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元AWA世界タッグ王者ラリー・へニングの息子。フィッシャーマンズ・スープレックス(網打ち式原爆固め)の元祖。80年1月にデビュー。WWFを短期間サーキット。その後、オレゴンのパシフィック・ノースウエスト地区で活躍。83年にAWAに入る。83年11月、新日本プロレスに初来日。ボビー・ダンカンと組んで第4回MSGタッグリーグ戦に出場し、1勝7敗の成績だった。全日本プロレスには85年11月の最強タッグ決定リーグ戦にニック・ボックウインクルと組んで参加。86年1月にスコット・ホールとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。87年5月、空位だった王座に任命され、AWA世界ヘビー級王座を獲得。88年1月、全日本プロレスでタイガーマスク(2代目)の挑戦を退けてAWA世界王座を防衛。同年7月、WWFに登場。ミスター・パーフェクトを名乗る。WWFに登場した時のプロモーション・ビデオでは、バスケットのロングシュートを決め、ゴルフのロングパットを決め、ダーツはド真ん中、ボーリングはストライクと、そのパーフェクトぶりをアピール。90年4月の日米レスリングサミットにも来日。同月23日にティト・サンタナを破りインターコンチ王座を獲得。頚椎負傷後はプレイング・マネージャーとして、付き合いの長いフレアーの側近として活躍したが「サバイバー・シリーズ92」では電撃的に現役復帰し、ベビーフェイス転向。しかし負傷のために長期欠場。97年7月にWCWに登場。フレアー、レーザー・ラモンと対決した。98年2月15日、新日本プロレスの日本武道館大会でnWoの一員として来日し、小島聡と対戦。6分12秒、ラリアットをかわし、パーフェクト・スープレックス(フィッシャーマンズ・スープレックス)で勝利。01年1月、全日本プロレスの東京ドーム大会に参加。同年にはダスティ・ローデスのターンバックル・チャンピオンシップ・レスリングやプエルトリコのWWCに出場。02年1月にWWFのロイヤル・ランブルにゲスト出場。2月からWWFのサーキットに短期間参加したが、5月4日の英国大会から帰国する機内で、シェービングクリームをまき散らし新人レスラーを泡だらけにする事件を起こし、解雇された。その時のブロック・レスナーとのケンカでは、飛行中の飛行機のドアを開けようとしたりして大乱闘となった。03年2月10日、フロリダ州タンパのホテルで急死。
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