ダークロHP

船木誠勝

本名:船木優治
1969年3月13日
青森県弘前市出身
182cm 92kg
タイトル歴:三冠ヘビー キング・オブ・パンクラシスト 世界タッグ 世界ヘビー(ZERO1版) レジェンド王座 爆破王座 KO−Dタッグ
得意技:ハイブリッド・ブラスター(変形ツームストーンパイルドライバー) ヒールホールド クロスヒールホールド

84年4月6日、弘前大学教育学部附属中学校を卒業後、新日本プロレスに入門。4月11日に道場に入る。85年3月3日、第1回ヤングライオン杯公式戦での後藤達俊戦でデビュー。当時、日本マット史上最年少の15歳でのデビューとなった。86年1月から、第1次UWF崩壊後に新日本プロレスにUターン参戦してきた藤原喜明のコーチを受けるようになる。ドロップキックに磨きをかけ、8月、ドロップキックで畑浩和の下アゴの骨を2箇所骨折させた。8月5日の野上戦ではドロップキックでフォール勝ち。その後、UWFの若手との対抗戦で活躍し、注目を浴びる。87年2月からの「第3回ヤングライオン杯」では6連勝で決勝に王手をかけたが野上と橋本真也に敗れてリーグ戦敗退。3月から骨法を習いはじめ、蹴り、掌打、関節技などの格闘技術を学ぶ。12月27日、両国国技館大会で山田恵一と対戦。船木は骨法の胴着、山田は骨法のマーク入りジャンパーを着て入場。2人ともレガースを着用して試合に臨み、骨法の動きを取り入れた斬新なファイトを展開。10分38秒、欧州式エビ固めにフォール負け。88年4月、ヨーロッパ遠征。遠征前に高田山崎から第2次UWFへの移籍を誘われていた。オットー・ワンツのテリトリーであったドイツ、オーストリアの試合に出場。遠征5戦目でスティーブ・ライトのVDBヨーロッパヘビー級王座に挑戦し、敗れた。6月にカール・ゴッチの親友で当時50歳のジョニー・ロンドスがサーキットに合流し、シュート技術などを学ぶ。アンクルホールドを習得した。89年からイギリスのオールスター・プロモーションに転戦。フジ・ヤマダ(山田恵一)とタッグを組んで活躍。山田とリバプールで共同生活を送った。4月6日、山田と共に帰国。新日本プロレス側も引きとめの説得を続けたが、第2次UWFに移籍。90年、藤原喜明、鈴木みのるらと藤原組を設立。91年3月30日、SWSの東京ドーム大会で佐野直喜と対戦。10分23秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。4月1日、SWSの神戸ワールド記念ホール大会で佐野直喜と対戦。23分42秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。4月23日、SWSの上越リージョンプラザ大会で新倉史祐と対戦。7分56秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。7月26日、東京ベイNKホール大会で藤原と対戦。4度のダウンを奪って優位に試合を進めたが、12分4秒、腹固め(うつぶせになった相手の右腕を足で決める)に敗れた。12月12日、SWSの東京ドーム大会でジェリー・フリンと対戦。5分18秒、羽交い締めで勝利。92年4月19日、東京体育館大会のメインでロベルト・デュランと対戦。オーバーウェイトで動きが鈍く、Tシャツを着たまま試合した相手を圧倒。3R1分31秒、腕固めで勝利した。12月、藤原組分裂。93年、鈴木みのると共にパンクラス設立。9月21日、旗揚げ戦のメインでケン・シャムロックと対戦し、肩固めに敗れた。94年10月15日、両国国技館で鈴木みのると対戦。後に「魂の111秒」と称された、お互いの瞬発力が爆発するファイトの末、1分51秒、スリーパーホールドで勝利。96年9月7日、東京ベイNKホールでの旗揚げ3周年記念大会のメインで王者のルッテンに挑戦。7250人もの超満員の観客の声援を受けて果敢に攻めたが、フック気味の右の掌底をくらってダウン。その後はスタンディングで劣勢となり、3度目のダウンも立ち上がる気迫を見せたが、最後は17分5秒、強烈な右ヒザ蹴りを顔面にくらってダウン。5ロストポイントのTKO負けに終わった。