ダークロHP / レスラーノート

後藤達俊

1956年5月25日
愛知県常滑市出身
180cm 115kg 血液型AB型
タイトル歴:IWGPタッグ WAR世界6人タッグ DEP無差別級 RCWインターナショナルヘビー
得意技:バックドロップ

バックドロップの達人。バックドロップでを危うく殺しそうになった事件が有名。スポニチの記者と結婚した(後に離婚)。名城大学時代は重量挙げで活躍しインターハイで3位の成績を残す。大学卒業後、日産自動車に入社。仕事をしつつ新空手道・寛水流(武芸者、水谷征夫と猪木が作った流派)を学び、82年8月に新日本プロレス入門。12月2日、豊田市体育館の山崎一夫戦でデビュー。 85年3月21日、ヤングライオン杯での山田恵一戦で、バックドロップをはじめて使い、山田の肩をはずす。この試合以降、バックドロップをフィニッシュホールドにした。同年に米国へ初遠征し、ランボー・サクラダとのコンビ「ライジング・サンズ」で活躍。10月に帰国。凱旋帰国第1戦でランボー・サクラダと組んでタッグマッチに出場。試合開始直後にバーバリアンにリフトアップされて後方へ投げすてられる。前に投げられるものだと判断したため受け身を誤り、右肩を脱臼してしまい長期欠場。 89年10月、ヒロ斎藤保永とブロンド・アウトローズ(のちのレイジング・スタッフ)を結成。 93年10月に軍団と決別し、越中詩郎率いる反選手会同盟(のちの平成維震軍)の一員となる。 94年1月4日、東京ドーム大会でスーパー・ストロング・マシンと対戦。8分51秒、ダイビングヘッドバットに敗れた。 95年7月25日、平成維震軍の横浜文化体育館大会のメインで山崎一夫と対戦。6分16秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。 97年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会での新日本プロレスと大日本プロレスの対抗戦でケンドー・ナガサキと対戦。9分23秒、パイルドライバーに敗れた。 99年2月に維震軍解散後は小原と共闘し、6月にはIWGPタッグ王座を獲得した。 06年1月27日に新日本プロレスを退団。2月23日、ZERO−ONE MAXの新木場1stRING大会で富豪2夢路と対戦。25秒、バックドロップで勝利。2月28日、キングスロードの後楽園ホール大会に参戦し、相島勇人と対戦。5分39秒、バックドロップで勝利。その後、ZERO1−MAXに参戦。5月19日、ZERO−ONE MAXの大阪市中央公会堂大会で大森隆男の持つAWA世界ヘビー級王座に挑戦。ゴング前からの奇襲をしかけ、大森から奪ったベルトで殴打して流血させ、場外でのバックドロップなどで健闘したが、9分48秒、アックスボンバーに敗れた。5月21日、ZERO−ONE MAXの長崎市NCCスタジオ大会で田中将斗と対戦。10分59秒、バックドロップで勝利。5月28日、ZERO−ONE MAXのツインメッセ静岡大会で高岩竜一と対戦。8分26秒、バックドロップで勝利。7月20日から始まったZERO−ONE MAXのシングルリーグ戦「火祭り」に参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で佐藤耕平と対戦。6分42秒、三角絞めに敗れた。7月23日、青森産業会館大会で関本大介と対戦。9分40秒、バックドロップで勝利。7月24日、秋田市立茨島体育館大会で大森隆男と対戦。7分29秒、アックスボンバーに敗れた。7月25日、いわき市総合体育館大会で崔領二と対戦。7分44秒、バックドロップで勝利。2勝2敗でリーグ戦を終えた。8月2日の無我ワールド・プロレスリングの旗揚げ戦に参加。竹村豪氏と対戦し、9分53秒、バックドロップで勝利。9月15日に無我に正式入団。同日のアクロス福岡大会でマイク・バートンと対戦。8分55秒、ダイビングエルボードロップに敗れた。9月16日、別府杉乃井ホテル大会のメインで西村修と対戦。8分24秒、後方回転エビ固めにフォール負け。9月18日、大阪ABCホール大会で大矢剛功と対戦。10分25秒、バックドロップで勝利。9月22日、広島グリーンアリーナ・小ホール大会で西村と対戦。18分36秒、グランドコブラツイストにフォール負け。9月25日、後楽園ホール大会でヒロ斎藤と対戦。10分16秒、ドラゴンスリーパーで勝利。10月31日、Zepp Sendai大会で吉江豊と対戦。13分22秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。11月5日、大阪府立体育会館・第2競技場大会のメインで西村修と3本勝負で対戦。1本目は9分9秒、バックドロップで勝利。2本目は8分45秒、首固めにフォール負け。3本目は9分55秒、首4の字固めに敗れた。11月20日、六本木ヴェルファーレ大会で倉島信行と3分5Rで対戦。3R1分46秒、バックドロップで勝利。12月7日、EBiS303大会で西村と対戦。10分6秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。 