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グレート小鹿

本名:小鹿信也
1942年(40年説あり。04年4月27日現在の大日本プロレス公式ページでは40年になっている)4月28日
北海道函館市出身
185cm 115kg
タイトル歴:USヘビー アジアタッグ アメリカスヘビー アメリカスタッグ ウェスタン・ヘビー 日本海6人タッグ 自由が丘6人タッグ UWA6人タッグ KFCタッグ 横浜ショッピングストリート6人タッグ 新潟無差別級 新潟プロレスタッグ
得意技:ニードロップ かきむしり チョーク攻撃

北海道函館市の漁師一家に生まれる。中学卒業後、就職したが60年4月に上京し、出羽海部屋に入門。最高位は西三段目76枚目。相撲界には約3年在籍した。その後、都内の魚屋で働く。62年11月、日本プロレスに入門。63年5月9日、マシオ駒戦でデビュー。64年には小鹿雷三に改名。ニードロップやかきむしり戦法でファイト。中堅どころで活躍。67年9月10日に大熊と共に渡米。ノイローゼになった大熊を助け、「ライジングサンズ」というチーム名でテネシー、ジョージアのタッグ王座を獲得。大熊の帰国後はロスに転戦。69年10月にドン・カーソンと組んでアメリカスタッグ王座を獲得。12月19日、マスカラスを破りアメリカスヘビー級王座を獲得。70年6月12日、ジョン・トロスと組んでアメリカスタッグ王座を獲得。9月に帰国。同月、第1回NWAタッグリーグ戦に吉村道明と組んで参戦。4勝4敗でリーグ戦を終えた。帰国後は日本プロレスの中堅選手として活躍。71年9月、第1回NWAタッグリーグ戦に上田と組んで参戦。4勝6敗でリーグ戦を終えた。72年9月、第3回NWAタッグリーグ戦に大木金太郎と組んで参戦。3勝1敗でリーグ戦を終えた。73年3月3日、王座決定戦でキラー・カール・クラップ、クルト・フォン・スタイガー組を破り、アジアタッグ王座につく(パートナーはミスター松岡)。4月、日本プロレス崩壊。6月、全日本プロレスに移籍。74年1月にテキサス・アマリロへ再渡米。この時はカンフー・リーを名のり、アマリロ地区でトップヒールの座を獲得。テリー・ファンクからウェスタン選手権を獲得した。ロスではUSヘビー、太平洋タッグ、TV王座などを獲得。ある日、試合の予定を確認するためにプロモーターのオフィスに行ったらスケジュール表にOFFとあった。小鹿はOFFなる地名を休日返上で探し回ったという。9月に帰国後は大熊との極道コンビを復活させ、全日本プロの名物コンビとなった。76年3月、韓国のソウルで行われたアジアタッグ王座決定戦では、大熊と組んで呉大均、洪武雄を破り、再びアジアタッグ王座を獲得。日本プロレス時代から、地方興業のプロモーターを兼任していた。84年には映画「修羅の群れ」(東映。山下耕介監督)に出演。88年7月31日に引退。全日本プロレスが行わなかったので、自分で引退興行をプロモートした。引退後、プロモーターとして全日本プロレス、SWSの興行を手がけた。その後、WARの営業部長をしていた。出身地の函館でパチンコ店、ビリヤード店なども経営。 94年12月、大日本プロレスを設立。デスマッチ路線で興行。 95年に現役復帰。多彩なコスチュームでファイトし、「コスプレ社長」と呼ばれた。 97年1月、新日本プロレスの東京ドーム大会でマサ斎藤と対戦。タキシードでファイトした。試合は4分25秒、足首固めで敗退。 03年8月21日には後楽園ホールで「一軒家プロレス」を開催。大会のためにグレート小鹿邸を後楽園ホールに建て、家の中でのデスマッチを展開。非道率いるマッドマン・ポンド、マイク・サンプラス、トゥー・タフ・トニーの外人軍団に3連敗を喫してキッチン、トイレ、2階とリビングルームを奪われた大日本軍だったが、小鹿社長は寝室の「推定2億円」の壷の中に隠しておいた権利書を死守。第4試合での8人入り乱れての戦いに勝利して権利書を守った。試合中に大日本プロレスの5選手も乱入して小鹿邸を破壊。小鹿邸は全壊した。11月21日、仙台に「プロレスちゃんこ小鹿」を開店。野球は巨人ファン。 06年12月31日、後楽園ホールでの「インディサミット2006」で「100万円争奪プレジデント・ランブル」に出場。インディ団体の社長8人がバトルロイヤルで対戦し、優勝したら100万円もらえるビッグチャンスに奮闘。最後に残った新崎人生に落とされそうになるが、リング下にいた他の社長たちに手助けされてリングに残る。