ダークロHP / レスラーノート

ジャンボ鶴田

本名:鶴田友美
1951年3月25日
山梨県東山梨郡牧丘町出身
196cm 127kg 血液型O型
タイトル歴:三冠ヘビー AWA世界ヘビー インターヘビー UNヘビー インタータッグ PWF世界タッグ 世界タッグ
得意技:バックドロップ ジャンピングニー

ブドウ園農家の次男に生まれる。66年、日川高校に入学しバスケット部に入部。全国高校選手権大会に優勝。3年生の時には山梨県内の相撲大会にも出場し、3位に入賞。 70年、中央大学法学部法律学科に進学。バスケットボールのオリンピック強化選手に選ばれた。日本チームがオリンピックを予選落ちすると、自衛隊体育学校に通いレスリングを習得。大学時代の71、72年にアマレス全日本選手権を2連覇。大学4年の時にミュンヘンオリンピックにグレコローマン100キロ以上級日本代表として出場。結果は2回戦敗退7位。 72年10月31日、東京・赤坂プリンスホテルにて全日本プロレスへの入団を発表。会見では「全日本プロレスに就職します」という名言を残した。 73年3月22日、テキサス州アマリロのファンク道場に遠征。ドリー・ファンク・シニアに指導を受ける。3月23日、アマリロのTVスタジオでエル・タピア戦でデビュー。デビュー戦で勝利した。5月20日、ニューメキシコ州アルバカーキでデビュー2ヶ月にしてドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦。10月1日、6ヶ月間、約150戦を消化して帰国。10月6日、後楽園ホールでムース・モロウスキーを相手に国内デビュー。ダブルアームスープレックスを決めて勝利。 10月9日、ジャイアント馬場と組んでドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクのインターナショナル・タッグ王座に挑戦。
1本目 鶴田(ジャーマン・スープレックス・ホールド23分57秒)テリー
2本目 テリー(ローリング・クラッチ・ホールド17分24秒)鶴田
3本目 時間切れ引き分け
10月27日、ファン公募によりリングネームがジャンボ鶴田に決定。74年春、エキサイトシリーズとチャンピオンカーニバルの間の期間に北米遠征。ハードスケジュールをこなす。

3月23日(オレゴン州ポートランド)ダッチ・サベージ戦(勝ち)
25日(バンクーバー)ミスターX(ガイ・ミッチェル)、ボブ・ラムステッド戦(勝ち)パートナーはレオ・マドリル
26日(バンクーバー)フランク・ジム・ブッチャー戦(勝ち)テレビマッチ。
27日(テキサス州ラボック)カンフー・リー(グレート小鹿)、ザ・ビースト戦(勝ち)パートナーはリッキー・ロメロ
28日(アマリロ)カンフー・リー、ジム・デュラン戦(勝ち)パートナーはディック・マードック
29日(アトランタ)ボビー・ダンカン戦(勝ち)
30日(アトランタ)ジム・ガービン戦(勝ち)
30日(アトランタ)ロン・ガービン戦(勝ち)テレビマッチ。2試合収録。
4月1日(ニューヨークMSG。WWFの中心地)ジョニー・ロッズ戦(勝ち)
2日(タンパ)ダニー・ホッジ戦(引き分け)
3日(ジョージア州コロンバス)ボビー・ダンカン戦(勝ち)
4日(グリーンズボロ)ネルソン・ロイヤル戦(引き分け)
5日(セントルイス、キール・オーデトリアム。NWAの中心地)ビル・ハワード戦(勝ち)
15000ドル争奪バトルロイヤルにも参加。
6日昼(アマリロ)ボブ・バックランド戦(勝ち)テレビマッチ。
6日夜(テキサス州ハッフォード)キラー・カール・コックス、ザ・ビースト戦(勝ち)パートナーはジェリー・コザック
7日(アルバカーキ)キラー・カール・コックス戦(勝ち)ジャーマンでピンフォール。

