試合運びの上手さ、テクニカルでクレバーなファイトは、 ヘビー級でも充分に通用する実力を持つ。 学生時代は野球に熱中。83年に高校を中退しプロレス入り。入門テストの試験官は佐藤昭雄。規定ギリギリの180センチだったが、かろうじて合格。85年9月3日、岩手県宮古駅前サンプラザ駐車場特設リングの笹崎伸司戦でデビュー。87年6月に天龍の付き人だったことから天龍同盟入り。しかしデビュー当初は怪我に泣かされ続け、なかなか飛躍の兆しが見えなかった。
95年9月10日、日本武道館で世界ジュニア王者のダニー・クロファットに挑戦。13分37秒、コーナーからの飛びこみ前方回転エビ固めを切り返して勝利。
勝利コメントでは「身体もなく、何の経歴もなく、素質のない人間がよくここまでなれたと思う」と述べた。馬場も「努力した者は報われるということだな」と試合後に称えた。98年7月19日、世界ジュニアヘビー級王座決定リーグ戦(モスマンの返上で空位になったため)で優勝。垣原、志賀、スコーピオ、菊地、池田大輔を相手に全日本プロレスを離脱するまで防衛を重ねた。8月に長期欠場から復帰した三沢のタッグパートナーに抜擢。23日に4の字ジャックナイフ固めを初披露し、秋山準からフォール勝ち。ヘビー級レスラーとテクニックでわたりあうレスラーに成長。同年の最強タッグ決定リーグ戦に三沢のパートナーとして出場。8チーム中5位の成績に終わる。99年8月には三沢と組んで大森、高山組を破り世界タッグ王座を獲得。同年の最強タッグ決定リーグ戦で三沢と組んで出場し、8チーム中3位の成績だった。00年にノアの旗揚げに参加。01年11月30日、三沢と組んでベイダー、スコーピオ組を破りGHCタッグ王座を獲得。12月9日、初防衛戦で高山、大森組に敗れて王座転落。02年4月7日に有明コロシアムでGHCヘビー級王者の秋山に挑戦。試合前に「5分で倒す」と豪語していた秋山相手に4分20秒、ワンハンドクラッチエクスプロイダーの体勢にいこうとしたところを変形首固めで切り返してフォール勝ち。GHCヘビー級王座を獲得した。同王座は田上明、力皇猛相手に防衛を重ね、9月7日に高山に敗れて王座から転落。04年1月10日、三沢と組んで永田、棚橋組を破り、GHCタッグ王座を獲得。同王座は7回もの防衛に成功したが、05年1月23日、タグ・ウイリアムス、スコーピオ組に敗れて王座転落。7月18日、ノアの東京ドーム大会では天龍とシングルで対戦。天龍同盟の師弟対決となったこの一戦で、WARスペシャルや延髄斬り、バックドロップで奮闘した小川だったが、天龍に顔面グーパンチ、ラリアット、53歳とたたみかけられて、最後は10分27秒にラリアットで敗れた。07年3月4日、日本武道館大会でタグ・ウイリアムスと対戦。終始クラシカル&テクニカルなレスリングムーブで試合を展開。17分19秒、カオスセオリースープレックスはカウント2で返したが、直後の回転十字固めに敗れた。
――ノアと言えば、カブキさんは小川良成も一生懸命に教えてましたね。
「あれが一番いい試合するじゃない、ノアで。あのコは大丈夫かなっていうぐらい小さかったけど、努力したからね。よく頑張ったよ。だから今、試合を安心して観てられるね。間合いも巧いし」
(「Gスピリッツ」9号(08年10月)のカブキのインタビューより)
「小川さんは巧かったし、リング上で起こったことには文句を絶対に言わない。好きなことをやらせてくれました。スピンキックを顔に入れても文句言われなかったし、プロだなって思いましたね」(「Gスピリッツ」9号の北原のインタビューより)
――ノアが旗揚げするまで、長い時間を全日本マットで過ごしましたけど、自分のやりたい試合ができたことはあったんですか?
「ほとんどないかなあ。菊池さんはそういうスタイルが好きで合わしてくれたけど・・・。あとは一度だけ挑戦した世界ジュニアのタイトルマッチで、小川さんを相手にやりました。そうしたら小川さんも受け入れてくれて、かなり盛り上がったんですよ。小川さんのパンチも地味に見えて、かなり痛いですからね。あれからかなり経ってからですけど、小川さんに”あの試合の後、3日ぐらい首が回らなくなったよ”って言われましたよ(笑)」(「Gスピリッツ」9号の池田大輔のインタビューより)
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