ダークロHP / レスラーノート

デビッド・シュルツ
DAVID SHULTZ


1950年(1955年6月1日説あり)
テネシー州マディソンカントリー出身
197cm 128kg
タイトル歴:NWA南部タッグ NWAミッドアメリカタッグ NWAカナディアンヘビー 北米ヘビー


74年12月、デビュー。ヒールのラフファイターとして活躍。76年5月、ロジャー・カービーと組んでNWA南部タッグ王座を獲得。11月、ビル・アッシュと組んでNWAミッドアメリカタッグ王座を獲得。77年8月9日、カナダ・ノバスコシア州 ハリファックスでNWAカナディアンヘビー級王座を獲得。78年、国際プロレスに初来日。 その後、カナダ・カルガリー地区のスタンピード・レスリングに登場し、ヒールとして活躍。81年1月31日、エドモントンでブレット・ハートを破り北米ヘビー級王座を獲得。2月21日、カルガリーでレオ・バークに敗れて王座転落。2月27日、カルガリーでレオ・バークを破り王座奪回。9月18日、カルガリーでミスター・ヒトに敗れて王座転落。10月2日、カルガリーでヒトを破り王座奪回。11月6日、ヒトに敗れて王座転落。 83年、WWFに進出。84年6月、新日本プロレスに来日。8月2日、新日本プロレスの蔵前国技館大会で藤波辰巳と対戦。7分37秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。12月28日、マジソンスクウェアガーデンの試合前のバックステージで、ABCテレビの番組「20/20」の取材でプロレスの仕組みに対しての質問を受けて激昂し、アナウンサーに暴行する事件を起こした。事件当日は、新日本プロレスから遠征していたアントニオ猪木と対戦。ダイビング・エルボードロップをかわされて、直後に延髄斬りをくらってフォール負け。この事件でWWFから謹慎処分を受けた。85年3月、新日本プロレスに来日。その後、WWFを離脱。87年ごろに引退。引退後はバウンティハンターとして活動。

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