レスラーノート

スティーブ・ウイリアムス

STEVE WILLIAMS

1960年5月14日
コロラド州レイクウッド出身
188cm 123kg

通称
ドクター・デス(殺人医師)
タイトル歴
三冠ヘビー
世界タッグ(全日本プロレス)
NWA世界タッグ
UWFヘビー(ハーブ・エイブラムズ主宰のUWF)
UWF・TV
NWA&WCW世界タッグ
ミッドサウス・タッグ
IWA世界タッグ
得意技
デンジャラス・バックドロップ
ドクターボム
オクラホマ・スタンピート

通称「ドクター・デス(殺人医師)」。オクラホマ大学時代には、4年連続大学選手権制覇やオールアメリカンに選抜されるなど、アマレスの世界で無敵を誇る。フットボールでも大活躍した。大学卒業後はプロフットボールリーグUSFLのニュージャージー・ゼネラルズやデンバー・ゴールズなどに在籍。82年に大学の先輩であるビル・ワットにスカウトされてプロレス入り。ワットが代表を務めているMSWA(86年5月からUWFに改称)地区で頭角を現し、85年5月3日、テッド・デビアスと組んでミッドサウス・タッグ王座を獲得。同年12月26日にも同タッグ王座をデビアスと獲得。デビアスと組んで、テリー・ゴディ率いるフリーバーズと抗争を展開した。85年12月には、ダラスのテキサススタジアムで猪木と対戦している。猪木の対戦相手を探していたプロモーターのフリッツ・フォン・エリックがビル・ワットに相談し、ワットが推薦したのがウイリアムスだった。 86年7月、新日本プロレスに初来日。 87年10月25日、両国国技館大会で猪木のIWGP王座に挑戦。11分47秒、リングアウト負け。 その後、NWA地区でマイク・ロトンドとバーシティ・クラブを結成し、89年4月にロード・ウォリアーズを破りNWA世界タッグ王座を獲得。

1990

90年2月10日、東京ドーム大会でサルマン・ハシミコフと対戦。9分、オクラホマ・スタンピードで勝利。同月、全日本プロレスに登場。全日本プロレスではテリー・ゴディとタッグを結成し、「殺人魚雷コンビ」として活躍した。3月6日、日本武道館大会でテリー・ゴディと組んで天龍源一郎、スタン・ハンセン組の世界タッグ王座に挑戦。17分6秒、ウイリアムスがデスロックで天龍に勝利。世界タッグ王座を獲得した。4月19日、横浜文化体育館大会でスタン・ハンセン、ダニー・スパイビー組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分53秒、ウイリアムスがスパイビーのダイビング・エルボードロップをかわして片エビ固めに丸めこんでフォール勝ち。6月5日、千葉公園体育館大会でスタン・ハンセンと対戦。16分51秒、ラリアットに敗れた。6月8日、日本武道館大会で小橋健太と対戦。11分28秒、ダイビング・ショルダーアタックで勝利。7月27日、松戸市運動公園体育館大会で川田利明と対戦。16分35秒、ダイビング・ボディアタックをキャッチしてのパワースラムで勝利。9月1日、日本武道館大会でスタン・ハンセンの三冠王座に挑戦。20分32秒、パワースラムを片エビ固めに切り返されてフォール負け。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にテリー・ゴディと組んで参戦。12月7日、日本武道館大会での最終戦でスタン・ハンセン、ダニー・スパイビー組と対戦。29分59秒、ウイリアムスがアバランシュホールドでハンセンに勝利。世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝した。

1991

91年4月18日、日本武道館大会でスタン・ハンセン、ダニー・スパイビー組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分40秒、ハンセンのラリアットにウイリアムスが敗れて王座転落。7月20日、横浜文化体育館大会でジャンボ鶴田の三冠王座に挑戦。20分35秒、バックドロップに敗れた。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にテリー・ゴディと組んで参戦。12月6日、日本武道館大会での最終戦で三沢光晴、川田利明組と対戦。25分24秒、ゴディがパワーボムで川田に勝利。世界最強タッグ決定リーグ戦に2年連続優勝。同時に世界タッグ王座を獲得した。

