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将軍KYワカマツ

本名:若松市政
1942年1月1日
北海道函館市出身
181cm 105kg

中学卒業後、電気技師の資格を取得し、電設会社に就職。その後、港湾荷役労働者となる。72年1月1日、30歳にして国際プロレスに入社。配属は資材部。運転手としてリングを運送した。73年9月29日、大位山勝三を相手にレスラーとしてデビュー。前座のレフリーをしながら、雑務をこなし、欠場者が出てカードに穴があけばレスラーとなる活動だった。74年9月から眉毛を剃って口髭をたくわえるようになる。その後、海外修行が決定し、80年7月20日、芦別市青年センター大会で壮行試合を行い菅原に勝利。しかし、興業に苦戦する国際プロレスのために海外遠征を延期して営業マンとして奔走。81年8月9日の試合を最後に国際プロレスが崩壊してしまった。都内で東京電力の仕事をして渡航費用を稼ぐ。その後、自費でカナダに渡航。カルガリーの先輩、大剛鶴見五郎を頼っての渡航だった。一度は帰国するが、再度カルガリーに渡航。バッドニュース・アレンヒロ斉藤などの悪徳マネージャーとして活動する。ミスター・ヒトの自宅に高野俊二と共に滞在していた。帰国後の84年8月、新日本プロレスでストロングマシンのマネージャーとして登場。右手にムチ、左手にハンドメガホン、山高帽のコスチュームで試合を盛り上げた。「俺はKYワカマツだ」というレコードが発売された。86年5月1日、両国国技館大会でアンドレ・ザ・ジャイアントと組んでアントニオ猪木上田馬之助組と対戦。新日本プロレスで初めての試合出場となった。8分37秒、猪木の延髄斬りにワカマツが敗れた。その後、新団体のSWS設立の準備を始める。SWS社長の田中八郎とは、以前から一緒にUWFを観戦していたつきあいだった。89年8月25日、カルガリーに渡航。マネージャーとして活動しつつ、ミスター・ヒトにSWS設立について協力を要請。その後、テキサスのUSWAでマネージャーとして活躍。その後、WCWの本拠地のアトランタに移動してケンドー・ナガサキと合流。ナガサキと共にいた武藤敬司をSWSに勧誘した。その後、フィラデルフィアとロングアイランドでWWFを視察。その後、ドイツのCWAトーナメントを視察。11月13日に帰国。90年、ケンドー・ナガサキと共にSWS旗揚げの中心人物となる。「道場・檄」の道場主となる。10月18日、横浜アリーナでの旗揚げ戦で新倉史裕と対戦。7分48秒、KYスペシャルで勝利。勝利したものの、試合後は顔面を大きく腫らせた痛々しい姿となった。SWS崩壊後はPWCに登場。93年10月22日、PWCの平和島大会で宇宙パワーX(鶴見五郎)を引き連れて登場。以後、宇宙パワー軍団を率いて高野拳磁と抗争を続けた。94年、北海道で道場「元気」を設立。テレビ番組「リングの魂」では、剛竜馬アニマル浜口と共に「バカ」対「気合」対「宇宙」として、マッサージなどで対決。その後「どさんこプロレス」を設立。99年4月、北海道芦別市議会議員に当選。08年5月12日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」にマシン6号のマネージャーとして出場。12年7月27日、松ノ木中学校での森谷俊之追悼大会に登場。矢口壹琅、死神と組んで増田、長瀬館長、山本SAN組と対戦。ワカマツの塩攻撃で反則負け。試合後に追悼のマイクパフォーマンスを行った。 15年9月27日、アジアンプロレスの外ヶ浜町中央公民館大会で谷津、スペル・ハジメと組んで畠中、gosaku、ミモザ組と対戦。谷津が監獄固めでミモザに勝利した。 16年6月26日、主宰する「どさんこプロレス」が北海道・芦別市青年センター体育館で約8年ぶりの大会を開催した。
将軍KYワカマツというのは、カナダにKYという悪いジェネラル(将軍の意)がいたらしくて、そこからスチュ・ハートの息子が名前を付けてくれたんですね。
(Gスピリッツ Vol.25 若松のインタビューより)
「僕は国際があそこまでもったのは、3分の1は市さんのおかげだと思いますよ。あの人の努力がなかったら、国際プロレスは続いていなかったです。本当に1人で何役やったか。ホテルに泊まらずにトラックの後ろにベッドを作って寝て、リングを作って、座席も作って、試合にも出たいから練習もしていて。何事も一生懸命やっていて、本当に頭が下がりましたね。90年にSWSの旗揚げ戦をウチで放送することになった時に、市さんと久々に再会したんですよ。SWSの取締役になっていて、“あれっ、市さん偉くなっちゃったね!”って(笑)」
(Gスピリッツ Vol.26 田中元和(元「東京12チャンネル」のプロデューサー)のインタビューより)
― ワカマツさんというマネージャーの存在は大きかったですか?
マシン 猪木さんとの試合でも、ワカマツさんがいるのといないのとでは、間の取り方がすごく変わってくるわけですよね。ワカマツさんがいなかったら猪木さんにバーッと攻められて外にエスケープしたときに、俺はどうすればいいのかわからない。客に向かって怒りを表現するくらい。それが、ワカマツさんのところへ行って2人でくっついてると、ワカマツさんがよからぬことを耳打ちしてるように見える。その間、休めるんです。ダメージが回復したころを見計らって反撃。そうやって使えるんです。マネジャーがマネジメントするんじゃなくてレスラーが勝手にマネジャーを使って自分の試合の流れをつくっていく。ワカマツさんって実際にあれこれアドバイスするタイプじゃなくて、外でギャアギャア騒ぐだけの人。そういう点では、いてくれてすごくやりやすかったです。
(週刊プロレス No.1697より)

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