ダークロHP / レスラーノート

伊東竜二

1976年4月8日
岩手県岩手郡滝沢村出身
185cm 95kg
タイトル歴:WEWハードコアタッグ KO−Dタッグ BJWタッグ BJWデスマッチヘビー
得意技:ドラゴンスプラッシュ タランチュラ

高校時代はボクシング部に所属。岩手県立一関高校理数学科を卒業。国立茨城大理工学部を中退。98年9月、入門テストに合格。10月、大日本プロレスに入団。入団後、茨城大学工学部を中退。99年4月29日、ツインメッセ静岡大会での葛西純戦でデビュー。03年からデスマッチで活躍。8月24日、横浜文化体育館大会で金村キンタローを破りBJWデスマッチヘビー級王座を獲得。以後、大日本プロレスのデスマッチのエースとして活躍。05年12月21日、横浜文化体育館大会でアブドーラ小林に敗れて王座転落。06年9月10日、横浜文化体育館大会で佐々木貴を破りBJWデスマッチヘビー級王座を獲得。この試合で4メートル近い高所からのドラゴンスプラッシュに失敗し、左月状骨周囲脱臼、右橈骨幹部骨折の重傷を負い、王座を返上し、長期欠場。07年3月14日、後楽園ホール大会で復帰。12月14日、横浜文化体育館大会で“黒天使”沼澤邪鬼を破りBJWデスマッチヘビー級王座を獲得。08年5月4日、桂スタジオ大会でシャドウWXに敗れて王座転落。11月29日、ウエストバージニア州サウス・チャールストンで行われたIWAイーストコーストのデスマッチトーナメント「マスターズ・オブ・ペイン」に参戦。ドレイク・ヤンガー、ダニー・ハボックに勝利して、決勝戦の蛍光灯ガラステーブルデスマッチでサムタック・ジャックに敗れた。アメリカ遠征中はチカラプロにも出場した。09年11月20日、後楽園ホール大会のメインで葛西純を相手にカミソリ十字架ボード+αデスマッチで対戦。パイプイス、テーブル、蛍光灯、画鋲、サボテンが飛び交う大流血戦を展開。場外で机の上に寝かされてバルコニーからのダイビングボディプレスをくらい、蛍光灯の束を葛西の上に乗せてドラゴンスプラッシュを決めた。29分45秒、有刺鉄線ボードとサボテンの上でリバースタイガードライバーをくらってフォール負け。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。10年5月4日、横浜文化体育館大会で宮本裕向を破りBJWデスマッチヘビー級王座を獲得。11年12月18日、横浜文化体育館大会でアブドーラ小林に敗れて王座転落。14年5月25日、名古屋クラブダイアモンドホール大会のメインで木高イサミのデスマッチ王座に3本勝負で挑戦。1本目のTLCデスマッチは15分33秒、勇脚・斬に敗れた。2本目のブロック&蛍光灯デスマッチは12分1秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。3本目の鉄檻蛍光灯デスマッチは8分26秒、鉄檻上からのダイビングボディプレスで勝利。デスマッチ王座を獲得した。6月15日、広島県立産業会館・東館大会のメインで宮本裕向を相手に防衛戦。17分48秒、ラ・マヒストラルにフォール負けして王座転落した。9月23日から始まった最侠タッグリーグにアブドーラ小林と組んで参戦。リーグ戦を4勝1敗の1位で突破。11月21日、後楽園ホール大会での準決勝で関本、神谷組と対戦。13分1秒、小林がダイビングバカチンガーエルボーで神谷に勝利。同日の決勝で宮本裕向、木高イサミ組と蛍光灯200本デスマッチで対戦。18分44秒、宮本のファイヤーサンダーに小林が敗れた。15年7月20日、大日本プロレスで初開催となる両国国技館大会でアブドーラ小林のデスマッチヘビー級王座に20周年記念20アイテムデスマッチで挑戦。20分53秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。デスマッチヘビー級王座を獲得した。8月16日、後楽園ホール大会のメインで関本と蛍光灯デスマッチで対戦。18分50秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。9月21日から始まった最侠タッグリーグに関根龍一と組んで参戦。4勝1敗でリーグ戦を突破。10月29日、後楽園ホール大会での決勝トーナメント1回戦で佐藤耕平石川修司組とハードコアマッチで対戦。17分、石川のスプラッシュマウンテンに関根が敗れた。 16年7月24日、両国国技館大会のメインで星野勘九郎を相手に防衛戦。20分31秒、スキャフォールドからのダイビングセントーンに敗れて王座転落。9月4日から始まった最侠タッグリーグに佐久田と組んで参戦。2勝1敗でデスマッチBブロックを1位で通過。10月14日、後楽園ホール大会での準々決勝で宮本裕向、木高組と対戦。12分40秒、宮本のラダー上からのムーンサルトプレスに佐久田が敗れた。 17年7月17日、両国国技館大会で小林と組んで関本、岡林組のBJWタッグ王座に挑戦。21分9秒、小林がダイビング・バカチンガーエルボードロップで岡林に勝利。