1992

92年7月5日にゴディと組んでスタイナー・ブラザーズ(リック・スタイナースコット・スタイナー)を破りWCW世界タッグ王座を獲得。7月12日にバリー・ウインダムダスティン・ローデス組を破りNWA世界タッグ王座を獲得。NWA、WCWの両タッグ王座を統一した。ゴディがWCWを離脱した後は、WCWではスティーブ・オースチンがパートナーとなった。オースチンの本名はスティーブ・ウイリアムスなので、同姓同名のタッグチームだった。

1993

93年5月21日、札幌中島体育センター別館大会で川田利明と対戦。21分19秒、ラリアットに敗れた。8月31日、豊橋市総合体育館大会で小橋を相手に三冠王座挑戦者決定戦。27分19秒、バックドロップドライバーとも呼ばれる超急角度のバックドロップを決め、カウント2で返された直後にさらにバックドロップ。27分19秒、もはや自力で立てない相手にバックドロップホールドを決めて勝利した。9月3日、日本武道館大会のメインで三沢の三冠王座に挑戦。23分6秒、タイガードライバーに敗れた。

1994

94年3月19日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。4月15日、後楽園ホール大会で小橋と対戦。22分10秒、バックドロップホールドで勝利。リーグ戦を勝ち点19の1位で終了。4月16日、日本武道館大会で同点の川田と優勝決定戦。25分48秒、パワーボム3連発に敗れた。7月22日、清水市営体育館大会でエースと組んで三沢、小橋組の世界タッグ王座に挑戦。27分48秒、三沢のダイビング・ネックブリーカードロップにエースが敗れた。7月28日、日本武道館大会で三沢の三冠王座に挑戦。27分39秒、それまで7連続防衛を記録していた三沢に衝撃的なバックドロップで勝利。三冠王座を獲得した。9月3日、日本武道館大会で小橋を相手に防衛戦。41分23秒、バックドロップホールドで勝利。10月22日、日本武道館大会で川田を相手に防衛戦。37分58秒、ジャンピングハイキックに敗れて王座転落。

1995

95年1月7日、大分県立荷揚町体育館大会で小橋と対戦。30分時間切れ引き分け。3月4日、日本武道館大会でエースと組んで三沢、小橋組の世界タッグ王座に挑戦。36分7秒、小橋のダイビングギロチンドロップにエースが敗れた。

1996

96年、チャンピオンカーニバルに参戦し、勝ち点17点でリーグ戦を同点1位で終了。4月20日、日本武道館大会での優勝決定戦で田上明と対戦。21分41秒、のど輪落としに敗れた。6月7日、日本武道館大会でジョニー・エースと組んで三沢、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。30分9秒、秋山のエクスプロイダーにエースが敗れた。9月5日、日本武道館大会でエースと組んで三沢、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。28分47秒、エースがコブラクラッチスープレックスで秋山に勝利。世界タッグ王座を獲得した。10月12日、愛知県体育館大会で小橋、パトリオット組を相手にタッグ王座の防衛戦。32分33秒、ウイリアムスがタイガースープレックスでパトリオットに勝利。

1997

97年1月17日、松本市総合体育館大会で川田、田上組を相手にタッグ王座の防衛戦。26分12秒、田上ののど輪落としにエースが敗れて王座転落。3月1日、日本武道館大会で三沢の三冠王座に挑戦。序盤でバックドロップと投げっぱなしジャーマンで観客を沸かせたが、27分52秒、タイガードライバーに敗れた。7月25日、日本武道館大会でゲーリー・オブライトと組んで小橋、エース組の世界タッグ王座に挑戦。29分36秒、合体雪崩式パワーボムを決めてウイリアムスが小橋にフォール勝ち。世界タッグ王座を獲得した。8月26日、札幌中島体育センター別館大会で三沢、秋山組を相手にタッグ王座の防衛戦。8分42秒、オブライトがフルネルソンスープレックスで秋山に勝利。10月4日、愛知県体育館大会で小橋、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分38秒、小橋のラリアットにオブライトが敗れて世界タッグ王座から転落した。10月11日、福岡国際センター大会で三沢の三冠王座に挑戦。24分21秒、タイガードライバーに敗れた。

1998

98年2月28日、日本武道館大会でオブライトと組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。11分10秒、川田の延髄斬りにオブライトが敗れた。同年からWWFに登場した。

