチャーと組んで本間、新崎人生組と対戦。11分4秒、ブッチャーの毒針エルボーで本間に勝利。5月5日、ターザン後藤一派の清水マリンビル大会で清水の画伯と組んで、小島聡、本間組と対戦。19分26秒、小島のラリアットで清水の画伯が敗れたが、当時4冠王者だった小島聡に対して存在感をアピールした。 06年2月28日、後楽園ホールでのキングスロード旗揚げ戦第2戦で、越中詩郎と組んでジョージ・ハインズスティーブ・コリノと対戦。16分50秒、越中のダイビングヒップアタックで勝利。5月から浅草インディーズアリーナを中心にミスター・ポーゴと抗争。 09年7月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会で田中将斗と組んでTARUヘイト組と対戦。14分13秒、両者反則負け。12月24日、新木場1stRINGで「ターザン後藤30周年記念大会〜FMW再旗揚げ戦〜」を開催。大仁田と組んでミスター・ポーゴ、レザーフェイス(矢口壹琅)組と対戦。後藤がラリアットで矢口にフォール勝ち。12月27日、新木場1stRINGでの大仁田の自主興行で矢口、レザーフェイス・ライア、極悪海坊主、松本トモヒロと組んで大仁田、田中将斗、戸井克成、脇知弘、ブラックXジュニア組と対戦。5本勝負を3対2で勝利した。 10年1月26日、新FMWの新木場1stRING大会で大矢、リッキー・フジと組んでポーゴ、スーパー・レザー、ジ・ウインガー組と対戦。18分36秒、後藤のイスの上へのパワーボムからのラリアットでウインガーにフォール勝ち。
―83年夏から髭を生やし、ワンショルダーのタイツに変えて、コワモテのターザン後藤にイメチェンしましたけど、確かこれも佐藤さんのアイデアだったと記憶しています。
「髭はふざけてオフの間に生やしたら、たまたま佐藤さんが道場に来て、“お前、それいいじゃないか。シリーズ始まっても剃るなよ”って。自分としては当時、髭を生やした人はいなかったから、嫌で嫌でしょうがなかったんですけど、“剃ったらクビだぞ!”と言われて。さらに佐藤さんがワンショルダーのタイツを買ってきてくれて、“これを着て試合やれ!”って言うんで、最初はさんざん断ったんですけどね。当時はそんなの履いてる奴なんていなかったから、コミック系と思われるんじゃないかと思って。そうしたら、佐藤さんは“馬鹿野郎、俺はお前の良さを最大限伸ばしてやろうと思ってんのに・・・”とかブツブツ言ってるわけですよ。“おちょくられてんのかな?”と思ったんですけど、クビにもされちゃいけないから髭を剃るわけにもいかないし、せっかく買ってきてくれたから、タイツも履かないわけにいかないし」
―でも結果的に飛躍のキッカケになったわけですから、佐藤さんの見る目は確かだったと。
「リングネームも一応、公募という形でしたけど、佐藤さんの中では最初から『ターザン後藤』で決まっていたみたいです」
(中略)
「アメリカにいる時も、“日本にはいないキャラクターを確立して、いつか三沢と試合するんだ”って、いつも考えてましたから」
―最終的に、その夢は実現しませんでしたね。
「テネシーで佐藤さんと揉めちゃって。プロモーターじゃなく、佐藤さんにクビにされちゃったんです。それで“今後の仕事先は自分で探せ。どうしても探せなくて困ったら、俺に連絡くれれば骨折ってやってもいいよ”って言われたから、自分も意地になっちゃって頼まなかったんですよ。その後、フロリダに住んでヒロ・マツダさんに電話したんですけど、マズいかなと思って全日本の人間だって言わなかったら、“せっかく日本から来ても、ビザの問題とかいろいろあるから帰った方がいいよ”って電話を切られちゃって。そっからですよ。ジャパニーズ・レストランでバイトを始めたのは。試合はフロリダの小さい団体で週に1回。ひどい時には月1回ぐらいしかなかったけど、毎日3時間は練習してましたね。よく空中(正三)さんのところで練習しました。そんな状況でも、“フロリダで頑張っていたら、日本に情報が流れて全日本から電話がかかってくるかな”って。まだ自分も子供だったんで、ヘンな意地があったんです。“自分からは絶対に連絡しないぞ!”って。そうして、ずっと連絡を待ってましたね」
(Gスピリッツvol.13より)
― 後藤は、“自分が三沢と試合した時に、越中vs三沢と同じような試合をすると怒られた”と言ってました。 「後藤は“この野郎!”とか言いながら蹴っ飛ばしてたり、頭突きをやってた方が様になってるわけ。それを越中と同じつもりで飛び合ったり、技の絡み合いをやったとしても、三沢や越中の方がずっと巧く見えるよね。ある時、“お前は同じ技の巧さを競ったら負けちゃうだろ?何であいつらと競うんだ?”って聞いたら、後藤は“ガンガン暴れるブルファイターになりたいです”って。“だったら、それでいいよ”と」 ― 彼にターザンのキャラクター付けをしたのは後藤さんでしたね。 「童顔だったから、まず髭を生やさせてね。それと身体がポチャッとしていてタイツの腹の部分が前に折れて落ちてくるから、“このタイツを履け!”って肩紐付きのヤツにさせたの。それから“日本人は横文字の名前にすると売れるんだぞ”ってターザン後藤にしてさ。周りの連中は“えーっ!?”って(笑)。でも、しばらくしたら、あいつも得意げになったよな(笑)」 (Gスピリッツ vol.25 全日本プロレスで81年から84年までブッカーをしていた佐藤昭雄のインタビューより)

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