レスラーノート

伊東竜二

1976年4月8日
岩手県岩手郡滝沢村出身
185cm 95kg

通称
デスマッチ・ドラゴン
タイトル歴
WEWハードコアタッグ
KO−Dタッグ
BJWタッグ
BJWデスマッチヘビー
得意技
ドラゴンスプラッシュ
タランチュラ

高校時代はボクシング部に所属。岩手県立一関高校理数学科を卒業。国立茨城大理工学部を中退。98年9月、入門テストに合格。10月、大日本プロレスに入団。入団後、茨城大学工学部を中退。99年4月29日、ツインメッセ静岡大会での葛西純戦でデビュー。

2001

01年8月9日、ひたちなか市松戸体育館大会で松崎駿馬と対戦。10分15秒、ランニング・ネックブリーカードロップに敗れた。8月16日、名古屋市体育館大会でファンタスティックと対戦。13分29秒、首固めでフォール勝ち。8月18日、アクトシティ浜松大会で神風と対戦。12分8秒、ムーンサルトプレスに敗れた。8月25日、後楽園ホール大会で葛西純と対戦。6分39秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。9月2日、川崎市体育館大会でジョニー・カジミアのBJWジュニア王座に挑戦。8分32秒、ジャニアリー2000に敗れた。9月12日から始まった最侠タッグリーグにファンタスティックと組んで参戦。9月13日、海峡メッセ下関展示見本市会場大会でシャドウWXと対戦。8分52秒、逆エビ固めに敗れた。9月16日、西海町民体育館大会で保坂秀樹と対戦。14分48秒、ビルディングボムに敗れた。9月19日、博多スターレーン大会で沼澤直樹と対戦。7分19秒、逆エビ固めで勝利。同大会でファンタスティックと対戦。13分53秒、バイアグラドライバーに敗れた。タッグリーグ戦は4戦全敗に終わった。10月7日、みちのくプロレスのディファ有明大会での7番勝負第6戦で4代目タイガーマスクと対戦。10分11秒、タイガースープレックスに敗れた。10月16日、紋別市スポーツセンター大会でアブドーラ小林と対戦。10分54秒、コバドライバーに敗れた。10月19日、鳥取ドーム大会で松崎駿馬と対戦。10分33秒、カナディアン・バックブリーカーに敗れた。10月20日、札幌テイセンホール大会でラッカスと対戦。8分8秒、ファイアーバード・スプラッシュに敗れた。10月23日、矢本町民体育館大会でシャドウWXと対戦。10分1秒、WXロックに敗れた。10月25日、北茨城市民体育館大会でマッドマン・ポンドと対戦。7分13秒、イスの上へのパイルドライバーに敗れた。11月25日、後楽園ホール大会でファンタスティックと対戦。13分15秒、ストレッチボムに敗れた。12月9日、新川崎駅小倉陸橋下広場大会での七番勝負最終戦で関本大介と対戦。10分48秒、ラリアットに敗れた。

2002

02年1月7日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で井上勝正と対戦。6分16秒、右ミドルキックでレフリーストップ勝ち。2月3日、後楽園ホール大会でサスケと対戦。9分31秒、サンダーファイアー・パワーボムに敗れた。3月1日、アクトシティ浜松大会でアシッドと対戦。12分3秒、ヤクザキックに敗れた。3月16日、大洗総合運動公園体育館大会で篠原恭司と対戦。6分52秒、チキンウイング・フェイスロックに敗れた。3月24日、神奈川・ドックヤードガーデン大会で石倉正徳と対戦。9分55秒、変型グラウンド卍固めで勝利。4月28日、札幌テイセンホール大会から隼杯に参戦し、牧田理と対戦。9分27秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。4月29日、札幌テイセンホール大会で井上勝正と対戦。6分39秒、後頭部への飛びヒザ蹴りで勝利。5月2日、エミフェアプラザ仙台ワッセ大会で上条裕二と対戦。5分22秒、竜二キックで勝利。5月4日、水戸市民体育館大会で上条裕二と対戦。10分51秒、キャメルクラッチで勝利。5月5日、後楽園ホール大会で下田大作と対戦。10分26秒、ショーンキャプチャーで勝利。4戦全勝でリーグ戦を突破。5月6日、新川崎駅小倉陸橋下広場大会での隼杯優勝者決定戦で牧田理と対戦。10分39秒、フロント・ハイキックで勝利。隼杯に優勝した。5月27日、WEWの後楽園ホール大会で下田大作と対戦。10分17秒、ハイキックで勝利。5月29日、キラメッセぬまづ大会でジ・ウインガーのBJWジュニア王座に挑戦。16分1秒、ジャックナイフ式エビ固めにフォール負け。6月30日、立川競輪場横駐車場大会で大矢剛功と対戦。10分25秒、バックドロップに敗れた。7月3日、石川県産業展示館2号館大会でマッドマン・ポンドと対戦。5分28秒、ニードロップに敗れた。7月7日、後楽園ホール大会で非道と対戦。4分10秒、イスの上へのパイルドライバーに敗れた。7月20日、伊勢原食品市場大会で大矢剛功と対戦。11分54秒、卍固めに敗れた。7月21日、ツインメッセ静岡大会で非道と対戦。10分12秒、非道クラッチにフォール負け。7月27日、小田原アリーナサブアリーナ大会で非道と対戦。9分27秒、非道クラッチにフォール負け。8月15日、姫路みなとドーム大会で山川征二と対戦。11分22秒、リバース・タイガードライバーに敗れた。8月16日、アクトシティ浜松大会でホミサイドと対戦。8分45秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。8月18日、横浜文化体育館大会で下田大作と対戦。15分時間切れ引き分け。9月15日、博多スターレーン大会でマッドマン・ポンドと対戦。7分56秒、ポンド式ローリング・セントーンに敗れた。9月16日、北九州市立小倉北体育館大会でジ・ウインガーと対戦。10分45秒、首固めにフォール負け。9月17日、興南会館大会で松崎番長と対戦。9分18秒、ランニング・ネックブリーカー3連発に敗れた。9月18日、臼杵市勤労者体育センター大会で沼澤邪鬼と対戦。8分11秒、フェイスロック式キャメルクラッチで勝利。10月8日から始まった最侠タッグリーグ戦に下田大作と組んで参戦。10月17日、根室市青少年体育センター大会でアブドーラ小林と対戦。9分24秒、ダイビング・エルボードロップに敗れた。リーグ戦は2勝1敗1引き分けで終了。10月21日、岩手県営体育館大会で大黒坊弁慶、アブドーラ小林組とBブロック2位決定戦。13分36秒、伊東がブロックバスターホールドで小林に勝利。10月23日、むつ市民体育館大会で松崎番長と対戦。9分17秒、ランニング・ネックブリーカーに敗れた。10月31日、横浜赤レンガ倉庫大会での準決勝でMEN’Sテイオー、関本大介組と対戦。14分41秒、テイオーの垂直落下式ダブルアームスープレックスに伊東が敗れた。11月10日、後楽園ホール大会で下田大作と組んで大黒坊弁慶、アブドーラ小林組のBJWタッグ王座に挑戦。16分11秒、小林の山嵐に伊東が敗れた。11月11日、キラメッセぬまづ大会で井上勝正と対戦。6分56秒、フェイスロック式キャメルクラッチで勝利。12月14日、ポートメッセなごや大会でジ・ウインガーと対戦。12分44秒、首固めにフォール負け。12月19日、横浜文化体育館大会で大黒坊弁慶と対戦。12分9秒、ボディプレスに敗れた。

