レスラーノート

川畑輝鎮

本名:川端輝
1965年4月29日
鹿児島県大島郡出身
180cm 110kg
血液型:O型

タイトル歴
GHCハードコア
CCWタッグ
得意技
パワースラム
ダイビングセントーン

本名は川端輝(ひかる)で、家では奥さんに「ヒカさん」と呼ばれている。中学生時代には陸上をしており100mのベストタイムは11.7秒。専修大学時代、全国学生相撲大会の115kg以下級で3位に入賞。91年9月16日、SWSの福井市体育館大会での片山明、山中鉄也戦(パートナーは平井伸和)でデビュー。10月29日、福岡国際センター大会でドン荒川と対戦。5分51秒、成金固めに敗れた。11月8日、函館市民体育館大会で平井と対戦。7分43秒、逆エビ固めに敗れた。 92年1月6日、名古屋国際会議場大会で片山と対戦。8分28秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。3月14日、青森県営体育館大会で阿修羅原と対戦。1分27秒、逆エビ固めに敗れた。3月18日、新潟市体育館大会でドン荒川と対戦。5分54秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。3月22日、後楽園ホール大会で平井と対戦。6分57秒、逆エビ固めに敗れた。SWS崩壊後、NOW、東京プロレス、石川一家、新東京プロレスで活躍。 97年10月10日、北沢タウンホールでの新東京プロレスの旗揚げ戦で石川と組んでバッドニュース・アレン、ケン・ジョンソン組のCCWタッグ王座に挑戦。石川がスモーピオンデスロックでジョンソンに勝利。CCWタッグ王座を獲得した。 98年1月18日、後楽園ホール大会でバッドニュース・アレン、ジェリー・モロー組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分2秒、石川がスモーピオンデスロックでモローに勝利して初防衛に成功した。その後、1月19日に石川が引退したため、タッグ王座は返上した。同年からフリー選手となって多数の団体で活躍。 00年秋から青柳政司の紹介でノアの道場に通い始める。12月23日、ケガで欠場したリチャード・スリンガーの代役としてノアに初登場。

2001

01年10月10日、上越市厚生南会館大会でバイソン・スミスと対戦。7分30秒、ラリアットに敗れた。10月14日、つくばカピオ大会でリチャード・スリンガーと対戦。9分52秒、ジャックナイフ式エビ固めにフォール負け。11月19日、キラメッセぬまづ大会で井上雅央と対戦。10分47秒、アルゼンチンバックブリーカーに敗れた。12月24日にノアに正式入団。

2002

02年1月20日、後楽園ホール大会で鈴木康弘と対戦。4分47秒、コーナー2段目からのセントーンで勝利。5月6日、宮城県スポーツセンター大会で井上雅央と対戦。10分49秒、アルゼンチンバックブリーカーに敗れた。5月16日、青森県総合運動公園体育館大会でスコーピオと対戦。11分27秒、サソリ捻り2に敗れた。5月23日、ゆうばり文化スポーツセンター大会で泉田純と対戦。14分10秒、チョークスラムに敗れた。6月12日、後楽園ホール大会で井上雅央と対戦。8分44秒、バックを取ったが倒されてエビ固めにフォール負け。7月10日、一関市総合体育館大会で金丸義信と対戦。7分4秒、変型横入り式エビ固めにフォール負け。7月23日、豊橋市総合体育館大会でマイケル・モデストと対戦。7分3秒、リアリティーチェックに敗れた。8月24日、ディファ有明大会で鈴木鼓太郎と対戦。14分3秒、ラリアットで勝利。8月29日、長野運動公園総合体育館大会で佐野巧真と対戦。6分9秒、ノーザンライトボムに敗れた。9月2日、伊勢崎市民体育館大会で本田多聞と対戦。11分23秒、タモンズシューターに敗れた。10月6日、長岡市厚生会館大会で永源遥と対戦。7分31秒、首固めでフォール勝ち。10月8日、岩手県営体育館大会で齋藤彰俊と対戦。11分59秒、デスランディング(変型バックドロップ)に敗れた。12月5日、石岡市運動公園体育館大会で齋藤彰俊と対戦。12分26秒、スイクルデスに敗れた。

