ダークロHP / レスラーノート

齋藤彰俊

1965年8月8日
宮城県仙台市出身
178cm 110kg 血液型B型
タイトル歴:GHCタッグ
得意技:スイクルデス(延髄切り) デスプラント デスパニッシュ

小さい頃からスイミングスクールに通い、中学時代に全国レベルの記録を出したことから中京高校にスカウトされ、そのまま中京大学に進学。平泳ぎのエキスパート。83年にインターハイ100メートルで優勝。86年に全日本選手権100メートルで優勝。オリンピック強化選手だった。肺活量は8800cc。大学卒業後、愛知県スポーツ振興財団に就職。口論義運動公園に勤務。ここで誠心会館の青柳館長と知り合い、空手を始める。90年12月20日、愛知県半田市民ホールにおけるパイオニア戦志の大会で、金村ゆきひろ戦(異種格闘技戦)でデビュー。91年8月にW★INGの旗揚げに参加。日本人の中心選手は徳田光輝、木村浩一郎、斎藤彰俊の通称「格闘三兄弟」だった。旗揚げシリーズ最終戦の8月17日、東京よみうりランド大会のメインでTNTとランバージャックデスマッチで対戦。10分26秒、飛び後ろ回し蹴りで勝利した。11月にW★INGは崩壊。92年1月4日、東京ドームに誠心会館門下生と徒党を組んで乗りこみ、新日本プロレスに宣戦布告。1月30日、大田区体育館大会のメインイベント終了後、小林邦昭と対戦。壮絶な打撃戦となり、2人とも流血。コーナーに押しこんで正拳突きを連打して、7分14秒、小林の大量出血によりレフリーストップ勝ち。「プロレスが空手に負けた 齋藤、小林をKO!」の見出しで週刊プロレスNo.479の表紙を飾る。2月8日には小原に勝利した。その後、反選手会同盟に入る。94年11月に平成維震軍を旗揚げ。平成維震軍崩壊後、98年に退団。リングから離れる。名古屋市にショットバー「ココナッツ・リゾート」をOPEN(05年5月10日に閉店)。愛知県小牧市に格闘技道場「ノーティ」を開設。ノアに登場し、現役復帰。02年5月6日、ノアの宮城県スポーツセンター大会で秋山準と組んでGHCタッグ王者の力皇森嶋組に挑戦。力皇がかけたベアハッグからの直下式DDTで胸骨骨折と頚椎捻挫の大怪我を負う。試合にも敗れて長期欠場。入院はせずにわずか3ヶ月後の8月24日、ディファ有明大会で復帰した。9月23日、日本武道館大会で秋山準と組んで力皇、森嶋組に再挑戦。22分47秒、齋藤必殺のスイクルデスが力皇に決まり、GHCタッグ王座を獲得。通算5度の防衛に成功した。04年7月に秋山とのコンビを解消。その後は井上雅央杉浦貴らとダーク・エージェントを結成し、中堅選手として活躍。10月24日、大阪府立体育会館大会で、GHC王者の小橋建太に挑戦。真っ向勝負で場内を沸かせたが、28分55秒、ブレーンバスターに敗れた。05年4月24日、GHC王者の力皇猛に挑戦。25分6秒、無双に敗れた。06年1月1日、正式にノアの所属選手となる。07年にZERO1−MAXの火祭りリーグ戦に参加。出場前には「鎌ばっかり振っているから刀がほしくなった。悪いがおれが優勝して、その大事な刀をいただくこととする。おれ用に刀の色はブラックメタリックで用意してもらおう。昔からブーイングはおれの負のパワーの元だからな(笑)。プロレス界を乗っとる序の口としてゼロワンを支配させてもらう」というコメントを残した。第1戦は崔領二と対戦し14分16秒、デスパニッシュで勝利。第2戦は吉江豊と対戦し、時間切れ引き分け。第3戦は大谷晋二郎と対戦し、投げっぱなしドラゴンスープレックスで敗れた。第4戦では日高郁人と対戦し両者リングアウト。Aブロックは5人とも同点となったため、8月2日の後楽園ホールで決勝進出をかけて5WAYマッチで対戦。崔の那智の滝と吉江のボディープレスを浴びて敗れた。8月からはノア初のリーグ戦となるGHC次期挑戦者決定リーグ戦に出場。9月2日に丸藤と対戦し、21分18秒、スイクルデスからのデスブラントで勝利。9月9日、日本武道館大会で優勝戦進出をかけて丸藤と再び対戦。