ダークロHP / レスラーノート

スペル・デルフィン

本名:脇田洋人
1967年9月22日
大阪府和泉市出身
172cm 88kg
タイトル歴:大阪プロレス選手権 UWA世界ウエルター CMLL世界ウエルター 東北ジュニア NWAインターナショナル・ジュニア
得意技:デルフィンクラッチ 大阪臨海アッパー デルフィンスペシャル1号(ジャーマンからジャーマン、その後、レッグロールクラッチ) デルフィンスペシャル2号(抱えあげてからトップロープで相手をリバウンドさせての高角度ジャーマンスープレックス) デルフィンスペシャル3号(ジャーマンからタイガースープレックス)

高校時代はアマレスで活躍。インターハイに出場。88年にTPG(たけしプロレス軍団)に入団し、89年3月16日、オランダ・アムステルダムにおける高山圭司戦でデビュー。10月6日、古屋市露橋スポーツセンターでのFMWの旗揚げ戦に参加。ボートピープル・ジョー戦で国内デビュー。 FMW参戦後、90年3月のユニバーサル・プロレス旗揚げに参加。当時のリングネームはモンキーマジック・ワキタ。 91年9月8日、博多スターレーン大会でブラック・パワーと対戦。6分45秒、ダイビング・ネックブリーカードロップに敗れた。9月9日、大阪府立体育会館第2競技場大会でブラック・パワーを相手にマスカラ・コントラ・カベジェラで対戦。7分42秒、カナディアンバックブリーカーから前方に叩きつける技に敗れ、髪の毛を刈られた。メキシコ遠征を経て、 92年6月、スペル・デルフィンに変身。11月20日、コロソを破りスーパーウェルター級王座を獲得。 93年3月、みちのくプロレス旗揚げに参加。愚乱浪花らとデルフィン軍団を結成してルードとして活躍。ザ・グレート・サスケをライバルに、数々の抗争を繰り広げた。 94年4月16日、両国国技館での第1回スーパーJカップに出場。1回戦で大谷晋二郎と対戦。8分6秒、スイングDDTからデルフィンクラッチが決まって勝利。2回戦で外道と対戦。8分20秒、スイングDDTを決めてデルフィンクラッチを狙ったところを首固めに切り返されて敗れた。6月、新日本プロレスのベスト・オブ・スーパージュニアに参戦。6月13日、大阪府立体育会館大会での優勝決定戦でライガーと対戦。ライガーを模したコスチュームで登場。デルフィンクラッチをカウント2で返され、18分27秒、雪崩式フィッシャーマンバスターに敗れた。 95年3月3日、SATOに敗れてスーパーウェルター級王座から転落。5月14日、トリトンを破りスーパーウェルター級王座を獲得。10月11日、岩沼市民体育センター大会でソラールを相手に防衛戦。15分20秒、タイガースープレックスで勝利。10月21日、一関文化センター体育館大会でパンテーラを相手に防衛戦。15分27秒、ラ・マヒストラルにフォール負けしてスーパーウェルター級王座から転落。 96年8月18日、青森県民体育館大会でパンテーラのスーパーウェルター級王座に挑戦。3分15秒、ラクダ固めで勝利してスーパーウェルター級王座を獲得。 97年3月1日、大阪府立臨海スポーツセンター大会で獅龍と対戦。16分25秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。5月、メンズ・テイオーのデルフィンクラッチに敗れてスーパーウェルター級王座から転落。 98年1月16日、札幌中島体育センター別館大会でテイオーに挑戦。21分4秒、大阪臨海アッパーからのデルフィンクラッチで勝利して王座を奪回。みちプロを離脱後、 99年4月に大阪プロレスを旗揚げ。JR新今宮駅近くに常設会場「デルフィン・アリーナ」を設立。吉本興業をスポンサーにつけて地域密着形の興行を続けた。 00年1月には大阪プロレス選手権初代王者となる。10月の東京ドームで3年ぶりに新日本プロレスに登場しライガーと対決。 03年11月2日、有明コロシアムでのみちのくプロレス旗揚げ10周年記念大会のメインイベントでサスケと対戦。20分51秒、デルフィンスペシャル2号でサスケに勝利した。 06年5月21日、大阪プロレスIMPホール大会で南野たけしと大阪プロレス王者&東北ジュニアヘビー級王座ダブルタイトルマッチ。ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利して2冠王になる。その後、大阪プロレスの株式公開に成功。10月8日、東北ジュニアヘビー級タイトルマッチとして、みちのくプロレスの岩手県営体育館大会でサスケと対戦。3150人の大歓声の中、21分4秒、ジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れて王座転落。 07年5月16日、大阪府立体育会館第2競技場大会で藤波辰爾と対戦。スイングDDTと大阪臨海アッパーで善戦したが、8分53秒、ドラゴン・スリーパーに敗れた。 08年7月5日、那覇市の国際通りで沖縄プロレスを旗揚げ。沖縄県のベンチャービジネスサポート事業の認可を受けての旗揚げだった。国際通りに常設会場「デルフィンアリーナ」を立ち上げて、水曜日を除く週6日間、興業を続けた。11月9日、ドラディションの大阪府立体育会館第2競技場大会のメインでウルティモ・ドラゴンと王座決定戦。14分39秒、ジャーマンスープレックスホールドで勝利してNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得。11月21日、沖縄プロレスのデルフィンアリーナ大会でめんそ〜れ親父を相手に防衛戦。デルフィンクラッチで勝利して初防衛に成功。11月22日、ドラディションの後楽園ホール大会でウルティモ・ドラゴンと再戦。17分10秒、ドラゴン・アンド・アロー(変形弓矢固め)に敗れて王座転落。 11年6月5日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会で、ディック東郷(みちのくプロレスでのラストマッチだった)とサスケが対戦。野橋、ラッセ組が乱入したため無効試合。試合後にサスケと東郷を救出するためデルフィンが登場。サスケ、東郷と組んで野橋、ラッセ、ウルティモ・ドラゴン組と対戦。4分23秒、東郷がダイビングセントーンでラッセに勝利した。12月24日、全日本プロレスの名護市21世紀の森体育館大会で武藤と組んで河野田中稔組と対戦。14分32秒、武藤がシャイニングウィザードで稔に勝利。12月25日、全日本プロレスの沖縄県立武道館大会で武藤、と組んで大森真田征矢学組と対戦。13分26秒、曙がランニングボディプレスで征矢に勝利。 12年8月25日の大会を最後に、沖縄プロレスの国際通りの常設会場を閉鎖。9月9日、大阪府和泉市議選に当選。9月24日、覆面姿で議場に登場。この日の会派代表者会で、事前の本人確認を条件に議場や委員会室で覆面を着用することを認められた。11月17日、みちのくプロレスのベストウェスタンホテル仙台大会での気仙・沼ジローラモ(ヨネ原人)デビュー20周年記念試合に出場。サスケ、ウルティモ・ドラゴンと組んで新崎人生、ヨネ原人、シーサー王と対戦。14分34秒、ウルティモのアサイDDTから、デルフィンがスイングDDTを決めてヨネ原人に勝利。 14年4月27日、全日本プロレスの大阪府立体育会館大会で青木と組んでウルティモ・ドラゴン、鈴木鼓太郎組と対戦。14分33秒、青木が横入り式エビ固めでウルティモにフォール勝ち。 15年8月1日、海鮮プロレスを旗揚げ。堺中央卸売市場をホームグラウンドに興行を展開。 16年5月8日、みちのくプロレスの仙台ジョイテルホテル大会で気仙沼二郎と組んで人生、サスケ組と対戦。10分58秒、気仙沼二郎が特別レフリーのディック東郷を暴行したため反則負け。再試合が行われ、5分43秒、人生の念仏パワーボムに気仙沼二郎が敗れた。10月30日、K−DOJOの十和田市勤労青少年ホーム体育館大会で小川良成リッキー・フジと組んでTAKAみちのく、ディック東郷、MEN’Sテイオー組と対戦。10分15秒、東郷のダイビングセントーンにテイオーが敗れた。 11月21日、新木場1stRINGでの黒潮“イケメン”二郎のプロデュース大会のメインで黒潮と対戦。9分46秒、デルフィンクラッチを切り返されての変型エビ固めにフォール負け。 17年4月23日、ドラディションの大阪府立体育会館・第2競技場大会で金本浩二と対戦。10分30秒、アンクルホールドに敗れた。9月4日、後楽園ホールでのTAKAみちのくの25周年記念大会でサスケ、東郷と組んで吉野、ダイナソー拓真、リッキー・フジ組と対戦。