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剛竜馬

本名:八木宏
1956年3月23日
東京都新宿区三光町出身
185cm 105kg
タイトル歴:アメリカス・タッグ WWWFジュニア
得意技:バックドロップ ランニング・ネックブリーカー

中学生から神戸に転居。70年、日本プロレスの練習生としてトレーニングを積む。71年に国際プロレスが行った第1回新人選手公募に合格してプロレス入り。72年9月9日、藤岡市体育館大会で米村勉を相手にデビュー戦を行い、10分時間切れ引き分け。73年3月、清美川に伴われてヨーロッパに遠征。その後カナダ、フロリダ(ヒロ・マツダのコーチを受ける)で武者修行。帰国後、76年7月に一般公募で剛竜馬に改名。国際プロレスの未来のエースといわれる。78年5月に突然フリー宣言。凱旋帰国をした新日本プロレスの藤波に挑戦を表明。フロリダに移動し、ヒロ・マツダのコーチを受ける。7月27日、日本武道館大会で藤波のWWWFジュニア王座に挑み善戦。11月30日、広島県立体育館で藤波に2度目の挑戦をしたが、健闘むなしく敗れた。渡米し、ロスからカナダに転戦。ブリティッシュ・コロンビア州で活躍後、帰国。79年10月2日、大阪府立体育館大会で藤波に3度目の挑戦。ポスト最上段から場外へのダイビング・ボディアタックを放った。16分53秒、最後は一瞬の隙をついた逆さ押さえ込みで勝利。WWFジュニア王座を獲得した。10月4日、蔵前国技館大会で藤波相手に防衛戦。試合開始早々のジャーマンスープレックスで優位に立った剛は、ダブルアームスープレックスで追いうちをかけるが、藤波もドラゴンロケット、ジャンピング・パイルドライバーなどで反撃。14分13秒、最後は剛のブレーンバスターを切り返した藤波のジャパニーズ・レッグロールクラッチで敗れた。その後は精彩を欠く。80年4月、第3回MSGシリーズに参戦。決勝リーグで9戦全敗に終わった。82年7月23日、ラスベガスでラッシャー木村と組んでジ・エイドリアン、ダイアモンド・ティモシー・フラワーズ組を破り、アメリカス・タッグ王座を獲得。8月20日にへクター・ゲレロ、マンドー・ゲレロ組に敗れて王座転落。84年4月に旧UWFの旗揚げに参加。新間への義理で加わっただけで、格闘技の練習は一度もしなかった。UWFでは旗揚げ当初からブッカーとしても活動し、カナダからレオ・バーク、フレンチ・マーテルらを招聘した。9月にブッカーから外される。10月5日にUWFを離脱。その後は全日本プロレスに登場。89年4月、パイオニア戦志を旗揚げ。パイオニア戦志は剛、高杉菅原の3人だけなので旗揚げ戦は2試合。まずはじめたのが練習生によるリング上での公開練習。練習生はえんえんとスクワットを続けた。その後、リング上で観客参加の腕相撲大会。第1試合が高杉対菅原。リングアナのコールが「本日のセミファイナルー!」。メインは剛対当時フリーだったFMW旗揚げ前の大仁田。大仁田のいきなりのイス攻撃など場外でのラフ殺法で、両者流血。最後はリング上で剛のアキレス腱固めが決まりレフェリーストップで剛の勝ち。その後もパイオニア戦志の運営を続けていくが、91年2月に予定されていた興行を順延し、アメリカ遠征を提唱。この時点でパイオニア戦志は崩壊した。26日に渡米。試合は行わずに4月上旬に帰国。92年、オリエンタルプロレス旗揚げ。テレビ番組「リングの魂」に時々出演したをきっかけに、「プロレスバカ」なるニックネームでインディー団体でブレイク。「ショアッ!」のかけ声が有名になる。93年、剛軍団旗揚げ。94年8月1日、剛軍団の後楽園ホール大会で宇宙魔人Xとエニウェア・エニシング・デスマッチで対戦。観客の「ショア!」や「バカ」コールを受けて大奮闘し、9分45秒、パワーボムからのバックドロップで勝利した。95年4月2日、東京ドームでのベースボールマガジン社主催の「夢の懸け橋」に出場。プロレス団体が集結したこの大会の第4試合に登場し、6万人もの大観衆の「ショアッ!」コールの中で宇宙魔人シルバーXと対戦。15分11秒、ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップで勝利した。7月15日、後楽園ホールでの「格闘技の祭典」で奥村茂雄と対戦。11分7秒、パワーボムからのドラゴンスリーパーで勝利。7月30日、剛軍団の後楽園ホール大会で「プロレス・バカ三変化」として3試合を行った。第1試合はオレゴンのインディレスラー、ディーン・ラッシュを相手に格闘技戦。3R2分24秒、変形腕ひしぎ逆十字固めで勝利。第2試合は宇宙魔神シルバーXを相手に決め技限定マッチで対戦。剛の決め技はフライングネックブリーカーとフランケンシュタイナーで、シルバーXは凶器攻撃とテキサス・クローバーホールド。3カウントは取れなかったが超スローなフランケンシュタイナーをなんとか決めてみせ、最後は10分45秒、フライングネックブリーカー3連発で勝利。第3試合はエニウェア・エニィシング・デスマッチで大型マスクマンのジ・アンドロイドと対戦。ラッシュが乱入して1対2になったが、ジェシー・バーが助けに入り合体攻撃でたたみかけ、最後はドラゴンスリーパーからKO勝ち。その後、冴夢来プロジェクトを旗揚げ。96年8月4日、冴夢来プロジェクトの厚木荻野運動公園体育館大会のメインでジェシー・バーと対戦。13分38秒、横入り式エビ固めで勝利。9月27日、冴夢来プロジェクトの会津坂下町民体育館大会でグレート・センセイ(畠中浩旭)と対戦。12分32秒、バックドロップで勝利。97年12月23日、後楽園ホールでの力道山OB会主催興業に出場し、船越英仁と対戦。6分36秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。03年に窃盗容疑で逮捕。04年5月16日、強力なスポンサーをつけてWAP(NPO法人レッスル・エイド・プロジェクト)を旗揚げ。中心選手として活躍しつつ、カナダ・カルガリーのスタンピートレスリングやヨーロッパのインディ団体と提携をして、ピーティー・ウイリアムス、ジャック・エバンスなどの個性的な選手を日本に招聘していたが、05年5月2日の後楽園ホール大会を最後に資金難に陥って団体が崩壊。08年12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」で小林邦昭タイガー戸口木村健悟ドン荒川、ジャイアント小馬場、アントニオ小猪木と共にバトルロイヤルに出場(試合は アントニオ小猪木の勝利)。09年9月3日、和志組の新木場1stRING大会に出場し、松崎和彦と組んで鶴見五郎、佐野直組と対戦。10分35秒、剛のドラゴン・スリーパーで佐野に勝利した。これが最後の試合となった。10月18日、敗血症のため死去。
― そもそもショア!ってどういう意味なんですか?
剛 俺はね、ショア!なんて言ってなかったんだよ。『ヨッシャ、やるぞ!』って言ったの。それを週プロがショア!って書いたんだよね。俺は滑舌が悪いからそう聞こえたみたいだけど。ヨッシャやるぞ、ヨシャやるぞ、ヨシャ、ショア!みたいに。いまはみんなが期待してるからショア!って言ってるけど、最初は違ったんだよ。
(週刊プロレスNo.1459 剛のインタビューより)

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