レスラーノート

SUWA

本名:諏訪高広
1975年8月31日
鹿児島県川辺郡川辺町出身
180cm 95kg

タイトル歴
英連邦ジュニア
GHCジュニアタッグ
UDG王座
得意技
FFF
ジョン・ウー

高校卒業後、東京の建設会社に就職。アニマル浜口ジムに通いトレーニング。 95年3月に建設会社を退職し、トレーニングを続けた。リングスの入団テストを受けるが不合格。その後、ウルティモ・ドラゴンが設立した闘龍門の募集に合格。 97年4月、メキシコに渡る。5月11日、アレナ・ナウカルパンで藤井を相手に本名でデビュー戦。その後、ジュードー・スワに改名。グルーポ・レボルシオンを中心に活動。CIMA、フジイとC−MAXを結成。 98年7月18日、CIMA、フジイと共にみちのくプロレスに登場。 99年1月31日から闘龍門が旗揚げ。

2001

01年9月12日、帯広市総合体育館大会でSAITOと対戦。11分1秒、FFFで勝利。9月24日、キラメッセぬまづ大会で三島来夢と対戦。7分23秒、ラクダ固めで勝利。9月30日、大田区体育館大会でSAITOと対戦。2分38秒、FFFで勝利。12月15日、尾道びんご運動公園体育館大会で三島来夢と対戦。5分15秒、ラクダ固めで勝利。12月17日、姫路みなとドーム大会で三島来夢と対戦。20秒、フェイスバスターで勝利。12月20日、三重県営サンアリーナ・サブアリーナ大会で三島来夢と対戦。44秒、フェイスバスターで勝利。12月22日、海峡メッセ大会でビッグ・フジと対戦。2分31秒、FFFで勝利。12月23日、広島市佐伯区スポーツセンター大会で三島来夢と対戦。35秒、ラリアットで勝利。12月24日、和歌山県立体育館大会で三島来夢と対戦。5分17秒、フェイスバスターで勝利。12月28日、名古屋市総合体育館・第3競技場大会で三島来夢と対戦。2分30秒、フェイスバスターで勝利。12月30日、神戸チキンジョージ大会で三島来夢と対戦。6秒、ナックルパンチで勝利。