1999

99年5月に全日本プロレスに復帰。

2000

00年2月17日、北海道立総合体育センター大会で小橋と対戦。24分37秒、ラリアットに敗れた。2月20日、神戸ワールド記念ホール大会でベイダーと組んで小橋、秋山組の世界タッグ王座に挑戦。25分14秒、ベイダーがチョークスラムで小橋に勝利。世界タッグ王座を獲得した。10月9日、新日本プロレスの東京ドーム大会でスコット・ノートンと対戦。12分56秒、バックドロップ3連発で勝利。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではマイク・ロトンドと組んで参戦し、リーグ戦を突破。12月9日、日本武道館大会での決勝トーナメント1回戦で太陽ケア、ジョニー・スミス組と対戦。8分20秒、ウイリアムスがバックドロップでスミスに勝利。同日の決勝で川田利明、渕正信組と対戦。21分27秒、ウイリアムスがバックドロップで渕に勝利。世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝した。

2001

01年7月14日、日本武道館大会で武藤敬司の三冠王座に挑戦。18分52秒、シャイニングウィザードに敗れた。11月24日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にマイク・ロトンドと組んで参戦。3勝4敗でリーグ戦を終えた。

2002

02年2月、ロサンゼルス州の自宅近くで日焼けサロン「ドクター・デス・マウイ・タン」をオープン。3月23日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。3月24日、後楽園ホール大会で武藤敬司と対戦。15分16秒、バックドロップホールドで勝利。3月27日、岡山・卸センターオレンジホール大会で天龍源一郎と対戦。6分32秒、毒霧からのラリアットに敗れた。3月31日、石川県産業展示館3号館大会でマイク・ロトンドと対戦。10分28秒、ドクターボムで勝利。4月3日、気仙沼市総合体育館大会で太陽ケアと対戦。13分54秒、シャイニングウィザードに敗れた。4月4日、八戸市体育館大会で荒谷信孝と対戦。5分11秒、バックドロップで勝利。4月8日、釧路市鳥取ドーム大会でジョージ・ハインズと対戦。30分時間切れ引き分け。リーグ戦は3勝2敗1引き分けに終わった。10月14日、愛知県体育館大会でジョージ・ハインズと対戦。10分3秒、バックドロップで勝利。11月23日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にマイク・ロトンドと組んで参戦。4勝2敗1引き分けに終わった。

2003

03年6月に日本人女性と再婚。7月20日、WJプロレスの両国国技館大会で「WJ最強決定トーナメント」に出場。1回戦で越中詩郎と対戦。9分27秒、ドクターボムで勝利。準決勝で佐々木健介と対戦。12分17秒、フルネルソン監獄固めに敗れた。その後はIWAジャパンに登場。8月17日、IWAジャパンの横浜市大津スイミングクラブ駐車場大会で松田慶三と対戦。8分35秒、バックドロップで勝利。9月29日、IWAジャパンの後楽園ホール大会で三宅綾と組んでタイガー・ジェット・シン、松田慶三組と対戦。9分53秒、松田のラリアットに三宅が敗れた。11月26日、IWAジャパンのむつ市民体育館大会で三宅綾と組んでIWA世界タッグ王者決定トーナメントに参戦し、1回戦でジャイアント・キマラ、フレディ・クルーガー組と対戦。8分5秒、ウイリアムスがバックドロップでクルーガーに勝利。11月27日、青森産業会館大会での準決勝でバリー・ウインダム、マイク・ロトンド組と対戦。11分57秒、ウイリアムスがドクターボムでウインダムに勝利。11月30日、後楽園ホール大会での決勝で松田慶三、レザー・フェイス組と対戦。13分42秒、ウイリアムスがバックドロップでレザーに勝利。IWA世界タッグ王座を獲得した。

