レスラーノート

カール・ゴッチ

KARL GOTCH
本名:カール・チャールズ・イスタース
1924年8月3日
ベルギー・アントワープ出身
(ドイツ・ハンブルク出身説あり)
188cm 110kg

通称
プロレスの神様
タイトル歴
オハイオAWA世界ヘビー
WWWF世界タッグ
得意技
ジャーマン・スープレックス
ゴッチ式パイルドライバー

少年時代から優れた運動神経を持ち、アマレスで活躍。48年にベルギー代表としてロンドン五輪に出場。フリースタイルとグレコローマンに出場した。51年から59年までイギリスのビリー・ライレージム(蛇の穴)でテクニックを磨き、59年にカナダ・モントリオールに進出。一躍トップレスラーの仲間入り。彼の編み出した「原爆固め(ジャーマン・スープレックスホールド)」は次々と相手レスラーをねじ伏せていった。60年にモントリオールからオハイオに進出。61年4月に日本プロレスに初来日。キャロル・クラウザーというレスラーが来日中止になったため、代役としての来日となり、リングネームもカール・クラウザーだった。吉村道明との対戦でジャーマン・スープレックスを日本初公開。62年1月、ローカル団体「オハイオAWA」のプロモ−ターのアル・ハフトによってカール・ゴッチと改名。8月31日、オハイオ州コロンバスのジェット・スタジアムの控え室で、ビル・ミラーと共にバディ・ロジャースを問いつめ怪我を負わせる。一説によると、ゴッチとロジャースが控室で口論して、ロジャースが出て行こうとしたところをミラーがドアを閉めたため、手が挟まれて右手首を骨折したという。ロジャースはゴッチとミラーを刑事告訴をしたがその後、取り下げた。同年9月、ドン・レオ・ジョナサンを破りオハイオAWA世界ヘビー級王座を奪取。64年9月にコロンバスでNWA世界王者のルー・テーズと王者統一戦で対戦。敗れてオハイオAWA王座は封印された。しかしその後はプロモーターたちからは敬遠され、試合を干されていた。干された理由は相手を引き立てない戦い方にあったようだ。66年にエース外人として日本プロレスに登場。若手のコーチ、通称「ゴッチ教室」を始める。68年から69年にかけて日本に滞在し、コーチとして日本プロレスの若手を指導。主力レスラーとは試合はせず、ミスター・ヒトらとエキシビションマッチを行う。その後、ハワイで清掃員をしていた噂もある。71年3月、国際プロレスに来日し、第3回IWAワールドシリーズに出場。予選リーグではモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)をジャーマンスープレックスで投げきったが、レフリーが巻きこまれて3カウントが入らず、ロシモフの勝利に終わった。ビル・ロビンソン、ロシモフと共に総当りの決勝リーグに進出。全3試合とも引き分けに終わり、勝点の多かったロシモフが僅差で優勝した。帰国後、ピエール・エマリンの名でWWWFに進出。12月6日にレネ・グレイと組んでWWWF世界タッグ王座を獲得。72年、新日本プロレスの「旗揚げオープニング・シリーズ」に来日。3月6日、大田区体育館大会で猪木とシングルで対戦し、15分40秒、リバース・スープレックスで勝利。初期の新日本プロレスには、全日本プロレスと国際プロレスに比べ、外人レスラー獲得ルートがほとんどなかった。そのためゴッチが唯一の大物外人レスラーだった。ゴッチは新日本プロレスの最初期のブッカーとして多くの外人レスラーを来日させた。新日本プロレスはゴッチを「プロレスの神様」と称して引き立てた。10月4日、蔵前国技館大会で猪木と対戦し、27分17秒、ジャーマンを猪木に体を回転させられてかわされリングアウト負け。猪木はこの試合で「世界ヘビー級王座」を獲得した。10月10日、大阪府立体育館大会で猪木と再戦し、キーロックをかけたままエビ固めで押さえこんで勝利し「世界ヘビー級王座」を獲得。