7分24秒、合体技のガオバババをくらって吉野にデルフィンがフォール負け。10月10日、DSWの新宿FACE大会で24人参加のバトルロイヤルに出場して優勝。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会でAKIRAと組んで大谷、高岩組と対戦。14分2秒、高岩のデスバレーボムにデルフィンが敗れた。10月29日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会で金本と組んで高岩、佐野組と対戦。13分4秒、デルフィンがデルフィンクラッチで高岩にフォール勝ち。 18年4月21日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会でブラックタイガーと組んで金本、田中稔組と対戦。12分48秒、金本のムーンサルトプレスにブラックタイガーが敗れた。9月9日、みちのくプロレスの神戸芸術センター・芸術劇場大会でヨネ原人と組んでサスケ、人生組と対戦。16分43秒、人生のパワーボムにヨネが敗れた。 19年5月1日、大阪府立体育会館・第2競技場大会での大阪プロレスの旗揚げ20周年記念大会でGammaと組んでマグニチュード岸和田、吉田隆司組の大阪プロレスタッグ王座に挑戦。15分32秒、デルフィンがデルフィンクラッチで吉田にフォール勝ち。大阪プロレスタッグ王座を獲得した。6月9日、愛媛プロレスの松山市総合コミュニティセンター大会で石鎚山太郎、ライジングHAYATO組を相手にタッグ王座の防衛戦。HAYATO のスクールボーイにデルフィンがフォール負けして王座転落。6月29日、愛媛プロレスのエミフル松前大会でアルティメット・スパイダー・ジュニア、ライジングHAYATOと3WAYマッチ。デルフィンがラリアットからのデルフィンクラッチでHAYATOにフォール勝ち。9月17日、新宿FACEでの黒潮の自主興行で黒潮“イケメン”二郎と対戦。9分17秒、デルフィンクラッチでフォール勝ち。10月19日、元淳風小学校体育館での京都国際映画祭でエイサー8、レイザーラモンHGと3WAYマッチ。9分35秒、デルフィンがデルフィンクラッチでエイサー8にフォール勝ち。
レスラー&和泉市議員のスペル・デルフィンは今は?
(日刊スポーツ19年12月10日10:00配信)
プロレスラーのスペル・デルフィン(本名・脇田洋人=52)は、沖縄プロレス社長の肩書を持ち、2012年に大阪・和泉市議に初当選して現在2期(8年)目を務めている。最大会派の明政会に所属し、定数24の市議の中でスポーツ振興などを所管する厚生文教委員会、市議会だよりを作成する広報広聴委員会などを兼務する。現役プロレスラーながら「先生」として精力的に活動する。大阪府の南西部に位置する和泉市は、かつてベッドタウンとして発展し、現在の人口は約18万6000人。大阪プロレス時代に多く取材した記者だが、市議の姿は初めて見ることになる。市役所内の1室に覆面姿で登場したデルフィンは、以前と何も変わらない笑顔で和泉市と現在の自分について口を開いた。
「和泉市って全国的にはもちろん、たぶん関西でもいまいち知られていない。堺、岸和田市の隣、関西空港の近くとしか形容されないんと違いますか。いまだにどこにあるの?と言われる。言われないためには観光名所を作るとか、インバウンド(訪日旅行)を誘致するしかない。そのためにスポーツや芸術面に力を入れてます。特にスポーツの分野では他の議員に勝てる自信があります」
例えばこの任期中、プロ野球オリックスのホーム試合で「和泉市民観戦デー」の開催にこぎつけた。泉北高速鉄道の和泉中央駅には漫画家松本零士氏、弘兼憲史氏の協力でそれぞれのキャラクター漫画の銅像を設置。元ボクシング世界王者長谷川穂積氏を招いての講演会を市内の小学校で開いた。すべて自らの人脈で実現させた。そもそも政治家の道を志した理由は何だったのか。潜在意識の中には、やはり国会議員となったアントニオ猪木らの存在が大きかったようだ。元々はプロレスでファンを笑顔にするのがライフワークだった。そこに政治との共通点を見つけた。政治で市民に喜んでもらいたいという結論に行き着いた。