2002

02年1月8日、後楽園ホール大会で三島来夢と対戦。2分58秒、FFFで勝利。1月12日、本川越ペペホール大会で三島来夢と対戦。3分18秒、FFFで勝利。1月13日、桂スタジオ大会で三島来夢と対戦。3分40秒、FFFで勝利。1月14日、所沢くすのきホール大会で三島来夢と対戦。1分7秒、FFFで勝利。1月15日、岡崎市竜美丘会館大会で三島来夢と対戦。2分5秒、FFFで勝利。1月20日、土岐市スポーツセンター大会で三島来夢と対戦。2分32秒、FFFで勝利。1月24日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で望月成晃と対戦。4分14秒、FFFで勝利。1月26日、田辺市ガーデンホテルハナヨ・ハナヨアリーナ大会で三島来夢と対戦。2分53秒、FFFで勝利。1月27日、四日市オーストラリア記念館大会で三島来夢と対戦。3分24秒、FFFで勝利。2月3日、博多スターレーン大会で望月成晃と対戦。2分56秒、FFFで勝利。2月4日、サンライズ杷木大会で川畑憲昭と対戦。2分22秒、ラクダ固めで勝利。2月5日、鹿児島アリーナ大会で川畑憲昭と対戦。4分53秒、ダイビング・ラリアットで勝利。2月6日、興南会館大会で川畑憲昭と対戦。4分32秒、ダイビング・ラリアットで勝利。2月7日、小倉北体育館大会で川畑憲昭と対戦。4分19秒、ダイビング・ラリアットで勝利。2月9日、テクスポート今治大会で三島来夢と対戦。3分19秒、FFFで勝利。2月10日、善通寺市民体育館サブアリーナ大会で三島来夢と対戦。3分29秒、FFFで勝利。2月17日、徳島市立体育館・第2競技場大会で三島来夢と対戦。3分13秒、ラクダ固めで勝利。2月24日、後楽園ホール大会で岡村隆志と対戦。8分7秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。2月26日、神戸チキンジョージ大会で三島来夢と対戦。2分56秒、FFFで勝利。3月15日、川崎市体育館大会でマグナムTOKYOの英連邦ジュニア王座に挑戦。5分、FFFで勝利。英連邦ジュニア王座を獲得した。3月16日、船橋アリーナ大会で新井健一郎と対戦。2分57秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。3月17日、アクトシティ浜松大会で川畑憲昭と対戦。6分45秒、FFFで勝利。3月21日から始まったEL NUMERO UNOに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でストーカー市川と対戦。2分54秒、リングアウト負け。3月26日、長野運動公園総合体育館大会で三島来夢と対戦。3分51秒、FFFで勝利。4月7日、越谷桂スタジオ大会でダークネス・ドラゴンと対戦。8分1秒、両者リングアウト。4月14日、明石産業交流センター大会で斉藤了と対戦。11分59秒、サイクリングヤッホーをエビ固めに切り返してフォール勝ち。4月21日、所沢くすのきホール大会でドン・フジイと対戦。12分13秒、FFFで勝利。2勝1敗1引き分けでリーグ戦を突破。4月22日、後楽園ホール大会での準決勝でマグナムTOKYOと対戦。11分28秒、FFFで勝利。試合後にM2Kの暴行を受けて担架で退場。決勝戦を欠場した。5月5日、所沢くすのきホール大会で川畑憲昭と対戦。9分12秒、ラクダ固めで勝利。5月11日、メキシコシティ・アレナコリセオでの闘龍門5周年記念大会でドクトル・ワグナー・ジュニア、スコルピオ・ジュニア、アポロ・ダンテスと組んでアトランティス、ビジャノ3号、ビジャノ4号、ラヨ・デ・ハリスコ・ジュニア組と対戦。1本目は8分50秒、ビジャノ4号の横入り式エビ固めにワグナー・ジュニアがフォール負け。2本目は6分27秒、ワグナー・ジュニアがライガーボムでビジャノ4号に勝利。3本目は10分12秒、ハリスコ・ジュニアのトペ・デ・レベルサにワグナー・ジュニアが敗れた。5月18日、津競艇場ツッキードーム大会でセカンド土井と対戦。8分57秒、ラクダ固めで勝利。6月7日、後楽園ホール大会で堀口元気とカベジェラ・コントラ・カベジェラ・マッチ。17分47秒、レフリーを暴行して反則負けに終わり、坊主になった。6月29日、大阪・はびきのコロセアム大会で小川内潤と対戦。8分50秒、ラクダ固めで勝利。7月7日、神戸ワールド記念ホール大会で横須賀享を相手に防衛戦。19分26秒、FFFで勝利。7月14日、ディファ有明大会で新井健一郎と対戦。7分51秒、FFFで勝利。7月16日、神戸チキンジョージ大会で堀口元気と対戦。5分41秒、FFFで勝利。8月13日、神戸チキンジョージ大会で川畑憲昭と対戦。6分30秒、FFFで勝利。9月22日、郡山南東北総合卸センター大会でペスカトーレ八木と対戦。5分54秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。9月29日、小田原アリーナサブアリーナ大会でペスカトーレ八木と対戦。7分、FFFで勝利。9月30日、神戸チキンジョージ大会でペスカトーレ八木と対戦。5分46秒、FFFで勝利。10月4日、長野運動公園体育館大会でペスカトーレ八木と対戦。7分1秒、FFFで勝利。10月13日、卸センターオレンジホール大会でペスカトーレ八木と対戦。6分1秒、FFFで勝利。10月20日、アスティとくしま大会でペスカトーレ八木と対戦。6分19秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。10月28日、後楽園ホール大会で大鷲透と対戦。9分7秒、クルック・ヘッドシザースで勝利。11月16日、岡崎市竜美丘会館大会でペスカトーレ八木と対戦。8分18秒、FFFで勝利。