2003

03年からデスマッチで活躍。1月2日、後楽園ホール大会でジ・ウインガーと対戦。12分15秒、ブロックバスターホールドで勝利。1月26日、大熊町第二体育館大会で大黒坊弁慶と対戦。9分41秒、ボディプレスに敗れた。3月26日、アスティとくしま大会で近藤博之と対戦。11分13秒、竜二キックで勝利。3月30日、横浜文化体育館大会で下田大作と組んで大黒坊弁慶、アブドーラ小林組のタッグ王座に挑戦。18分34秒、伊東がイス上へのダイビング・ボディプレスで小林に勝利。WEWハードコアタッグ王座を獲得した。4月27日、今之浦公園東特別設営会場大会で上条裕二と対戦。6分37秒、竜二キックで勝利。4月29日、WEWのディファ有明大会で非道、YOSHIYA組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分16秒、非道のラダー上でのラリアットに下田が敗れて王座転落。5月2日、釧路桜ヶ岡青雲台体育館大会でシャドウWXと対戦。11分2秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。5月3日、札幌テイセンホール大会で近藤博之と対戦。12分46秒、ダイビング・ボディプレスで勝利。5月5日、函館市民体育館大会で豹魔と対戦。9分44秒、竜二キックで勝利。同日、松崎番長と対戦。9分42秒、チキンウイング・フェイスロックに敗れた。5月8日、酒田市営体育館大会で豹魔と対戦。8分13秒、ドラゴンキッカーで勝利。7月21日、後楽園ホール大会で金村キンタローとバーブドワイヤーボード&ラダーデスマッチ。16分56秒、有刺鉄線ボードの上へのサンダーファイアー・パワーボムに敗れた。8月10日、後楽園ホール大会でシャドウWXとバーブドワイヤーボード&両者凶器持込みデスマッチでデスマッチ王座挑戦者決定戦。15分40秒、ドラゴンキッカーwithスパイダーネットで勝利。8月24日、横浜文化体育館大会のメインで金村キンタローのデスマッチ王座に金網デスマッチで挑戦。14分55秒、ドラゴンキッカーで勝利。BJWデスマッチヘビー級王座を獲得した。以後、大日本プロレスのデスマッチのエースとして活躍。9月23日、みなとみらい大観覧車前駐車場特設リング大会でシャドウWXと組んでMEN’Sテイオー、ミスター大日本組と対戦。20分5秒、テイオーの蛍光灯の上へのミラクルエクスタシーに伊東が敗れた。直後の10人参加のBJランブル2分時間差バトルロイヤルに参戦し、21分21秒、ドラゴンキッカーで最後に残ったシャドウWXに勝利した。9月28日、後楽園ホール大会でアブドーラ小林と建設現場&デンジャーネットデスマッチ。13分56秒、建設現場の上からのバカチンガー・エルボードロップに敗れた。10月18日、羅臼町民体育館大会で井上勝正と対戦。10分48秒、ドラゴンキッカーで勝利。10月25日、札幌テイセンホール大会でシャドウWXと蛍光灯200本デスマッチ。18分10秒、蛍光灯の上への垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。11月8日、後楽園ホール大会でgosakuとハードコアマッチ。16分12秒、後頭部へのドラゴンキッカーで勝利。12月19日、後楽園ホール大会で非道と組んでアブドーラ小林、大黒坊弁慶組のBJWタッグ王座にリング・イン・ザ・ケージ・タッグデスマッチで挑戦。16分32秒、伊東がケージの上からのドラゴンスプラッシュwith蛍光灯&チェアで小林に勝利。BJWタッグ王座を獲得した。12月23日、ポートメッセなごや大会でMEN’Sテイオー、ミスター大日本組を相手に蛍光灯タッグデスマッチで防衛戦。15分48秒、テイオーのテイオーロック2に伊東が敗れて王座転落。12月24日、横浜文化体育館大会のメインでアブドーラ小林を相手にリング・オブ・デス蛍光灯&バーブドワイヤーボード&ガラスデスマッチで防衛戦。16分13秒、蛍光灯、有刺鉄線サボテン、ガラスボードを置いてのドラゴンスプラッシュで勝利。

