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スタン・ハンセン
STAN HANSEN


本名:ジョン・スタンレー・ハンセン
1949年8月29日
テキサス州ナックシティ出身
195cm 140kg
タイトル歴:三冠ヘビー PWFヘビー インターナショナル UNヘビー AWA世界ヘビー NWF世界ヘビー WCW・USヘビー 世界タッグ インターナショナルタッグ PWFタッグ USタッグ
得意技:ウエスタンラリアット

デビュー戦1973年1月1日エル・パソ体育館ジェリー・コザック&ニック・コザック(パートナーはアレックス・ペレス)
入場テーマ曲 サンライズ
通称、不沈艦。ウエスト・テキサス大学に入学後、NFLのボルチモア・コルツで活躍していたが、ヒザの故障で退団。その後一年間、大学に戻り卒業。卒業後、サンディエゴ・チャージャーズの一軍テストに参加するが、知人の紹介で教職につく。9月から12月まで中学で地理の授業とフットボールのコーチをする。教師の給料が少ないのを理由にプロレス転向を決意。テキサス州アマリロのドリー・ファンク・シニアのコーチを受け、73年1月にデビュー。ハンセンを大スターに押し上げた「ウエスタン・ラリアット」はアメフトのカウンター・タックルからヒントをつかみ、あみ出された。ブルーザー・ブロディーとはオクラホマ時代からコンビを組んでおり、長くUSタッグ王座を保持していた。76年4月26日、ニューヨークのMSGでブルーノ・サンマルチノの首を折った事件をきっかけに浮上。初来日は75年9月の全日本プロレスだったが、77年1月から新日本プロレスに参加し、アントニオ猪木の好敵手となる。77年2月8日、東京体育館で猪木からNWF認定ヘビー級王座を初奪取。猪木に奪われるまで2ヶ月間保持。81年12月に新日プロを離脱し、全日本プロレスに電撃移籍するまで5年間で14回にわたって来日し、通算9回、猪木とNWF戦を行っている。81年9月23日、田園コロシアムでアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。「不沈艦」対「大巨人」の大迫力のパワーファイトが展開。アンドレをボディスラムで投げつけた。試合は8分26秒、両者リングアウトで終わったが延長戦が行われ、ラリアットを放ってアンドレを場外に転落させた。最後はアンドレがレフリーにラリアットをしたため、4分22秒、ハンセンの反則勝ちに終わった。82年1月から全日本プロレスに参戦。83年9月、ジャイアント馬場からPWFヘビー級王座を獲得。3度の防衛に成功した。85年9月ごろからAWAに登場。12月29日、ニュージャージー州メドーランズ・アリーナでAWA王者のリック・マーテルに挑戦。27分5秒、逆エビ固めで勝利してAWA世界ヘビー級王座を獲得し、6ヶ月間保持。86年9月、ジャンボ鶴田からインターナショナル王座を奪取。これを機に王座統一(三冠)を目指す。89年4月、ジャンボ鶴田との三冠統一戦に敗れる。90年6月にテリー・ゴディを破り三冠王者となる。7月に王座決定戦で三沢光晴を破り、再び三冠王者となる。91年4月、ダニー・スパイビーと組んで、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス組から世界タッグ選手権を獲得した。92年1月、鶴田から1年ぶりに三冠王座を奪回し、第9代王者に返り咲いた。4月のチャンピオン・カーニバルでは全勝優勝を飾り、三冠王者としての威信を示した。93年からはWWFを離脱したテッド・デビアスと6年ぶりにコンビを結成。同年9月に川田利明田上明組を破って世界タッグ王者となる。チャンピオンカーニバルでは2連覇を達成。94年6月5日の川田との三冠戦は年間最高試合を受賞した。95年3月に川田利明を破り、通算4度目の三冠王座奪取。96年1月には、ゲーリー・オブライトと世界タッグ王座も獲得。98年はベイダーと、99年は田上とコンビを組み、年末の最強タッグ決定リーグ戦を2年連続準優勝。00年ジャイアント・シリーズ中に行われた、新・三冠王者決定トーナメントでは、1回戦で新崎人生と対戦。得意のウエスタン・ラリアットで勝負を決めたが、試合途中から持病の腰痛を悪化。下半身の感覚が無くなっていた。その後、2大会を欠場してまで備えた準決勝では、7月に全日プロに復帰したばかりの天龍源一郎と対戦し、惜しくも敗れる。その後、1月28日の東京ドーム大会までの長期欠場が発表される。11月19日、後楽園ホールのリング上で、全日本プロレス馬場元子社長より引退表明がアナウンスされ、01年1月28日の東京ドーム大会で引退セレモニーが行われた。引退後はPWF会長に就任。たびたび全日本プロレスに来日した。

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