2003

03年1月19日、四日市オーストラリア記念館大会で岩佐卓典と対戦。8分37秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。2月3日、大分県立荷揚町体育館大会で岩佐卓典と対戦。7分12秒、ラクダ固めで勝利。3月9日、ディファ有明大会でコンドッティ修司を相手に防衛戦。17分25秒、FFFで勝利。3月21日から始まった「EL NUMERO UNO」に参戦。開幕戦の札幌テイセンホール大会で望月成晃と対戦。54秒、コンドッティの乱入で無効試合。再試合が行われ、4分35秒、両者リングアウト。3月27日、大館市民体育館大会で横須賀享と対戦。10分55秒、FFFで勝利。3月28日、北上市和賀多目的催事場大会でコンドッティ修司と対戦。10分35秒、両者リングアウト。4月13日、海峡メッセ下関大会でK−ness.に不戦勝。4月15日、大阪・IMPホール大会でTARUと対戦。12分48秒、FFFで勝利。リーグ戦は3勝2引き分けで終了。4月20日、本川越ペペホール・アトラス大会で望月、修司を相手に決勝トーナメント進出者決定3WAYマッチ。10分48秒、FFFから望月と2人で修司を押さえこんでフォール勝ち。この結果、SUWAと望月が決勝トーナメントに進出した。4月22日、国立代々木競技場・第2体育館大会での決勝トーナメント1回戦でYOSSINOと対戦。3分31秒、ソル・ナシエンテに敗れた。5月18日、津市体育館大会でセカンド土井と対戦。13分40秒、FFFで勝利。5月22日、WJプロレスの後楽園ホール大会でセカンド土井と対戦。10分26秒、FFFで勝利。6月10日、山形市総合スポーツセンター大会で三島来夢と対戦。6分56秒、キャメルクラッチで勝利。7月21日、ツインメッセ静岡大会でアンソニー・W・森と対戦。8分18秒、クルック・ヘッドシザースで勝利。7月25日、船橋市立総合体育館サブアリーナ大会で岩佐卓典と対戦。2分43秒、キャメルクラッチで勝利。8月22日、ディファ有明大会でヘンリー3世・菅原と対戦。7分47秒、ナイスジャーマンで勝利。9月1日、伊勢崎市民体育館大会で三島来夢と対戦。5分54秒、FFFで勝利。11月9日、明石市立産業交流センター大会で堀口元気と対戦。8分20秒、FFFで勝利。11月10日、神戸チキンジョージ大会でセカンド土井と対戦。8分46秒、FFFで勝利。

2004

04年1月29日、広島市佐伯区スポーツセンター大会でセカンド土井と対戦。10分34秒、FFFで勝利。2月8日、博多スターレーン大会でマグナムTOKYOのUDG王座に挑戦。21分45秒、FFFで勝利。UDG王座を獲得した。2月11日、佐世保市体育文化館大会でアンソニー・W・森と対戦。9分15秒、FFFで勝利。3月4日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で堀口元気と対戦。9分、FFFで勝利。3月6日から始まったEL NUMERO UNOに参戦。開幕戦の越谷桂スタジオ大会で“brother”YASSHIと対戦。5分54秒、試合放棄で勝利。3月14日、札幌テイセンホール大会でミラノコレクションA.T.と対戦。14分42秒、FFFで勝利。3月28日、ディファ有明大会でドラゴン・キッドと対戦。14分55秒、FFFで勝利。この試合で右肩を脱臼して欠場。その後のリーグ戦は不戦敗となり3勝2敗に終わった。7月16日に復帰。7月18日、長崎・ncc&スタジオ大会で谷嵜なおきと対戦。6分16秒、FFFで勝利。7月5日、浅草花やしきで闘龍門が記者会見を行い、岡本隆志社長、ウルティモ・ドラゴン、全選手が出席。闘龍門JAPANがウルティモ・ドラゴンの闘龍門からの独立を発表。団体名を「DRAGON GATE(ドラゴンゲート)」 に変更した。8月22日、ドラゴンゲートを離脱。10月からノアに出場。10月22日、国立代々木競技場・第2体育館大会でリッキー・マルビンと組んで丸藤正道、KENTA組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。25分34秒、KENTAのgo2sleepにマルビンが敗れた。