2004

04年1月15日、横浜赤レンガ大会で沼澤邪鬼と月光闇射ちデスマッチ。12分45秒、点灯蛍光灯束を乗せてのドラゴンスプラッシュで勝利。4月29日、後楽園ホール大会で非道を相手にガラスボード&すだれ蛍光灯デスマッチで防衛戦。16分17秒、ファイアーバード・スプラッシュで勝利。4月30日、埼玉・桂スタジオ大会でマッドマン・ポンドとUSAデンジャーネットサーカスデスマッチ。12分55秒、7メートルやぐらの上からの雪崩式ブレーンバスター・オン・ザ・デンジャーネットに敗れた。5月13日、横浜赤レンガ倉庫大会でマッドマン・ポンドを相手に凶器持込蛍光灯デスマッチで防衛戦。14分39秒、カカト落としwith蛍光灯ライトセイバーで勝利。5月23日、ツインメッセ静岡大会で山川竜司とストリートファイト蛍光灯デスマッチ。12分35秒、蛍光灯束を置いてのドラゴンスプラッシュで勝利。7月1日、DDTの後楽園ホール大会で高木三四郎と組んで佐々木貴、GENTARO組のKO−Dタッグ王座に挑戦。17分36秒、高木が旋回式スタナーで佐々木に勝利。KO−Dタッグ王座を獲得した。7月18日、後楽園ホール大会でgosakuを相手に蛍光灯300本デスマッチで防衛戦。21分1秒、ドラゴンスプラッシュwith蛍光灯で勝利。7月31日、DDTの後楽園ホール大会で男色ディーノ、グレン"Q"スペクター組、佐々木貴、GENTARO組を相手に3WAYでのタッグ王座の防衛戦。16分32秒、ディーノのゴッチ式男色ドライバーに高木が敗れて王座転落。9月25日、お台場青海地区K区画特設リング大会で非道と蛍光灯&敗者棺桶デスマッチ。13分7秒、ドラゴンスプラッシュwith蛍光灯3連発で勝利。10月17日、十日町地域地場産業振興センター大会でMASADAと対戦。11分37秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。12月18日、横浜文化体育館大会で非道を相手に10アイテムスデスマッチで防衛戦。18分56秒、イス&有刺鉄線バット&釘板十字架の上へのドラゴンスプラッシュで勝利。

2005

05年1月4日、DDTの新木場1stRING大会で飯伏幸太と対戦(飯伏幸太ゴールデン☆スター七番勝負第1戦)。8分58秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。2月6日、デルフィンアリーナ大会で柿本大地と対戦。7分59秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。6月8日、横浜文化体育館大会で佐々木貴を相手に蛍光灯300本デスマッチで防衛戦。23分52秒、ドラゴンスプラッシュwith蛍光灯束で勝利。7月3日、 リキプロの和歌山県立体育館大会で新宿鮫と対戦。10分48秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。12月21日、横浜文化体育館大会でアブドーラ小林を相手にスキャフォールドデスマッチで防衛戦。18分23秒、スーパーダイブ式バカチンガー・エルボー(建築現場からのダイビング・バカチンガー・エルボー)に敗れて王座転落。

2006

06年5月5日、横浜赤レンガ倉庫1号館大会で沼澤邪鬼とデスマッチ王座次期挑戦者決定戦。16分33秒、神威に敗れた。6月25日、アパッチプロレスの新木場1stRING大会でGENTAROと対戦。15分40秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。9月10日、横浜文化体育館大会で佐々木貴のデスマッチ王座に超高層ラダー+蛍光灯&有刺鉄線四面地獄デスマッチで挑戦。22分27秒、ハーフネルソンスープレックスで勝利。デスマッチ王座を獲得した。この試合で4メートル近い高所からのドラゴンスプラッシュに失敗し、左月状骨周囲脱臼、右橈骨幹部骨折の重傷を負い、王座を返上し、長期欠場。

2007

07年1月3日、DDT・マッスルの後楽園ホール大会で、バッファローマンと化した坂井のハリケーンミキサーによって日韓がバラバラに。関本大介、沼澤邪鬼と組んでマッスル坂井、アントーニオ本多、男色ディーノ、趙雲子龍、ペドロ高石、アブドーラ小林組と李日韓パーツ争奪3対6ハンディキャップマッチ。42秒、関本がジャーマンスープレックスで高石から日韓のパーツを奪取。55秒、関本が両腕でのラリアットで趙雲と本多から日韓の2つのパーツを奪取。1分46秒、関本とディーノのディープキスの隙を突いて沼澤が日韓のパーツを奪取。2分15秒、場外に投げたハムを追って小林が場外に降りた隙を突いて沼澤が日韓のパーツを奪取。夫の伊東竜二は最後に残った頭部を日頃の不満ゆえか有刺鉄線バットで攻撃。背後から李日韓が登場し、夫を攻撃。4分53秒、日韓の腕ひしぎ逆十字固めに伊東が敗れた。3月14日、後楽園ホール大会で復帰。4月13日、横浜プロレスの横浜にぎわい座のげシャーレ大会でマスクマンのオリエンタルドラゴンに変身し、ぶた軍曹(アブドーラ小林)と対戦。9分13秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。4月30日、後楽園ホール大会でアブドーラ小林と蛍光灯&剣山デスマッチ。17分15秒、 ドラゴンスプラッシュで勝利。5月28日、後楽園ホール大会で沼澤邪鬼と蛍光灯十字架+蛍光灯タワー+檻使用「聖地の丘」デスマッチ。14分37秒、檻からのドラゴンスプラッシュで勝利。7月8日、横浜文化体育館大会のメインで佐々木貴のBJWデスマッチ王座に蛍光灯300本デスマッチで挑戦。22分24秒、新型D−ガイストに敗れた。8月16日、アパッチプロレスの新木場1stRING大会で佐々木貴と組んで葛西純、沼澤邪鬼組のWEWタッグ王座に挑戦。19分55秒、葛西のリバース・タイガードライバーに佐々木が敗れた。9月9日、埼玉・桂スタジオ大会で宮本裕向と使用選手指定観客凶器持込デスマッチ(宮本裕向ヤンキー七番勝負第3戦)。22分10秒、ドラゴンスプラッシュwith有刺鉄線蛍光灯束で勝利。9月14日、横浜プロレスの横浜にぎわい座のげシャーレ小ホール大会でオリエンタルドラゴンとしてウエスタンタイガーと組んで横浜ナンバー1タッグトーナメントに参戦し、1回戦でヌマザワ団長、マッドネスタイガー組と対戦。12分24秒、オリエンタルドラゴンがドラゴンスープレックスでヌマザワに勝利。10月12日、横浜プロレスの横浜にぎわい座のげシャーレ小ホール大会での準決勝でさとる、ゆういち組と対戦。17分4秒、オリエンタルドラゴンがドラゴンスプラッシュでゆういちに勝利。11月9日、横浜プロレスの横浜にぎわい座のげシャーレ小ホール大会での決勝で趙雲子龍、牛将軍組と対戦。15分22秒、オリエンタルドラゴンがドラゴンスプラッシュで趙雲子龍に勝利。横浜ナンバーワンタッグトーナメントに優勝した。12月14日、横浜文化体育館大会で沼澤邪鬼のデスマッチ王座に4CORNER CROSS OF D(コーナーに十字架の形をした有刺鉄線ボード、蛍光灯、有刺鉄線&モミの木、5寸釘ボードを設置)で挑戦。3年ぶりに解禁したファイヤーバードスプラッシュで形勢逆転し、17分44秒、ドラゴンスプラッシュwith蛍光灯バーブドワイヤーで勝利。BJWデスマッチヘビー級王座を獲得した。12月27日、ラゾーナ川崎プラザソル大会で星野勘九郎と対戦。9分20秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。12月28日、ラゾーナ川崎プラザソル大会で末吉利啓と対戦。12分36秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。12月29日、ラゾーナ川崎プラザソル大会で日向寺塁と対戦。10分11秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。

