ダークロHP / レスラーノート

ザ・グレート・サスケ

本名:村川政憲
1969年7月18日
岩手県盛岡市出身
180cm 90kg
タイトル歴:UWA&UWFインターコンチネンタルタッグ UWA世界ウェルター インディペンデント・ワールド・ジュニア 英連邦ジュニアヘビー IWGPジュニア ジュニア8冠 NWA世界ミドル 東北ジュニアヘビー 千葉6人タッグ
得意技:ラ・ケブラーダ トペ・コンヒーロ サンダーファイヤー・パワーボム サスケスペシャル1号(変形ラ・ケブラーダ) サスケスペシャル2号(変形トペ・コンヒーロ) ラム・ジャム(ダイビング・ダブル・エルボードロップ)

盛岡第三高校卒業後、新日本プロレス学校に入校。2年間トレーニングしたが新日本プロレスのテストで不合格。 90年3月のユニバーサル・プロレス設立に参加。3月1日、後楽園ホールのモンキーマジック・ワキタ戦でデビュー。三度笠スタイルのMASAみちのくとして活躍。 91年3月にメキシコ遠征へ出発。帰国後の11月14日、シリーズ最終戦の後楽園ホール大会でサスケスペシャル(側転して勢いをつけて場外にムーンサルトアタック)を初公開。その後、メキシコに遠征。 92年8月の帰国を機にグレート・サスケに変身。11月20日にグラン浜田と組んでUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。 93年3月、東北地方を本拠地とするみちのくプロレスを旗揚げ。デルフィン軍団を相手にみちのくプロレスのエースとして活躍。7月にスペル・デルフィンを破りUWA世界ウェルター級王座を獲得。10月にFMWとの共催「インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座リーグ戦」で、超電戦士バトレンジャーを破って初代王者となった。 94年4月16日、両国国技館での第1回スーパーJカップに出場。2回戦から登場し、エル・サムライと対戦。「ジュニアの巨人」サムライのパワーに苦戦したが、サスケスペシャル1号などで見せ場を作る。11分40秒、サムライのウラカン・ラナを半回転させてエビ固めで勝利。準決勝では獣神サンダーライガーと対戦。この大会で一番の人気カードが実現した。序盤は防戦一方だったが、ケブラーダ、トペ・コン・ヒーロ、サンダーファイヤー・パワーボムが炸裂。しかしライガーのカウンターの掌打で形勢逆転。高角度のライガーボムを2で返し、雪崩式フランケンシュタイナーは回転エビ固めで返した。投げっぱなしジャーマン、フィッシャーマンズ・バスターはいずれも2で返したが、ブレーンバスターで場外に投げ出された後、トップロープからのプランチャをくらってしまい場外で大の字。なんとかエプロンに上がったサスケは逆転のスワンダイブ式のウラカン・ラナをかけようとしたが、トップロープでバランスを崩しリングに落下。しかしすぐさま立ち上がり、18分9秒、勝利を確信したライガーに対してフランケンシュタイナーを決めて勝利した。決勝ではワイルド・ペガサスと対戦。ダイビングヘッドバットやパワーボムで、当時最強と謳われたペガサスに圧倒される。しかしローリングソバットで場外に落とした後「究極のトペコンヒーロ」サスケスペシャル2号を炸裂させる。場外へのブレーンバスターでペガサスを落としてから、ミサイルキックを放つが、高く飛びすぎたために受身に失敗。なんとかリングに戻り、ソバット、ラウンディングボディプレスを放つが、トップロープへ上がったところでペガサスにつかまってしまい、18分46秒、雪崩式サイド・スープレックスに敗れた。この大会で準優勝を収めたことにより全国区の人気を獲得した。10月30日、岩手産業文化センター屋外第1展示場大会で、大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾デスマッチで対戦。最初に電流爆破を浴びたサスケだったが、有刺鉄線に振られたところを逆に振りかえして電流爆破させ、ニールキックで場外に転落させて地雷爆破。さらに場外の大仁田に有刺鉄線越えのサスケスペシャル2号を決め、リング上でジャーマンを決めたがカウント2。電流爆破と地雷爆破をくらい、最後は14分58秒、サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。カウント3直後に時限爆弾が煙を噴きあげ大爆発した。 95年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で保永昇男のIWGPジュニア王座に挑戦。14分39秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。