レスラーノート

小原道由

1967年11月15日
長野県松本市出身
177cm 110kg 血液型:B型

通称
狂犬
タイトル歴
IWGPタッグ
WAR世界6人タッグ
得意技
パワーボム
水車落とし
のど輪落とし

国士舘大学では柔道部で活躍。4年生の時にアニマル浜口ジムに入門。浜口のもとでトレーニングを積み、90年3月、大学卒業と同時に新日本プロレスに入門。6月30日、上田市民体育館における松田納戦でデビュー。浜口ジム出身第1号レスラーとなる。91年12月、ヤングライオン・トーナメントに優勝。 92年3月、欧州遠征に出発し、CWAマットで悪党修行を積んだ。11月に帰国し、橋本と共にWARに乗りこむ。

1993

93年5月3日、福岡ドーム大会で斎藤彰俊と対戦。9分26秒、パワーボムで勝利。8月、越中詩郎率いる反選手会同盟(後の平成維震軍)入り。12月3日、後楽園ホール大会で橋本と対戦。流血しながらもノド輪落としや水車落としなどパワーで真っ向勝負を展開。橋本も全力のニールキックやチキンウイング・アームロックで応戦。最後は12分18秒、橋本のジャンピングDDTからの胴絞めスリーパーホールドで失神KO負けしたが、「なんかこう、久しぶりに危険な試合というかワクワクする試合ができた。負けたけどスッキリしました」と試合後に語った。

1995

95年1月、越中、後藤と組んで冬木邪道外道組を破りWAR世界6人タッグ王座を獲得。7月25日、平成維震軍の横浜文化体育館大会で天山広吉と対戦。12分30秒、のど輪落としで勝利。天山から初勝利を挙げた。

1996

96年10月20日、神戸ワールド記念ホール大会で中西学と対戦。8分57秒、アルゼンチン・バックブリーカーに敗れた。

1997

97年1月4日、東京ドーム大会で新崎人生と対戦。9分17秒、パワーボムに敗れた。

1999

99年2月の維震軍解散後は、後藤と共闘。6月27日にはIWGPタッグ王者の越中、佐々木健介組に挑戦。越中を後藤のバックドロップで破り、IWGPタッグ王座に君臨した。8月28日、 神宮球場大会で中西学、永田裕志組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分1秒、永田のバックドロップホールドに小原が敗れて王座転落。

2000

00年2月にT2000の一員となる。10月21日に全日本プロレスの愛知県体育館大会でジョニー・スミスとシングルで対戦。関節技の応酬から10分3秒、スミスのブリティッシュフォールに敗れた。

2001

01年6月、総合格闘技進出を表明し、7月20日、札幌ドームで安田と対決した。フロントネックロックをかけられて敗北。10月8日、新日本プロレス東京ドーム大会でゲーリー・グッドリッジと対戦。グラウンドテクニックで場内を沸かせたが、3分36秒にパンチの連打でTKO負け。11月3日の「PRIDE17」に参戦し、ヘンゾ・グレイシーと対戦した。試合は膠着状態の続く展開。小原は2枚のイエローカードを出され、結果は3Rで3−0の判定負け。

2002

02年1月、新日本プロレス離脱。9月29日、名古屋市総合体育館レインボーホールでの「PRIDE22」の第1試合でケビン・ランデルマンと対戦。ランデルマンのパンチに対応できず、試合は一方的な展開に。1Rにはランデルマンのパンチがヒットして思わず場外に逃げる場面も見せた。残念ながら試合はまたしても3Rで3−0の判定負けに終わった。試合後のランデルマンはインタビューで「クソみたいな試合だった。(それは対戦相手のせいですか?)いや、それはまったく関係ない。ファンのみんなに謝りたい。特にセコンド(コールマン)に謝りたい。小原には、ヘンゾの方がうまく戦ったと思う。自分は、ここにいる資格がない。前の試合からブランクがあって、勝とうとしてもできず、ひどく申し訳ない。スタンドのパンチでKOして絶対に膠着しないようにと考えていたが、プロレスラーでヴァーリトゥードの経験も少ない、小原ですら突破できなくて、自分自身に失望した。どうせなら、小原にKOされたかった」と語った。小原は試合後、ノーコメント。