2008

08年1月6日、桂スタジオ大会でMASADAを相手にノーロープバーブドワイヤー・ファイアーボード&バーブドワイヤーボードコンクリートブロックデスマッチで防衛戦。27分59秒、足場からのドラゴンスプラッシュwithバーブドワイヤーで勝利。 5月4日、桂スタジオ大会でシャドウWXを相手に蛍光灯ボード&凶器持込デスマッチで防衛戦。20分43秒、旋回式垂直落下ブレーンバスターに敗れて王座転落。5月25日、DDTの中村スポーツセンター大会で男色ディーノと対戦。10分2秒、テイオースプラッシュで勝利。 10月18日、CHIKARAのペンシルベニア州イーストン大会でマイク・クアッケンブッシュと対戦。10分32秒、ドラゴン・スプラッシュで勝利。10月19日、CHIKARAのペンシルベニア州フィラデルフィア大会で大日本プロレス対CHIKARAの7対7のガントレットマッチに5人目で出場し、エディ・キングストンと対戦。ドラゴン・スプラッシュで勝利。次戦でマイク・クアッケンブッシュと対戦。CHIKARAスペシャルに敗れた。試合はCHIKARAの勝利に終わった。11月29日、ウエストバージニア州サウス・チャールストンで行われたIWAイーストコーストのデスマッチトーナメント「マスターズ・オブ・ペイン」に参戦。ドレイク・ヤンガー、ダニー・ハボックに勝利して、決勝戦の蛍光灯ガラステーブルデスマッチでサムタック・ジャックに敗れた。アメリカ遠征中はチカラプロにも出場した。

2009

09年11月20日、後楽園ホール大会のメインで葛西純を相手にカミソリ十字架ボード+αデスマッチで対戦。パイプイス、テーブル、蛍光灯、画鋲、サボテンが飛び交う大流血戦を展開。場外で机の上に寝かされてバルコニーからのダイビングボディプレスをくらい、蛍光灯の束を葛西の上に乗せてドラゴンスプラッシュを決めた。29分45秒、有刺鉄線ボードとサボテンの上でリバースタイガードライバーをくらってフォール負け。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。

2010

10年5月4日、横浜文化体育館大会で宮本裕向を破りBJWデスマッチヘビー級王座を獲得。

2011

11年12月18日、横浜文化体育館大会でアブドーラ小林に敗れて王座転落。

2014

14年5月25日、名古屋クラブダイアモンドホール大会のメインで木高イサミのデスマッチ王座に3本勝負で挑戦。1本目のTLCデスマッチは15分33秒、勇脚・斬に敗れた。2本目のブロック&蛍光灯デスマッチは12分1秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。3本目の鉄檻蛍光灯デスマッチは8分26秒、鉄檻上からのダイビングボディプレスで勝利。デスマッチ王座を獲得した。6月15日、広島県立産業会館・東館大会のメインで宮本裕向を相手に防衛戦。17分48秒、ラ・マヒストラルにフォール負けして王座転落した。9月23日から始まった最侠タッグリーグにアブドーラ小林と組んで参戦。リーグ戦を4勝1敗の1位で突破。11月21日、後楽園ホール大会での準決勝で関本、神谷組と対戦。13分1秒、小林がダイビングバカチンガーエルボーで神谷に勝利。同日の決勝で宮本裕向、木高イサミ組と蛍光灯200本デスマッチで対戦。18分44秒、宮本のファイヤーサンダーに小林が敗れた。

2015

15年7月20日、大日本プロレスで初開催となる両国国技館大会でアブドーラ小林のデスマッチヘビー級王座に20周年記念20アイテムデスマッチで挑戦。20分53秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。デスマッチヘビー級王座を獲得した。8月16日、後楽園ホール大会のメインで関本と蛍光灯デスマッチで対戦。18分50秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。9月21日から始まった最侠タッグリーグに関根龍一と組んで参戦。4勝1敗でリーグ戦を突破。10月29日、後楽園ホール大会での決勝トーナメント1回戦で佐藤耕平石川修司組とハードコアマッチで対戦。17分、石川のスプラッシュマウンテンに関根が敗れた。