人生を背後から強引にリングに落とし、みごと優勝した。試合後に「みなさん、ありがとうございます。大日本はお金に困っているので助かります。それは冗談ですが、こんなたくさんのお客さんが、インデーサミットに集まっていただき、ありがとうございます。この100万円も欲しいんですが、来年の営業資金としてみんなで分けます。ありがとうございました」と賞金を7団体で分割することを宣言した。 07年4月30日で仙台の「プロレスちゃんこ小鹿」を閉店。 08年5月12日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」に来場。高杉正彦鶴見五郎組対グレート小鹿DNA(谷口裕一)、ザ・グレート・カブキDNA(ザ・グレート・サスケ)組の試合中に、鶴見たちの反則攻撃から弟子を救出するためにザ・グレート・カブキと共に乱入し、勝利をアシストした。12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」でザ・グレート・カブキと組んで山本小鉄星野勘太郎組と対戦。10分、時間切れ引き分けに終わった。 09年10月12日、両国国技館での蝶野の25周年特別興行のバトルロイヤルに出場。パウダー攻撃で反則をとられて退場。10月14日、フリーダムズの新木場1stRING大会でバラモンシュウバラモンケイ、Ken45°を相手にハンディキャップマッチで対戦し、11分57秒、アイアンクローで押さえこんでフォール勝ち。11月11日、フリーダムズの新木場1stRING大会で佐々木貴、葛西、ウインガーと組んでTAJIRI、藤田ミノル、菅原アブドーラ小林組とキャプテンフォール・イリミネーションマッチで対戦。19分4秒、TAJIRIのバズソーキックに小鹿がフォール負け。12月9日、新木場1stRING大会で佐々木貴、GENTAROと組んでTAJIRI、越中、大原はじめ組と対戦。20分6秒、小鹿が大原にフォール勝ち。12月31日、後楽園ホールでの大日本、DDT、KAIENTAIの共催興業「天下三分の計 大晦日年越しスペシャル」でタイガー戸口マイティ井上鶴見五郎グラン浜田と組んでTAKAみちのく、アブドーラ小林、高木三四郎、ポイズン澤田JULIE、MEN’Sテイオー組とイリミネーションマッチで対戦。14分30秒、スクールボーイで最後に残ったTAKAにフォール勝ちした。 10年1月、フリーダムズで小鹿軍団を結成。4月6日、フリーダムズの新木場1stRING大会でTAJIRIを小鹿軍団に勧誘したが、バズソーキックをくらって遺恨発生。5月2日、フリーダムズの横浜赤レンガ倉庫大会でTAJIRIとシングルで対戦。68歳の年齢ながら小鹿軍団の助けを借りて健闘を見せたが13分30秒、グリーンミストからのバズソーキックに敗れた。5月4日、横浜文化体育館で大日本プロレス旗揚げ15周年記念大会を開催。6月21日、フリーダムズの後楽園ホール大会で小鹿軍対フリーダムズ軍の全面対抗戦。2勝2敗からのGENTARO相手の大将戦に登場し、19分10秒、シャープシューターに敗れた。7月25日、ケニー・オメガの代役として日本海6人タッグ王者として承認され、DDTの両国国技館大会に登場。りほ、ミスター6号と組んで自由が丘6人タッグ者のKUDO、ヤス・ウラノ、アントーニオ本多組、UWA6人タッグ王者の佐藤、石井、ヨシヒコ組を相手に3冠統一戦。68歳、13歳、8歳という年齢差にも関わらずチームワークよく奮闘し、12分2秒、りほがくるくるりぼんで本多に勝利して3冠タッグ王座を獲得。その後もフリーダムズで小鹿軍団は勢力を拡大させて団体の中心勢力として活動を続けたが、大量離脱により勢力はやがて縮小。 11年5月31日、フリーダムズの新木場1stRING大会でペイントレスラーのグレート・シカに変身し、大家健を相手にアメリカス王座(架空の王座)の防衛戦。小鹿軍が大家を総攻撃し、6分1秒、ラ・マヒストラルでフォール勝ち。7月7日、新木場1stRINGで生誕69年&デビュー49年記念興業を開催。メインで49人を相手に試合を行い(1人につき制限時間は30秒)、13勝3敗33分けで無事に試合を終了した。10月27日、フリーダムズの新木場1stRING大会でGENTAROと対戦。小鹿軍団残党の助けを借りつつも真っ向勝負を展開したが、10分5秒、スーパーキックをくらってフォール負け。