夏に覆面ワールド・リーグ戦を開催。決勝でドス・カラスに敗れた。9月にステイビー・Jを破り、英連邦ジュニアヘビー級王座を獲得。12月14日、博多スターレーン大会で中島半蔵を相手に英連邦ジュニア王座の防衛戦。15分14秒、ラウンディング・ボディプレスで圧勝。 96年4月29日、新日本プロレスの東京ドーム大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。サンダーファイアーパワーボムからのタイガースープレックスで勝利。IWGPジュニア王座を獲得した。6月17日、新日本プロレスの日本武道館大会で2代目ブラックタイガーを相手に防衛戦。16分54秒、片エビ固めでフォール勝ち。7月21日、矢巾町民体育館大会で獅龍を相手に防衛戦。15分44秒、片エビ固めでフォール勝ち。8月2日、両国国技館でのジュニア8冠王座決定トーナメント「J・CROWN」に参戦。1回戦でNWA世界ジュニア王者の茂木正淑とダブルタイトルマッチ。11分50秒、タイガースープレックスで勝利。NWA世界ジュニア王座を獲得。8月4日、準決勝でWWA世界ジュニアライト王者とWWF世界ライト王者のエル・サムライと対戦。16分25秒、サンダーファイヤーパワーボムで勝利。8月5日、決勝で4冠王者のウルティモ・ドラゴンと対戦。13分56秒、高角度後方回転エビ固めでフォール勝ち。8冠王座を獲得した。しかし、決勝戦での場外ダイブで着地失敗。勝つには勝ったが頭蓋骨亀裂骨折の重傷を負い、長期欠場。10月10日、みちのくプロレス両国国技館大会で復帰戦を行い、ミル・マスカラス初代タイガーマスクと組んで小林邦昭ダイナマイト・キッド、ドス・カラス組と対戦。15分30秒、ドス・カラスのライガーボムにサスケがフォール負け。10月11日、WARの大阪府立体育会館大会でウルティモ・ドラゴンを相手に8冠王座の防衛戦。13分43秒、ランニング・パワーボムに敗れて8冠王座から転落。12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会でハヤブサと対戦。ノータッチ・トペ・コンヒーロ、ファイヤーバード・スプラッシュなどで劣勢だったが、サスケペシャル、サンダーファイヤー・パワーボムで反撃。最後は19分12秒、コーナーに合掌してから登ったところをつかまってしまい、雪崩式ファルコンアローに敗れた。 97年3月1日、大阪府立臨海スポーツセンター大会でメンズ・テイオーと対戦。15分27秒、ミラクルエクスタシー2連発に敗れた。4月12日、東京ドーム大会でライガーの8冠王座に挑戦。20分8秒、雪崩式垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。 98年1月10日、ECWに登場。ペンシルベニア州フィラデルフィアのECWアリーナでジャスティン・クレディブルと対戦し、14分10秒、ツームストン・パイルドライバーに敗れた。1月に右ひざを負傷し6ヶ月欠場。7月の復帰戦で右肩を脱臼し欠場。9月10日、大宮市民体育館大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。17分13秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。 99年2月、闘龍門の横浜大会でマグナム・トーキョーを王座決定戦で破りNWA世界ミドル級王座を獲得。 03年4月13日、岩手県議員選挙でトップ当選。覆面レスラー議員として活躍。6月にみちのくプロレスの社長を辞任。9月6日、全日本プロレスの日本武道館大会でケンドー・カシンの世界ジュニア王座に挑戦。15分5秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。9月21日、大田区体育館での「掣圏(SEIKEN)」でザ・マスク・オブ・タイガー(初代タイガーマスク)と対戦。19分39秒、MOAB(バク宙キック)に敗れた。11月2日、有明コロシアムで創立10周年記念興行を開催。メインでデルフィンと対戦。20分51秒、デルフィンスペシャル2号に敗れた。 06年10月8日、みちのくプロレスの岩手県営体育館大会で東北ジュニアヘビー級王者のデルフィンと対戦。21分4秒、ジャーマンスープレックスホールドで勝利して王座獲得。試合後にデルフィンと握手した。 07年3月、岩手県知事選に立候補したが落選。8月30日、後楽園ホールでの「ふく面ワールドリーグ戦」の1回戦に出場し、ウルティモ・ドラゴンと対戦。5ヶ月ぶりのリング復帰となったが、19分29秒、アサイDDT2連発、キック、アサイDDTの連続攻撃に敗れた。