73年10月14日、蔵前国技館大会でルー・テーズと組んで猪木、坂口征二組と対戦。1本目は19分35秒、テーズの坂口へのバックドロップで勝利。2本目は10分22秒、坂口のテーズへのアトミックドロップで敗れ、3本目は13分40秒、猪木のゴッチへのジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールドで敗れた。74年8月1日、「実力世界一決定戦」で猪木と対戦し敗れた。8月8日に日大講堂大会で猪木に勝利。82年1月1日、藤原喜明と対戦し3分20秒、ジャーマンスープレックスで勝利。1月8日、後楽園ホール大会で木戸修とエキシビションマッチで対戦。3分50秒、ジャーマンスープレックスで勝利。これが最後の試合となった。91年には藤原組のトレーニングコーチに就任し、浅草のマンションに3か月滞在して若手を指導。一度帰国した後も、上野毛の友人宅に3か月間滞在した。日本人選手の愛弟子も多く、猪木、ヒロ・マツダ藤波辰巳、木戸修、藤原喜明、前田日明鈴木みのる船木誠勝など彼を尊敬する選手は数え切れない。長州はフロリダのゴッチ道場に何度か通った後、見切りをつけて教わるのをやめた。76年2月からゴッチの自宅で特訓した藤波の場合は、一緒だった木戸は1カ月ほどで帰国命令が出たが、8ヶ月もの長期間の特訓となった。朝からマーチでたたき起こされ、最初の4週間はひたすらブリッジの練習をさせられた。190センチ、90キロのワラ人形を相手にひたすらジャーマン・スープレックスの練習を続け、毎朝85キロある番犬の散歩で足腰を鍛えたという。ウェイトトレーニングはせず、つり輪や鉄棒を使った練習だった。「おまえは強いんだ」と催眠術のように言われ続けた。動物園のゴリラのオリの前に連れていかれて「お前にはゴリラの筋肉が必要だ」と言われたこともあったようだ。旧UWF、第二次UWF、藤原組の最高顧問を務めた。パンクラスの「名付け親」にもなっている。06年7月には藤波率いる無我ワールド・プロレスリングの名誉顧問に就任。07年7月28日に大動脈瘤破裂により死去。
スクラップブック
―― 動きだけでなく体つきも当時の日本プロレス界にしては画期的なカッコよさでした。
藤波 あれは意識してそういう体を作ったんじゃなくて、自然とああいう体になってたからね。ようするにカール・ゴッチといたらああいうふうになっちゃうんですよ。体に脂肪をつけるような練習はしないから。常に野生の動物みたいな生活をさせられてるし。レスラー製造機というか、そういう意味では天下一品の人だったね、カール・ゴッチさんは。レスラーとしての心構え、メンタルトレーニングもうまかったし。リングに上がるときの心構えとして、「体のデカさじゃない」と。ボクがアメリカをサーキットしたときは90キロそこそこかな。それでずっとサーキットしたんだけど、全然怖さはなかったからね。練習はゴッチさんとやってるから誇りをもってるし。
(週刊プロレス No.1563 藤波辰爾のインタビューより)
藤原 オマエ、覚えてる?ゴッチさんが67歳のときスクワットやったの。
鈴木 一緒にやりましたね。
藤原 2000回。けっこう速いんだよ。俺はちょっと忙しいからって抜けようと思えば抜けられるわけだけど、その代わりコイツとかゴッチさんに一生「アイツ、さぼった」って言われるからな。
鈴木 僕は言いますね(笑)。
藤原 オマエは絶対言うよ。オマエに言われるのが一番イヤだったから仕方なくやったけどな。
鈴木 2000回やったあとゴッチさんは腕立て伏せを500回やったんですよ。
藤原 そんなゴッチさんをけなすヤツが、俺は信じられねえ。ひとつのことでもゴッチさんは「すごかった」っていうことだよな。自分を正当化するためにバカにするのは簡単なんだよ。
(週刊プロレスNo.1741 藤原と鈴木の対談より)
玉袋 あ、そうだ!ゴッチさんはどうでした?
