レスラーノート

ジョー・マレンコ

JOE MALENKO

1956年6月4日
ニュージャージー出身(Gスピリッツ No.18 での本人のインタビューより)。
180cm 104kg

タイトル歴
世界ジュニア(全日本プロレス)
得意技
ノーザンライトスープレックス

ラフファイトで活躍したチェーンマッチの鬼、グレート・マレンコの長男。弟ディーンと共に父から英才教育を受ける。11歳までニュージャージーに住み、父の仕事の関係で各地を転々としてフロリダ州に定住。15歳でカール・ゴッチ道場に入る。78年、メキシコのUWAでカール・ゴッチ・ジュニアの名でデビュー。以後、本業の薬剤師と平行してレスラーの道を歩む。 85年5月、旧UWFにジョー・ソルコフの名で初来日。 88年2月より全日本プロレスに登場。ディーンとマレンコブラザーズを結成し、流れるようなグランドテクニックで活躍。柔軟な体を生かして、多彩な技を披露した。 89年1月20日、福岡国際センター大会での世界ジュニア王座に挑戦。15分22秒、ノーザンライト・スープレックスホールドで破り第4代世界ジュニア王座を獲得。1月25日、大阪府立体育会館大会での初防衛戦でマイティ井上に敗れて王座転落。7月1日、大宮市民体育館大会で百田光雄を破り世界ジュニア王座2度目の獲得。ディーン・マレンコ、渕を相手に2度の防衛に成功。10月11日、横浜文化体育館大会で小橋健太と組んでダニー・クロファット、ダグ・ファーナス組のアジアタッグ王座に挑戦。23分20秒、クロファットのジャックナイフ式エビ固めにジョーがフォール負け。10月20日、愛知県体育館大会で渕に敗れて世界ジュニア王座から転落。 91年8月17日、後楽園ホール大会で渕の世界ジュニア王座に挑戦。20分15秒、人間風車固めにフォール負け。 92年10月4日、藤原組の東京ドーム大会に出場し、ガルダバ・ゲオルと対戦。8分2秒、逆蛇固めで勝利した。 93年6月1日、藤原組の後楽園ホール大会のメインで藤原喜明と対戦。見応えのあるグラウンドの攻防を続け、21分32秒、脇固めに敗れた。 95年2月、ディーンと共に新日本プロレスに登場。7月12日、UWFインターの静岡産業館大会のメインで田村潔司と対戦。グラウンドテクニックで本領を発揮したが、18分14秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。12月13日、無我の博多スターレーン大会で藤波辰爾と対戦。ゴッチの弟子同士の対戦となり、ドラゴンスクリューなどで健闘したが、11分55秒、バックドロップからのドラゴンスリーパーに敗れた。 96年10月5日、大宮スケートセンター大会で藤波と対戦。9分21秒、首決めエビ固めに敗れた。10月7日、無我のEBiS303大会でビリー・ライレー・ジムのシェーン・リグビーと対戦。卍固めとチキンウイングアームロックを複合させた技を披露するなど圧倒したが、6分43秒、レッグスプレッドに逆転のギブアップ負け。引退後は薬剤師、不動産業などを営む。カール・ゴッチには晩年まで師事し、友人の少ないゴッチと親交を続けた。ゴッチの最期には病院で付き添っていた。 10年11月、全日本プロレスに久しぶりに来日。世界最強タッグ決定リーグ戦に西村修と組んで参戦。11月23日付けでフロリダ州ヒルズボロカウンティの保安官に就任した。タッグリーグ戦では2勝5敗1引き分けでリーグ戦に敗退した。12月7日、仙台サンプラザ大会で西村と対戦。10分24秒、回転式足折り固めにフォール負け。