圧倒的に攻めたが、13分3秒、横入り式回転エビ固めで敗れた。08年2月11日、後楽園ホールでの健介オフィス1周年記念興行のメインに出場し、川田、大谷、吉江と組んで、佐々木健介高山善廣天龍源一郎鈴木みのる組と対戦。試合終盤に健介のラリアット、みのるのゴッチ式パイルドライバー、天龍の53歳、健介のノーザンライト・ボムを浴びて、最後は30分8秒、高山のエベレストジャーマンに敗れた。3月29日からバイソン・スミスと組んでグローバルタッグリーグ戦に出場。4月27日の武道館大会のメインで三沢小川良成組と対戦。17分16秒、齋藤の小川へのスイクルデスで勝利してリーグ戦を優勝した。5月23日、新潟市体育館大会でバイソンと組んでGHCタッグ王者の丸藤、杉浦組に挑戦。34分40秒、バイソンが雪崩式バイソンテニエルで丸藤にフォール勝ちしGHCタッグ王座を獲得した。7月8日、大阪府立体育会館第二競技場大会でバイソンと組んで小橋、本田組とノンタイトル戦で対戦。27分52秒、バイソンテニエルで本田にフォール勝ち。小橋の欠場により無敗で王座を返上したチームとの対戦に勝利し、ノア最強タッグの座をアピールした。10月25日、日本武道館大会で秋山、力皇組を相手にタッグ王座の防衛戦。かぜと胸骨の痛みで絶不調のバイソンが狙われて大苦戦。13分39秒、スイクルデスで秋山にフォール勝ちして防衛に成功。試合後に「おれが佐々木の首を取りにいく」とGHC王者への挑戦を表明。11月28日、新潟市体育館大会で田上、森嶋組を相手にタッグ王座の防衛戦。28分10秒、バイソンのランニングパワーボムで森嶋にフォール勝ちし防衛に成功。12月7日、日本武道館大会でGHC王者の佐々木健介に挑戦。25分27秒、ラリアットに敗れた。12月23日、ディファ有明での「ザ・トーナメント’08」に参戦。1回戦で鈴木鼓太郎と対戦し、8分26秒、鼓太郎のレフリーへの毒霧噴射で反則勝ち。2回戦で田上に扮してKENTAと対戦し、10分、判定勝ち。12月24日、ディファ有明での準々決勝で田上に扮してヨネと対戦し、10分、判定勝ち。準決勝で佐々木健介と対戦し、10分、判定勝ち。決勝で田上に扮して井上雅央と対戦し、10分判定勝ち。トーナメントを優勝した。09年4月、バイソンと組んでグローバルタッグリーグ戦に参戦。4勝3敗でリーグ戦の優勝を逃した。6月13日、広島グリーンアリーナ大会で潮崎、三沢組を相手にGHCタッグ王座の防衛戦。齋藤のバックドロップで三沢が心肺停止。そのまま三沢は死去してしまった。6月14日、百田と組んでヨネ、鼓太郎組と対戦。入場時から号泣していたが試合に出場。9分56秒、鼓太郎の顔面絞めに百田が敗れた。試合後、齋藤はリング上から本部席の三沢の遺影に向かって涙の土下座。7月5日、ディファ有明での選手会興行(ファンによる綱引きで対戦相手が決定)で森嶋と対戦。14分50秒、バックドロップに敗れた。9月12日、後楽園ホール大会で森嶋と対戦。事実上のGHC次期挑戦者決定戦だった。スイクルデスはカウント2で返されたが、三沢に放って以来のバックドロップを決め、12分7秒、スイクルデスで勝利。試合後に「おれたちにしかできないことがあるだろ」とGHC王者の潮崎への挑戦を表明し、リング上で潮崎と握手。9月21日、名古屋国際会議場大会で佐々木健介、森嶋組を相手にタッグ王座の防衛戦。32分58秒、森嶋のバックドロップにバイソンがフォール負けして王座転落。9月27日、日本武道館大会(三沢追悼大会)のメインでGHC王者の潮崎に挑戦。試合終盤にバックドロップをカウント1で返され形勢逆転。エメラルドフロウジョンは2で返したが、エルボーの連打をくらって24分42秒、ゴーフラッシャーに敗れた。11月23日、左目眼窩底骨折により長期欠場。12月23日、ディファ有明での丸藤プロデュース興行で復帰。松永光弘の引退記念試合で対戦し、10分24秒 スイクルデスで勝利した。

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