BJWタッグ王座を獲得した。8月11日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で高橋匡哉、植木嵩行組を相手にレモン&ソルト&画鋲&剣山タッグデスマッチでタッグ王座の防衛戦。17分10秒、小林が逆エビ固めwithソルトで植木に勝利。9月6日から始まった最侠タッグリーグにアブドーラ小林と組んで参戦。4勝1敗でリーグ戦を突破。10月15日、後楽園ホール大会での準決勝で高橋匡哉、植木嵩行組と対戦。11分44秒、小林が逆エビ固めwith画鋲で植木に勝利。同日の決勝で橋本大地、神谷組と対戦。16分6秒、神谷のバックドロップに小林が敗れた。10月21日、全日本プロレスの横浜文化体育館大会で関本と組んで秋山準大森隆男組を相手に世界タッグ王座決定戦。18分43秒、秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーに関本が敗れた。11月26日、名古屋ダイアモンドホール大会で沼澤、吹本組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分5秒、伊東がドラゴンスプラッシュで沼澤に勝利。12月17日、横浜文化体育館大会で植木、佐久田組を相手にタッグ王座の防衛戦。9分35秒、伊東がドラゴンスプラッシュで植木に勝利。 18年1月25日、後楽園ホール大会のメインで竹田、塚本組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分10秒、竹田の腕ひしぎ十字固めwithノコギリに小林がレフリーストップ負けして王座転落。5月5日、横浜文化体育館大会で関根龍一と組んで宮本、木高組のBJWタッグ王座に挑戦。14分58秒、木高のギガラダーブレイクに関根が敗れた。5月8日、DDTの新木場1stRING大会で梅田公太とハードコアマッチ。11分5秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。8月12日から始まった最侠タッグリーグ戦に関根と組んで参戦。9月16日、横浜文化体育館大会のメインで竹田誠志のデスマッチ王座に蛍光灯300本デスマッチで挑戦。17分39秒、リバース・Uクラッシュ改に敗れた。タッグリーグ戦は5勝1敗で終了し、デスマッチブロックの1位で突破。10月16日、新木場1stRING大会での準決勝で橋本大地、神谷組と対戦。14分8秒、神谷のバックドロップに関根が敗れた。 19年1月14日、後楽園ホール大会で高橋匡哉のデスマッチ王座に観客持ちこみ・画鋲344440個デスマッチで挑戦。14分43秒、蛍光灯へのジャックハマーに敗れた。2月28日から始まった「一騎当千〜DeathMatch Survivor」に参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で木高イサミと蛍光灯&ガラスボードデスマッチ。12分41秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。3月10日、博多スターレーン大会で宮本裕向と蛍光灯200本デスマッチ。13分5秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。3月11日、広島県立産業会館・東館大会で関根龍一と蛍光灯凶器持ちこみデスマッチ。13分47秒、龍蹴斗に敗れた。4月28日、新潟プロレスの新潟市東区プラザ大会で鶴巻伸洋と組んで新潟プロレス初代タッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦で牙城、河上隆一組と対戦。11分19秒、鶴巻が腕固めで牙城に勝利。同日の準決勝でグレート小鹿、シマ重野組と対戦。10分13秒、重野の変型裏4の字固めに鶴巻が敗れた。7月11日、新木場1stRINGでの大日本プロレスと2AWの合同興行で最上九とハードコアマッチ。9分45秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。7月28日、名古屋ダイアモンドホール大会でドリュー・パーカーと有刺鉄線ボードデスマッチ。9分45秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。8月6日、上野公園大会で石川勇希と対戦。7分48秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。9月1日から始まった最侠タッグリーグにリッキー・シェイン・ペイジと組んで参戦。4勝2敗でリーグ戦を突破。11月26日、後楽園ホール大会での準決勝で竹田誠志、塚本拓海組と蛍光灯&タックストリップデスマッチ。12分43秒、ペイジがチョークブリーカーwith蛍光灯&タックストリップで塚本に勝利。同日の優勝決定戦で岡林裕二入江茂弘組とハードコアマッチ。16分19秒、岡林のラリアットにペイジが敗れた。
