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越中詩郎

1958年9月4日
東京都江東区出身
185cm 105kg 血液型B型
タイトル歴:IWGPタッグ WAR認定世界6人タッグ IWGPジュニア
得意技:ヒップ・アタック パワーボム

東京電力に1年勤める。78年7月、全日本プロレス入門。入団当初パンチパーマをかけていたがすぐに先輩に丸坊主にされ眉毛までそられる。79年3月5日、千葉県館山市民センターの園田一治戦でデビュー。81年2月に初勝利。83年にルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢を破り優勝。5月20日、泉佐野市民総合体育館大会で三沢と組んで阿修羅原マイティ井上組のアジアタッグ王座に挑戦。越中のフライングニードロップが炸裂するなど予想以上の健闘を見せたが、12分51秒、三沢への原の雪崩式ブレーンバスターに敗れた。84年にメキシコに遠征。サムライ・シローの名で人気を獲得した。7月13日、アレナ・メヒコでエル・サタニコとカベジェラ戦で対戦し、敗れて髪の毛を剃られた。ともに遠征した三沢は84年8月に帰国しタイガーマスクとなったが、越中は一人残される。85年8月、新日本プロレスに移籍して帰国。帰国後、新日本プロレスの社長である坂口征二の提案で、ジャイアント馬場に退団の挨拶のため遠征先の八戸のホテルに向かう。偶然ホテルで天龍源一郎に会う。心配した天龍は、越中に付き添って馬場の部屋に向かうことにした。怒り心頭の馬場は、越中の方を向こうとしなかったが、全日本プロレスに乱入して小林邦昭の世界ジュニア王座挑戦をアピールするように要請した。天龍からの意見もあり、その提案を断り退出。天龍からは別れ間際に、驚くほどの額の餞別を渡された。86年2月、IWGPジュニア王座決定リーグ戦に出場。決勝でザ・コブラを破り初代IWGPジュニア王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田とジュニアベルトを争う。87年3月には武藤と組みIWGPタッグ王座にも君臨。ヘビー級転向後の92年8月、反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。 96年9月19日、新日本プロレスの岡山県体育館大会での日米対抗スーパースターズ・トーナメント1回戦でヒュー・モリスと対戦。8分4秒、ヒップアタック2連発で勝利。9月21日、後楽園ホールでの2回戦でスティングと対戦。9分57秒、前方回転エビ固めで勝利。9月23日、横浜アリーナでの準決勝で橋本真也と対戦し、10分56秒、ヒップアタックで勝利。同日の決勝で佐々木健介と対戦し、12分10秒、ノーザンライトボムからのラリアット2連発に敗れた。 98年7月、天龍と組みIWGPタッグ王座に君臨。99年2月、維震軍解散を宣言し新日本隊に復帰。3月には健介とのコンビでIWGPタッグ王座に返り咲いた。全日本プロレスの大量離脱の時にはOBとして全日支援の姿勢を表明。00年10月、古巣の全日本プロレスに参戦し、三冠王者決定トーナメントに出場。03年にWJプロレスに参加。新日本プロレス時代には長州の運転手をしていた関係もあった。しかしWJプロレスは興行面で不調が続き、離脱。その後10月31日にフリー転向。11月1日、ノアの武道館大会に乗りこみ、「19年前の約束を果たしに来た」と三沢光晴に対戦を直訴。12月6日、横浜文化体育館大会で三沢とシングルで対戦。容赦のないナックルパートを三沢の顔面に叩きこみ、この対戦のためにあみだした新必殺技の侍ドライバー’84は不完全ながらも決まり、試合を優位に進めたが三沢も反撃。タイガードライバー、フロッグスプラッシュ、フェイスロックと反撃されて、最後は18分39秒、変形エメラルドフロウジョンに敗れた。04年1月17日、ノアのディファ有明大会で井上雅央と対戦し、9分20秒、パワーボムで圧勝。05年5月15日、ノアのディファ有明大会で森嶋猛と対戦し、8分12秒、ダイビング・ヒップアタックからのパワーボムで勝利。