試合後にマイクで語り、最後に「明日からまた、生きるぞ!」と叫んだ。12月15日、日本武道館大会でジェイソン・デルーシアと対戦。7分49秒、TKO勝ちしてキングオブパンクラシストを獲得。97年2月22日、東京ベイNKホール大会でセーム・シュルトと対戦。26センチ高い相手に対し、腕十字や足首固めなどで積極果敢に攻めたて、5分47秒、アンクルホールドで勝利した。12月20日、横浜文化体育館大会で王者の近藤有己と対戦。2分20秒、アームロックで勝利してキングオブパンクラシスト2度目の獲得。00年5月26日、東京ドームでの「コロシアム2000」のメインでヒクソン・グレイシーと対戦。1R11分46秒、チョークスリーパーに敗れた。試合後に引退を表明。01年、パンクラスの顧問になる。 07年12月31日、現役復帰。「K-1 Dynamite!!」のメインで桜庭和志と対戦し、1R6分25秒、チキンウイング・アームロックに敗れた。 09年8月30日、プロレス復帰。全日本プロレスの両国国技館大会のメインに出場し、武藤と組んで鈴木みのる、蝶野組と対戦。トペ・スイシーダを失敗するなどブランクを感じさせたが、ドロップキックを決めるなど健闘。21分19秒、武藤がムーンサルトプレスでみのるにフォール勝ち。9月26日、横浜文化体育館大会で鈴木みのると対戦。フロントチョークで「失神」させるなど持ち味を発揮したが、10分44秒、スリーパーホールドをロープブレイクしなかったみのるがレフリーを突きとばしたため反則勝ち。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では武藤と組んで優勝。 10年1月3日、後楽園ホール大会で武藤と組んで太陽ケア、鈴木みのる組の世界タッグ王座に挑戦。26分50秒、船木がクロスヒールホールドでケアに勝利して世界タッグ王座を獲得。2月16日、鈴木みのるとの金網マッチでの対戦が決定。同日の会見では「3月で全日本に入団して半年になる。振り返ると、鈴木みのるに邪魔されてきた。プロレスに戻ってきてみのるとの関わりは唯一の汚点。金網は逃げ場がないのでいい」と、完全決着を宣言した。3月6日、さいたまスーパーアリーナでのゲーム会社コーエー主催のイベント「戦国武将祭」で前田利家に扮して近藤修司(北条氏康)と対戦。腕ひしぎ逆十字固めで勝利。3月21日、両国国技館大会で鈴木みのるとレフリーストップ、ロープブレイクなしの完全決着ルールでの金網マッチで対戦。試合序盤で両者流血し、打撃や関節技で一歩も引かない激しい試合を展開。試合終盤にあびせ蹴りをヒットさせ、19分3秒、張り手の連打からの左ヒザ蹴りでKO勝ち。試合後にリングに横たわる鈴木に一礼した。3月27日、サイパン大会で大和ヒロシと対戦。9分38秒、ローリングハイキックを決めてフォール勝ち。4月に全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに参戦。4月3日、開幕戦の久喜市総合体育館大会のメインで太陽ケアと対戦。パワーボムで持ち上げられた瞬間に三角絞めを決め、14分40秒、のたうちまわるケアの足も固めてレフリーストップ勝ち。4月4日、後楽園ホール大会で諏訪魔と対戦。30分時間切れ引き分け。4月7日、福島市国体記念体育館大会でKIYOSHIと対戦。15分47秒、クロスヒールホールドで勝利。 4月9日、大阪府立体育館第2競技場大会でレネ・デュプリと対戦。9分12秒、バックドロップで勝利。4勝1引き分けで決勝トーナメントに進出。4月11日、JCBホール大会での準決勝で河野真幸と対戦。強烈なヒザ攻撃で追いこまれたが、13分12秒、ヒザへのミサイルキックからのクロスヒールホールドでギブアップ勝ち。決勝戦で鈴木みのると対戦。みのるの痛めていた左ヒザを集中攻撃し、ヒザへのミサイルキックからのクロスヒールホールドを決めたがロープに逃げられる。一本足頭突き、かち上げ式のヘッドバットからゴッチ式パイルドライバーをくらうがカウント2で返す。最後は13分37秒、スリーパーホールドからの逆落としをくらい、さらにスタンディングのスリーパーホールドで絞めあげられてギブアップ負け。試合後にみのると抱擁し、握手。みのるの腕を上げて勝利を称えた。