試合後、ウルティモは「サスケ、政界よりもこのリングの方がいいだろ。だけどな、オマエが政治の世界に入って休んでた間、このプロレス界、そんなに甘くないぞ。オマエならプロレスの世界でもまた一からやり直せる。みちのくプロレスはオマエがいなきゃダメだ」とマイクして退場。サスケは「こうなったら、とことん、死ぬまでやらせてください。そして、私のこれまでの人生、リングの中でも外でも敗北と後悔の繰り返し。しかし、絶対に絶対にオレはあきらめません。なぜなら、皆さんが1人でもいる限り、みちのくプロレスは永遠に不滅だ!」と叫んでリングを降りた。11月9日、山形市総合スポーツセンター大会で曙と対戦。1190人の超満員の会場で、鉄柱越えのキックやトペ・コンヒーロで攻めたが、試合終盤に全体重をかけたセカンドロープからのバックフリップを受け、6分40秒、ボディプレスに敗れた。 08年3月8日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会で東北ジュニア王者の義経と対戦。場外にダウンする義経にトップロープ越えのトペ・アトミコでまっさかさまにダイブするなど、正攻法の試合を展開。サンダーファイヤー・パワーボムを返され、最後は21分15秒、シューティングスタープレスに敗れた。試合後に「まさに世代交代しちゃったのかなと」、「これからはもう義経の時代」と語り、みちのくプレロレスでのエース交代を明言。9月26日、メビウスの新宿FACE大会でモチェロと対戦。13分46秒、サンダーファイアーパワーボムで勝利。黄金のマスクと王者のマント(エル・メホール・デ・マスカラード)を獲得した。10月30日、後楽園ホールでのゼロワンMAXの天下一ジュニアトーナメント1回戦で高岩と対戦。12分48秒、ラリアットに敗れた。12月4日、リアルジャパンプロレス後楽園ホール大会でのレジェンド王座決定戦でアレクサンダー大塚と対戦。16分33秒、SSDに敗れた。12月26日、メビウスの新宿FACE大会で大原はじめを相手にエル・メホール・デ・マスカラードの防衛戦。9分54秒、ムイ・ビエンに敗れて王座転落。 09年2月7日、ZERO1の千葉ポートアリーナ大会で浪口と組んで日高組のNWAインターナショナルライトタッグ王座に挑戦。18分、澤の卍固めに浪口が敗れた。2月19日深夜、電車内で乗客に携帯電話のカメラで撮影されたのに腹をたてて暴行を加え、現行犯逮捕された。21日に処分保留で釈放。5月4日、ハッスルの横浜文化体育館大会で川田利明と対戦。5分54秒、パワーボムに敗れた。試合後に「これからは人様にご迷惑をかけることなく、バカに生きさせてもらいます。この後、ロビー売店で記念撮影会を行います。バカでボロカスな自分ですが、前から、後ろから、斜めからでも大いに撮ってください。ありがとうございました」とマイクアピール。6月9日、K−DOJOの後楽園ホール大会でTAKAみちのくのSTRONGEST−K王座に挑戦。22分52秒、みちのくドライバー2に敗れた。試合後、「あんたはやっぱり偉大な、グレートなサスケだよ!1回勝ったぐらいじゃ越えていない」とTAKAにマイクで健闘を称えられた。6月19日、「ザ・グレート・サスケ20周年突入ツアー」開幕戦となる、みちのくプロレスの後楽園ホール大会でフジタ“Jr”ハヤトの東北ジュニア王座に挑戦。ハヤトの鋭い打撃技に対し、トペ・コンヒーロやライダーキック、セントーンアトミコ自爆など出し惜しみなしの動きで好勝負を展開。28分21秒、ヘルム(顔面へのヒザ蹴り)に敗れた。試合後には「あと10年はがんばろうと思います」と、30周年まで現役続行を宣言した。7月9日、新宿FACEでの「NOSAWA BOM・BA−YE 5」でウルティモ・ドラゴン、スペル・クレイジーを相手に対戦。ウルティモとの連携攻撃で幾度となく誤爆をくり返し、終盤にはお互いのマスクをはがしあう展開となった。試合は10分40秒、クレイジーのエビ固めにサスケがフォール負け。試合後にウルティモが「もうそろそろ、おれとサスケ、最終決着をつける時じゃないか?」、「おれたちの旬はとっくに過ぎてるんだよ」とマイクし、サスケが「イヤイヤイヤ!悪いけど、おれ、今が旬ですよ!」と返答。「それは違う意味でだろ」とウルティモが否定し、マスカラ・コントラ・マスカラでの対戦を要求。「師匠、おれは絶対に負けませんから!」とサスケがこれを受けてたった。8月23日、DDTの両国国技館大会で高木三四郎とウェポンランブルシングルマッチで対戦。熱々おでん、自転車、バンビのムチ攻撃などが乱れ飛ぶ試合で、会場内に設置されたスクリーンの映像で観客に催眠術をかけるなど本領発揮。