ダークロHP / レスラーノート

柴田勝頼

1979年11月17日
三重県桑名市出身
181cm 96kg  血液型A型
得意技:PK(座りこんだ相手に顔面蹴り)

プロレスラー、レフェリーとして活躍した柴田勝久の息子。桑名工高校時代はアマレスに熱中し、97年全国グレコ選手権に出場。98年3月に新日プロ入門。99年7月21日、札幌でのバトルロイヤルでプレ・デビュー後、同年10月10日、後楽園ホールにおける井上亘戦で正式デビュー。新日プロでは初の二世レスラーとなった。デビュー当初は二ールキック、スリーパーホールドなどを武器に活躍。10月17日に神戸で同期の井上を破って念願の初勝利を挙げた。10月28日、IWGPジュニア王座のケンドー・カシンに挑戦し、3分25秒、チキンウィングフェイスロックに敗れた。02年2月16日、高田道場の総合格闘家、松井大二郎と対戦。アマレス式の吊りタイツで登場し、ジャーマンスープレックスやフロントスリーパーで善戦したが、1分59秒、左右のパンチでダウンし、レフリーストップ負けした。3月6日、猪木杯ヤングライオントーナメントに出場し、1回戦で竹村にブルドッキング・ヘッドロックからの逆エビ固めで勝利。準決勝で鈴木健想と対戦。8分39秒、鈴木のスピアで敗れた。この試合後に「クソッ、あと一歩じゃねぇ!明るい未来?俺が見つけてやるよ!」 とほえた。5月のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場。ブラック・タイガー(8分20秒、ジャーマンスープレックスホールド)、垣原賢人(5分39秒、横入りエビ固め)を破る健闘を見せた。6月より目の治療のため戦線を離れていたが、03年5月25日、魔界倶楽部の一員、魔界4号として1年ぶりに復帰。マスクをかぶらず素顔の柴田のままで出場することもあった。6月29日、K−1ジャパンで中西がTOAに負けた直後にリングに上がり「K−1のKはケンカのKだろ?テメエらの中でオレのケンカを買うヤツはいねえのか」と宣戦布告。7月21日、棚橋のU−30王座に挑戦。棚橋のジャパニーズレッグロールクラッチホールドで敗れた。8月8日の魔界倶楽部1周年記念パーティーで魔界4号のマスクを脱ぎ、柴田勝頼であることを明かした。8月のG1に出場し、永田と同じ得点で2位で予選通過。準決勝進出者決定戦で永田に敗れた。9月14日、名古屋レインボーホール大会で鈴木みのると対戦。6分44秒、逆落としからのスリーパーホールドに敗れた。試合後に張り手を2発づつ打ちあい、がっちりと抱きあってお互いの健闘を称えあった。11月3日、K−1ルールで天田ヒロミと対戦。1Rに柴田はカウンターの右フックでダウンを奪う健闘を見せたが、反撃をくらって2度のダウンを奪われる。2Rには2度のダウンを奪われるが、カウント9で立ち上がる。最後は天田の左ひざをくらって3度目のダウンを奪われ、2R2分8秒、KO負けした。04年5月3日、新日本プロレス東京ドーム大会でK−1の武蔵と異種格闘技戦ルールで対戦。1Rは関節技などで積極的に攻めた柴田だったが、2Rになって武蔵の的確なパンチとキックの連打をくらい続け、2R2分0秒、左ハイキックでKO負けした。7月31日、G1クライマックスのプレイベントに他の選手と共に参加。「抱負は皆殺し。以上!」と、マイクを投げ捨てて退場した。8月のG1ではPK(座りこんだ相手に顔面蹴り)を武器に活躍。予選1位で決勝トーナメントに進出し、決勝トーナメント準決勝で天山と対戦。7分11秒、天山のアナコンダバイスで敗れた。11月3日、3冠王者の川田と対戦。試合はルール無用の打撃戦に発展し、最後は7分6秒、川田の渾身の顔面パンチから後頭部へのニードロップに敗れた。川田は「あんな奴に何か1発やられたと思う自分が悔しい」、「うちの団体にもああいう選手が1人ぐらい欲しいよ。若い奴がね」と絶賛。05年1月31日に新日本プロレスを退団。「7年前に自分があこがれて入った新日本と、今の新日本の間にズレが生じている。現実にやりたいことと食い違いがある。サラリーマンレスラーにはなれません。7年間、本当にお世話になりました」と会見。その後、新日本の元マッチメーカーだった上井の興した団体「ビッグマウス」に所属。