75年2月5日、テキサス州サンアントニオで馬場と組んでファンクスからインターナショナル・タッグ王座を獲得。 76年3月10日、「ジャンボ鶴田・試練の十番勝負」がスタート。8月28日、ジャック・ブリスコを破りUNヘビー級王座を獲得。12月9日、馬場と組んで大木キム・ドク組に勝利しインター・タッグ王座の奪還に成功。 77年3月23日、フロリダ州マイマミビーチでビル・ロビンソンのUNヘビー級王座に挑戦し勝利。UN王座2度目の獲得となった。11月7日、韓国のソウル市文化体育館で大木、キム・ドク組に敗れ、インター・タッグ王座から転落。 78年1月20日、帯広市総合体育館大会でハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。1本目は28分9秒、ブレーンバスターに敗れた。2本目は16分30秒、首固めでフォール勝ち。3本目は時間切れ引き分け。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。5月11日、大阪府立体育会館で馬場と組んで大木、キム・ドク組を破りインター・タッグ王座を奪回。11月3日から始まった国際プロレスの日本リーグ争覇戦に参戦(予選シードとなり決勝トーナメントからの参戦)。11月25日、蔵前国技館大会でのトーナメント1回戦でマイティ井上と対戦。16分38秒、回転エビ固めでフォール勝ち。11月28日、鶴岡市体育館大会での準決勝でプロフェッサー・タナカと対戦。タナカの凶器を奪って反撃し、反則負け。12月の世界最強タッグ決定リーグ戦では馬場と組んで優勝。78年度のプロレス大賞で馬場と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 79年2月14日、ハワイ・ホノルルでニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に挑戦。1本目は31分28秒、足4の字固めに敗れた。2本目は17分52秒、コブラツイストで勝利。勝負をかけた3本目は4分55秒、コブラツイストを決めたが、ニックがレフリーを暴行したため反則勝ち。規定により王座奪取に失敗した。8月26日、東京スポーツ新聞社創立20周年記念「夢のオールスター戦」が日本武道館で行われ、藤波辰巳ミル・マスカラスと夢のトリオを結成。マサ斎藤、タイガー戸口、高千穂明久組を破る。10月、馬場と組んでブッチャーレイ・キャンディ組を破り、インター・タッグ王座を獲得。 80年5月、第8回チャンピオン・カーニバルでディック・スレーターを破り優勝。12月の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝。80年度のプロレス大賞で馬場と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 82年度のプロレス大賞で馬場と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 83年6月8日、蔵前国技館でNWA世界王者のリック・フレアーに60分3本勝負で挑戦。29分39秒、バックドロップで1本目を勝利。2本目は時間切れ引き分けに終わり、NWAルールによりタイトル獲得に失敗した。6月18日、テキサス州ダラス・リユニオン・アリーナでテッド・デビアスを破り、UN王座の6度目の防衛に成功。試合後、復活したインター・ヘビー級王座奪取に専念するためUN王座を返上した。8月31日、蔵前国技館でブルーザー・ブロディにリングアウト勝ちしてインター・ヘビー級王座を獲得。83年度のプロレス大賞でMVPを受賞。さらに天龍と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 84年2月23日、AWA、インター・ヘビーのダブル選手権試合でニック・ボックウィンクルを32分の激闘の末に破り、第33代AWA世界ヘビー級王者となる。
AWA世界ヘビー級王座防衛戦全試合結果
84年2月26日 大阪府立体育会館
ニック・ボックウィンクル(両者リングアウト28分9秒)
3月4日 イリノイ州シカゴ・ローズモント・ホライゾン
ブラックジャック・ランザ(フライング・ボディシザース・ドロップからの体固め14分32秒)
3月11日 ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウンカウンティ・アリーナ
ビル・ロビンソン(逆さ押さえ込み19分47秒)
3月15日 ユタ州ソルトレイクシティ・ソルトパレス
ジム・ブランゼル(体固め15分59秒)
3月24日 蔵前国技館
ニック・ボックウィンクル(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし22分5秒)
4月19日 郡山市総合体育館
グレッグ・ガニア(体固め23分27秒)
4月26日 大宮スケートセンター
ジム・ブランゼル(パイルドライバーをリバーススープレックスに切り返しての体固め14分40秒)
4月28日 カリフォルニア州サンフランシスコ・カウパレス
ニック・ボックウィンクル(両者リングアウト18分12秒)
4月29日 イリノイ州シカゴ・ローズモント・ホライゾン
ニック・ボックウィンクル(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし10分52秒)
5月2日 ミネソタ州ローチェスター・メイヨ・シビック・オーデトリアム
バロン・フォン・ラシク(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし16分13秒)
5月4日 コロラド州デンバー・ミュニシパル・オーデトリアム
ニック・ボックウィンクル(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし15分1秒)
5月5日 イリノイ州ロックフォード・ハイスクール
ビル・ロビンソン(体固め25分10秒)
5月6日 ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティ・アリーナ
ニック・ボックウィンクル(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし21分37秒)
5月7日 オンタリオ州ケベック・ポール・サウベ・アリーナ
ニック・ボックウィンクル(鶴田の反則勝ち。17分2秒)
5月10日 ユタ州ソルトレイクシティ・ソルトパレス
グレッグ・ガニア(鶴田の反則負け。反則により王座の移動なし15分13秒)
5月11日 ウィスコンシン州ミルウォーキー・ミュニシパル・オーデトリアム
ブラックジャック・マリガン(リングアウト13分15秒)16度目の防衛に成功。
王座陥落 5月13日 ミネソタ州セントポール・シビックセンター
リック・マーテル(マーテルの勝利。フライングボディアタックからの片エビ固め22分24秒)