2003

03年1月18日、笠岡市民体育センター大会で杉浦貴と対戦。13分59秒、オリンピック予選スラムに敗れた。1月24日、高知県民体育館大会で森嶋猛と対戦。7分49秒、バックドロップに敗れた。2月16日、後楽園ホール大会で小川良成と対戦。11分19秒、バックドロップホールドに敗れた。2月26日、水海道市民体育館大会で本田多聞と対戦。8分59秒、デッドエンドに敗れた。3月23日、水戸市民体育館大会で佐野巧真と対戦。11分58秒、ノーザンライトボムに敗れた。4月3日、広島東区スポーツセンター大会で本田多聞と対戦。5分44秒、肩固めに敗れた。4月6日、四日市オーストラリア記念館大会で永源遙と対戦。8分9秒、首固めでフォール勝ち。5月22日、室蘭市体育館大会で力皇猛と対戦。8分27秒、ラリアットに敗れた。5月27日、滝川市青少年体育センター大会で金丸義信と対戦。11分22秒、飛びつき前方回転エビ固めにフォール負け。6月8日、後楽園ホール大会で菊地毅と対戦。9分37秒、首固めにフォール負け。7月3日、福島市国体記念体育館大会で斎藤彰俊と対戦。9分12秒、スイクルデスに敗れた。7月10日、KBSホール大会で百田光雄と対戦。8分14秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。8月24日、ツインメッセ静岡大会で永源遙と対戦。7分53秒、首固めでフォール勝ち。9月7日、明石市立産業交流センター大会で杉浦貴と対戦。11分41秒、オリンピック予選スラムに敗れた。10月5日、ディファ有明大会で本田多聞と対戦。9分40秒、肩固めに敗れた。10月11日、後楽園ホール大会で佐野巧真と対戦。13分13秒、ノーザンライトボムに敗れた。10月25日、佐世保市体育文化館大会で永源遙と対戦。7分13秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。11月19日、津競艇場ツッキードーム大会で永源遥と対戦。6分25秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。

2004

04年1月17日、ディファ有明大会で永源遙と対戦。6分27秒、首固めでフォール勝ち。1月22日、米子産業体育館大会で池田大輔と対戦。13分27秒、ニードロップに敗れた。4月3日、ディファ有明大会で永源遙と対戦。7分1秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。5月18日、新潟市体育館大会で秋山準のグローバル・ハードコア・クラウン王座に挑戦。7分12秒、フロント・ネックロックにレフリーストップ負け。5月23日、函館市民体育館大会で百田光雄と対戦。8分1秒、回転足折り固めをエビ固めで押しつぶしてフォール勝ち。5月26日、紋別市スポーツセンター大会で永源遙と対戦。6分36秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。6月1日、月寒グリーンドーム大会で小川良成と対戦。8分25秒、首固めにフォール負け。6月11日、後楽園ホール大会で鈴木鼓太郎と対戦。10分27秒、ラ・マヒストラルをエビ固めで切り返してフォール勝ち。6月23日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で池田大輔と対戦。4分42秒、後頭部へのハイキックに敗れた。6月26日、京都・KBSホール大会で本田多聞と対戦。9分26秒、回転地獄五輪パート0に敗れた。6月27日、後楽園ホール大会で永源遙と対戦。7分32秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。7月1日、福島市国体記念体育館サブアリーナ大会で佐野巧真と対戦。10分4秒、ノーザンライトボムに敗れた。8月24日、山形市総合スポーツセンター大会で永源遙と対戦。6分28秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。9月6日、高知県民体育館大会で百田光雄と対戦。9分1秒、足折り回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。9月10日、日本武道館大会で永源遙と対戦。6分8秒、首固めでフォール勝ち。9月23日、ディファ有明大会で小橋軍VS秋山軍6対6シングル勝ち抜き戦に秋山軍の3人目として出場し、ヨネと対戦。5分25秒、キック3連発に敗れた。勝ち抜き戦は秋山軍の勝利に終わった。11月13日、後楽園ホール大会で泉田純と対戦。11分12秒、不入ドムに敗れた。11月20日、ディファ有明大会で永源遙と対戦。6分20秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。11月23日、十和田市総合体育センター大会で潮崎豪と対戦。11分17秒、アルゼンチン・クラッシャーで勝利。11月24日、サンレック北上大会で永源遙と対戦。7分20秒、首固めでフォール勝ち。