8月4日、両国国技館でのビッグマウス主催のWRESTLE−1 GP 2005 開幕戦で秋山準と対戦。9ヶ月ぶりの試合だった。柴田はゴングと同時に殴りかかり顔面キック。顔面から大流血した秋山はケンカファイトで対抗。激しい大ケンカマッチに発展し、最後は13分46秒、垂直落下のリストクラッチエクスプロイダーで敗れた。試合後、柴田は握手ではなく、頭をわしづかみにしてなおも敵意を見せつけ、これに秋山も頭をつかみ返して応えた。8月14日、後楽園ホールでのRIKIPRO1周年記念興行のメインで長州力と対戦。入場中の長州を襲撃し、キックの連打で優位に立つが、計7発ものリキラリアットをくらい9分49秒に敗退した。9月11日、BIG MOUTH LOUD旗揚げ戦のメインイベントで村上和成と対戦。9分44秒、村上のサッカーボールキックに敗れた。その後、船木誠勝の元で総合格闘技の練習を積む。12月29日、後楽園ホールでのビッグマウス・ラウド第2弾興行のメインで、現三冠ヘビー級王者の小島聡と対戦。17分27秒、ラリアット3連発をくらって敗れた。06年3月22日、ビッグマウスランドの後楽園ホール大会で総合格闘家、和術慧舟會A−3代表の門馬秀貴と対戦。12分30秒、バックドロップで勝利した。7月2日、ビッグマウス・ラウドの後楽園ホール大会で佐々木健介と初のシングル戦。16分20秒、ノーザンライトボムで敗れた。8月にビッグマウス・ラウド退団。07年3月1日の記者会見で、3月12日開催の総合格闘技大会「HERO’S」参戦を表明。記者会見では「刀を渡されて毎日研いでいたら使いたくなった。総合の試合をどんどんやっていきたい」と語った。同席した船木誠勝も「可能性は無限大で実力は不明。気持ちが折れないところがいい」と評価した。3月12日、名古屋市総合体育館レインボーホールでの「HERO’S」で山本宜久と対戦。左ミドルで先制されたが、右ストレートを叩きこむと山本が崩れ落ちる。そのまま右フックを連打して、わずか9秒でTKO勝ち。試合後に「格闘技ファンのみなさん、はじめまして柴田です。プロレスファンのみなさんお久しぶりです。自分と船木さん、ここから出発します」とマイクアピールした。7月16日、横浜アリーナでの「HERO’S」で「グレイシー第3世代」のハレック・グレイシーと対戦。パンチで尻餅をつかせる場面もあったが、組みつかれテイクダウンを許す。マウントパンチから1R3分5秒、腕十字固めに敗れた。9月17日、HERO’Sの横浜アリーナ大会で桜庭和志と対戦。タックルでテークダウンされて、そのまま打撃を打ちこまれ、1R6分20秒、腕十字固めで完敗した。10月28日、HERO’Sの韓国大会でホ・ミンソクと対戦。パンチの連打を浴びて2R1分31秒、KO負け。 08年5月11日、さいたまスーパーアリーナでの「DREAM.3」で、ジェイソン・ミラーと対戦。1R6分57秒、マウントを取られて防戦一方となり、TKO負けに終わった。7月21日、大阪城ホールでの「DREAM」で秋山成勲と対戦。1R6分34秒、袖車に失神KO負け。10月23日、DEEPの後楽園ホール大会のメインで滑川康仁と対戦。3R戦い、判定で0対0のドローとなった。 12月31日、さいたまスーパーアリーナでの「Dynamite!!」で桜井“マッハ”速人と対戦。ゴングと同時に突進し、ヒザ蹴りを放ってパンチを連打したが、グラウンドに持ちこまれて失速。マウントパンチを打ちこまれ、1R7分1秒、TKO負け。09年4月5日、DREAMの日本ガイシホール大会での第1試合でミノワマンと対戦。2R終盤にキレイな弧を描くジャーマンスープレックスを決めてみせた。2R終了し、3−0の判定勝ち。「三重県出身の柴田です。ここまで来るのに2年かかりました。しょっぱい試合してすいませんでした。おれはプロレスラーとしてもっと強くなります。以上!ありがとうございました」 と試合後にマイクアピールした。10月25日、DREAMの大阪城ホール大会で石澤常光と対戦。左フックでダウンさせてパウンドを打ちこみ、1R4分52秒、TKO勝ち。

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