レスラーノート

ギャングレル

GANGREL

本名:デビット・ヒース
1965年2月16日
フロリダ州オカラ出身
188cm 115kg

タイトル歴
TWAタッグ
USWA南部ヘビー
得意技
インペイラーDDT

88年にフロリダでデビュー。素顔時代には、カナダ・カルガリーで佐々木健介北原光輝と抗争を展開。アポカリップスとブラックハーツを結成。 91年2月、全日本プロレスに初来日。試合中の「イーッ!」というかけ声と、セカンドロープからの雪崩式合体パワーボムやダブルDDTを武器に活躍。再来日となった9月4日の日本武道館大会では、アジアタッグ王者のカンナムエキスプレスに挑戦。15分48秒、ダグ・ファーナスのフランケンシュタイナーに敗れた。9月7日、後楽園ホール大会でハンセンスパイビー組と対戦。試合前のポーズをとる暇もなく急襲され、完膚なきまでにたたきつぶされた。片割れがスパイビー・スパイクでダウンしている間に、ハンセンのラリアットをくらい6分26秒にフォール負け。9月21日、王座決定戦でジョニー・ホット・ボディ、ラリー・ウィンターズ組を破りTWAタッグ王座を獲得。その後、マスクを脱いでバンパイヤ・ウォリアーに変身。 93年7月18日、ジェフ・ジャレットを破りUSWA南部ヘビー級王座を獲得。 96年8月、IWAジャパンにアポカリップスと共に来日。その後、アゴニー(バリー・ヒューストン)を新パートナーに一時的にブラックハーツを再結成し、フロリダ中心にインディ団体を転戦。今度は自らがリーダーとなり、マネージャー兼奥さんの“ルナティック”ルナ・バションを同伴して再度IWAジャパンに参戦。 98年5月、本名で全日本プロレスに参戦。7月、バンパイヤ時代のギミックに戻り、ギャングレルという名で、ルナと共にWWFに入る。 01年8月にWWFを離脱。 03年6月4日、TNAの放送でバンパイヤ・ウォリアーの名でハード10トーナメント(凶器に激突させると1点、机を破壊させると5点。10点先取で勝利)に参戦し、1回戦でソニー・シアキと対戦。エプロンから場外の机へのスウィンギング・ネックブリーカーをくらって5対12で敗れた。 07年12月10日、WWEのRAW15周年記念大会でのバトルロイヤルにギャングレルとして出場。 08年3月14日から19日にかけてイギリスの団体NLWのツアーに出場。6月から7月にかけてイタリアの団体NWEのスペインツアーにバンパイヤ・ウォリアーの名でスポット参戦。10月26日から11月2日にかけて、NWEスペインツアー(全3大会)に出場した。 09年11月21日から28日にかけて、ホーガンの旗揚げした「ハルカマニア」のオーストラリア・ツアー(全4戦)に参加。 18年9月6日、MLWのフロリダ州フォート・ローダデール大会でサイモン・ゴッチと対戦。スリーパーホールドを決められ、腕に噛みついて反則負け。 22年2月26日、MLWのノースカロライナ州シャーロット大会でナールズ・ガービンと対戦。ジャンピングDDTで勝利。5月13日、MLWのペンシルベニア州フィラデルフィア・2300アリーナ大会でバッド・ヘビーと対戦。DDTで勝利。