ダークロHP / レスラーノート

ジョニー・ロッズ
JOHNNY RODZ


本名:ジョン・ロドリゲス
1938年3月16日
ニューヨーク・ブルックリン出身(プエルトリコ出身説あり)
181cm 110kg
タイトル歴:カナディアン・インターナショナル・ヘビー WWC世界タッグ

68年にデビュー。(64年説、58年説あり)WWFの前座要員として活躍。74年4月1日、マディソン・スクエア・ガーデンでジャンボ鶴田と対戦。11分56秒、ダブルアームスープレックスに敗れた。5月に全日本プロレスに来日。5月25日、世田谷区立総合体育館大会でジャンボ鶴田と対戦。30分時間切れ引き分け。帰国後はロス地区に進出。ジャバ・ルークという、シーク系のキャラに変身。その後は東部に戻りインディ団体を転戦。78年1月に全日本プロレスに2度目の来日。79年1月22日、マディソン・スクエア・ガーデンで藤波のWWFジュニア王座に挑戦した。80年2月11日、モントリオールでジャバ・ルークとしてカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を獲得。81年2月16日、WWFのマジソンスクエアガーデン大会で海外修行中の谷津と対戦。ニードロップをかわされて、11分12秒、回転エビ固めに敗れた。プエルトリコではスーパー・メディコ2号として活躍。83年9月10日、スーパー・メディコ1号と組んでWWC世界タッグ王座を獲得。80年代後半ごろからセミリタイア。92年、NOWに来日。引退後はブルックリンでレスリング、ボクシング、キックボクシングのスクール「グリーセン・ジム」を運営。ジムではS・D・ジョーンズバル・プーチオタズトミー・ドリーマーヴィトー、ディーボーン・ダッドリーらを育てた。96年にWWFの殿堂入り。07年3月1日、TNAの放送でビデオに登場し、ジムでLAX(ホミサイド、ヘルナンデス)に襲われる。LAXとディーボーン・ダッドリーが抗争中だったため、見せしめとなった形だった。3月11日、PPV「ディスティネーションX」でのLAX対チーム3Dとの対戦で乱入し、ディーボーンを助けたが試合には敗れた。3月15日の放送でもチーム3Dと共にLAXと対戦したが敗れた。

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