携帯電話で写真を撮られる精神攻撃や高木嫁の加代子夫人のムーンサルトプレス、サスケ嫁のメリー夫人の竹刀攻撃を浴びて、最後は和桶をかぶってのトペアトミコ自爆が致命傷となり、21分25秒、シットダウンひまわりボム・オン・ザ・ロッカーに敗れた。9月からみちのくプロレスの社長に復帰。9月26日、石巻市網地島の白浜海水浴場での特設リングで気仙沼二郎を相手にエニウェアフォールデスマッチで対戦。浜辺や波打ち際で激闘をくり広げ、コスチュームを脱ぎ捨ててTバックで戦い、22分32秒、サンダーファイアーパワーボムからの卍固めで勝利。9月27日、DDTの後楽園ホール大会で高木三四郎と組んでKUDO、ウラノ組のKO−Dタッグ王座に挑戦、20分54秒、KUDOのダイビング・ダブルニードロップに高木が敗れた。12月12日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会のメインでライガーと組んで佐藤秀、佐藤恵組と対戦(第4次宇宙大戦争)。十字架に磔にされたウルトラマンロビンを救出するため、ライガーと共にウルトラマン化したコスチュームに身を包み、謎のオブジェや鉄腕アトムの人形や和桶が入り混じる大激戦を展開。23分29秒、ライガーが空中胴締め落としで恵に勝利。試合後に、ライガー、ロビンと組んで秀、恵、ゼットン、メフィラス星人組を相手に延長戦。1分9秒、サスケがセグウェイでメフィラス星人に勝利した。12月20日、新木場1stRINGでの「飛鳥仮面FIESTA」でサムライ、NOSAWA論外と組んでドス・カラス、ウルティモ・ドラゴン、グラン浜田組と対戦。14分48秒、ドスのカンパーナにサムライが敗れた。試合後の控え室でドス・カラスに覆面剥ぎマッチを要求し、乱闘した。 10年4月11日、DDTの新木場1stRING大会でMIKAMIと対戦。20分27秒、ディープ“M”インパクトに敗れた。6月11日、後楽園ホールで20周年記念大会を開催。ディック東郷と組んでTAKAみちのく、FUNAKI組と対戦。ロック・ドキュメンタリー映画「アンヴィル!」に影響されているサスケはギターをかき鳴らして入場。トペ・アトミコの自爆など普段通りのファイトを続け、21分47秒、東郷のダイビングセントーンからサスケがサンダーファイヤーパワーボムでTAKAに勝利。「今日は私個人で20周年。でも、30年、40年、50年ではもう終わってる。だから今しかない。絶対に、ロックスターになるんだ!みなさんがいる限り、みちのくプロレスは永遠に不滅だ!」と試合後にマイクで叫んだ。8月25日、フリーダムズの新木場1stRING大会(葛西純プロデュース興行)でデスマッチトーナメントに出場。1回戦で葛西と対戦。セントーンアトミコをかわされてラダーと蛍光灯の上に落下するなど持ち味を発揮したが、20分16秒、パールハーバースプラッシュwith蛍光灯束&ラダーに敗れた。8月29日、新宿FACEでのアレクサンダー大塚デビュー15周年記念大会に出場し、藤原と組んで大塚、人生組と対戦。スキンヘッド限定マッチだったため、坊主にしてお面のようなマスクで出場した。20分34秒、大塚のドラゴンスープレックスにサスケがフォール負け。10月から剣舞と組んでノアのジュニアタッグリーグ戦に参戦。10月18日、小山市立文化センター大会で石森マルビン組と対戦し、13分41秒、石森の450°スプラッシュに剣舞が敗れた。10月19日、福島市国体記念体育館大会でエディ・エドワーズロデリック・ストロング組と対戦し、13分42秒、サスケのセグウェイでエドワーズに勝利。10月24日、札幌テイセンホール大会で中嶋、梶原組と対戦し、17分49秒、中嶋のサッカーボールキックに剣舞がフォール負け。10月26日、新潟市体育館大会でKENTA青木組と対戦し、18分48秒、青木のダイビングボディプレスに剣舞がフォール負け。この結果、1勝3敗でリーグ戦に敗退した。10月30日、ノアの後楽園ホール大会でディック東郷と組んで金丸平柳組と対戦。14分31秒、東郷のダイビングセントーンの直後にサスケがセグウェイを決めて平柳に勝利。11月7日、岩手県営体育館大会で拳王の東北ジュニア王座に挑戦。黒のショートタイツでリングイン。試合前から右ヒザを痛め、ニーブレスを付けての試合となった。ローキックや膝十字固めなどで右ヒザを攻撃されて防戦一方。鉄柱越えのトペコンヒーロやセグウェイや新型セグウェイで反撃し、最後は35分21秒、右ハイキックをかいくぐり、左足を抱えてダウンさせての片エビ固めでフォール勝ち。東北ジュニア王座を獲得した。 11年3月11日、自らのバンド「クレイジークルー」のライブのため盛岡劇場に楽屋入りしていた時に大地震に遭遇。そのまま劇場に避難し、当日のライブ、12日の矢巾大会、13日の仙台大会は延期。