5月7日、後楽園ホールでのAPE主催の「BAPESTA」興業で自身初のマスクマンとして出場。APEMAN SOLDIERに変身してと対戦。8分37秒、胴締めチキンウイング・フェイスロックで勝利。7月2日、後楽園ホール大会でTARUと対戦。10分1秒、VM乱入、レフェリー暴行により反則勝ち。8月29日、両国国技館大会で河野と対戦。13分9秒、左ハイキックでレフリーストップ勝ち。メイン終了後、鈴木みのるから三冠王座を獲得したばかりの諏訪魔にリング上で挑戦を表明。9月10日、後楽園ホール大会で武藤と対戦。8月29日にヒザの手術から復帰したばかりの武藤を相手に30分時間切れ引き分け。10月24日、横浜文化体育館大会で諏訪魔の三冠王座に挑戦。29分13秒、ラストライドに敗れた。11月、世界最強タッグ決定リーグ戦に鈴木みのると組んで参戦。リーグ戦を同点2位で終了。12月7日、仙台サンプラザ大会で優勝決定戦進出をかけて諏訪魔、組と対戦。17分53秒、浜のボディプレスに船木がフォール負け。 11年3月21日、両国国技館大会で鈴木と組んで新日本プロレスの永田、ライガー組と対戦。8分26秒、永田のバックドロップホールドに船木が敗れた。4月8日からチャンピオンカーニバルに参戦(後楽園ホールでの全5戦)。第1戦で諏訪魔と対戦し、18分57秒、ラストライドに敗れた。9日の第2戦では大森隆男と対戦。14分1秒、アックスボンバー2連発をくらったが、3発目をかわして左ハイキックを決めてレフリーストップ勝ち。10日の第3戦では永田裕志と対戦。13分7秒、掌底連打からの右ハイキックでフォール勝ち。12日の第4戦ではKONOと対戦し、12分44秒、クロスヒールホールドを首固めに切り返されてフォール負け。13日の最終戦では浜と対戦し、8分43秒、左ハイキックでフォール勝ち。勝ち点6のリーグ戦2位で終わり、決勝進出を逃した。5月15日、後楽園ホール大会のメインで諏訪魔と組んで永田、中西組と対戦。22分42秒、諏訪魔がバックドロップホールドで中西に勝利。6月19日、両国国技館大会でK1ヘビー級王者の京太郎と対戦。相手の強烈なキックに苦戦。ローリングバックエルボーをくらうなど危険な場面もあったが、バックドロップで反撃。腕ひしぎ逆十字固めを狙うが腕をロックされて防がれると、その体勢のまま側頭部に激しいヒールキックを6連発くらわせ、最後は9分57秒、胴締めチキンウイングフェースロックで勝利。10月23日、両国国技館大会で河野と対戦。8分10秒、右ハイキックでレフリーストップ勝ち。11月19日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に河野と組んで出場。リーグ戦は最終日前日まで参加10チーム中、船木のチームを含む5チームが10点で同点1位に並ぶ大混戦となった。12月4日、最終日の横浜文化体育館大会で、浜組と対戦。11分38秒、船木が右ハイキックで浜にフォール勝ち。6勝3敗の1位でリーグ戦を突破。同大会の優勝決定戦では真田KAI組と対戦。18分3秒、KAIのスプラッシュプランチャに河野が敗れて準優勝に終わった。12月21日、河野、田中稔と「STACK OF ARMS」を結成。 12年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で河野と組んで永田、井上亘組と対戦。永田のコーナーでの膝蹴りをくらって船木の左目が腫れあがり、鼻から出血。試合が激しさを増した。6分34秒、船木が左ハイキックで井上に勝利。試合後に永田と乱闘した。この試合で左眼窩底骨折と左眼端部骨折。頬骨が陥没する重傷を負い、長期欠場。1月13日、粉砕した箇所を4枚のチタンプレートで固定する手術を3時間行った。6月17日、後楽園ホール大会で復帰。田中稔と組んで武藤、ハヤシ組と対戦。10分17秒、船木が変形ツームストーンパイルドライバー(ハイブリッド・ブラスター)でハヤシに勝利。7月1日、両国国技館での新日本プロレスと全日本プロレスの創立40周年記念大会で河野、田中稔と組んで永田、井上亘、KUSHIDA組と対戦。9分48秒、船木がハイブリッド・ブラスターでKUSHIDAに勝利。