07年1月20日、旭川地場産業振興センター大会でミスター雁之助と対戦。20分時間切れ引き分け。1月24日、大船渡市民体育館大会で長井満也と対戦。14分35秒、ハイパーニー空牙に敗れた。2月23日、船橋アリーナ大会でグラン浜田と対戦。9分18秒、バックドロップで勝利。2月25日、ABCホール大会で吉江豊と対戦。11分7秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。2月27日、明石市立産業交流センター大会で竹村と対戦。11分47秒、V1アームロックで勝利。3月3日、豊田市柳川瀬公園体育館大会で正田と対戦。10分46秒、バックドロップで勝利。3月8日、アクロス福岡大会で倉島と対戦。9分4秒、コブラツイストで勝利。4月3日、無我の大館市民体育館大会でチャド・マレンコと対戦。13分44秒、バックドロップで勝利。4月4日、無我の青森産業会館大会で吉江豊と対戦。14分40秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。4月7日、無我の清水マリンビル大会で長井満也と対戦。21分56秒、ハイパーニー空牙に敗れた。4月11日、無我の後楽園ホール大会で吉川祐太と対戦。5分17秒、バックドロップで勝利。5月16日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で長井と対戦。12分16秒、バックドロップで勝利。5月19日、豊岡アイティ大会で征矢学と対戦。6分40秒、ラリアットで勝利。5月21日、テクスポート今治大会で青柳政司と対戦。12分43秒、バックドロップで勝利。6月24日、東御市ふれあい体育館大会で豊臣太郎と対戦。11分27秒、両者リングアウト。再試合は1分51秒、バックドロップで勝利。6月30日、米沢市営体育館大会で吉江と対戦。15分23秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。9月1日、幕張メッセ国際展示場大会で高木功と対戦。7分10秒、レフリー暴行のため反則負け。11月3日、ウイングハット春日部大会で倉島と対戦。9分21秒、V1アームロックで勝利。11月18日、国東体育館大会で高木功と対戦。8分52秒、首固めでフォール勝ち。11月20日、大分イベントホール大会で藤波辰爾と対戦。7分23秒、足4の字固めに敗れた。11月29日、東京スポーツのインタビューで無我の批判をしたことにより、無我から所属解除された。 08年2月11日、健介オフィスの後楽園ホール大会でメイン終了後に小原と乱入。健介をイス攻撃でKOし、後藤は「いつでもやってやる」、小原も「健介どうした。文句があるならかかってこい」と挑発した。3月28日、小原と共に健介オフィスの博多スターレーン大会に乱入。相島勇人と組んで山口竜志、起田高志、南野武組と対戦。延々と場外戦を続け、13分34秒、反則負け。4月27日、DEPの刈谷産業振興センター大会で青柳政司の王座に挑戦し、バックドロップで勝利。DEP無差別級王座を獲得した。5月12日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」に出場し、マシン6号(マネージャーは若松市政)と対戦。5分37秒、バックドロップで勝利した。6月13日、健介オフィスの大阪府立体育会館第2競技場大会で小原と組んで起田高志、南野武組と対戦。16分2秒、小原のドッグボムで起田に勝利。 09年3月4日、DEPの刈谷産業振興センター大会で豊臣太郎を相手に防衛戦。回転エビ固めにフォール負けして王座転落。3月27日、MAKEHENの新木場1stRING大会で柴田正人の王座に挑戦。バックドロップで勝利。RCWインターナショナルヘビー級王座を獲得。7月18日、DEPの刈谷産業振興センター大会で柴山貴哉を相手にRCWインターナショナルヘビー級王座の防衛戦。10分33秒、バックドロップで勝利。7月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会でスコーピオと組んでランス・ケイドトレバー・マードック組と対戦。12分25秒、マードックのダイビング・ブルドックに後藤がフォール負け。8月2日、ベイダータイムの新木場1stRING大会で安田忠夫と対戦。4分、レフリー暴行による反則負け。8月27日、ハッスルの後楽園ホール大会(越中の30周年記念大会)でRGと対戦。3分52秒、ラリアットで勝利した。12月18日、DEPの刈谷産業振興センター大会で入江茂弘と対戦。9分、バックドロップで勝利。 10年6月9日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会に出場し、高山、関本と組んで天龍百田北原組と対戦。15分55秒、関本がダイビングボディプレスで北原に勝利。

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