3月23日から28日まで、みちのくプロレスの九州巡業をチャリティ大会として開催。4月15日から3日間、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアサイラム・アリーナで、人生、ディック東郷と組んでCHIKARAプロレスの6人タッグトーナメント「キング・オブ・トリオズ」に参戦。惜しくも準決勝で敗れたが現地で大絶賛を浴びた。5月8日、矢巾町民総合体育館大会で日向寺塁を相手に防衛戦。徹底した腰攻めをくらって、31分55秒、ムーンサルトプレスからの逆エビ固めに敗れて東北ジュニア王座から転落。5月26日から新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初参戦。初戦の後楽園ホール大会ではTAKAみちのくと対戦。9分57秒、卍固めで勝利。5月28日、ディファ有明大会でライガーと対戦。コーナー最上段から場外へのトペアトミコを成功させ、最後は17分35秒、卍固めで勝利。この試合で脇腹を痛めてしまい、以後は大きなテーピングを貼っての出場となった。5月29日、後楽園ホール大会で田口と対戦。15分39秒、ミラノ作・どどんスズスロウンに敗れた。6月2日、豊橋市総合体育館・第2競技場大会でKUSHIDAと対戦。2分47秒、飛び込み式エビ固めで勝利。6月3日、岩出市立市民総合体育館大会で佐々木大輔と対戦。4分5秒、飛び込み式エビ固めで勝利。6月4日、KBSホール大会でマスカラ・ドラダと対戦。4分28秒、グラウンド卍固めで勝利。6月5日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会で、みちのくプロレスでのラストマッチとなったディック東郷と対戦。15分38秒、野橋、ラッセが乱入し、無効試合。試合後、デルフィンがサスケ組の救出に現れた。そのまま東郷、デルフィンと組んで野橋、ラッセ、ウルティモ・ドラゴン組と急遽対戦。4分23秒、東郷がダイビングセントーンでラッセに勝利した。6月7日、ディファ有明大会で飯伏幸太と対戦。11分46秒、高角度サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。6月8日、ディファ有明大会で外道と対戦。序盤で丸め込み技を連発し、場外に落としてドロップキックを決めたが、場外戦で脇腹を攻撃されて動きが止まり、最後は9分9秒、ボディへのパントキックに敗れた。田口、KUSHIDAと共に5勝3敗の2位となったが、直接対決で同点2位の田口に負けていたため、惜しくもリーグ戦に敗退した。10月25日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで初代タイガーマスクと対戦。12分13秒、アームロックに敗れた。 12年3月16日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで初代タイガーマスクと組んで大仁田、矢口組と対戦。9分53秒、タイガーマスクがタイガースープレックスホールドで矢口に勝利。3月20日、IGFの福岡国際センター大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。6分44秒、アサイDDTに敗れた。5月11日、新宿FACEでの大仁田の自主興行で初代タイガーマスク、グラン浜田と組んで大仁田、矢口、保坂組と有刺鉄線ボードストリートファイトデスマッチで対戦。15分20秒、大仁田と矢口の合体サンダーファイヤーパワーボムに初代タイガーマスクが敗れた。6月1日、KAIENTAI−DOJOの後楽園ホール大会のメインで真霜拳號のSTRONGEST−K王座に挑戦。22分52秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。9月1日、ふく面ワールドリーグ戦に出場。仙台産業展示館での1回戦でビジャノ4号と対戦。8分50秒、フロントネックロックで勝利。同日の2回戦でヒートと対戦。20分18秒、グラウンド卍固めで勝利。9月2日、岩手県営体育館大会での準決勝でウルティモ・ドラゴンと対戦。2分18秒、左腕を集中攻撃して、腕ひしぎ十字固めで勝利。同日の決勝でライガーと対戦。17分59秒、延髄斬りからの卍固めで勝利。ふく面ワールドリーグ戦で初優勝。9月8日、全日本プロレスの後楽園ホール大会でKENSOと組んで西村井上雅央組と対戦。10分28秒、サスケがセグウェイで井上に勝利。試合後のリング上で、KENSOから世界最強タッグ決定リーグ戦へのタッグ結成を求められ、握手で応えた。