2004

04年1月7日、IWAジャパンの岩沼市民体育センター大会で三宅綾と組んでジャイアント・キマラ、フレディ・クルーガー組と対戦。8分46秒、ウイリアムスがアバランシュホールドでフレディに勝利。1月8日、IWAジャパンの白河国体記念体育館大会でザ・ファイヤーと組んで松田慶三、河童小僧組と対戦。15分59秒、ファイヤーがフライングソーサーをかわしての体固めで河童小僧にフォール勝ち。1月9日、IWAジャパンの水戸市民体育館大会でジャイアント・キマラと組んでテリー・テイラー、松田慶三組と対戦。14分43秒、テイラーのランニング・ボディプレスをかわしての体固めにキマラがフォール負け。1月10日、IWAジャパンの東金アリーナ大会でザ・ファイヤーと組んで松田慶三、テリー・テイラー組と対戦。14分6秒、ダブル・ブレーンバスターをくらって松田にファイヤーがフォール負け。1月12日、IWAジャパンの後楽園ホール大会で松田慶三、テリー・テイラー組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分4秒、三宅が垂直落下式ブレーンバスターでテイラーに勝利。3月12日、IWAジャパンの大阪・デルフィンアリーナ大会でマイク・ロトンドと組んでビッグ・ボスマン、松田慶三組と対戦。7分59秒、ウイリアムスがバックドロップで松田に勝利。3月13日、IWAジャパンの岐阜商工会議所大ホール大会でレザー・フェイス、フレディ・クルーガー組を相手にタッグ王座の防衛戦。10分28秒、ウイリアムスがバックドロップでフレディに勝利。3月14日、K-1の新潟大会でアレクセイ・イグナショフとK-1の総合ルールで対戦。1R0分22秒、ひざ蹴りにKO負けした。強行日程だった。3月15日、IWAジャパンの千葉ポートアリーナ・サブアリーナ大会でボビー・フルトン、トミー・ロジャース組を相手にタッグ王座の防衛戦。5分48秒、ウイリアムスがドクターボムでフルトンに勝利。3月16日、 IWAジャパンの八王子市民会館大会でスティーブ・ウイリアムス、マイク・ロトンド、ボビー・フルトンと組んで松田慶三、YUJI KITO、グレート・タケル組と対戦。11分40秒、バックドロップを松田に片エビ固めに切り返されてフルトンがフォール負け。3月17日、IWAジャパンの後楽園ホール大会で三宅綾、マイク・ロトンドと組んでビッグ・ボスマン、レザー・フェイス、松田慶三組と対戦。11分10秒、松田のラリアットにロトンドが敗れた。その後は喉頭ガンのため7月4日に手術。7月17日、IWAジャパンの茅ヶ崎青果地方卸売市場大会で復帰戦。三宅綾、クラッシャー高橋と組んでアニマル・ウォリアー、松田慶三、ウルトラセブン組と対戦。12分24秒、アニマルのパワーボムに高橋が敗れた。7月19日、富士山アリーナ大会で三宅綾と組んでブルーザー・コング、河童小僧組と対戦。11分32秒、11分32秒、三宅がタイガードライバーで河童小僧に勝利。7月20日、渋川市総合公園体育館大会で三宅綾、クラッシャー高橋と組んでアニマル・ウォリアー、松田慶三、チョコボール向井組と対戦。13分3秒、向井のジャーマンスープレックスに高橋が敗れた。7月21日、後楽園ホール大会でマーティ・ジャネッティ、ロバート・ギブソンと組んでアニマル・ウォリアー、松田慶三、グレート・タケル組と対戦。7分57秒、ウイリアムスがバックドロップでタケルに勝利。7月22日、後楽園ホールでの川田利明のプロデュース大会「俺だけの王道」で天龍源一郎と組んで嵐、平井伸和組と対戦。9分56秒、天龍が首固めで平井にフォール勝ち。

2005〜

05年8月、ペンシルベニア州バレーフォージでの「レッスルリユニオン」で復帰戦を行い、キング・カルアに勝利。スタンディング・オベーションでファンから祝福を受けた。WWEのファーム団体OVWとDSWで月に1週間ずつ若手をコーチして活躍。 09年7月19日、IWAジャパンの新宿FACE大会でヘルアント・マシン2号と対戦。3分28秒、オクラホマスタンピートで勝利。10月25日のIWAジャパン新宿FACE大会で引退試合が予定されていたが、ガンの再発が発見されてしまい、10月8日にIWAジャパンから引退試合の延期が発表された。12月29日、コロラド州デンバーのセントアンソニー・セントラル病院で咽頭ガンのため死去。享年49。