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ケリー・フォン・エリック
KERRY VON ERICH


本名:ケリー・アドキッセン
1960年2月3日
ニューヨーク州バッファロー出身
190p 116kg
タイトル歴:NWA世界ヘビー WCWA世界ヘビー ミズーリ州ヘビー WWFインターコンチネンタル・ヘビー
得意技:タイガークロー(アイアンクロー) ディスカスパンチ(トルネードパンチ)

「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの四男。学生時代には円盤投げの選手として活躍。77年に地元のダラスでデビュー。デビュー1年目でNWA世界王者のハーリー・レイスに挑戦した。長髪と恵まれた体格、必殺のアイアンクローを武器に活躍し、地元テキサスでは絶大な人気を誇った。83年1月にハリー・レイスを破りミズーリ州ヘビー級王座を獲得。3月にミズーリ・ヘビー級王者として全日本プロレスに初来日。3月31日の来日第1戦は大熊元司と対戦し、パンチ連打からのディスカスパンチで勝利した。4月4日に石川敬士を相手に防衛戦を行い、タイガークローからの強引なフォールで勝利。84年5月6日にテキサススタジアムでのデビッド・フォン・エリックの追悼興行「パレード・オブ・チャンピオンズ」でリック・フレアーと対戦。必殺のアイアンクローを外されるが、4の字固めを決めさせず、最後は逆さ押さえ込みで勝利して、32123人の大観衆の前で若干24歳にしてNWAヘビー級王座を奪取した。王者として全日本プロレスに来日し、5月24日に横須賀市総合体育館大会でリック・フレアーを相手に防衛戦。1本目はケリーが15分51秒に取り、2本目は3分24秒に四の字固めでフレアーが取った。3本目は7分19秒に回転エビ固めをフレアーに切り返されてフォール負け。NWA王座から転落した。85年10月、兄ケビンとのタッグで新日本プロレスに参戦した。86年6月4日にオートバイ事故で入院、片足のくるぶしから下を切断。だが義足を使って復帰。87年10月17日、ダラスのコットン・ボウル・スタジアム大会で、復帰戦として5分1本勝負のエキシビション・マッチでキラー・ブルックスと対戦し、アイアンクローで勝利。88年3月6日、WCWA世界ヘビー級王座を獲得。25日にアイスマン・キング・パーソンズに敗れて王座を明け渡すが、5月8日に勝利して王座奪回。10月23日にジェリー・ローラーに敗れて王座転落するが、11月4日に勝利して王座奪回。12月9日に後楽園ホールでIWGP王者の藤波辰爾とダブルタイトルマッチで対戦。11分45秒、両者リングアウトで引き分け。直後に再試合が行われ6分41秒、レフリーストップにより藤波が勝利した。藤波は試合内容を不服として次の日にWCWA王座を返上した。88年12月13日、ジェリー・ローラーと対戦。パイルドライバーが決まったが、レフリーダウンのためカウントが2。その後はローラーのパンチで流血。試合終盤にアイアンクローが完全に決まったが、大流血のためレフリーストップで敗れた。ケーリーは王座転落し、AWA王者だったジェリー・ローラーは統一ヘビー級王者と名のった。この瞬間、WCWA王座は消滅した。テキサスのWCWAも89年8月に崩壊した。90年からはテキサス・トルネードの名でWWF入り。8月27日、カート・ヘニングからインタコンチネンタル王座を奪取した。11月19日、ヘニングに敗れて王座転落。91年3月にSWSの東京ドーム大会に参戦し、インターコンチネンタル王者のカート・ヘニングに挑戦。6分59秒、反則勝ちしたが、ルールにより王座は奪えなかった。11月8日、SWSの函館市民体育館大会のメインで天龍源一郎と対戦。9分11秒、ラリアットに敗れた。11月10日、SWSの札幌中島体育センター大会でケンドー・ナガサキと対戦。11分25秒、アイアンクローで勝利。12月12日、SWSの東京ドーム大会に出場し、テッド・デビアスと対戦。終盤にディスカスパンチを決めて、必殺のタイガークローが決まりかけたが、マネージャーのシェリー・マーテルがエプロンで騒ぎたてたため、マーテルにタイガークロー。背後からデビアスに体当たりをくらい、9分18秒、DDTに敗れた。レスラー生活を通じてドラッグを常用し続けていたため、試合をサボっては出場停止をくらった。92年2月8日、処方箋を偽造した罪で逮捕された。同年7月、WAR旗揚げ戦に来日し、冬木に1分で敗れる。同月、WWFを離脱。93年2月17日、執行猶予期間中にコカイン所持の罪で再逮捕された。刑務所収監を目前にし、2月18日に自宅の農場で胸を撃ちぬいてピストル自殺。エリック兄弟5人目の悲劇となった。

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