2016

16年7月24日、両国国技館大会のメインで星野勘九郎を相手に防衛戦。20分31秒、スキャフォールドからのダイビングセントーンに敗れて王座転落。9月4日から始まった最侠タッグリーグに佐久田と組んで参戦。2勝1敗でデスマッチBブロックを1位で通過。10月14日、後楽園ホール大会での準々決勝で宮本裕向、木高組と対戦。12分40秒、宮本のラダー上からのムーンサルトプレスに佐久田が敗れた。

2017

17年7月17日、両国国技館大会で小林と組んで関本、岡林組のBJWタッグ王座に挑戦。21分9秒、小林がダイビング・バカチンガーエルボードロップで岡林に勝利。BJWタッグ王座を獲得した。8月11日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で高橋匡哉、植木嵩行組を相手にレモン&ソルト&画鋲&剣山タッグデスマッチでタッグ王座の防衛戦。17分10秒、小林が逆エビ固めwithソルトで植木に勝利。9月6日から始まった最侠タッグリーグにアブドーラ小林と組んで参戦。4勝1敗でリーグ戦を突破。10月15日、後楽園ホール大会での準決勝で高橋匡哉、植木嵩行組と対戦。11分44秒、小林が逆エビ固めwith画鋲で植木に勝利。同日の決勝で橋本大地、神谷組と対戦。16分6秒、神谷のバックドロップに小林が敗れた。10月21日、全日本プロレスの横浜文化体育館大会で関本と組んで秋山準大森隆男組を相手に世界タッグ王座決定戦。18分43秒、秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーに関本が敗れた。11月26日、名古屋ダイアモンドホール大会で沼澤、吹本組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分5秒、伊東がドラゴンスプラッシュで沼澤に勝利。12月17日、横浜文化体育館大会で植木、佐久田組を相手にタッグ王座の防衛戦。9分35秒、伊東がドラゴンスプラッシュで植木に勝利。

2018

18年1月25日、後楽園ホール大会のメインで竹田、塚本組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分10秒、竹田の腕ひしぎ十字固めwithノコギリに小林がレフリーストップ負けして王座転落。5月5日、横浜文化体育館大会で関根龍一と組んで宮本、木高組のBJWタッグ王座に挑戦。14分58秒、木高のギガラダーブレイクに関根が敗れた。5月8日、DDTの新木場1stRING大会で梅田公太とハードコアマッチ。11分5秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。8月12日から始まった最侠タッグリーグ戦に関根と組んで参戦。9月16日、横浜文化体育館大会のメインで竹田誠志のデスマッチ王座に蛍光灯300本デスマッチで挑戦。17分39秒、リバース・Uクラッシュ改に敗れた。タッグリーグ戦は5勝1敗で終了し、デスマッチブロックの1位で突破。10月16日、新木場1stRING大会での準決勝で橋本大地、神谷組と対戦。14分8秒、神谷のバックドロップに関根が敗れた。

2019

19年1月14日、後楽園ホール大会で高橋匡哉のデスマッチ王座に観客持ちこみ・画鋲344440個デスマッチで挑戦。14分43秒、蛍光灯へのジャックハマーに敗れた。2月28日から始まった「一騎当千〜DeathMatch Survivor」に参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で木高イサミと蛍光灯&ガラスボードデスマッチ。12分41秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。3月10日、博多スターレーン大会で宮本裕向と蛍光灯200本デスマッチ。13分5秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。3月11日、広島県立産業会館・東館大会で関根龍一と蛍光灯凶器持ちこみデスマッチ。13分47秒、龍蹴斗に敗れた。4月28日、新潟プロレスの新潟市東区プラザ大会で鶴巻伸洋と組んで新潟プロレス初代タッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦で牙城、河上隆一組と対戦。11分19秒、鶴巻が腕固めで牙城に勝利。同日の準決勝でグレート小鹿、シマ重野組と対戦。10分13秒、重野の変型裏4の字固めに鶴巻が敗れた。7月11日、新木場1stRINGでの大日本プロレスと2AWの合同興行で最上九とハードコアマッチ。9分45秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。7月28日、名古屋ダイアモンドホール大会でドリュー・パーカーと有刺鉄線ボードデスマッチ。9分45秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。8月6日、上野公園大会で石川勇希と対戦。7分48秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。9月1日から始まった最侠タッグリーグにリッキー・シェイン・ペイジと組んで参戦。4勝2敗でリーグ戦を突破。11月26日、後楽園ホール大会での準決勝で竹田誠志、塚本拓海組と蛍光灯&タックストリップデスマッチ。12分43秒、ペイジがチョークブリーカーwith蛍光灯&タックストリップで塚本に勝利。同日の優勝決定戦で岡林裕二入江茂弘組とハードコアマッチ。16分19秒、岡林のラリアットにペイジが敗れた。

2020

20年1月4日、新木場1stRING大会で石川勇希と蛍光灯デスマッチ。9分35秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。1月26日、名古屋ダイアモンドホール大会で10人参加の凶器持ちこみ時間差入場バトルロイヤルに出場。23分39秒、最後に残った石川勇希にドラゴンスプラッシュで勝利。2月4日、GCWの新木場1stRING大会でマット・トレモントとデスマッチ。12分26秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。3月16日、横浜文化体育館大会でアブドーラ小林のデスマッチヘビー級王座に蛍光灯316本デスマッチで挑戦。17分13秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。デスマッチヘビー級王座を獲得した。8月2日、新太平洋運輸駐車場大会で石川勇希と有刺鉄線ボードデスマッチ。8分49秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。8月29日、横浜文化体育館大会で藤田ミノルを相手に蛍光灯&ガラスボードデスマッチで防衛戦。17分27秒、変型サムソンクラッチにフォール負けして王座転落。9月6日、仙台PIT大会で最侠タッグトーナメントに勝俣瞬馬と組んで参戦し、1回戦で佐久田俊行、石川勇希組と蛍光灯+ガジェットボード+人間切断機タッグデスマッチで対戦。14分13秒、伊東がドラゴンスプラッシュで佐久田に勝利。10月7日、新木場1stRING大会での2回戦で高橋匡哉、植木嵩行組と対戦。15分27秒、伊東がドラゴンスプラッシュで植木に勝利。10月20日、後楽園ホール大会での準決勝で宮本裕向、木高イサミ組と彩色蛍光灯タッグデスマッチ。13分29秒、伊東が蛍光灯束で殴打して勝俣が木高にフォール勝ち。同日の決勝で橋本大地、神谷英慶組とハードコアタッグマッチ。21分40秒、神谷のバックドロップに勝俣が敗れた。11月29日、名古屋ダイアモンドホール大会でドリュー・パーカーと有刺鉄線ボードデスマッチ。8分58秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。12月31日、後楽園ホールで行われた年越しプロレスで勝俣瞬馬と蛍光灯デスマッチ。11分1秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。