2005

05年1月15日、博多スターレーン大会で永源遙と対戦。12分50秒、両者リングアウト。1月23日、神戸ワールド記念ホール大会で齋藤彰俊と対戦。11分53秒、スイクルデスに敗れた。2月20日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。7分18秒、アックスボンバーで勝利。2月25日、京都・KBSホール大会で泉田純と対戦。8分40秒、不入ドムに敗れた。3月2日、水戸市民体育館大会で永源遙と対戦。6分18秒、アックスボンバーで勝利。4月6日、Zepp Nagoya大会で井上雅央と対戦。10分18秒、変型首固めにフォール負け。4月16日、長崎・ncc&スタジオ大会で永源遙と対戦。6分31秒、首固めでフォール勝ち。4月17日、博多スターレーン大会で泉田純と対戦。9分51秒、不入ドムに敗れた。5月6日、ファンクラブ主催の興行にkentaとして登場。KENTAと組んで丸藤正道、丸藤正道?(井上雅央)組と対戦した。KENTAとお揃いのコスチュームに微妙に化粧をして、巨大なバラをくわえての入場となり、試合でもブサイクへのヒザ蹴りを決めた。5月22日、函館市民体育館大会で永源遙と対戦。6分1秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。5月24日、岩見沢市スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。8分38秒、回転エビ固めでフォール勝ち。5月26日、帯広市総合体育館大会で永源遙と対戦。6分21秒、首固めでフォール勝ち。6月7日、宮城県スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。7分19秒、サムソンクラッチをエビ固めで切り返してフォール勝ち。7月2日、ディファ有明大会で永源遙と対戦。6分3秒、首固めでフォール勝ち。7月3日、アクトシティ浜松大会で杉浦貴と対戦。10分56秒、アンクルホールドに敗れた。7月7日、ハイブ長岡大会で永源遙と対戦。6分34秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。7月12日、くにびきメッセ大会で永源遙と対戦。7分3秒、首固めでフォール勝ち。8月20日、山形市総合スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。7分59秒、回転足折り固めでフォール勝ち。8月21日、酒田市営体育館大会で永源遙と対戦。6分56秒、首固めでフォール勝ち。10月18日、アイテムえひめ大会でこの試合がデビュー戦となった平柳努と対戦。8分40秒、ダイビング・セントーンで勝利。10月26日、東山体育センター大会でヨネと対戦。9分29秒、キン肉バスターに敗れた。

2006

06年1月15日、博多スターレーン大会で伊藤旭彦と対戦。9分56秒、アックスボンバーで勝利。4月5日、横浜市金沢産業振興センター大会でGHC王座挑戦者決定トーナメントに参戦し、1回戦で齋藤彰俊と対戦。13分23秒、ランニング・スイクルデスに敗れた。7月7日、高砂市総合体育館大会で青木篤志と対戦。11分2秒、アックスボンバーで勝利。7月11日、 岩手県営体育館大会でエル・オリエンタルと対戦。10分32秒、アックスボンバーで勝利。8月14日、Zepp Sendai大会で百田光雄と対戦。8分12秒、アックスボンバーで勝利。8月15日、湯沢市皆瀬村総合支所前グラウンド大会で力皇猛と対戦。12分29秒、無双に敗れた。8月29日、鹿嶋市立高松緑地体育館大会で本田多聞と対戦。9分35秒、横入り式エビ固めにフォール負け。9月2日、ディファ有明大会でSUWAと対戦。9分46秒、前方回転エビ固めにフォール負け。10月20日、広島県立総合体育館・小アリーナ大会で志賀賢太郎のGHCハードコア王座に挑戦。28分47秒に逆さ押さえこみにフォール負け。志賀にオジキと慕われるようになり、11月17日、後楽園ホール大会で平柳努と対戦。9分4秒、ダイビング・セントーンで勝利。