11月17日、みちのくプロレスのベストウェスタンホテル仙台大会での気仙・沼ジローラモ(ヨネ原人)デビュー20周年記念試合に出場。デルフィン、ウルティモ・ドラゴンと組んで新崎人生、ヨネ原人、シーサー王と対戦。14分34秒、ウルティモのアサイDDTから、デルフィンがスイングDDTを決めてヨネ原人に勝利。11月17日からはじまった全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にKENSOと組んで参戦するはずだったが、11月20日、全日本プロレスの銅夢にいはま大会での試合中に左肩甲骨骨折の重傷を負い、欠場。公式戦を1試合もしないまま、リーグ戦は全試合不戦敗に終わった。 13年12月、恒例となった「宇宙大戦争」でバラモン兄弟と意気投合。 14年1月、バラモン兄弟と「ムーの太陽」を結成。兄弟から「メシア」と崇めたてまつられ、宗教じみたヒールユニットとして活躍。6月8日、後楽園ホール大会でバラモンケイと組んで人生、気仙沼二郎組の東北タッグ王座に挑戦。リング中央で瞑想を始めるなど不可解なファイトを続け、18分34秒、メシア降臨で勝利。東北タッグ王座を獲得。シュウがメインで東北ジュニア王座を防衛したため「ムーの太陽」がみちのくプロレスの王座を独占した。7月21日、仙台市ベストウェスタンホテル大会でウルティモ・ドラゴン、ラッセ組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分48秒、メシア降臨でラッセに勝利。7月7日、東京愚連隊の新宿FACE大会のメインでFUJITAの東京世界ヘビー級王座に挑戦。23分13秒、ツームストンパイルドライバーからのサスケだましに敗れた。9月20日、矢巾町民総合体育館大会で 佐々木大地、郡司歩組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分23秒、ケイが飛びつき腕ひしぎ十字固めで佐々木に勝利。10月13日、仙台市夢メッセ西館ホール大会で気仙沼二郎と対戦。8分12秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。 15年3月14日、矢巾町民総合体育館大会でかめっしー1号、2号組、佐々木大地、郡司歩組を相手に3WAYでのタッグ王座の防衛戦。16分19秒、かめっしーたちがサスケを担いでメシア降臨をケイに決めて、郡司にケイがフォール負け。タッグ王座から転落した。7月18日、矢巾町民総合体育館大会のメインで気仙沼二郎の東北ジュニア王座に挑戦。19分47秒、真・マティマティカバスターに敗れた。 16年5月15日、超花火プロレスの青森市はまなす会館大会で大仁田の爆破王座に電流爆破マッチで挑戦。11分49秒、サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。6月4日、住田町生涯スポーツセンター大会で気仙沼二郎と対戦。12分51秒、卍固めで勝利。 17年2月24日、 FMWの新木場1stRING大会で大仁田とランバージャックデスマッチで対戦。15分53秒、イスの上へのバックドロップに敗れた。7月30日、鶴岡市エスモール屋上駐車場大会で気仙沼二郎と対戦。15分10秒、セグウェイで勝利。9月3日、川西町羽前小松駅東側エコスノードーム前広場大会で気仙沼二郎と対戦。15分58秒、セグウェイで勝利。9月4日、後楽園ホールでのTAKAみちのくの25周年記念大会でデルフィン、東郷と組んで吉野、ダイナソー拓真、リッキー・フジ組と対戦。7分24秒、合体技のガオバババをくらって吉野にデルフィンがフォール負け。9月30日、みちのくプロレスの仙台ジョイテルホテル大会で東郷と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦でGAINA、のはし組と対戦。15分42秒、のはしの横入り式エビ固めにサスケがフォール負け。 18年4月6日、GCWのルイジアナ州ニューオリンズ大会でジョーイ・ジャネラと対戦。ダイビング・フットスタンプに敗れた。5月2日、酒田市勤労者体育センター大会で気仙沼二郎と対戦。9分46秒、足4の字固めに敗れた。5月5日、矢巾町民総合体育館大会でラッセと対戦。17分45秒、乱入したシュウの看板が誤爆したところをエビ固めに丸めこまれてフォール負け。この大会後、バラモン兄弟と対立し、ムーの太陽が分裂。6月15日、後楽園ホール大会でミニマスター、ゴージャス松野、関根龍一と組んでシュウ、ケイ、ウルトラマンロビン、アブゴールド小林組と対戦。試合前に清水健太郎をリングに投入し、歌詞の一節である「ネェ、マスター」の部分を観客と共に歌いあげた。1本目は20秒、サスケがDDTでロビンに勝利。