11月10日、後楽園ホールでの天龍のデビュー35周年記念興行に登場。第1試合で天龍、百田と組んで泉田菊地志賀組と対戦。10分53秒、百田がサムソンクラッチで志賀にフォール勝ち。 12年6月17日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で関本、岡林と組んで組と対戦。引退試合である88年7月31日以来の全日本プロレス参戦となった。8分44秒、曙のエルボードロップ、ランニングボディプレスに小鹿が押しつぶされてフォール負け。9月17日、フリーダムズの新木場1stRING大会でアントーニオ本多と対戦。12分13秒、アイアンマンクロースラムで勝利。11月12日、フリーダムズの廿日市市もみのき森林公園体育館大会で佐野直と対戦。7分4秒、アイアンクロースラムで勝利。同大会で17人参加の時間差バトルロイヤルに参戦。27分2秒、最後に残った宮本裕向の回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。 13年5月30日、フリーダムズの新木場1stRING大会で藤田ミノルと対戦。10分50秒、パウダー攻撃からの体固めでフォール勝ち。 14年1月からジ・ウインガーと組んでフリーダムズのKFCタッグ王座争奪リーグ戦に参戦。1月30日、フリーダムズの新木場1stRING大会で高岩竜一と対戦。8分41秒、アンクルロックに敗れた。3月13日、後楽園ホール大会での準決勝で神威、SUSUMU組と対戦。10分12秒、ウインガーがジャックナイフ式エビ固めでSUSUMUにフォール勝ち。同日の決勝で佐々木貴、高岩竜一組と対戦。15分48秒、ウインガーが横入り式エビ固めで高岩にフォール勝ち。リーグ戦に優勝し、KFCタッグ王座を獲得。日本最高齢の王者となった。4月3日、フリーダムズの新木場1stRING大会でバラモンシュウ、バラモンケイ組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分34秒、小鹿が足4の字固めでケイに勝利。4月21日、芽室町総合体育館大会で谷口裕一と対戦。9分14秒、足4の字固めで勝利。5月2日、フリーダムズの後楽園ホール大会で吹本賢児、カラテバラモン組を相手にタッグ王座の防衛戦。7分34秒、ウインガーが首固めでバラモンにフォール勝ち。5月6日、横浜ラジアントホール大会で紫雷美央、松本都組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分51秒、ウインガーがラ・マヒストラルで松本都にフォール勝ち。6月25日、フリーダムズの新木場1stRING大会で新井健一郎と対戦。14分23秒、横入り式エビ固めにフォール負け。9月23日、フリーダムズの東武スポーツクラブ・プレオン船橋アリーナ大会で葛西純、竹田誠志組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分50秒、葛西のパールハーバースプラッシュにウインガーが敗れて王座転落。 15年3月5日、フリーダムズの新木場1stRING大会でHi69とチェーンデスマッチで対戦。8分30秒、首固めでフォール勝ち。4月3日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会でと組んでカブキ、井上雅央組と対戦。11分51秒、嵐がパワーボムで井上に勝利。4月16日、フリーダムズの新木場1stRING大会で服部健太と対戦。9分13秒、チョークスラムで勝利。7月20日、大日本プロレスで初開催となる両国国技館大会で星野勘九郎、稲葉雅人と組んでバラモンシュウ、バラモンケイ、植木嵩行組の6人タッグ王座に挑戦。10分58秒、小鹿がテキサスクローバーホールドで植木に勝利。横浜ショッピングストリート6人タッグ王座を獲得した。11月15日、両国国技館での天龍の引退興行で葛西純、杉浦透と組んでカブキ、KAI、舞牙組と対戦。8分57秒、KAIのスプラッシュプランチャに杉浦が敗れた。 16年4月29日、後楽園ホール大会のメインで関本と組んで宮本裕向、木高イサミ組のアジアタッグ王座に挑戦。勝てば35年ぶりのアジアタッグ王座獲得となったが、21分25秒、イサミの首固めに小鹿がフォール負け。 17年2月8日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで熊ゴローと組んで藤原喜明芦野組と対戦。