2007

07年に入り志賀と「パンパーズ」を結成。志賀が自らのタイトルをタッグ王座に変更させて、GHCハードコア王座決定トーナメントを開催。2月15日、後楽園ホール大会での1回戦で百田平柳組と対戦。試合前におそろいのパンチTシャツと白のロングタイツ姿でベルト取りをアピール。16分3秒、ロールパンチ(ファンタスティックフリップ式セントーン)を決めて川畑が平柳にフォール勝ち。2月17日、ディファ有明大会での決勝戦で潮崎谷口組と対戦。27分44秒、ロールパンチから、川畑がムーンサルトプレスで谷口に勝利。グローバル・ハードコア・クラウン王座を獲得した。4月17日、鹿児島アリーナ大会で泉田組を相手に防衛戦。川畑の地元だけあって、大勢の知人が応援に駆けつけた。エプロンから場外へのセントーンやプランチャなどで活躍。26分19秒、志賀が逆さ押さえこみで橋にフォール勝ち。5月6日、ZERO1−MAXのディファ有明大会で神風と対戦。12分38秒、グラウンド・コブラツイストにフォール負け。5月21日、越谷市の桂スタジオ大会でエディ・エドワーズテッド・デビアス・ジュニア組を相手に防衛戦。25分9秒、川畑がムーンサルトプレスでテッド・デビアス・ジュニアに勝利。6月8日、横浜文化体育館大会で高山杉浦組と対戦。7分50秒、オリンピック予選スラムを狙った杉浦を回転片エビ固めで丸めこみ勝利した。その日のメインで防衛に成功した秋山力皇組に対しGHCタッグ王座の次期挑戦者として名のりをあげる。7月1日に秋山、金丸組と対戦。川畑が懐から取り出した手錠で、秋山の腕を場外の鉄柵に拘束。その間に志賀が金丸から逆さ押さえ込みで勝利した。7月3日、千葉ポートアリーナサブアリーナ大会で秋山、谷口組を相手に防衛戦。19分21秒、川畑がダイビング・セントーンで谷口に勝利。7月15日、日本武道館大会で志賀賢太郎と組んで秋山、力皇組のGHCタッグ王座に挑戦。合体技のロールパンチやダブルインパクト、志賀の雪崩式ブレーンバスターで川畑を投げる合体技を見せたが、実力の差は歴然。27分11秒、力皇の天下無双に川畑が敗れた。川畑は試合後に脳震盪のため救急車で病院に運ばれた。8月から志賀と共に欧州遠征。英国、ドイツ、オランダ、ベルギーを遠征し、22日間の滞在で36試合のハードスケジュールをこなした。9月16日、Flemish Wrestling Forceで開催された8人トーナメントに出場。1回戦でマーク・スレーターにアックスボンバーからのセントーンで勝利。決勝でホームレス・トムと対戦し、アックスボンバーからのセントーンで勝利して優勝した。10月9日、津市体育館大会で泉田純至と対戦。15分時間切れ引き分け。11月19日、新潟市体育館大会でパートナーの志賀を相手に敗者髪切りマッチでGHCハードコア王座決定戦。24分26秒、ムーンサルトプレスで勝利。ハードコア王座を獲得し、志賀のパンチパーマを丸坊主にした。

