レスラーノート

クラッシャー・リソワスキー

CRUSHER LISOWSKI

本名:レジナルド・リソワスキー
1926年(25年、28年説あり)7月11日
ウィスコンシン州サウスミルウォーキー出身
183cm 115kg

タイトル歴
AWA世界ヘビー(オマハ版)
AWA世界ヘビー(ミネアポリス版)
AWA世界ヘビー
AWA世界タッグ
インター・タッグ
WWA世界タッグ
得意技
パンチ

49年にデビュー。デビュー当時はレジー・リソワスキーと名のり、スタンレー・リソワスキーとのコンビで活躍。63年2月、バーン・ガニアを破りオマハ版AWA世界ヘビー級王座を獲得。7月にはミネアポリス版のAWA世界ヘビー王座を獲得。63年11月と65年8月に、統一されたAWA世界ヘビー級王座に就いた。ディック・ザ・ブルーザーとのコンビでAWA世界タッグにも5回就いた。ブルーザー以外のコンビでも4回同タッグ王座に就いた。シカゴ地区ではブルーザーと組んでWWA世界タッグ王座を6回獲得した。 67年11月29日、日本プロレスに初来日。金髪を短くGIカットに刈りこみ、黒革のコートをラフに羽織って右手には赤と黒ツートンカラーの手袋。葉巻を横ぐわえし、到着して空港特別室Cへ入るなり、「ビールを持って来い!」とどなり、特大のブランデーグラスが用意されるとビール3本を注ぎこみ、グイグイ飲み続け「おれはビールの本場ミルウォーキー育ちだ。こんなものは子供の時からお茶代わりに飲んでる」とうそぶき「ビア樽ポルカ」のメロディーに乗せてビール礼賛の歌を披露した。12月1日、高崎大会での来日第1戦でバロン・シクルナと組んでジャイアント馬場、アントニオ猪木組と3本勝負で対戦。1本目は7分32秒、クラッシャーがシュミット流バックブリーカーの体勢で抱え、シクルナのヒザに背骨を打ちつけ、反動をつけてのボディスラムで猪木に勝利。2本目は4分14秒、馬場にメリケンサックの乱打からボディスラムで勝利。馬場と猪木からフォールを奪った。 12月6日、東京都体育館大会で馬場のインター王座に挑戦。1本目は4分40秒、フライングニードロップからフォール勝ち。2本目は3分23秒、32文ドロップキックからフォール負け。3本目は4分46秒、メリケンサックを使ったため反則負け。 68年1月3日、蔵前国技館大会でインター王座をかけて馬場と再戦。両者流血の死闘となり、14分32秒、32文ドロップキックからフォール負け。日本プロレスに3回、国際プロレスに1回、全日本プロレスに1回来日。 69年8月11日、ディック・ザ・ブルーザーと組んで、馬場、猪木組を破りインター・タッグ王座を獲得。13日に王座を奪回された。72年11月27日、国際プロレスの愛知県体育館大会でブルーザーと組んでストロング小林グレート草津組を相手に金網デスマッチでのWWA世界タッグ王座の防衛戦。16分、試合中に王者組が金網から出てしまい、無効試合に終わった。ミルウォーキーのプロモーターとしても活躍した。89年にWWFのミルウォーキー大会で引退試合。05年10月22日、ミルウォーキー州の病院で脳腫瘍のため死去。