9月3日、天龍と組んでブロディ、クラッシャー・ブラックウェル組を破りインター・タッグ王座を獲得。9月23日、元日本航空ステュワーデスの荒牧保子さんと結婚。12月の世界最強タッグ決定リーグ戦で天龍と組んで優勝。84年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 85年11月4日、大阪城ホールでのジャパンプロレス主催シリーズ第3戦で長州と両者リングアウトなしの完全決着ルールで初のシングル対決。60分時間切れ引き分けとなった。85年度のプロレス大賞で天龍と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 86年10月21日、ハンセンを破りインター王座を獲得。12月の世界最強タッグ決定リーグ戦で天龍と組んで優勝。 87年7月3日、後楽園ホールでタイガーマスクと組んで、ハンセン、テッド・デビアス組を破り、PWFタッグ王座を獲得。7月11日にハンセン、デビアス組に敗れてPWFタッグ王座から転落。8月31日、日本武道館大会で天龍と4年4ヶ月ぶりにシングル戦。21分35秒、ロープ越しのラリアットをくらってリングアウト負け。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。12月の世界最強タッグ決定リーグ戦で谷津と組んで優勝。 88年4月、ブロディを破りインター王座を獲得。6月谷津と組んで、天龍、阿修羅原を破りPWF世界タッグ王座を獲得。6月10日、日本武道館でインター・タッグ王者ロードウォリアーズと2冠統一戦を行ない、これに勝利することで初代世界タッグ王者となった。 89年2月2日、カンザス州カンザスシティ・メモリアルホールで谷津と組んでハンセン、テリー・ゴディ組を破り、第7代世界タッグ王者となる。4月18日、大田区体育館で三冠統一戦を行ない、ハンセンを破ってインターナショナル・PWF・UNヘビー級選手権者となる。初の三冠王者となり、この時点で世界タッグも保有していたので、五冠王に輝く。6月5日、日本武道館大会で天龍を相手に防衛戦。24分5秒、パワーボムに敗れて三冠王座から転落。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。10月11日、天龍を破り第3代三冠王者となる。 90年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会に谷津とのコンビで出場。木村健悟木戸修組を破る。4月13日、東京ドームでの「日米レスリング・サミット」でキング・ハクと組み、リック・マーテル、カート・ヘニング組に勝利。4月19日に天龍を破り、三冠王座の2度目の防衛に成功。この試合を最後に天龍は全日本プロレスを離脱した。天龍との対戦成績は鶴田の4勝3敗2引分け。天龍離脱後は全日本プロレスの完全無欠のエースとして君臨。6月8日、選手大量離脱後の日本武道館大会で三沢光晴と対戦。明らかに格下と思われていた三沢に大苦戦。三沢のバックドロップを押しつぶしたが、体を一転させて切り返され、片エビ固めにフォール負け。7月、グレート・カブキと組んでゴディ、ウイリアムス組を破り、世界タッグ王者となるが、7月30日にカブキが全日本プロレスを退団して王座は返上となる。9月1日、日本武道館大会で三沢と対戦。バックドロップで勝利。 91年1月、ハンセンを破り、第8代三冠王者となる。4月、9年ぶりに復活したチャンピオン・カーニバルで優勝。91年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 92年2月27日、鶴田軍VS超世代軍の全面対抗戦が行なわれ、鶴田はメインで小橋健太と対戦。21分39秒、バックドロップからの体固めで勝利した。3月、田上と組んでゴディ、ウイリアムス組を破り、世界タッグ王座を獲得。11月13日、B型肝炎であることを発表し、長期欠場。 93年6月20日、7ヶ月間に渡って入院していた東京・昭和医大を退院。10月23日、日本武道館で367日ぶりの復帰。馬場、ラッシャー木村と組んで、永源泉田組と対戦し勝利。復帰後は、完全に第一戦から退いた。 94年10月、筑波大学院修士課程体育研究科コーチ学の社会人特別選抜枠として受験し、見事に合格。翌年から晴れて史上初の大学院生レスラーに。 95年4月6日、茨城・筑波大学院に入学。修士課程体育研究科に籍を置き、週2回の講義を受けることに。8月4日、筑波大学で全日本女子柔道チームの臨時コーチを務めた。メンバーの中には田村亮子も参加。9月30日、後楽園ホールで行なわれた「ジャイアント馬場デビュー35周年記念試合」で馬場、ドリー・ファンク・ジュニアと組んで秋山大森本田組に勝利。 96年4月、慶應大学、桐蔭横浜大学にて講師に就任。 97年2月10日、日本スポーツ産業学会に参加。スポーツのプロ化とメディア・バリューと題したレクチャーを行なう。3月15日、筑波大学院を卒業。4月から新たに中央大学の講師にも就任。 98年9月11日、日本武道館で馬場、ラッシャー木村と組んで渕、永源、菊地組と対戦。これが現役生活最後の試合となる。 99年2月20日、永田町のキャピトル東急ホテル「銀の間」にて引退記者会見を開く。並びに全日本プロレスの取締役辞任を発表。3月6日、日本武道館で引退セレモニーを行なう。3月10日、アメリカ・オレゴン州立ポートランド大学に教授として渡米。 00年5月13日、フィリピン・マニラにある国立腎臓研究所にて、肝臓移植手術中にショック症状を起こし大量出血により死去。享年49。