2008

08年1月18日、栃木県総合文化センター大会で伊藤旭彦と防衛戦。12分53秒、ダイビングセントーン2連発で勝利し、初防衛に成功。2月15日、後楽園ホール大会で百田を相手に防衛戦。59歳の百田を相手に「10分1本勝負。引き分けとなったら王座移動」という厳しいルールとなったが、9分28秒、一瞬のスキをついた首固めで勝利して、2度目の防衛に成功。4月17日、鹿児島市民体育館大会で相島勇人を相手に防衛戦。22分56秒、ダイビングセントーンで勝利して3度目の防衛に成功。5月18日、つくばカピオ大会で防衛戦。川畑、志賀、平柳組対菊地、青柳、太田組というイリミネーションマッチでの対戦となり、最後にフォールして試合を決めれば王座獲得という厳しいルールだった。22分14秒に最後に残った太田をローリング・セントーンでフォールし4度目の防衛に成功。7月5日、ディファ有明大会で志賀と組んで田上明、平柳玄藩組を相手に防衛戦。勝てば王座防衛、負けか引き分けで平柳が王座獲得という試合で、24分54秒、川畑のダイビングセントーンで平柳に勝利して5度目の防衛に成功した。7月9日、高知県民体育館大会で百田光雄と対戦。8分55秒、足折り回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。9月23日、ディファ有明でのファン感謝祭で青木篤志と対戦。15分時間切れ引き分け。10月6日、伊勢崎市第二市民体育館大会で橋を相手に防衛戦。20分16秒、高尾山固めに敗れて王座転落。

2009

09年から専属契約を解除されて年間報酬保障フリー契約選手になり、ノアでの出場が減る。8月1日、ディファ有明大会で小橋建太の持つGHCハードコア王座への挑戦権をかけて7人参加のバトルロイヤルに出場。17分7秒、アックスボンバーで最後に残った志賀にフォール勝ちし、挑戦権を獲得。小橋との対戦が決まってからは猛練習を開始。練習のしすぎで体調を崩し3日間寝こんだこともあった。8月22日、神戸サンボーホール大会で田上と対戦し、15分時間切れ引き分け。8月29日、ディファ有明大会で小橋のハードコア王座に挑戦。ダウンしても立ち上がり「小橋がなんぼのもんじゃ!」と叫ぶなど気迫に満ちた真っ向勝負を展開したが、マシンガンチョップ76連発を含む158発のチョップを浴びて、15分6秒、剛腕ラリアットに敗れた。9月6日、つくばカピオ大会で谷口と対戦し、11分45秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。12月5日、IWAジャパンの新宿FACE大会で志賀、河童小僧と組んでビッグフット、雪男、ゴム人間組と対戦。11分16秒、志賀がゴム人間の腕を最大限に引っぱり、そのまま首固めでフォール勝ち。12月31日でノアとの年間報酬保障契約を解除されてフリーに転向。

2010

10年から大日本プロレスなどに出場。2月13日、大日本プロレスの横浜赤レンガ倉庫大会で河上隆一と対戦。11分1秒、ダイビングセントーンで勝利。6月13日、ノアのディファ有明大会(三沢の一周忌興行)で起田と組んで田上、志賀組と対戦。12分1秒、田上の首固めに起田がフォール負け。

2012〜

12年6月5日、ノアのオロシティーホール大会で志賀と組んで潮崎、鈴木鼓太郎組と対戦。20分20秒、潮崎のラリアットに志賀が敗れた。 13年6月6日、ノアのオロシティーホール大会で小島と組んで森嶋石森組と対戦。17分5秒、森嶋のバックドロップに川畑が敗れた。 17年4月、鹿児島市の繁華街・天文館にカラオケスナック「飲みどころ・歌いどころ ひまわり」を出店した。 18年9月1日、両国国技館で行われた丸藤のデビュー20周年記念大会で井上雅央、齋藤彰俊と組んで本田多聞佐野巧真越中詩郎組と対戦。5分34秒、越中のダイビング・ヒップアタックに井上が敗れた。 19年9月9日、大日本プロレスのオロシティーホール大会で阿部史典組んでアブドーラ小林、谷口裕一組と対戦。11分54秒、川畑がダイビング・セントーンで谷口に勝利。20年3月16日、大日本プロレスの横浜文化体育館大会で谷口裕一と対戦。7分57秒、コーナー2段目からのダイビング・セントーンで勝利。21年11月1日、大日本プロレスのオロシティーホール大会で伊東竜二と組んでアブドーラ小林、谷口裕一組と対戦。9分52秒、川畑がダイビング・セントーンで谷口に勝利。



