ダークロHP / レスラーノート

ケン・シャムロック
KEN SHAMROCK


本名:ケネス・ウェイン・キルパトリック
1964年2月11日
ジョージア州ハウストン出身
184cm 97kg
タイトル歴:キングオブパンクラス WWFタッグ WWFインターコンチネンタル
得意技:フロント・スープレックス

父ボブの指導で10歳からアマレスを始める。高校時代の82年にカリフォルニア州レスリング・エイト王者となる。84年にカレッジレスリング王者にもなった。88年のソウルオリンピックにフリースタイル・ヘビー級で出場し、優勝したウイリアム・シューに敗れた。シャーロッテのネルソン・ロイヤル・ジムに入り89年にデビュー。9月に全日本プロレスに初来日。その後、格闘技路線に転向。90年10月、新生UWFに来日。その後、91年3月から藤原組に出場。9月28日、藤原組の博多スターレーン大会で鈴木みのると対戦。16分34秒、フルネルソン・スープレックスでKO勝ち。92年10月4日、藤原組の東京ドーム大会でドン・中矢・ニールセンと対戦。1R45秒、腕固めで勝利した。93年9月21日、東京ベイNKホールでのパンクラス旗揚げ戦で船木誠勝と対戦。1R6分15秒、肩固めで勝利した。11月のUFCトーナメントに出場して準決勝でホイス・グレイシーと対戦して惨敗。94年12月のキング・オブ・パンクラス・トーナメントに優勝してパンクラスの初代王者になった。95年4月にUFCシャーロッテ大会でホイス・グレイシーと再戦。計36分を戦い抜き引き分けに終わった。7月14日、UFCのワイオミング州キャスパー大会でダン・スバーンと対戦。身長で5.1センチ、体重で24.9キロ上回る相手に2分15秒、フロント・ネックロックで勝利。9月8日、UFCのニューヨーク州大会でオレッグ・タクタロフと対戦。グラウンドで膠着状態が続き、30分時間切れ。3分の延長戦でも決着がつかずに引き分けに終わった。その後も格闘技路線で活躍する。97年2月にWWFに進出。「モースト・デンジャラス・マン」の異名で活躍。12月7日、世界王者のショーン・マイケルズに挑戦。必殺のアンクルロックの体勢に入ったところでマイケルズの仲間のHHHが乱入し反則勝ち。規定により王座奪取に失敗した。98年10月12日、WWFインターコンチネンタル王座を獲得。12月14日、ビッグ・ボスマンと組んでWWFタッグ王座を獲得。99年にWWFを離脱。00年5月1日、PRIDEでアレクサンダー大塚と対戦。1R分9分43秒、スタンドでのパンチでTKO勝ち。8月27日にPRIDEで藤田和之と対戦。1R6分46秒、TKO負け。02年2月24日。PRIDEでドン・フライと対戦。3R判定負けに終わった。03年5月2日、新日本プロレスの東京ドーム大会に登場。新日本プロレスでは魔界倶楽部の一員としての登場となった。飯塚高史と対戦し、11分44秒、アンクルホールドで勝利。04年5月3日、新日本プロレスの東京ドーム大会でジョシュ・バーネットと対戦。13分13秒、キックがレフリーに当たってしまい、反則負け。05年10月23日、PRIDEで桜庭和志と対戦。1R2分27秒、グラウンドでのパンチによりTKO負け。08年3月8日、息子ライアンとイギリスの総合格闘技大会ケージ・レージチャンピオンシップ25に出場。06年10月のUFC以来の復帰戦で、ロバート・ペリーと対戦。1回3分26秒、パンチを受けてKO負け。ライアンも1回終了後、手首負傷でドクターストップ負けとなった。09年3月11日、禁止薬物の検査で陽性反応が出たため、カリフォルニア州のアスレチックコミッションから1年間の出場停止処分を受けた。12年6月1日、パンクラスのキング・オブ・パンクラシスト委員長に就任。15年6月19日、ベラトールのミズーリ州セントルイス大会でキンボ・スライスと対戦。4年7ヶ月ぶりの試合となった。1R2分22秒、右フックをくらってKO負け。16年2月19日、ベラトールのテキサス州ヒューストン大会でホイス・グレイシーと対戦。右膝蹴りとパウンドの連打をくらって1R2分22秒、TKO負け。 19年10月20日、インパクト・レスリングのPPV「バウンド・フォー・グローリー」でムースと対戦。スピアーに敗れた。11月5日、インパクトの放送でジョーイ・ライアンと対戦。アンクルロックで勝利。12月10日、インパクトの放送でサミ・キャラハンと対戦。コーナーの相手への体当たりをしたがキャラハンがレフリーを巻き添えに。アンクルロックを決めてタップを奪ったがレフリーはダウンしたまま。乱入したマッドマン・フルトンの攻撃をくらいKOされ、そのままアンクルロックを決められてレフリーストップ負け。

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