7月29日、後楽園ホール大会で永田と対戦。9分38秒、ハイブリッドブラスターで勝利。8月18日、札幌テイセンホール大会で大森と対戦。16分30秒、ハイブリッド・ブラスターで勝利。8月26日、大田区総合体育館大会のメインで秋山準の三冠王座に挑戦。開始早々にタックルをしかけたがカウンターの膝をくらってしまい、エクスプロイダーやフロントネックロックで劣勢となるが、掌底連打から側頭部へのハイキックを決めて、4分37秒、ハイブリッド・ブラスターで勝利。三冠王座を獲得した。9月23日、横浜文化体育館大会のメインで諏訪魔を相手に防衛戦。ラストライド、バックドロップ、ラリアットをカウント2で返し、27分11秒、掌底、ハイキックの連打からハイブリッドブラスターを決めて勝利。試合後、リング上で「自分が正真正銘のエースとして、この全日本プロレスを引っぱっていきます」と宣言した。10月21日、名古屋国際会議場大会のメインで大森を相手に防衛戦。アックスギロチンドライバー、ドラゴンスープレックスをカウント2で返し、アックスボンバーを両腕でブロックしてハイキック、掌底、浴びせ蹴りを決めて、6分33秒、ハイブリッド・ブラスターで圧勝。11月17日から世界最強タッグ決定リーグ戦に河野と組んで参戦。3勝1敗でリーグ戦敗退。12月11日、ホワイトリング大会のメインで征矢を相手に防衛戦。19分18秒、バックドロップ2連発、ハイキックからのハイブリッド・ブラスターで勝利。12月16日、横浜文化体育館でのRINGSとTHE OUTSIDERの合同大会のメインでヴォルク・ハンの引退試合の相手として対戦。リングスクラシックルールで戦い、両者共に2度のロープエスケープを奪い、15分時間切れの引き分けに終わった。 13年1月2日、後楽園ホール大会で河野と組んで大森、征矢組の世界タッグ王座に挑戦。14分44秒、大森のアックスボンバーに船木が敗れた。1月26日、大田区総合体育館大会のメインで曙を相手に防衛戦。11分54秒、顔面蹴りを決めてフォール勝ち。3月17日、両国国技館大会のメインで諏訪魔を相手に防衛戦。30分15秒、バックドロップホールドに敗れ、三冠王座から転落。4月18日から始まったチャンピオンカーニバルに出場。開幕戦の後楽園ホール大会でKAIと対戦。12分45秒、ハイブリッドブラスターで勝利。4月20日、館林市民体育館大会でジョー・ドーリングと対戦。8分18秒、レボリューションボムに敗れた。4月21日、三条市厚生福祉会館大会で曙と対戦。6分20秒、ジャンピングボディプレスに敗れた。4月24日、茅野市民館大会でKENSOと対戦。13分17秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。4月27日、松下IMPホール大会のメインで秋山と対戦。9分42秒、リストクラッチ式エクスプロイダーに敗れた。リーグ戦は2勝3敗に終わった。5月23日、小倉北体育館大会で浜と対戦。9分1秒、浴びせ蹴りを決めてフォール勝ち。6月30日の両国国技館大会を最後に、オーナーと対立していた武藤と共に全日本プロレスを離脱。その後、武藤率いるWー1(WRESTLEー1)に入団。9月8日、東京ドームシティホールでのWー1旗揚げ戦に出場。河野と組んで桜庭、柴田組と対戦。18分6秒、桜庭のチキンウィングフェイスロックに河野が敗れた。9月15日、名古屋国際会議場大会で河野と対戦。8分11秒、ランニングニーリフトに敗れた。9月21日、KBSホール大会で河野と対戦。5分13秒、反則勝ち。10月12日、八戸シーガルビューホテル体育館大会で河野と対戦。1分33秒、ハイキックを決めてフォール勝ち。11月16日、後楽園ホール大会で河野と対戦。セコンドに介入され、3分11秒、ニーリフトに敗れた。同日のメインで真田、小島中之上と組んで河野、、デュプリ、KAZMA組と対戦。13分2秒、中之上がランニングエルボーでデュプリに勝利。11月17日、藤岡市民ホール大会でNOSAWA論外と対戦。3分58秒、試合放棄で勝利。同日に高山善廣と対戦。3分33秒、エベレストジャーマンに敗れた。