レスラーノート

ジプシー・ジョー

GYPSY JOE

本名:ヒルベルト・メレンデス
1933年12月2日
プエルトリコ・オロコビス出身
176cm 110kg

通称
放浪の殺し屋
タイトル歴
GWAヘビー
ウエストバージニア・ヘビー
得意技
フライング・ニードロップ

5歳で家族とニューヨークに移住。ペドロ・モラレスやバーバー・ロハのトレーニングを受け、63年にニューヨーク近郊ロングアイランドでペペ・フィゲロアの名で、ルー・アルバーノを相手にデビュー。その後、テネシー、カンサス、オクラホマ、カナダのニューブランズウィック、モントリオール、プエルトリコ等、各地を転戦。ウエストバージニア州ではジーン・マドリッドの名で、「兄弟」のジャン・マドリッドと共に活躍。72年1月から8月にかけてウエストバージニア・ヘビー級王座を3度獲得。74年にはジプシー・ジョーの原型となるアステカ・ジョーに変身して活躍。カナダのモントリオールでプロモーターのマッドドッグ・バションのアイデアでジプシー・ジョーと改名。以後、モントリオールでマッドドッグ・バションと抗争を展開。75年1月、モントリオールでGWAヘビー級王座を獲得。9月、国際プロレスに初来日。長く国際プロレスで金網最上段からのニードロップを武器にラフファイトで活躍。 81年8月から全日本プロレスに登場。9月4日、大阪府立体育館大会でジャンボ鶴田のUN王座に3本勝負で挑戦。1本目は11分10秒、リングアウト負け。2本目は5分27秒、フライングニードロップで勝利。3本目はニードロップを狙ってトップロープに上ったところをデッドリードライブで返され、カナディアン・バックブリーカーで揺さぶられ、最後は5分15秒、逆エビ固めに敗れた。 83年7月19日、全日本プロレスの大阪府立体育会館大会でジェリー・モローと組んでマイティ井上阿修羅原組のアジアタッグ王座に挑戦。18分20秒、井上のジャーマンスープレックスにモローが敗れた。 91年7月9日、テネシー州ナッシュビルのバーで腹部を銃撃されて重傷を負うが1週間で退院し、マットに復帰。8月7日、後楽園ホールでのW★INGの旗揚げ戦に来日し、戸井勝と対戦。13分11秒、セカンドロープからのニードロップで勝利。10分以上が場外戦だった。9月9日、W★INGのJCTV・Aスタジオ大会で金村と対戦。5分20秒、ダイビングニードロップで勝利。 一度引退したが、02年にIWAジャパンに来日。その後も現役を続けた。9月25日、むつ市民体育館大会でドクター・デスと組んで高智政光、ウルトラセブン組と対戦。9分12秒、デスがレフリーを暴行して反則負け。9月26日、岩沼市民体育センター大会でドクター・デスと組んでウルトラセブン、グレート・タケル組と対戦。10分3秒、デスがタケルのマスクを剥いで反則負け。10月1日、国立代々木競技場・第2体育館大会でドクター・デスと組んで高杉正彦、アポロ菅原組と対戦。8分22秒、高杉のX固めにデスが敗れた。11月26日、IWAジャパンの福島市国体記念体育館大会で一宮章一と組んでウルトラセブン、ゴージャス松野組と対戦。11分50秒、無効試合。11月29日、IWAジャパンのバトルスフィア東京大会で三宅綾と組んでウルトラセブン、ゴージャス松野組と対戦。9分55秒、三宅がテキサスクローバー・ホールドで松野に勝利。11月30日、IWAジャパンの水戸市民体育館大会で平野勝美と組んでゴージャス松野、ウルトラセブン組と対戦。11分37秒、ジョーが逆片エビ固めで松野に勝利。12月1日、IWAジャパンの後楽園ホール大会で平野勝美と組んでウルトラセブン、ケン片谷組と対戦。11分51秒、ウルトラセブンのグラウンド卍固めにジョーが敗れた。 03年1月12日、IWAジャパンの後楽園ホール大会でウルトラセブンと組んで平野勝美、魔餓鬼組と対戦。7分50秒、ウルトラセブンがグラウンド・コブラツイストで魔餓鬼に勝利。1月19日、UNWの北沢タウンホール大会でセッド・ジニアスのリアルワールドヘビー級に挑戦。5分18秒、トーキョートム軍団の乱入により無効試合。ジニアスと組んでスーパートーキョートム1号、スーパートーキョートム2号組とイリミネーションタッグマッチ。1分13秒、ジョーがフライングニードロップで2号に勝利。9分47秒、ジニアスがバックドロップで1号に勝利。 07年4月12日にはIWAイースト・コーストのチャールストン大会でNOSAWA論外とシングルで対戦。イスへのDDTに敗れた。 10年12月11日、SMASHの新宿FACE大会でTAJIRIと対戦。イス攻撃を耐えきるなど頑丈ぶりをアピールしたが、9分19秒、グリーンミストをくらった直後にスクールボーイにフォール負け。 11年1月、アメリカで引退試合。 13年、通風のため右足を切断。 16年6月15日、死去。