2005

05年2月18日、平塚市総合体育館大会でロウ・キーと対戦。15分時間切れ引き分け。2月22日、相模原市立総合体育館サブアリーナ大会で百田光雄と対戦。7分38秒、サムソンクラッチをエビ固めで押しつぶしてフォール勝ち。4月24日、日本武道館大会でKENTAと対戦。6分23秒、レフリーを暴行して反則負け。7月10日、KBSホール大会で潮崎豪と対戦。10分59秒、FFFで勝利。8月19日、後楽園ホール大会で森嶋猛と対戦。9分46秒、バックドロップに敗れた。8月29日、上越市厚生南会館大会でエディ・エドワーズと対戦。8分17秒、FFFで勝利。9月18日、日本武道館大会でKENTAのGHCジュニア王座に挑戦。試合前にジョー樋口が読みあげていたタイトル認定書を破り捨て、1分34秒、ジュラルミンケースで2回殴って反則負け。場内は大ブーイングで騒然となった。ジョー樋口が反則決着ではタイトル戦として認定しないと再試合を宣言。金的攻撃、バンテージを使ったチョーク攻撃、ジョン・ウーなどで一進一退の攻防を続けたが、14分46秒、ブサイクへのヒザ蹴りに敗れた。10月28日、大阪府立体育会館大会で本田多聞と対戦。5分33秒、回転地獄五輪パート0からの片エビ固めにフォール負け。

2006

06年3月21日、ディファ有明で初開催されたSEM(ノアの若手主体興行)のオープニングマッチを飾り、平柳努と対戦。6分46秒、パワーボムで勝利。この試合で平柳がパンチでアゴを3箇所骨折して長期欠場した。3月25日、石川県産業展示館3号館大会で青木篤志と対戦。9分30秒、FFFで勝利。6月29日、SEMのディファ有明大会で太田一平と対戦。10分13秒、ダイビング・エルボードロップで勝利。7月16日、日本武道館大会で百田光雄と対戦。7分49秒、ラリアットで勝利。8月13日、ROHのイギリス・ブロックスボーン大会でブライアン・ダニエルソンのROH世界王座に挑戦。丸めこまれてフォール負け。9月1日、長野運動公園総合体育館大会で青木篤志と対戦。8分35秒、FFFで勝利。9月2日、ディファ有明大会で川畑輝鎮と対戦。9分46秒、前方回転エビ固めでフォール勝ち。10月13日、大阪府立体育会館大会で田上明と組んでGHCタッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦でダグ・ウイリアムス、ナイジェル・マッギネス組と対戦。14分16秒、田上がオレが田上でマッギネスに勝利。11月26日、札幌メディアパーク・スピカ大会での準決勝で高山善廣、佐野巧真組と対戦。19分46秒、佐野のノーザンライトボムにSUWAが敗れた。12月23日、SEMのディファ有明大会で平柳努と対戦。7分10秒、FFFで勝利。

2007

07年3月11日、後楽園ホールで引退興行を行ない、第1試合でCIMAと対戦。5分時間切れ引き分け。メインで近藤修司と対戦。16分、ラリアットに敗れた。頸椎ヘルニアが引退の理由だった。

2012

12年11月25日、J:COM湘南局内「J space」で、KENTAとトークライブを開催。

2013

13年1月6日、ノアの後楽園ホール大会での平柳ヨネ戦で、マスクマンのマイバッハ谷口ジュニアに変身して、マイバッハ谷口と共に乱入。その後はKENTA率いる「ノーマーシー」に加入。3月10日、横浜文化体育館大会で平柳と組んでスペル・クレイジーリッキー・マルビン組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。11分1秒、平柳が昇龍玄藩でマルビンに勝利。GHCジュニアタッグ王座を獲得した。3月31日、後楽園ホール大会でマイバッハ谷口と対戦。試合中にマスクを剥がされて素顔が明らかになり、9分38秒、マイバッハボムに敗れた。その後は素顔でSUWAとして出場。4月14日、新潟市体育館大会でカイル・セバスチャンと対戦。7分36秒、Twitterブロックで勝利。4月21日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で石森小峠組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分20秒、平柳が昇龍玄藩で石森に勝利。5月11日、日本武道館での小橋建太引退記念大会で平柳と組んで石森、小峠組と対戦。8分45秒、石森の450°スプラッシュにSUWAが敗れた。試合後に担架で退場。この試合で頸椎損傷の重傷を負い、欠場。その後も後縦靭帯骨化症のため長期欠場。