17分48秒、藤原の脇固めに熊ゴローが敗れた。7月26日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで関本、岡林と組んで越中、AKIRA齋藤彰俊組(セコンドに青柳政司)と対戦。15分35秒、越中のミサイルヒップアタックに小鹿が敗れた。 18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで百田光雄、タイガー戸口と組んで越中、青柳、齋藤彰俊組と対戦。10分49秒、小鹿が首固めで青柳にフォール勝ち。8月8日、上野公園大会でシマ重野の新潟無差別級王座に挑戦。12分17秒、チョークスラムで勝利。新潟無差別級王座を獲得。76歳3ヶ月でのシングル王座奪取に成功した。45年ぶりのシングル王座戴冠となった。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズでキム・ドクと組んでコリー・ガスパー、カリー・ガスパー組と対戦。13分57秒、ドクがツームストンパイルドライバーでコリーに勝利。9月16日、新潟プロレスのサントピアワールド大会のメインで舞牙を相手に防衛戦。セコンド3、4人に介入されて大苦戦したが、足4の字固めで勝利。 19年1月20日、新潟市黒埼市民会館で行われた大日本プロレスと新潟プロレスの合同興行でシマ重野を相手に防衛戦。14分、バズソーキックに敗れて王座転落。4月28日、この日で77歳になった小鹿は、新潟プロレスの新潟市東区プラザ大会でシマ重野と組んで新潟プロレス初代タッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦でフランク篤、崔領二組と対戦。8分38秒、小鹿がチョークスラムでフランクに勝利。同日の準決勝で鶴巻伸洋、伊東竜二組と対戦。10分13秒、重野が変型裏4の字固めで鶴巻に勝利。同日の決勝でスタン小林(アブドーラ小林)、ビッグ・ハマ・ベイダー(浜亮太)組と対戦。9分34秒、重野がレールガンドライバーで小林に勝利。トーナメントに優勝し、新潟プロレス初代タッグ王座を獲得した。6月23日、新潟プロレスの豊照体育館大会でビッグ・THE・良寛、GAINA組を相手にタッグ王座の防衛戦。25分25秒、重野が垂直落下式ブレーンバスターで良寛に勝利。8月30日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会でタイガー戸口と組んで藤原喜明、大矢剛功組と対戦。8分26秒、戸口がランニング・ネックブリーカーで大矢に勝利。8月31日、横浜ラジアントホール大会でTAJIRIのBJWジュニア王座に挑戦。8分50秒、横入り式エビ固めにフォール負け。
ここで小鹿の初陣についても説明しておこう。多くの資料で小鹿信也は「63年5月9日」に「奈良市あやめが池公園特設リング」でデビューしたと記述されている。ここは北沢が入門する前の61年5月7日、“密林男”グレート・アントニオ人気で沸いた『第3回ワールド大リーグ戦』で3万5800人を集め、新日本の東京ドーム興行が始まるまで28年間も破られなかった最多動員記録を作った場所だ。
小鹿がデビューしたとされる日は『第5回ワールド大リーグ戦』の最中だったが、日プロ一行は北海道から東北を巡業しており、奈良県で試合をした形跡はない。また、この年にあやめが池公園で興行を行った記録も発見できないのだ。
判明している小鹿の最初の試合は同年10月13日、奈良ドリームランド前広場の駒角太郎戦(10分1本勝負)で、これがデビュー戦の可能性もある。だが、断定できないのは、当時は新聞に前座の結果が掲載されないこともあったので、記録自体が残っていない試合が多数存在するからだ。そのため本人の記憶違いやパンフレット担当者のミスなどにより、デビュー戦の日付や相手が間違ったまま「公式プロフィール」となった例は、この項で挙げたもの以外にもあると思われる。
ちなみに小鹿によれば、奈良でのデビュー戦は野外の会場で、「柳川組2代目組長(谷川康太郎)の襲名披露興行」とのこと。北沢もこの大会を憶えており、約2万人を動員したという。
(Gスピリッツ Vol.31 清水勉を聞き手にした北沢と小鹿のインタビューより)

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