レスラーノート

アドリアン・アドニス

ADRIAN ADONIS
本名:キース・アレン・フランク
1953年9月15日
ニューヨーク州ニューヨーク出身
183cm 122kg

通称
暴走狼
タイトル歴
WWF世界タッグ
AWA世界タッグ
サンアントニオ地区世界ヘビー
アメリカスヘビー
得意技
マンハッタンドロップ
ダイビングラリアット

プロフットボールの選手だったがフレッド・アトキンスにスカウトされて75年11月にプロレス入り。デビュー当時はキース・フランクスなるリングネームで活躍。ロサンゼルス地区に転戦し、77年5月のザ・ハングマンとの抗争で同地区のスターとなった。78年、テキサス州アマリロでアドリアン・アドニスに改名。ジェシー・ベンチュラとのタッグチーム「イーストウェスト・コネクション」でAWAに進出し、一流にランクされるようになった。 80年7月にベンチュラと組んでAWAタッグ王座を獲得。ベンチュラとのタッグ解消後はニューヨーク地区ではバックランドを苦しめ、サンアントニオ地区では同地区認定の世界王者になるなどの活躍を見せた。ディック・マードックとのコンビで新日本プロレスでも暴れる。暴走族スタイルのバイオレンスファイトを得意とし、WWFタッグ王座をマードックと獲得。 82年の年末、新日本プロレスのMSGタッグリーグ戦にディノ・ブラボーと組んで参戦。8チーム中6位に終わった。 83年の年末にMSGタッグリーグ戦にディック・マードックと組んで参戦。リーグ戦を2位で突破。12月8日、蔵前国技館大会での優勝決定戦で猪木ホーガン組と対戦。11分10秒、猪木の延髄斬りにアドニスが敗れた。 84年の年末にMSGタッグリーグ戦にマードックと組んで参戦。リーグ戦を1位で突破。12月5日、蔵前国技館大会での優勝決定戦で猪木、藤波組と対戦。33分31秒、猪木の卍固めにアドニスが敗れた。 85年にマードックとタッグを解消し、おかまのギミックでシングル・プレーヤーとして活躍。87年後半にWWFを離脱。88年5月、新日本プロレスに来日した時は暴走族スタイルに戻りファンを喜ばせた。7月4日、ニューファンドランドのルイスポート沖を移動中に交通事故のため34歳の若さで死去。マンハッタンドロップの元祖。