大日本・伊東竜二 死にかけた壮絶体験を告白「蛍光灯が背中にブスッと縦に刺さって・・・」
(ENCOUNT 19年12月25日19:30配信より)
初の著書「デスマッチ・ドラゴンは死なない」を上梓 壮絶ヒストリーを公開
 デスマッチで知られる大日本プロレスのエース・伊東竜二(43)が初の著書「デスマッチ・ドラゴンは死なない」(ワニブックス)を上梓した。茨城大学工学部という名門に進みながら、プロレスラーに“就職”。その後、過激な蛍光灯デスマッチなどで無数の生傷を負いながらも戦い続け、4月にはデビュー20周年の節目を迎えた。波瀾万丈のキャリアを歩み、長年のデスマッチ人生でたどり着いた境地とは何か。歴史を振り返るとともに、今後の目標を聞いた。
−−初めての著書になります。
「ウチの社長、登坂栄児から「2年前に関本大介が本を出したから、20周年で今年は伊東じゃないかな」と言われたのがきっかけですね。要は会社に本を出せと言われたんです(笑い)。そう言われたことによって、じゃあどうせだったら自分のことより大日本のことをあれこれ書いていこうじゃないかと思いました。こんなに厚くなるとは思わなかったですよ。当初は11月4日の両国大会で出す予定だったんですけど、まとまりきらずに1か月延びてしまった。新しい大日本のファンの人たちからしたら知らないことがたくさん書いてあるし、古くからのファンの人たちもいろいろ楽しめると思う。いろんな人に読んでいただきたいです」
−−本を通じて特に訴えたかったところは。
「いろいろなことがあったけど、大日本プロレスまだまだ頑張ってるぞ、伊東竜二も頑張ってるぞ!っていうことですかね。言いたいことは」
−−リングに上がりながら一時期アルバイトをしていたという記述もあり、驚きました。
「新しいファンはもちろん、古いファンも知らないようなことですよね。後で社長に怒られるかもしれない。いらんこと書くなって(笑い)」
−−実際、どういう仕事をしていたのでしょうか。
「特にこれといったスキルを持っていなくて、ただ力があるということなので、工事現場の補助的な仕事ですね。これをこっちからあっちに運べとか。麻布のあたりの現場だったんですけど、要はコンクリート砕いたりすると粉塵が飛ぶので、それが近所に飛んでいかないように水をずっとまいてるとか。「あそこ俺が作った」というのは全くないんですね。時期的には2002年、大日本が一番落ち込んでいた時代ですね。グレート小鹿会長が、「じゃあ俺がちょっとアレしてやるよ」って言ったのが現場をあてがうということだった(笑い)」
−−レスラー生活20年振り返って。
「いいこともあって悪いこともあってさまざまなことがありましたね。なので、決して平たんではない20年ですかね。特にやることもなくプロレス界に入ってパッとしなかった人間がデスマッチをすることによってガラリと変わって、デスマッチやることによってケガにも泣かされて・・・。山あり谷ありの人生ですかね」
−−デスマッチ界では不動の存在になりました。
「まだまだですね。自分の中で目標はグレート小鹿の歳(現在77歳)までというのがあるので、あと40年以上やらなきゃいけないので、まだまだやっと登山を始めたばかりぐらいの気持ちでいます。まだまだこの先にはいろんな景色が見れるであろうし、明るい先が見れると信じています」
−−伊東さんにとってデスマッチのやりがいとは。
「デスマッチに限ったことでなくて、プロレス自体を好きでやっている。その中で、デスマッチが自分に適正があったぐらいの感覚なんですよ。よく言われる「デスマッチ痛くないんですか?」という問いには、「いやいや関本や岡林のチョップだって痛いよ」ぐらいの感覚なんですよ。自分の中では同じ枠なんですよ。深く考えたことはないですね」
−−入門する際、両親の反対がありました。
「反対というか大学に入って3年間、特に近況報告をしていたわけじゃないので、普通に学校に通って普通にあと1年もすれば卒業だと思っていたところに、「大学辞めてプロレスラーになる」と言ったものだから、「ちょっと待て、どういうことだ?」と言うので、1回、実家に呼び戻されました。「帰って来い」って。で、帰ってちゃんと説明して、実はほぼほぼ大学にも行ってないし、卒業もできない中で、「こういうのがあって、もうテストを受けて合格したからこっちに行く」っていうところまで説明したら、納得はしてもらいました」
−−デスマッチファイターに転向した時、受け入れてくれましたか。
「それも特にはしゃべってなかったのですが、ウチの父親の職場の人が東京スポーツを読んでいるようで、「載っているよ」って持って来ていたらしいんですよ。それによって、そういうこと(デスマッチ)をしているというのが分かって。デスマッチに関してはいい顔はしないので実家に帰ったら絶対シャツを脱がないようにしています。いまだにそこは気を使っていますね。今、母親が1人で住んでいるので、息子の傷だらけの姿は極力見せないようにしています」
−−裸になれないのは母親の前だけですか?