2本目は15分38秒、シュウ、ケイの五体不満足に松野が敗れた。3本目は9分11秒、小林のダイビング・バカチンガーエルボーからロビンにミニマスターがフォール負け。マスカラ戦だったため、ミニマスターがマスクを剥がされ、正体はプリティ太田だった。最後はバラモン兄弟が心酔し、ムーの太陽は再集結した。7月1日、黒石市スポーツ交流センター大会で気仙沼二郎と対戦。13分3秒、ヒールホールドに敗れた。9月8日、龍野市龍野ショッピング内特設リング大会で気仙沼二郎と対戦。14分37秒、セグウェイで勝利。9月28日、仙台サンプラザホールで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台」で藤原、グラン浜田と組んで百田光雄菊地毅、沼二郎組と対戦。9分39秒、藤原がワキ固めで沼二郎に勝利。10月31日、HEAT−UPのとどろきアリーナ大会で大谷譲二と組んでTAMURA、藤波辰爾組のHEAT−UPユニバーサルタッグ王座に挑戦。15分16秒、TAMURAのムーンサルトプレスに大谷が敗れた。11月18日、Aチームの北千住シアター101大会でHASEGAWAと有刺鉄線ボードデスマッチ。23分4秒、セグウェイで勝利。12月8日、DDT・伐折羅の新木場1stRING大会(プロレスとへヴィメタルのコラボイベントFUMA FEST)のメインでFUMAとハードコアマッチ。24分31秒、セグウェイで勝利。12月23日、大釜幼稚園体育館大会で川村興史と対戦。15分時間切れ引き分け。 19年2月23日、横浜ラジアントホールでの原学の自主興行で原学と対戦。18分37秒、アンクルホールドに敗れた。6月14日、後楽園ホール大会で百田光雄、withプリティ太田と組んでバラモンシュウ、バラモンケイ、忍withゴージャス松野組と「第3001回チキチキ底抜け金網脱出ゲーム!!」。コーナーのフラッグ4本と、リング中央にぶら下げられたアンパン(アンパンは手を使って取ることが禁止)のうち、3つのアイテムを取得した時点で相手はキャプテンのみとなる試合形式での対戦となった。先に3つ取られて1対3の不利な展開となったが、34分15秒、サスケがワキ固めでケイに勝利。サスケは「昭和が!勝ったぞー!(場内から「昭和コール」)そして、そして、今は!令和!(場内から「令和コール」)改めて言う。いいですか、兄弟。シュウさん、ケイさん、忍!あなたたちが平成のダメなプロレスです!」とマイク。ケイは「待ってください!マスターだって、デビューは平成じゃないですか!」と答え、サスケは「細かいことは置いといて、もうこの際、平成のプロレスは忘れましょう!」とアピール。ケイは「平成を全部なかったことにするの?!」とうろたえるが、サスケは「これから新しい令和の時代を作っていこうじゃないですか!そうですよね!皆さん!ということで、明日からもがんばりましょう!パワーッ!」と一致団結し、ムーの太陽が再結成。7月18日から長期欠場する予定だったが、1年延長を宣言した。7月13日、矢巾町民総合体育館大会でバラモンシュウ、バラモンケイと組んでヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号、ラッセ組の千葉6人タッグ王座に挑戦。11分41秒、サスケがキャメルクラッチで2号に勝利。千葉6人タッグ王座を獲得した。7月14日、仙台ヒルズホテルみちのくホール大会でラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組を相手に6人タッグ王座の防衛戦。10分9秒、2号のウラカンラナにケイが敗れて王座転落。8月18日、山形・エスモール屋上駐車場大会でバラモンシュウ、バラモンケイと組んでラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組の千葉6人タッグ王座に挑戦。12分14秒、サスケがワキ固めでラッセに勝利。千葉6人タッグ王座を奪回した。8月22日、GCWの新木場1stRING大会でトニー・デッペンと対戦。12分7秒、脇固めで勝利。8月23日、GCWの新木場1stRING大会でジョーイ・ジャネラと対戦。16分31秒、セグウェイで勝利。8月24日、新木場1stRING大会でラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組を相手に6人タッグ王座の防衛戦。12分36秒、2号のシージャにケイが敗れて王座転落。10月5日、滝沢市大釜幼稚園体育館大会でがばいじいちゃんとJAバンクハウスデスマッチ。17分93秒、野菜を獲得されて敗れた。10月14日、ウィル福島アクティおろしまち大会で最上九と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦で剣舞、ラッセ組と対戦。5分53秒、剣舞のダイビング・フットスタンプにサスケが敗れた。11月9日、八食センター厨ホール大会でのはしたろうと対戦。17分48秒、ダイビングヘッドバットに敗れた。