「ジャンボ鶴田ほどファンタスティックなレスラーはいなかったな。体も大きいし、テクニックも素晴らしかった。さらにタフでもあり、ハートもあった。レスラーとしてのすべてを兼ね備えていた男だった。彼と対戦したレスラーならわかると思うが、こちらが攻撃してもどれだけ効いているのかわかりづらい。怪物と言われていたが、まさにそのとおりだった。ツルタの本当の強さは闘った者でないとわからないかもしれないが」(週刊プロレスNo.1567 タイガー・ジェット・シンのレスラー評より)
ジャンボ鶴田試練の十番勝負(76〜79年)全戦60分3本勝負
成績:4勝2敗4引き分け

第1戦 76年3月10日 日大講堂
バーン・ガニア
○ガニア(裸絞め19分12秒)鶴田●(スリーパーホールドから)
○鶴田(原爆固め 9分54秒)ガニア●
△鶴田(両者ノックアウト 13分51秒)ガニア△(バックドロップをねらったガニアがバランスを崩した結果)

第2戦 76年3月28日 蔵前国技館(全日本プロレスと国際プロレスの全面対抗戦の第8試合)
76年度プロレス大賞ベストバウト受賞
ラッシャー木村
○ 木村(片エビ固め 13分27秒) 鶴田●(ブレーンバスターから)
○ 鶴田(体固め 6分34秒) 木村●(ダブルアームスープレックスから)
△ 鶴田(両者フォール 4分53秒)木村 △(鶴田のジャーマンが崩れ、両者フォール)

第3戦 76年6月11日 蔵前国技館
テリー・ファンク (NWA世界選手権。テリー・ファンクがNWA世界王者として日本で行なった唯一の防衛戦)
○ 鶴田(回転エビ固め 15分50秒) テリー ●
○ テリー(回転股裂き固め 6分5秒) 鶴田 ●(ゆり椅子固め)
○ テリー(片エビ固め 5分12秒)鶴田 ●(鶴田のフライングボディシザースをロープに打ちつけて片エビ固め)

第4戦 76年7月17日 北九州市三萩野体育館
ビル・ロビンソン
○ ロビンソン(欧州式足折りエビ固め 29分5秒) 鶴田●
○ 鶴田(回転エビ固め 21分52秒)ロビンソン●
△ 鶴田(時間切れ引き分け)ロビンソン△
10分延長
△ 鶴田(時間切れ引き分け)ロビンソン△
前年12月に猪木はロビンソンに引き分けている。
このシリースで馬場はロビンソンに2−1で勝利。

第5戦 76年9月9日 大阪府立体育会館
ボボ・ブラジル
○ ブラジル(体固め 11分15秒) 鶴田 ●(ココバットから)
□ 鶴田(リングアウト 5分15秒)ブラジル ■
○ 鶴田(片エビ固め 2分57秒) ブラジル ●(ジャンピングニーパットから)