2003

03年1月4日、東京ドーム大会で新日本プロレスに復帰。中邑真輔と組んで安田忠夫、村上和成組と対戦。7分12秒、中邑がフロント・ネックロックで安田にレフリーストップ勝ち。ヒロ斉藤、後藤達俊とクレイジードッグスを結成。2月14日、「星野総裁をペットにして調教するための」犬小屋を公開。2月16日、両国国技館大会でヒロ斉藤、後藤達俊と組んで安田忠夫、魔界1号、魔界2号組と対戦。犬小屋を引きずって入場し、「星野、ハウス!」と魔界倶楽部総裁の星野をマイクで挑発。53秒、星野が乱入して反則勝ち。試合後、突如現れたエンセン井上と共に星野を犬小屋に入れた。以後、エンセン井上がクレイジードッグスに加入した。その後も魔界倶楽部と抗争を展開。7月21日、月寒グリーンドーム大会で飯塚高史、ヒロ斉藤、後藤達俊と組んで安田忠夫、柳澤龍志、魔界1号、魔界5号組と敗者キャプテンin犬小屋イリミネーションマッチ。1対4で敗れた。8月16日、両国国技館大会でエンセン井上と組んで中西学、中邑真輔組と対戦。12分、中西のアルゼンチン・バックブリーカーに小原が敗れた。 その後、レスラーを引退し、会社員として活躍。

2006

06年5月13日、新宿FACEでの新日本プロレス主催の興行「レッスルランド」で魔界3号として復帰。7月27日、後楽園ホールでのWARのファイナル興行で越中詩郎、齋藤彰俊、青柳政司と組んで天龍源一郎、北原光騎、折原昌夫、ドン・フジイ組と対戦。15分23秒、天龍の53歳に青柳が敗れた。

2007

07年2月9日、UWAI STATIONの後楽園ホール大会で無法松力と対戦。5分50秒、レフリーを暴行して反則負け。3月6日、新日本プロレスの後楽園ホールでの35周年記念大会で越中と組んで長州力スーパーストロングマシン組と対戦。ゴング前からの奇襲、場外乱闘やイス攻撃で優勢だったが、長州のリキラリアットを越中がくらってから反撃され、9分2秒、長州のリキラリアット、マシンの魔界風車固めを小原が連続でくらって敗れた。6月29日、猪木の新団体IGFの旗揚げ戦「闘今BOM−BA−YE」に出場し、総合格闘家のタカ・クノウと対戦。関節技に苦戦したが、STO、ランニング式の頭突きから、6分5秒、ツームストンパイルドライバーで勝利した。9月8日、IGFの愛知・日本ガイシホール大会ではケビン・ランデルマンと対戦。3分40秒、ロープへ走って強烈なヘッドバットをアゴにヒットさせて勝利した。12月20日、IGFの有明コロシアム大会で人喰い義生と対戦。強烈な頭突きとフロントスリーパーで持ち味を発揮。パンチの連打を浴びて、7分11秒、TKO負け。

2008

08年2月11日、健介オフィスの後楽園ホール大会でメイン終了後に後藤と乱入。健介をイス攻撃でKOし、後藤は「いつでもやってやる」、小原も「健介どうした。文句があるならかかってこい」と挑発した。2月16日、IGFの有明コロシアム大会で澤田敦士と対戦。4分48秒、腕ひしぎを狙う沢田を持ち上げ、後頭部からマットにたたきつけてTKO勝利。3月28日、後藤と共に健介オフィスの博多スターレーン大会に乱入。相島勇人と組んで山口竜志、起田高志、南野武組と対戦。延々と場外戦を続け、13分34秒、反則負け。6月13日、健介オフィスの大阪府立体育会館第2競技場大会で後藤と組んで起田高志、南野武組と対戦。16分2秒、小原のドッグボムで起田に勝利。この試合後、腰の故障のためセミリタイア。