2021

21年1月4日、新木場1stRING大会で石川勇希と蛍光灯デスマッチ。10分5秒、ドラゴンキッカーで勝利。2月11日、横浜産貿ホール大会で星野勘九郎と対戦。8分10秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月4日、仙台PIT大会から一騎当千に参戦し、星野勘九郎と蛍光灯+コンクリートブロックデスマッチ。11分32秒、Gショックラッチにフォール負け。4月12日、後楽園ホール大会で藤田ミノルと電撃殺虫器ボードデスマッチ。13分54秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。5月16日、後楽園ホール大会で竹田誠志とガラスボード+Light tube wallデスマッチ。11分33秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。2勝1敗でリーグ戦を突破。6月24日、新木場1stRING大会での準決勝で神谷英慶と蛍光灯デスマッチ。12分56秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。6月28日、後楽園ホール大会での決勝でドリュー・パーカーとノーキャンバスデスマッチ。13分25秒、ラダーの上からのスワントーンボムに敗れた。7月22日、横浜ラジアントホール大会で吉田和正と対戦。6分39秒、ドラゴンキッカーで勝利。9月20日、シャトレーゼ・ガトーキングダム・サッポロ大会で宮本裕向のデスマッチ王座にスキャフォールドデスマッチで挑戦。15分40秒、スキャフォールドからのムーンサルトプレスに敗れた。9月24日、新木場1stRING大会で沼澤邪鬼と観客凶器事前持ちこみデスマッチ。9分46秒、タランチュラ絞首刑でレフリーストップ勝ち。12月27日、天龍プロジェクトのニコニコプロレスチャンネル配信でTORUと対戦。15分46秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。

2022

22年4月30日、西予市宇和文化会館大会で吉田和正と対戦。7分51秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。5月29日、名古屋ダイアモンドホール大会で影山道雄と蛍光灯&有刺鉄線ボードデスマッチ。14分15秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。6月29日、清水マリンビル大会での流血無双トーナメント1回戦で沼澤邪鬼と蛍光灯300本デスマッチ。13分20秒、ドラゴンスプラッシュで勝利。7月18日、後楽園ホール大会での2回戦で塚本拓海とソルト&レモンデスマッチ。16分16秒、窒息ずどんwithレモンに敗れた。7月21日、上野公園大会で石川勇希と有刺鉄線ボード&凶器持ち込みエニウェアフォールデスマッチ。9分29秒、パイプイスへのボディスラムで勝利。9月4日から始まった最侠タッグリーグに沼澤邪鬼と組んで参戦。10月12日、ベルクラッシック根室大会でバラモンシュウと対戦。7分47秒、ドラゴンキッカーで勝利。10月23日、神奈川・はまと脳神経外科クリニック大会で沼澤邪鬼と対戦。9分、ドラゴンスプラッシュで勝利。