スクラップブック
鹿児島市在住のいぶし銀レスラー・川畑輝鎮 所属団体が次々崩壊・・・裏レジェンド≠ェ残す数々の伝説
(2023年6月26日11:16配信 東スポWEBより)
 鹿児島・沖永良部島で生まれ、父は鹿児島・龍郷町の元町長。3歳で九九をマスターする一方、中学時代は陸上部に所属し、地区大会では100メートル走と砲丸投げに2年連続優勝し、地元では「神童」と呼ばれた。
 鹿児島商に進学してから相撲を始め、専大相撲部では後輩の元大関・武双山(藤島親方)とシノギを削った。3年ほどサラリーマンを経験したのちにSWSに入団。ここまでは順風満帆だった。
 ところがプロになるや、坂道を転がり落ちる人生が待ち受けていた。デビュー1年足らずでSWSは解散。NOWに移ったが、ここもすぐに消滅してしまう。その後は第二次NOW、東京プロレス、新東京プロレス・・・と所属団体がすべてつぶれるという珍記録≠つくる。ノアに入団する2001年まで不遇の10年を送る。
 ノアでも、しばらくパッとしなかった。しかし「健康のためにプロレスをやっている」という秋山準の批判を逆手にとって、井上雅央らとヘルスクラブを結成してプチブレーク。志賀賢太郎とのパンチ軍では、ハードコア無差別級タッグ王座を奪取する。ただ、通称「白ベルト」の同王座はGHC王座のマイナー版と呼ばれ、のちにベルトも消滅していることから、キャリア唯一のタイトル歴は黒歴史≠フような印象すらある。
 2010年にフリーになって以降は鹿児島に戻り、フリーとして活動。裏街道をさまよい続けたプロレス人生だが、ノアではさまざま伝説(奇行?)を残し、今でも語り継がれている。その一部を紹介しよう。
【年賀状事件】年賀状の宛先を名簿から丸写ししており、毎年自分で書いた年賀状が自分宛てに届く。
【忘れもの事件】忘れものは日常茶飯事。娘の幼稚園の迎えはいつも車を使っていたが、ある時たまたま徒歩で向かうと娘に「パパ、今度は車を忘れたの・・・」と泣かれる。
【マック事件】自転車でマクドナルドに行き、ドライブスルーでビッグマックを注文。後ろに乗せていた娘に「恥ずかしいからやめて〜」と、また泣かれる。
【幽霊事件】居酒屋で酔った川畑が突然、誰もいないところで「お疲れさまです」と頭を下げた。幽霊?誰もが背筋をゾッとさせたが、川畑の前には大きな鏡があった。
【サウナ事件】サウナから出ると頭がクラクラ。フロントに「サウナに長く入りすぎたからか、体がフラフラする」と体調不良を訴えるが、その時たまたま地震が起こっていた。
【メール事件】ある飲み屋で好みのタイプと知り合う。早速「ピチピチしたギャルはたまんない」というメールをKENTAに送るはずが、夫人に送ってしまう。
 そんな川畑は17年に南九州一の繁華街、鹿児島市天文館でカラオケスナック「ひまわり」をオープン。店はコロナ禍を何とか乗り切って6年目に突入した。「コロナでは客足が減って大変だったけど、徐々に復活してきた。どうにかやってますよ。鹿児島は焼酎がうまいからお店に来てぜひ飲んでほしい」と川畑は語る。
 プロレスは休業状態で最後に戦ったのは21年11月1日の大日本プロレス鹿児島大会。「今年58だからもう体がついてこないよ。そろそろリングを下りようかと思っている」と引退を考えているという。見納めが近い川畑輝鎮、最後の雄姿を見逃すな。