ダークロHP / レスラーノート

サンダー杉山

本名:杉山恒治
1940年7月23日
新潟県糸魚川市出身
178cm 125kg
タイトル歴:TWWA世界タッグ IWA世界ヘビー
得意技:雷電ドロップ(ヒップドロップ)

同志社大の柔道部にいた所を日本アマチュアレスリング協会の八田会長の口添えで明大のレスリング部に移籍。マサ斎藤とは明大で同期だったが、転校の関係で杉山が2つ年上だった。ヘビー級で全日本学生、全日本選手権を制した。東京五輪出場後、65年にプロレス界初の元五輪選手として鳴り物入りで日本プロレス入団。マサ斎藤、ラグビーから転向のグレート草津と共に新人三羽烏として将来を嘱望された。66年3月4日、リキ・スポーツパレスの本間戦でデビュー。同年夏に日本プロレスを離脱。国際プロレスの旗揚げに参加。旗揚げ前の10月7日、草津と共にアメリカ遠征。トーキョー・ジョーを名のり、田吾作スタイルのヒールとして活躍。フロリダ州タンパのヒロ・マツダのもとで修行を積んだ。67年12月に帰国。「雷電ドロップ」と呼ばれた必殺のヒップドロップを武器に活躍した。7月に豊登と組んでTWWA世界タッグ王座を獲得。70年5月には日本人で初めて「人間風車」ビル・ロビンソンを破り、IWA世界王座に就く。IWA世界ヘビー級王座は9度の防衛を重ねた。72年には全日本に移籍してジャイアント馬場のタッグパートナーも務め、一時リングを離れた後の78年には新日本プロレスに参戦した。丸っこい体にはだしのスタイルでリングを跳ね回る姿は、激しい中にもどこかユーモラスで子供たちにも人気があった。そのため引退後はテレビの子供番組「おはよう! こどもショー」に出演するなど、タレントとしても成功した。実業家としてサンダー杉山コーポレーションを創立。飲食業などの経営に携わった。幅広い人脈とレスラー時代さながらの行動力で、年商35億円の大企業に育てた。全日本プロレスの名古屋における宿舎は杉山の経営するホテルだった。現役時代から糖尿病を患う。02年11月22日死去。享年62。

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