2023

タッグリーグ戦は2勝5敗1引き分けに終わった。23年1月4日、新木場1stRING大会で神谷英慶のデスマッチ王座に蛍光灯+αデスマッチで挑戦。14分29秒、バックドロップに敗れた。4月15日、シャトレーゼ・ガトーキングダム・サッポロ大会でアブドーラ小林と蛍光灯デスマッチでデスマッチ王座挑戦者決定戦。14分39秒、ダイビング・バカチンガーエルボードロップに敗れた。5月21日、大阪・すみのえ舞昆ホール大会で谷口裕一と凶器持ちこみデスマッチ。10分57秒、ドラゴンキッカーで勝利。7月29日、神奈川・せせらぎ公園大会で谷口裕一と対戦。9分2秒、ドラゴンキッカーで勝利。10月5日、上野恩賜公園野外ステージ大会で吉田和正と対戦。10分10秒、首固めにフォール負け。11月19日、神奈川・金沢区・富岡みどり会商店街大会で菊田一美と対戦。7分15秒、ドラゴンキッカーで勝利。
スクラップブック
大日本・伊東竜二 死にかけた壮絶体験を告白「蛍光灯が背中にブスッと縦に刺さって・・・」
(ENCOUNT 19年12月25日19:30配信より)
初の著書「デスマッチ・ドラゴンは死なない」を上梓 壮絶ヒストリーを公開
 デスマッチで知られる大日本プロレスのエース・伊東竜二(43)が初の著書「デスマッチ・ドラゴンは死なない」(ワニブックス)を上梓した。茨城大学工学部という名門に進みながら、プロレスラーに“就職”。その後、過激な蛍光灯デスマッチなどで無数の生傷を負いながらも戦い続け、4月にはデビュー20周年の節目を迎えた。波瀾万丈のキャリアを歩み、長年のデスマッチ人生でたどり着いた境地とは何か。歴史を振り返るとともに、今後の目標を聞いた。
−−初めての著書になります。
「ウチの社長、登坂栄児から「2年前に関本大介が本を出したから、20周年で今年は伊東じゃないかな」と言われたのがきっかけですね。要は会社に本を出せと言われたんです(笑い)。そう言われたことによって、じゃあどうせだったら自分のことより大日本のことをあれこれ書いていこうじゃないかと思いました。こんなに厚くなるとは思わなかったですよ。当初は11月4日の両国大会で出す予定だったんですけど、まとまりきらずに1か月延びてしまった。新しい大日本のファンの人たちからしたら知らないことがたくさん書いてあるし、古くからのファンの人たちもいろいろ楽しめると思う。いろんな人に読んでいただきたいです」
−−本を通じて特に訴えたかったところは。
「いろいろなことがあったけど、大日本プロレスまだまだ頑張ってるぞ、伊東竜二も頑張ってるぞ!っていうことですかね。言いたいことは」
−−リングに上がりながら一時期アルバイトをしていたという記述もあり、驚きました。
「新しいファンはもちろん、古いファンも知らないようなことですよね。後で社長に怒られるかもしれない。いらんこと書くなって(笑い)」
−−実際、どういう仕事をしていたのでしょうか。
「特にこれといったスキルを持っていなくて、ただ力があるということなので、工事現場の補助的な仕事ですね。これをこっちからあっちに運べとか。麻布のあたりの現場だったんですけど、要はコンクリート砕いたりすると粉塵が飛ぶので、それが近所に飛んでいかないように水をずっとまいてるとか。「あそこ俺が作った」というのは全くないんですね。時期的には2002年、大日本が一番落ち込んでいた時代ですね。グレート小鹿会長が、「じゃあ俺がちょっとアレしてやるよ」って言ったのが現場をあてがうということだった(笑い)」
−−レスラー生活20年振り返って。
「いいこともあって悪いこともあってさまざまなことがありましたね。なので、決して平たんではない20年ですかね。特にやることもなくプロレス界に入ってパッとしなかった人間がデスマッチをすることによってガラリと変わって、デスマッチやることによってケガにも泣かされて・・・。山あり谷ありの人生ですかね」
−−デスマッチ界では不動の存在になりました。
「まだまだですね。自分の中で目標はグレート小鹿の歳(現在77歳)までというのがあるので、あと40年以上やらなきゃいけないので、まだまだやっと登山を始めたばかりぐらいの気持ちでいます。まだまだこの先にはいろんな景色が見れるであろうし、明るい先が見れると信じています」
−−伊東さんにとってデスマッチのやりがいとは。
「デスマッチに限ったことでなくて、プロレス自体を好きでやっている。その中で、デスマッチが自分に適正があったぐらいの感覚なんですよ。よく言われる「デスマッチ痛くないんですか?」という問いには、「いやいや関本や岡林のチョップだって痛いよ」ぐらいの感覚なんですよ。自分の中では同じ枠なんですよ。深く考えたことはないですね」
−−入門する際、両親の反対がありました。
「反対というか大学に入って3年間、特に近況報告をしていたわけじゃないので、普通に学校に通って普通にあと1年もすれば卒業だと思っていたところに、「大学辞めてプロレスラーになる」と言ったものだから、「ちょっと待て、どういうことだ?」と言うので、1回、実家に呼び戻されました。「帰って来い」って。で、帰ってちゃんと説明して、実はほぼほぼ大学にも行ってないし、卒業もできない中で、「こういうのがあって、もうテストを受けて合格したからこっちに行く」っていうところまで説明したら、納得はしてもらいました」
−−デスマッチファイターに転向した時、受け入れてくれましたか。
「それも特にはしゃべってなかったのですが、ウチの父親の職場の人が東京スポーツを読んでいるようで、「載っているよ」って持って来ていたらしいんですよ。それによって、そういうこと(デスマッチ)をしているというのが分かって。デスマッチに関してはいい顔はしないので実家に帰ったら絶対シャツを脱がないようにしています。いまだにそこは気を使っていますね。今、母親が1人で住んでいるので、息子の傷だらけの姿は極力見せないようにしています」
−−裸になれないのは母親の前だけですか?
「ですね。試合は見には来ますよ。昔は見てられなかったって言ってたんですけど、キャリアを重ねるうちに「やられる側よりやっつける側になったので、安心して見れられる」って言ってましたね。蛍光灯デスマッチも、岩手で何回か見に来ました。ただ、家でシャツを脱ぐのはちょっと・・・。風呂から上がったらすぐシャツ着て、裸でウロウロなんてできない。いい顔はしないと思うので」
−−これまでデスマッチで危ない目に遭ったことは。
「デスマッチだと腕の骨折と背中に蛍光灯が刺さったのですかね。入院、手術があったのはこの2つですね。腕は2メートルぐらいの鉄檻があるんですけど、その上に180センチのラダーを乗っけたんですよ。乗っけて、その上から落ちたんです。意図的にではなくて、失敗です。飛んでいこうとしたら足場がガクンと動いちゃって真っ逆さまにリングの上に落ちた。で、右腕の橈骨(とうこつ)、太いほうの腕を折ってしまった。それで半年休みました。30歳の時です。背中に関しては、ロープに蛍光灯を吊るして試合してるんですけどね、それでボンと当たった時にヒザをつく感じで屈んだら、割れた蛍光灯の先がつっかえ棒みたいになって背中にブスッと縦に刺さっちゃったんですよ。それで中の脂肪がデロンと出てきて・・・。傷自体は蛍光灯の円ぐらいの大きさだったんですけど、その中に破片が残っているからと言われて、肉をビロッと切られてベロンとはがして中から破片を取って、また縫い直しました。背中にギーッと傷がついた。今は全然、分からなくなっていますけど。10年以上前のことですね。10センチぐらい刺さったんじゃないですかね」