渕 ゴッチさんは一度挨拶に行って、練習もさせてもらったんだけど、そしたら翌日から、毎朝9時に電話がかかってくるようになったんだよ(苦笑)。
玉袋 ガハハハハ!練習の時間だぞってね(笑)。
渕 向こうは試合が終わるのが22時ぐらいで、家に帰ると2時頃。寝るのが4時とかになるのに、朝9時に必ず電話がかかってくるからさ。それで「ゴッチさん、悪いけど俺は昨日遅かったし、今夜も試合があるから」って言うんだけど、そうすると「フジワラ、フジナミ、サヤマは、おまえよりずっと練習してたぞ」とか言ってくるんだよ。
ガンツ イノキのボーイは練習するけど、ババのボーイは練習しないなと(笑)。
渕 俺からしたら、当たり前なんだよ!新日本のほうは、練習だけするために住み込みでやってて、こっちは毎日試合やってるんだから。それで「ゴッチさん、明日は悪いけど昼過ぎに電話してくれ。今夜は5時間ドライブして試合だから帰りが遅くなるから」って言うと、「OK! OK!」って言うわけよ。でも、翌朝9時にやっぱり電話がかかってくるんだよ、「ハ〜イ、フチ!」って。
玉袋 ゴッチさんからのモーニングコールだよ。ありがたいね〜(笑)。
渕 冗談じゃないよ!
玉袋 ガハハハハハ!
ガンツ 神様からのモーニングコールですよ!(笑)。
渕 で、さんざん練習させられて、終わったあとはワインを飲むんだけど、こっちはそのあと試合があるわけじゃん?でも、飲むわけだよ。
ガンツ そして飲酒運転と(笑)。
玉袋 時効時効!(笑)。海外だしね。渕さん、おもしれ〜。
渕 トランプトレーニングとかやらされてさ。「ゴッチさん、今日は俺、ジャクソンビルで試合があるんだよ。片道3時間半かかるんだよ」って言ってるのに聞かずに、「ハートのエースだから25回だ」って足の運動やらされてさ。たまったもんじゃないよ!
玉袋 でも、ゴッチさんといえば、新日本プロレス専任コーチっていうイメージがあるんですけど、分け隔てなく教えてたんですね。
渕 団体がどうとかは、あまり気にしてなかったね。日本人が好きでしたよ。
(毎日新聞出版「プロレス取調室 昭和レスラー夢のオールスター編」より)
藤原 力の使い方でもあるからね。要するに、いまの総合格闘技とかだと、ラウンド制で判定がすぐついちゃうから、全身に力を入れてるだろ?だから5分試合したら、みんな「ハァ、ハァ」ってなる。でも、ゴッチさんのスタイルは、身体の右半分に力を入れて相手を動けなくしたら、反対側はダラーンとしてるっていう。
玉袋 へえー。
藤原 それでスタミナを半分とか3分の1しか使わないんだよ。例えばこっちをこうやって(胸筋をピクピクさせて)・・・。
ガンツ 凄い筋肉ですね(笑)。
藤原 その代わりに足をダラーンとさせて休ませとくみたいなね。そういうマッスル・コントロールみたいなことを、あの人はやってた。そういう達人なんだよ。
玉袋 やっぱ、凄えなゴッチさん。
藤原 いまの総合格闘技は、ルールがそうだからしょうがないけど、短期勝負なんで力任せにはなるわな。だから、あれは瞬発力の勝負だったりするんだよ。だけど、試合が無制限で、どうしても決まらなかったら、最後はスタミナで決まるんだよ。スタミナが切れたら、テクニックもへったくれもないからな。・・・今日はいいインタビューだな(笑)。
玉袋 いや、いいお話聞かせてもらってますよ。
藤原 だから、ゴッチさんはよく言ってたよ。「俺のフィニッシュホールドはコンディションだ」って。
玉袋 かっけえな〜。
藤原 それで「得意技は?」って聞いたら、「すべてが俺の得意技だ」って。だから、いろいろある中で、極まった技が得意技なんだよ。
(毎日新聞出版「プロレス取調室 昭和レスラー夢のオールスター編」より)