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芦原中学時代は砲丸投げの選手。中学卒業後、塗装会社で働いていたが72年10月に新日本プロレス入門。新幹線の食堂のメニューを全部食べるという伝説を作る。73年2月、西条市体育館における栗栖正伸戦でデビュー。80年6月、メキシコ遠征に出発。マーシャルアーツのパンタロンをはいて空手殺法を武器に活躍。81年4月10日、アレナ・メヒコでビジャノ3号のUWA世界ライトヘビー級王座に挑戦したが敗れた。10月2日にアレナ・メヒコで、メキシコ遠征中のアンドレ・ザ・ジャイアントとタッグを組んで話題となった。82年にはアメリカに転戦、ロス地区でキッド・コビーのリングネームで活躍。82年7月18日、ティモシー・フラワーズを破りアメリカス・ヘビー級王座を獲得。10月に凱旋帰国し、初代タイガーマスクと抗争を展開。虎ハンターと呼ばれ注目を集めた。84年9月、ジャパン・プロレスに移籍し、全日本プロレスに参戦。85年6月にはダイナマイト・キッドに反則勝ちし、NWAインタージュニア王座を獲得。2代目タイガーマスク、スティーブ・リーガル、保永、新倉相手に防衛。8月に2代目タイガーマスクに王座を奪われる。86年11月にヒロ斎藤を破り世界ジュニアヘビー級王座を獲得。その後、新日本プロレスに復帰。87年8月20日、両国国技館大会での王座決定トーナメント決勝で高田延彦を破りIWGPジュニア王座を獲得。ヘビー級転向後、92年夏に越中と共に選手会を脱会し、反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。99年2月に解散するまで活躍した。96年10月10日、みちのくプロレス両国国技館大会で、ダイナマイト・キッド、ドス・カラスと組んでミル・マスカラス、初代タイガーマスク、ザ・グレート・サスケ組と対戦。久しぶりのタイガーマスクを相手にフィッシャーマンズスープレックスを決めるなど健闘。試合は15分30秒、ドス・カラスがライガーボムでサスケにフォール勝ちした。00年4月21日後楽園ホールにてライガーを相手に引退試合。引退後はフロント入り(総務部)し、選手の健康管理を担当。07年4月30日、後楽園ホールでの「UWAI STATION 5」で久しぶりに試合に出場。ザ・グレート・カブキをセコンドにつけてドン荒川と対戦。試合はレフリーの山本小鉄を荒川が攻撃したため反則勝ち。消化不良の結末となった。9月21日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインでタイガーマスクと対戦。マスク剥ぎやフィッシャーマンズスープレックスの往年の動きを披露したが、最後は11分21秒、タイガースープレックスからの回転エビ固めで敗れた。08年8月26日、新日本プロレスの後楽園ホール大会(海野レフェリー20周年興行)で、木村健悟と共に越中、後藤達俊、青柳組のセコンドにつき、平成維震軍が一夜限りの復活。試合では永田、天山、中西組と対戦し、場外戦で越中とのハイジャックパイルドライバー、終盤では永田にフィッシャーマンズ・スープレックスを決めて活躍したが、11分34秒、永田のバックドロップホールドに青柳がフォール負け。12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」で剛、タイガー戸口、木村健悟、ドン荒川、ジャイアント小馬場、アントニオ小猪木と共にバトルロイヤルに出場(試合はアントニオ小猪木の勝利)。09年10月12日、両国国技館での蝶野の25周年特別興行のバトルロイヤルに出場。平澤にフィッシャーマンズスープレックスでフォールを奪った。
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