レスラーノート

カート・へニング

CURT HENNIG
本名:カーティス・マイケル・ヘニング
1958年3月28日
ミネソタ州ロビンズデール出身
(エルクリバー説あり)
185cm 106kg

通称
ミスター・パーフェクト
タイトル歴
AWA世界タッグ
AWA世界ヘビー
WWFインターコンチネンタル
WCW・US
得意技
フィッシャーマンズ・スープレックス(パーフェクト・スープレックス)

元AWA世界タッグ王者ラリー・へニングの息子。フィッシャーマンズ・スープレックス(網打ち式原爆固め)の元祖。80年1月にデビュー。WWFを短期間サーキット。その後、オレゴンのパシフィック・ノースウエスト地区で活躍。83年にAWAに入る。83年11月、新日本プロレスに初来日。ボビー・ダンカンと組んで第4回MSGタッグリーグ戦に出場し、1勝7敗の成績だった。全日本プロレスには85年11月の最強タッグ決定リーグ戦にニック・ボックウインクルと組んで参加。86年1月にスコット・ホールとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。87年1月17日、全日本プロレスの徳山市民体育館大会で長州力のPWF王座に挑戦。8分18秒、ラリアットに敗れた。5月、空位だった王座に任命され、AWA世界ヘビー級王座を獲得。88年1月、全日本プロレスでタイガーマスク(2代目)の挑戦を退けてAWA世界王座を防衛。同年7月、WWFに登場。ミスター・パーフェクトを名乗る。WWFに登場した時のプロモーション・ビデオでは、バスケットのロングシュートを決め、ゴルフのロングパットを決め、ダーツはド真ん中、ボーリングはストライクと、そのパーフェクトぶりをアピール。90年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットに来日。リック・マーテルと組んでジャンボ鶴田キング・ハク組と対戦。10分53秒、鶴田のバックドロップにマーテルが敗れた。4月23日にティト・サンタナを破りインターコンチネンタル王座を獲得。91年3月30日、SWSの東京ドーム大会でケリー・フォン・エリックを相手にインターコンチネンタル王座の防衛戦。6分59秒、レフリーと激突して反則負け。規定により王座を防衛した。頚椎負傷後はプレイング・マネージャーとして、付き合いの長いフレアーの側近として活躍したが「サバイバー・シリーズ92」では電撃的に現役復帰し、ベビーフェイス転向。しかし負傷のために長期欠場。97年7月にWCWに登場。フレアー、レザー・ラモンと対決した。9月15日、スティーブ・マクマイケルを破りWCW・US王座を獲得。12月28日、PPV「スターケード」でダイヤモンド・ダラス・ペイジを相手に防衛戦。ダイヤモンド・カッターに敗れて王座転落。98年2月15日、新日本プロレスの日本武道館大会でnWoの一員として来日し、小島聡と対戦。6分12秒、ラリアットをかわし、パーフェクト・スープレックス(フィッシャーマンズ・スープレックス)で勝利。 01年1月、全日本プロレスの東京ドーム大会に参加。同年にはダスティ・ローデスのターンバックル・チャンピオンシップ・レスリングやプエルトリコのWWCに出場。 02年1月にWWFのロイヤル・ランブルにゲスト出場。2月からWWFのサーキットに短期間参加したが、5月4日の英国大会から帰国する機内で、シェービングクリームをまき散らし新人レスラーを泡だらけにする事件を起こし、解雇された。その時のブロック・レスナーとのケンカでは、飛行中の飛行機のドアを開けようとしたりして大乱闘となった。10月16日、TNAの放送でロン・キリングスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。乱入したジェフ・ジャレットのローブローをくらってフォール負け。10月23日、TNAの放送でロン・キリングスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。ブラスナックルで殴られてフォール負け。10月30日、TNAの放送でジェフ・ジャレットと対戦。試合前からバックステージで乱闘。額に包帯を巻いて入場したが、背後からイスで攻撃されて、リングに上げられてストロークに敗れた。11月6日、TNAの放送でジェフ・ジャレットと対戦。レフリーを暴行して反則負け。12月11日、TNAの放送でジェフ・ジャレットのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。ビンス・ルッソーのギター攻撃をくらってフォール負け。 03年2月10日、フロリダ州タンパのホテルで急死。