ダークロHP / レスラーノート

ゴリラ・モンスーン
GORILLA MONSOON


本名:ロバート・オットー・マレラ
1937年6月4日
 ニューヨーク州ロッチェスター出身(アラバマ州バーミンガム説あり)
195cm 158kg
タイトル歴:WWA世界タッグ WWWF・USタッグ
得意技:エアプレーン・スピン ジャイアント・スイング

巨体を活かしたスケールの大きいレスリングで活躍した。イタリア系アメリカ人。レストラン経営者の息子として生まれる。高校時代からアマレスで活躍。コーネル大学時代にはアマレス部のキャプテンを務めた。59年にジノ・マレラの名でデビュー。63年3月、日本プロレスに初来日。帰国後ゴリラ・モンスーンと改名し、WWWFのトップヒールとして売り出す。サンマルチノのWWWF王座に7度挑戦。王座獲得はなかった。63年11月14日、キラー・コワルスキーと組んでWWWF・USタッグ王座を獲得。65年4月、ビル・ワットと組んでWWWF・USタッグ王座を獲得。同年9月ごろからロス地区に転戦。 66年1月、ルーク・グラハムと組んでWWA世界タッグ王座を獲得。1月23日にエル・モンゴルと組んでルーク・グラハム、ムーンドッグ・メイン組を破りWWA世界タッグ王座を獲得。 10月20日、日本プロレスの札幌中島スポーツセンター大会でジャイアント馬場のインター王座に挑戦。1本目は20分46秒、ベアハッグで勝利。2本目は23秒、フライング・ボディシザースからフォール負け。3本目はリングアウト負けに終わった。10月28日、宮城県スポーツセンター大会で馬場のインター王座に挑戦。1本目は15分47秒、ロープブレイクを無視してベアハッグを続けたため反則負け。2本目は57秒、ベアハッグで勝利。3本目は2分42秒、32文ドロップキックを3発くらって敗れた。 69年、WWFでベビーフェイスに転向し、ザ・シークと抗争。72年には日本プロレスの第14回ワールド・リーグ戦に参戦し、予選リーグを1位で通過。5月12日、東京都体育館での優勝決定戦でジャイアント馬場と対戦。1本目は10分58秒、逆エビ固めでモンスーンの勝利。2本目は3分42秒、馬場のリングアウト勝利。3本目は2分27秒、逆エビ固めで馬場の勝利。準優勝に終わった。日本プロレスの通算4度の来日を経て74年5月に全日本プロレスに登場。6月24日には10年ぶりにマジソン・スクエア・ガーデンに出場したジャイアント馬場と対戦し敗れた。76年にビンス・マクマホン・シニア、アーノルド・スコーラン、フィル・ザッコーと共にWWWFの親会社キャピタル・レスリング・コーポレーションの株主となり、6分の1の株式を所有。ビンス・マクマホン・シニアの側近としてフロントでも活躍。同年6月2日には、試合後に乱入したモハメド・アリに対してエアプレーン・スピンで投げ飛ばすパフォーマンスを披露。82年にビンス・マクマホンによって、キャピタル・レスリング・コーポレーションが買収され、モンスーンの株式も買い取られたが、終身雇用の地位となる。83年にセミリタイア。引退後もWWFのフロントとして活躍。80年代にはテレビ実況のアナウンサーとしても活躍し、ジェシー・ベンチュラとのかけあいで人気となった。93年にアナウンサーを引退。99年10月6日、ペンシルバニア州フィラデルフィアの自宅で腎不全により死去。

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