レスラーノート

オーエン・ハート

OWEN HART
1965年5月7日
カナダ・アルバータ州カルガリー出身
185cm 102kg

通称
カルガリーの天才児
タイトル歴
WWFタッグ
WWFインターコンチネンタル
IWGPジュニア
英連邦ヘビー
北米ヘビー(カルガリー)
得意技
シャープ・シューター(サソリ固め)

カナダ・カルガリー地区のプロモーターであったスチュ・ハートを父に持ち、スミスブルースキースブレットといった兄達もレスラーという名門の出身で、オーエンは末っ子だった。兄弟の中で最も才能があると言われていた。大学を2年で中退して86年5月24日にデビュー。カルガリーで活躍。10月25日、レス・ソントンを破り英連邦ヘビー級王座を獲得。87年1月19日にマッカン・シン(マイク・ショー)を破り北米ヘビー級王座を獲得。8月に新日本プロレスに初来日。9月17日、大阪府立体育会館大会で小林邦昭のIWGPジュニア王座に挑戦。12分20秒、フィッシャーマンズスープレックスに敗れた。88年5月27日、宮城県スポーツセンター大会で馳浩のIWGPジュニア王座に挑戦。13分7秒、高角度後方回転エビ固めでフォール勝ち。IWGPジュニア王座を獲得した。6月10日、広島県立体育館大会で山田恵一を相手に防衛戦。13分33秒、回転エビ固めをエビ固めに押さえこんでフォール勝ち。6月24日、大阪府立体育会館大会で越中詩郎を相手に防衛戦。14分7秒、回転足折り固めにフォール負けして王座転落。その後、WWFでブルー・ブレイザーの名でマスクマンとして登場。89年4月のレッスルマニアではカート・へニングと対戦して敗れた。9月21日、横浜文化体育館大会で佐野のIWGPジュニア王座に挑戦。13分31秒、ドラゴンスープレックスに敗れた。その後、WWFを離脱し各地をサーキット。 91年5月19日、メキシコでカネックに敗れてマスクを剥がされ素顔に戻る。9月21日、TWAのペンシルバニア州フィラデルフィア大会で飯塚孝之と対戦。21分53秒、ジャーマンスープレックスで勝利。10月にWWFに復帰。ココ・B・ウェアやブレット・ハートと組んで活躍。 94年1月22日、「ロイヤルランブル」でブレットと組んでジャック・ルージョー、ピエール・オーレット組のWWFタッグ王座に挑戦。試合中に左膝を負傷したブレットがピエールにシャープシューターを決めたが、試合続行不可能となりレフリーストップ負け。試合後、ブレットの足を攻撃して退場。ブレットとの抗争を開始した。3月20日、「レッスルマニア10」でブレットと対戦。20分26秒、前方回転エビ固めをエビ固めに押しつぶしてフォール勝ち。6月19日の「キング・オブ・ザ・リング」で優勝。義兄ジム・ナイドハートとのニュー・ファウンデーションで活躍。8月29日、「サマースラム」でブレットと金網マッチで対戦。33分21秒、あと一歩のところで金網を脱出されて敗れた。 95年4月にヨコヅナと組んでスモーキン・ガンズを破りWWF世界タッグ王座を獲得。同年9月、スモーキン・ガンズに敗れて王座転落。その後、ヨコヅナと仲間割れ。12月15日、カナダ・アルバータ州カルガリーのスタンピード・コレルで行われたカルガリーマット50周年の記念大会に出場。レザー・ラモンのインターコンチネンタル王座に挑戦。18分10秒、首固めに敗れた。96年9月、義兄デイビーボーイ・スミスと組んでスモーキン・ガンズを破りWWF世界タッグ王座を再び獲得。97年4月、ロッキー・メイビアを破り、インターコンチネンタル王座を獲得。その後、ブレット、スミス、ナイドハートが揃ってWCW入りするがオーエンだけはWWFに残留した。98年1月20日にはハンター・ハースト・ヘルムスリーに扮したゴールダストを破りヨーロピアン王座を獲得。同年3月16日、HHH本人に敗れるまで2カ月保持。その後はケン・シャムロックとの抗争、98年10月のブルー・ブレイザーでの復活等でアピール。99年1月にジェフ・ジャレットと組んでケン・シャムロック、ビッグ・ボスマン組を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した。3月にXパック、ケイン組に敗れてタッグ王座から転落。同年5月23日、ミズーリ州カンザスシティーで行われた「オーバー・ザ・エッジ」で、ゴッドファーザーの持つインターコンチネンタル王座にブルー・ブレイザーとして挑戦する予定だった。しかし天井からワイヤにつるされて入場する際に転落し、死去した。