「レスラーってリング上でマイクパフォーマンスすることが多い。試合の興行の宣伝で街でチラシを配ったり、宣伝カーを走らせる。政治家は議場でしゃべり、選挙カーで街頭演説をする。動き自体は似てるでしょ。プロレスは日本人だけでなく、外国人にも通用する強いツール。プロレスをやりながら和泉市をアピールしたいと思ったんです」
幸いなことに、市議としてマスク着用が最初から許可された。実は素顔で活動する覚悟はあったが、会派代表者会議で許された。例えばマスク姿で各地の市役所に出向く。すると必ず熱烈なファンがいてくれ、そこから話題が広がる。プロレスの力を改めて感じるという。一部の市議らが私的に使い込んで社会問題化した政務活動費についても聞いた。和泉市の政務活動費は、月に7万円(年間84万円)と定められている。一括で受け取るのではなく、42万円を2回に分けて支給される。
「これは今、厳しいんですよ。自宅からマイカーで市役所に通うガソリン代も議会がある時は出ない。議会がない時は出る。議会がある時は議員活動だからあかん、政務活動はいいよと。ややこしいでしょ。ちょっとでも間違えてたら指摘されますよ。交通費でも厳しく制限されてます」
政界に身を投じて最も大きな変化は、やはり金銭面だったという。プロレスラーという職業は極めて不安定だ。メジャー団体の所属選手でない限り、1試合でギャラは1万円、場合によっては数千円程度。試合がなければ収入はない。デルフィンは99年から務めた大阪プロレス社長時代、経営者として苦しんだ。
「今、議員になって人生で初めて固定給をもらえている。ボーナスも初めてもらえた。プロレスラーとどっちがええんやと言われたら、うーん・・・。プロレス経営でもうかっていたらええけど、ひーひー苦労しながらやっていた。大阪プロレス時代はちゃんと選手に給料を払ってましたけど、逆に僕はもらっていなかった。市議は任期4年間は安心でも、それ以降は選挙があって大変な目にあう。比較は難しいですね」
今回の取材の目的はもう1つあった。来年1月、デルフィンが尊敬してやまない獣神サンダー・ライガー(新日本)が55歳で現役を引退するからだ。デルフィンといえば1994年6月、新日本の大阪府立体育会館大会のメインでライガーとのシングルマッチが実現した。ジュニアの最強を決めるトーナメント「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」の優勝決定戦で対戦し、当時地方団体みちのくプロレス所属で、名前がさほど知られていなかったデルフィンが、ライガーと歴史に残る一戦を展開した。18分27秒、最後は惜しくも敗れたが、巧みな技や華麗な空中戦にファンは酔いしれた。これが俗にいうデルフィンの出世試合。記者も魅了された1人だ。
「あの試合は人生のターニングポイント。いまだにあれを見てファンになったと言ってもらえる。レスラーとして成功させていただいた試合。あれがあったからこそ全国で試合をさせてもらい、議員にもなれた。新日本とライガーさんには感謝しています」
当時、絶頂の人気を誇った長州力や闘魂三銃士らを差し置いてメインを飾るなど難しく、ヘビー級ではなくジュニアの認知度は決して高くはなかった。その恩人の引退が迫ってきた。
「ライガーさんは山口百恵みたいに、いいときにやめるという考え。動ける時にやめるのは大賛成だし、格好悪いライガーは見せたくないんでしょう。僕はみなさんに喜んでもらえれば、体が動く限りやります」
現在の生活に占めるプロレスと市議の割合を表してもらうと、即座に「1対9」という返答があった。
「市議って副業は大丈夫だけどプロレスに特化していたら、市議として何をしとるという批判になる。議会には100%出ないといけない。ずる休みとかありえないし、風邪をひいても骨折してもいかなければならない。僕への反対意見があったり、嫌なことももちろんある。でも、すべて自己責任による「やりがい」がある。とにかく和泉市のために頑張りますよ」
取材後、素顔のデルフィンと市役所の近所に昼食へ出かけた。素顔を知られていないから、市民から声をかけられることもない。「この時間は唯一、気楽なんですわ」
覆面レスラーの特権を楽しむ余裕が、今は少しできたようだ。

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