レスラーノート

大位山勝三

本名:松本勝蔵(松本勝三と書かれた資料あり)
1945年3月5日
兵庫県穴栗郡山崎町出身
180cm 125kg

得意技
ヘッドバット

中学卒業後の60年、大相撲の三保ヶ関部屋に入門。約1年間、三保ノ松の四股名で序二段まで進み、家庭の事情でいったん引退。62年3月に再入門し、大位山の四股名となった。前頭12枚目まで昇進した。70年5月に廃業。廃業後、北千住でちゃんこ店「大位山」を開店し、知人と共同経営。71年6月に国際プロレスに入団。鶴見稲妻次郎と一緒の入団発表だった。9月8日、矢板市体育館大会で本郷清吉(肥後宗典)を相手に松本勝三のリング名でデビュー。試合は引き分けに終わった。72年6月、海外遠征。6月26日からテネシー地区に入る。テネシー地区のレスラー兼ブッカーのトージョー・ヤマモトの元で活動。トージョー・ヤマモトのいとこと称し、グレート・フジというリング名だった。悪党ファイターとして活躍。12月末から、デビル紫と半年ほど組んで活動。73年6月にアニマル浜口と共に帰国。帰国後は墨田区向島のアパートで浜口と共に住んでいた。6月18日、市原臨海体育館大会で、凱旋試合として初来日のリック・フレアーと対戦。反則負けに終わった。9月、大位山勝三に改名。その後、鶴見と海外遠征に出発。77年に帰国。パワーファイトで活躍した。78年4月26日、岡山武道館大会でジプシー・ジョーと金網デスマッチで対戦。金網最上段からのニードロップをくらって肋骨を骨折。11月25日の蔵前国技館大会での試合を最後に引退。79年1月に浅草にしゃぶしゃぶ店「大位山」を開店。その後、魚の加工会社に勤務する。80年1月6日の後楽園ホール大会で復帰。鶴見と独立愚連隊を結成。81年3月19日、国際プロレス末期の厳しい経済状態のため、御坊市体育館大会での試合を最後に引退。その後、IWA格闘志塾に参戦した。