その後、07年にお笑い芸人のケンドーコバヤシが越中をネタに使ったことで人気爆発。会場人気が後押しして、5月2日の後楽園ホール大会でIWGPヘビー級王者の永田裕志に挑戦。越中にとっては11年2ヶ月ぶりのIWGP王座挑戦となった。新撰組の羽織袴で入場。入場時の大「越中」コールに感極まって涙を見せ、涙を我慢するためにリング外を1周してから入場した。序盤はヒップ攻撃で優位に立ち、ジャーマン、回転足折り固め、軸足払い、パワーボム、侍ドライバー84などで奮闘したが、ミドルキックなどで反撃され、14分11秒、バックドロップホールドで敗退。試合後の永田は「今日は張り切りすぎていつもより打点がすごかったな。いきなり1発目が唇に入ったんですよ。平成維震軍の頃ね、新弟子でいいようにいたぶられてた時を思い出しました。気持ちが不可能を可能にしたというか。いつもより打点を高くした気迫というか」と越中のヒップアタックを讃えた。8月にG1に出場。5日に中西学に勝利。6日にミラノコレクションA.T.に敗退。8日に侍ドライバー84で中邑真輔に勝利。10日に矢野通に敗れる。11日には越中への大声援の中、棚橋と対戦したが、ハイフライフローに敗れて予選リーグ敗退。10月13日からメキシコ遠征。ルードとして活躍。7月27日、ハッスルの横浜大会でザ・モンスター℃と対戦。ハチマキ、袴姿のケンドー・コバヤシがセコンドにつき応援。6分16秒、ダイビング・ヒップアタックからのパワーボムで勝利。試合後「おい、総統?ふざけんなこのやろー、高田延彦だろ」と高田総統を挑発。「おいエッチュー、高田延彦は、おまえなんかに興味がないと思うよ。いつまでも過去を引きずってるんじゃないよ。なにがサムライだよ」と高田も答えるが、越中は「今どき小学生でもそんな格好しねえよ。この夏はバリバリ熱くさせてやるって。やってやるって!」と、「まだ話が終わってないよ」と困惑する高田総統を無視してリングを後にした。8月21日、ハッスルの後楽園ホール大会でのハッスルGP1回戦で天龍と対戦。9分14秒、ブレーンバスターで勝利。8月23日、ハッスルの大阪府立体育会館大会での2回戦で坂田亘と対戦。坂田が入場した瞬間にヒップアタックで場外に転落させ、エプロンからダイビングヒップアタックの奇襲。パワーボムやダイビングヒップアタックなどで追いこんだが、16分39秒 、スーパーキックに敗れ、坂田の握手を拒否してリングを降りた。09年2月22日、ハッスルの幕張メッセ 大会で川田利明と対戦。14分28秒、PKに敗れた。8月27日、後楽園ホールでのハッスルのリングで、デビュー30周年記念大会を開催。メインで永田、ライガーと組んで天龍、川田、TAJIRI組と対戦。15分18秒、越中のパワーボムでTAJIRIに勝利。試合後に「越中詩郎はこれからもバリバリつっ走っていきます。応援よろしくお願いします。それじゃあいくぞ、3、2、1、やって、やるって!」で観客と一緒にポーズを決めた。10月10日、ハッスルの両国国技館大会でハッスル連合軍対RIKI軍団の5対5の勝ち抜き戦に中堅として登場。坂田亘と対戦し、5分29秒、ジャパニーズレッグクラッチホールドで勝利。次に高山善廣と対戦し、3分12秒、エベレストジャーマンに敗れた。この大会を最後にハッスルが崩壊。
(週刊プロレスNo.1480 越中のインタビューより メキシコ遠征時代)
最初は本名で試合をやっていて、ワーッて沸いてくれるんだけど、ファンが名前を覚えてくれないから、簡単で覚えてもらえる名前を考えなきゃいけないと思っていたんですよ。そんな時に乗ったのが日本車のタクシーで「この車、何ていう名前なの?」って運転手に聞いたら「サムライ!」って言うから「いいじゃない。三沢。俺はこれでいくぞ。俺がサムライ・シローなんだから、お前もミサワ・ミツハルじゃ駄目だ」って。そうしたら「カミカゼっていう日本の車があるんですよ」って三沢が言うから「じゃあ、お前はカミカゼにしろ」って。それでカミカゼ・ミサワ。あいつ、あんまり嬉しそうな顔しなかったな(苦笑)。でも、僕は説得したんですよ、「まず、この地で名前を覚えてもらうのが先決じゃねぇか」って。

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