第6戦 76年10月22日 愛知県体育館
アブドーラ・ザ・ブッチャー
○ ブッチャー (体固め 5分55秒)鶴田 ●(毒針エルボーから)
○ 鶴田 (片エビ固め 3分49秒)ブッチャー ●(ジャンピングニーパットから)
◇ 鶴田 (反則勝ち 3分45秒)ブッチャー ◆

第7戦 76年12月3日 川崎市体育館
クリス・テイラー(ミュンヘン・オリンピックの日米代表の対決)
○ 鶴田(体固め 11分20秒)ブッチャー ●(トップロープからのミサイルキックから)
○ ティラー(体固め 3分7秒)鶴田 ●(ボディープレスから)
□ 鶴田 (リングアウト 3分26秒)テイラー ■

第8戦 77年6月11日 世田谷区体育館
ハーリー・レイス (NWA世界選手権)
76年度プロレス大賞ベストバウト受賞
○ 鶴田 (片エビ固め 8分26秒)レイス ●(ダブルアームスープレックスから)
○ レイス(足固め 8分8秒)鶴田 ●(インディアンデスロック)
○ レイス(首固め 5分24秒)鶴田 ●

第9戦 77年7月28日 品川スポーツセンター
大木金太郎 (UN、アジア両ヘビー級選手権)
○ 鶴田(体固め 8分35秒)大木 ●(ダブルアームスープレックスから)
○ 大木(体固め 8分8秒)鶴田 ●(頭突きから)
▲ 鶴田(両者リングアウト 8分39秒)大木▲
 
最終戦 79年1月5日 川崎市体育館
フリッツ・フォン・エリック
○ エリック(体固め 5分53秒)鶴田 ●(アイアンクローから)
○ 鶴田(反則勝ち 3分27秒)エリック ●
○ 鶴田(片エビ固め 1分5秒)エリック ●(ドロップキック、ボディプレスから)
川田 鶴田さんに向かっていったことだけは覚えてる。とにかくリングの上であれだけ余裕がある人は珍しいですよ。身体能力は外国人レスラーよりもすごい。体がデカくて、瞬発力があって、スタミナもある。このすべてを兼ね備えているところがすごいんですよ。筋肉隆々の外国人レスラーは、だいたい最初の5分ぐらいは元気なんだけど、そのあと肩で息をし始める。鶴田さんはそれがなかったから。
―― そういう鶴田さんと闘っている最中というのは、どういう感覚なんですか。
川田 そんなの考えたことない。いっぱいいっぱいだから。
―― 同じ大型レスラーでも、たとえばスタン・ハンセンとは違う?
川田 違うね。ハンセンの場合はぶつかってくる大きさがある。鶴田さんはぶつかっても、からんでも、何をしても通用する大きさというか。
―― 自分の技が効いている、という感触は持てましたか。
川田 感触が持てたときは、あの人が本当に怒ったときだから。
―― そういう状況までいかないうちは、あまり効いてないということ?
川田 そうそう。リング上でカッとなってる姿はほとんど見たことがないですよ。パフォーマンス上の怒りしか見たことないんで。
(中略)
―― でも、イキのいい超世代軍が鶴田軍にぶつかっていく試合は、全日本の看板カードになりましたよね。それこそ毎日のように闘うことでファンの支持を集めていきました。
川田 毎日やるのがイヤだったもん。口には出さなかったけど。
―― えっ!それは意外な・・・。
川田 何をやっても通用しないんだからさ。
(中略)
―― 対ジャンボ鶴田ということについて、やるべきことはやった、やり尽くしたという実感はありますか。
川田 やり尽くすというのは、途中があるということでしょ?その途中までも行ってない。入門したときも雲の上の人。闘っているときも別の意味で雲の上の人。そのまま終わっちゃったよね。
(週刊プロレス No.1526 川田のインタビューより)
驚愕のジャンボ鶴田
(スポーツ報知【ヒロ斉藤40周年ヒストリー】(18) 2019年10月18日12:06配信より)
全日本マットでは様々な選手と対戦した。
 「(ジャンボ)鶴田さん、天龍(源一郎)さん、(ハル)薗田さん、ロッキー(羽田)さんとかとやったのを覚えています。みんないい選手でした。ただ、この人はスゴイなと思ったのは、正直言って鶴田さんです。何をやっても掌の上に乗っけられているような感じでした。うまく言えないんですし、こういう言い方をすると変なんですけど、やってて楽なんです。鶴田さんとやる時は、自分は一生懸命やっているんですけど何か遊んでもらっている感じなんですね。あんな感じでやったのは、鶴田さんだけでした。あの人はスゴかったですね」

 グーグル検索 レスラーノート検索

ダークロHP