「ですね。試合は見には来ますよ。昔は見てられなかったって言ってたんですけど、キャリアを重ねるうちに「やられる側よりやっつける側になったので、安心して見れられる」って言ってましたね。蛍光灯デスマッチも、岩手で何回か見に来ました。ただ、家でシャツを脱ぐのはちょっと・・・。風呂から上がったらすぐシャツ着て、裸でウロウロなんてできない。いい顔はしないと思うので」
−−これまでデスマッチで危ない目に遭ったことは。
「デスマッチだと腕の骨折と背中に蛍光灯が刺さったのですかね。入院、手術があったのはこの2つですね。腕は2メートルぐらいの鉄檻があるんですけど、その上に180センチのラダーを乗っけたんですよ。乗っけて、その上から落ちたんです。意図的にではなくて、失敗です。飛んでいこうとしたら足場がガクンと動いちゃって真っ逆さまにリングの上に落ちた。で、右腕の橈骨(とうこつ)、太いほうの腕を折ってしまった。それで半年休みました。30歳の時です。背中に関しては、ロープに蛍光灯を吊るして試合してるんですけどね、それでボンと当たった時にヒザをつく感じで屈んだら、割れた蛍光灯の先がつっかえ棒みたいになって背中にブスッと縦に刺さっちゃったんですよ。それで中の脂肪がデロンと出てきて・・・。傷自体は蛍光灯の円ぐらいの大きさだったんですけど、その中に破片が残っているからと言われて、肉をビロッと切られてベロンとはがして中から破片を取って、また縫い直しました。背中にギーッと傷がついた。今は全然、分からなくなっていますけど。10年以上前のことですね。10センチぐらい刺さったんじゃないですかね」
−−それだけ危険と背中合わせのデスマッチ、体のケアはしていますか。
「体のケアは特にしてないですね。まだバカみたいに酒も飲んでいますし。好きなように生きている感じですかね。毎日3食ちゃんと食べているぐらいです。昔は朝は食わないでとかやってたんですけど、3食食べることによって体の調子を上げています」
−−体は丈夫なんですね。
「頑丈なんですかね。痛いは痛いですよ。いつまで経っても痛い。10年以上やっても痛いは痛い(笑い)」
−−これまで何針ぐらい縫っているのですか。
「縫ったのはすごい少ないです。背中をザックリ切った時に100何十縫いましたけど、それがたぶん一番大きい傷で、あとはほぼほぼ縫ってないです。小っちゃい傷はもちろん、病院に行って縫ってまた抜糸してというのがすごい面倒臭いので、よっぽどの、もうこれはダメだよっていう時以外は病院行かないですね。なので、傷は開いたままです。あとはテープでグルグル巻きにして(治療する)。こないだ北海道で、右ひじがザックリと3センチくらい切れたんですよ、試合中に。タッグマッチだったので、うわっと思いながら、セコンドに「ちょっとテーピング持って来て」と言って、そこでグルグルってやって、そのまま放置です。病院に行かずに。病院に行ったら確実に縫われるレベルなんですけど、縫わずに治しました。面倒臭いじゃないですか。病院に行って縫っても、抜糸は勝手にします。1週間ぐらいしてくっついたなと思ったら自分で糸をはさみで切って取っちゃいます。みんなに何で?って言わるけど、痛くない。診察したら糸切るだけで診察代と言って金取られるんだよって言っています」
−−過激なデスマッチをここまで続けられる原動力というのは何なのでしょうか。
「デスマッチじゃなくても痛いですからね。デスマッチも痛いし、普通のプロレスも痛い。だったら得意なほうをやったほうがいいじゃないかという感覚ですね。痛いからデスマッチやらないじゃなくて、デスマッチのほうが得意だからやっているという感じですね。デスマッチのほうが表現が1つじゃないので。いわゆるストロングと言われている人たちは体ですべてを表現しなくちゃいけない。デスマッチだと、その中にアイテムというものが加わるので、無限大に可能性を持っていると思うんですよ。そこをただ使うのではなく、頭を使った部分ですね。自分は比較的、大日本の中では身長に恵まれているんですけど、デスマッチ始めた時は体重は下から数えたほうが早いくらいだったので、その中でなんとかひっくり返してやろうという中でのいろんなデスマッチの試行錯誤があったので。一番最初はそれをやることによって、いろんなものを変えるということが目的だった。なので、体以外の部分でも戦えるし、それをお客さんの予想を上回ることをやるところに魅力はありますね」