−−それだけ危険と背中合わせのデスマッチ、体のケアはしていますか。
「体のケアは特にしてないですね。まだバカみたいに酒も飲んでいますし。好きなように生きている感じですかね。毎日3食ちゃんと食べているぐらいです。昔は朝は食わないでとかやってたんですけど、3食食べることによって体の調子を上げています」
−−体は丈夫なんですね。
「頑丈なんですかね。痛いは痛いですよ。いつまで経っても痛い。10年以上やっても痛いは痛い(笑い)」
−−これまで何針ぐらい縫っているのですか。
「縫ったのはすごい少ないです。背中をザックリ切った時に100何十縫いましたけど、それがたぶん一番大きい傷で、あとはほぼほぼ縫ってないです。小っちゃい傷はもちろん、病院に行って縫ってまた抜糸してというのがすごい面倒臭いので、よっぽどの、もうこれはダメだよっていう時以外は病院行かないですね。なので、傷は開いたままです。あとはテープでグルグル巻きにして(治療する)。こないだ北海道で、右ひじがザックリと3センチくらい切れたんですよ、試合中に。タッグマッチだったので、うわっと思いながら、セコンドに「ちょっとテーピング持って来て」と言って、そこでグルグルってやって、そのまま放置です。病院に行かずに。病院に行ったら確実に縫われるレベルなんですけど、縫わずに治しました。面倒臭いじゃないですか。病院に行って縫っても、抜糸は勝手にします。1週間ぐらいしてくっついたなと思ったら自分で糸をはさみで切って取っちゃいます。みんなに何で?って言わるけど、痛くない。診察したら糸切るだけで診察代と言って金取られるんだよって言っています」
−−過激なデスマッチをここまで続けられる原動力というのは何なのでしょうか。
「デスマッチじゃなくても痛いですからね。デスマッチも痛いし、普通のプロレスも痛い。だったら得意なほうをやったほうがいいじゃないかという感覚ですね。痛いからデスマッチやらないじゃなくて、デスマッチのほうが得意だからやっているという感じですね。デスマッチのほうが表現が1つじゃないので。いわゆるストロングと言われている人たちは体ですべてを表現しなくちゃいけない。デスマッチだと、その中にアイテムというものが加わるので、無限大に可能性を持っていると思うんですよ。そこをただ使うのではなく、頭を使った部分ですね。自分は比較的、大日本の中では身長に恵まれているんですけど、デスマッチ始めた時は体重は下から数えたほうが早いくらいだったので、その中でなんとかひっくり返してやろうという中でのいろんなデスマッチの試行錯誤があったので。一番最初はそれをやることによって、いろんなものを変えるということが目的だった。なので、体以外の部分でも戦えるし、それをお客さんの予想を上回ることをやるところに魅力はありますね」
−−20年間のベストバウトは。
「世間一般的にもそうだと思うんですけど、葛西戦(09年11月20日、後楽園ホール)が一番ですね。葛西戦って全然モノ使ってないんですよ。サボテン、カミソリ、画びょうぐらいですかね。蛍光灯とか全然。大日本プロレス=伊藤竜二=蛍光灯というイメージがありますけど、その蛍光灯をあえて使っていない葛西戦。そういった意味ではお客さんの想像を超えている、予想をひっくり返していると思うので、葛西戦にします」
−−今後の目標は。
「43歳での現役は、大日本の中ではグレート小鹿、星野勘九郎に次ぐ高齢ですからね。どんどん若いのが増えて、自分の20下とかもいます。そういった中でもまだまだ第一線でやっていけるんだぞというのを前面に出しながら、あと40年以上頑張りたいと思います」
−−夢をかなえることができるとしたらどんなデスマッチをやりたいですか。
「大日本プロレスで1回、後楽園ホールで一軒家破壊プロレスやったんですよ。あんなことやりたいですね。あれはすごい大赤字だったらしいんですけど(笑い)。一軒家プロレスの復活ですね。今度は屋外で、どっかやらしてくれないですかね。最後燃やしてもいいくらいで」
−−デスマッチを志してくる若手にメッセージを送るとしたら。
「いろいろ考えろよと。体鍛えてどうにかなるもんじゃないよというところですかね。デスマッチはプロレスの中でたぶん、一番頭を使うと思う。イメージ的にはバカが凶器を持って、ぶんぶん振り回しているイメージなんでしょうけど、ただその使い方1つにしてもみんな考えている。だから一見してバカでもできるようだけど、バカじゃできないのがデスマッチだよと。他のプロレスも頭を使っているんですけどね、必要以上に頭を使うのがデスマッチ。なので、「頭を使え」「いろいろ考えろ」ということですね」
−−将来的に大日本をプロレス界の中でどのような位置に持っていきたいですか。
「NGが多いんですよね。不思議なのは映画とかドラマとかだと、普通に流血もすれば、人も死ぬじゃないですか。でも、プロレスはそれは許されないじゃないですか。人が死ぬのはもちろんないですけど、取り上げるにあたって、流血することが許されないっていうのはおかしな話であって。別に凄惨なことをしているつもりもないですし、デスマッチもちゃんとした位置づけにしてもらいたいなと。「デスマッチだと流血なんで表紙にできない」とか、いやいやいやいや、というところですね」
−−蛍光灯デスマッチは海外のファンも多いです。
「年末年始とか毎年、外国人のお客さんがすごい増えるんですよ。WWEのレッスルマニアのように、外国人も1・4東京ドームを見るために年末年始、海外から日本に来るらしいんです。で、「じゃあ、ちょっとほかのプロレスも見ようじゃねえか」って、イカれた外国人たちが来て蛍光灯デスマッチを見てヒャッハー!って喜んでいる。そういう人たちも満足させたいですね。「ニュージャパンだけじゃねえぞ、ビッグジャパンっていうクレイジーな団体があるぞ」というのを世界中に発信できたらと思います」
−−プライベートの趣味はありますか。
「最近は何もないんですよね。釣りに行ってたんですけど、本牧の海釣り公園というところがあって、そこにちょこちょこ行ってたんですけど、台風で全部吹っ飛んじゃって、中がどえらいことになって、まだやってない。先月、「再開の見通しなし」ってなってたんで。釣りの趣味が奪われてしまったので、新しい趣味を見つけます」
−−最後に改めて読者にメッセージをお願いします。
「伊東竜二の歴史だけでなく、25周年を迎える大日本プロレスのうちの20年が詰まっている本なので、是非ともプロレスファン、大日本ファン、伊東竜二ファンだけでなく、いろんな人に読んでもらいたい本です」