ザ・グレート・サスケ、レスラー人生でたった1回、流した涙を明かす・・・「東北でひっそりやってきて・・・」巣鴨・闘道館でのターザン山本!氏とのトークイベント
(スポーツ報知10月27日13:26配信)
 みちのくプロレスの創始者、ザ・グレート・サスケが26日、東京・巣鴨のプロレスショップ「闘道館」で元週刊プロレス編集長のターザン山本!氏(73)と「ザ・グレート・サスケという生き方」と題したトークイベントを行った。
 山本氏からアントニオ猪木氏(76)について聞かれたサスケは「私は、大大大好きです。全部が好きです」と明かした。その上で「我々の世代には、猪木派、馬場派と分かれていましたが、私はバリバリの猪木派でした」と続けた。山本氏から「みちのくプロレスで馬場派は誰か?」を聞かれると「馬場派の筆頭が(新崎)人生社長です。だからバランスが取れているんでしょうね。みちのくプロレスがおかげさまで長生きさせてもらっている大きな理由がそこかもしれません」明かしていた。
 さらに、山本氏から、1993年にみちのくプロレスを設立後に「ひいきにしていたレスラーはいた?」と聞かれ「4代目タイガーマスクとは、なぜかウマがあったんでひいきにしていました。プライベートを遊んだりして仲良かった。それで面白くないと思う選手が出てくるんです」と明かした。
 続けて99年1月に方向性の違いからスペル・デルフィンらが大量離脱したことに触れ「あの退団会見でデルフィン以外に並んでいた選手は(タイガーマスクに)嫉妬していた連中ですよ。しょうがないですんですよ。ウマが合うだから。だからといってタイガーマスクだけ報酬をアップするとか、不正な評価はしていませんよ」と振り返った。
 この発言に山本氏は、自らの編集長時代を引き合いにし「下の者は上の者に評価されたい願望が強い。だからオレが週プロの時、誰も評価しなかった。好き勝手にやっていいよと突き放していた。ただ、上の者は、下の者をひいきする権利がないとやってられない。プレッシャーがすごくて」と明かした。
 サスケは再びデルフィンら離脱事件に話を戻し「この時に頭をよぎったのが猪木さんの“これで大掃除ができた”っていう名言でした。それを思い出して、自分もこれを大掃除と捉えようと思い直したんですね」と猪木に感謝したが山本氏は「猪木さんの言葉は、どん底になった時に都合のいい言葉がいっぱいある。あれは、追い詰められた時に出た言葉なんです」と指摘したがサスケは「言葉のチョイスが素晴らしい。詩人のようです」と感嘆していた。
 イベントでは、サスケが初めて「週プロ」の表紙になった1993年12月7日号が披露された。当時を振り返ったサスケは「コンビニで表紙を見て、まさか自分がってどっきりカメラかと思いました」と感激したことを明かした一方で「初めて表紙になって“なんだ!これは!”と怒った人がいた。天龍さん」と苦笑いした。この時、サスケを表紙にした理由を山本氏は「メジャー団体がぬるま湯だったから、インディーを取り上げるしかなかった。それで辺境にある者を応援しようと思った。そういう意味でみちのくプロレスは最高だった。サスケさんを表紙にすると、メジャーが怒るんです。そうすると本気になるんです。そこが狙いだった。ワザとやったんです」と告白した。
 さらに、サスケはみちのくプロレスが初めて東京進出した1994年4月29日の大田区体育館大会について振り返った。この興行は、週刊プロレスを発行するベースボールマガジン社の主催興行だった。「今でも心に残っているのが当時の大田区体育館の控室は地下室でメインでリング上がるまでお客さんがどれぐらい入っているのか、見えなかったんです。半分ぐらい入っていればいいなぁって思って、入場で出たら超満員ですごいびっくりして…。東北だけでひっそりやってきて…と思ったら自然と涙が出てきました。プロレスをやって涙が出たのはあの1回きりです」と感慨にふけったが、山本氏は、あの興行の成功が自らの編集長辞任、ベーマガ退社、私生活での離婚につながったと明かし「あれが悲劇の始まりですよ。ターザン山本の没落は、あの大田区体育館ですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」と絶叫していた。



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