−−20年間のベストバウトは。
「世間一般的にもそうだと思うんですけど、葛西戦(09年11月20日、後楽園ホール)が一番ですね。葛西戦って全然モノ使ってないんですよ。サボテン、カミソリ、画びょうぐらいですかね。蛍光灯とか全然。大日本プロレス=伊藤竜二=蛍光灯というイメージがありますけど、その蛍光灯をあえて使っていない葛西戦。そういった意味ではお客さんの想像を超えている、予想をひっくり返していると思うので、葛西戦にします」
−−今後の目標は。
「43歳での現役は、大日本の中ではグレート小鹿、星野勘九郎に次ぐ高齢ですからね。どんどん若いのが増えて、自分の20下とかもいます。そういった中でもまだまだ第一線でやっていけるんだぞというのを前面に出しながら、あと40年以上頑張りたいと思います」
−−夢をかなえることができるとしたらどんなデスマッチをやりたいですか。
「大日本プロレスで1回、後楽園ホールで一軒家破壊プロレスやったんですよ。あんなことやりたいですね。あれはすごい大赤字だったらしいんですけど(笑い)。一軒家プロレスの復活ですね。今度は屋外で、どっかやらしてくれないですかね。最後燃やしてもいいくらいで」
−−デスマッチを志してくる若手にメッセージを送るとしたら。
「いろいろ考えろよと。体鍛えてどうにかなるもんじゃないよというところですかね。デスマッチはプロレスの中でたぶん、一番頭を使うと思う。イメージ的にはバカが凶器を持って、ぶんぶん振り回しているイメージなんでしょうけど、ただその使い方1つにしてもみんな考えている。だから一見してバカでもできるようだけど、バカじゃできないのがデスマッチだよと。他のプロレスも頭を使っているんですけどね、必要以上に頭を使うのがデスマッチ。なので、「頭を使え」「いろいろ考えろ」ということですね」
−−将来的に大日本をプロレス界の中でどのような位置に持っていきたいですか。
「NGが多いんですよね。不思議なのは映画とかドラマとかだと、普通に流血もすれば、人も死ぬじゃないですか。でも、プロレスはそれは許されないじゃないですか。人が死ぬのはもちろんないですけど、取り上げるにあたって、流血することが許されないっていうのはおかしな話であって。別に凄惨なことをしているつもりもないですし、デスマッチもちゃんとした位置づけにしてもらいたいなと。「デスマッチだと流血なんで表紙にできない」とか、いやいやいやいや、というところですね」
−−蛍光灯デスマッチは海外のファンも多いです。
「年末年始とか毎年、外国人のお客さんがすごい増えるんですよ。WWEのレッスルマニアのように、外国人も1・4東京ドームを見るために年末年始、海外から日本に来るらしいんです。で、「じゃあ、ちょっとほかのプロレスも見ようじゃねえか」って、イカれた外国人たちが来て蛍光灯デスマッチを見てヒャッハー!って喜んでいる。そういう人たちも満足させたいですね。「ニュージャパンだけじゃねえぞ、ビッグジャパンっていうクレイジーな団体があるぞ」というのを世界中に発信できたらと思います」
−−プライベートの趣味はありますか。
「最近は何もないんですよね。釣りに行ってたんですけど、本牧の海釣り公園というところがあって、そこにちょこちょこ行ってたんですけど、台風で全部吹っ飛んじゃって、中がどえらいことになって、まだやってない。先月、「再開の見通しなし」ってなってたんで。釣りの趣味が奪われてしまったので、新しい趣味を見つけます」
−−最後に改めて読者にメッセージをお願いします。
「伊東竜二の歴史だけでなく、25周年を迎える大日本プロレスのうちの20年が詰まっている本なので、是非ともプロレスファン、大日本ファン、伊東竜二ファンだけでなく、いろんな人に読んでもらいたい本です」

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