11月19日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤波辰爾の息子のLEONAのデビュー戦の対戦相手として出場。7分48秒、ハイブリッドブラスターで勝利。11月24日、ココランド山口大会で高山と対戦。3分22秒、エベレストジャーマンに敗れた。11月26日、オロシティーホール大会で高山と対戦。3分48秒、反則勝ち。12月1日、博多スターレーン大会で高山と対戦。8分5秒、クロスヒールホールドでTKO勝ち。12月23日、所沢市民体育館サブアリーナ大会で高山とロストポイントルールで対戦。8分4秒、TKO負け。 14年1月12日、後楽園ホール大会で高山を相手にロストポイントルールで対戦。6分4秒、ハイキックでTKO勝ち。1月25日、アイメッセ山梨大会でKAIと対戦。12分33秒、ハイブリッドブラスターで勝利。2月15日、後楽園ホール大会でのTNA世界王座挑戦者決定トーナメントに出場。1回戦で中之上と対戦。7分40秒、ハイキックからのハイブリッドブラスターで勝利。同日の決勝でKAIと対戦。9分30秒、スプラッシュプランチャに敗れた。2月23日、広島産業会館西展示場大会でKAZMAと対戦。5分1秒、ハイブリッドブラスターで勝利。2月25日、名古屋国際会議場大会で崔と対戦。8分35秒、ハイブリッドブラスターで勝利。3月2日、両国国技館大会でボビー・ルードと対戦。11分27秒、アンクルホールドで勝利。4月25日、WNCの後楽園ホール大会でAKIRAと対戦。新日本プロレスの同期対決となった。16分5秒、ハイブリッドブラスターで勝利。6月8日、ニューサンピア高崎大会でLEONAと対戦。11分32秒、ハイブリッドブラスターで勝利。6月18日、大分イベントホール大会でレネ・デュプリと対戦。10分52秒、ハイブリッドブラスターで勝利。7月6日、両国国技館大会で佐藤耕平の世界ヘビー級王座に挑戦。12分11秒、キックの連打、ハイブリッドブラスターからのスリーパーホールドでレフリーストップ勝ち。世界ヘビー級王座を獲得した。7月16日、信州スカイパーク体育館大会でレネ・デュプリと対戦。12分20秒、ハイブリッドブラスターで勝利。7月19日、レジェンドの大阪府立体育会館第2競技場大会でLEONAと対戦。8分45秒、ハイブリッドブラスターで勝利。8月24日、札幌テイセンホール大会でAKIRAと対戦。12分52秒、ハイブリッドブラスターで勝利。9月6日、大阪府立体育会館第2競技場大会のメインで大谷晋二郎を相手に防衛戦。16分58秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。9月19日、ZERO1の後楽園ホール大会で佐藤耕平を相手に防衛戦。9分17秒、パイルドライバーからのジャーマンスープレックスに敗れて王座転落。9月22日、後楽園ホール大会でのW−1初代王座決定トーナメント1回戦でTAJIRIと対戦。相手の吐き出すグリーンミストをかわし続け、途中で一度くらってしまったが、3分50秒、スリーパーホールドでレフリーストップ勝ち。9月23日、名古屋国際会議場大会での2回戦でAKIRAと対戦。14分13秒、ハイブリッドブラスターで勝利。10月8日、後楽園ホール大会での準決勝で河野と対戦。ハイブリッドブラスターの体勢に入ったところで自らのセコンドについていたTAJIRIが裏切って妨害。7分10秒、ダイビングニードロップに敗れた。10月24日、喜多方市熱塩加納体育館大会で田中稔と対戦。11分37秒、ハイブリッドブラスターで勝利。11月1日、両国国技館大会でアルベルトと対戦。8分32秒、ハイブリットブラスターの体勢に入ったところを横入り式エビ固めに丸め込まれてフォール負け。11月7日、新宿FACEでのW−1とZERO1の合同興行で小幡優作と対戦。8分26秒、ハイブリッドブラスターで勝利。11月15日から始まった初代タッグ王者決定リーグ戦に黒潮と組んで参戦。リーグ戦を2勝2敗で終えた。 15年1月11日、後楽園ホール大会でKAIと対戦。9分36秒、サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。3月1日、ZERO1の後楽園ホール大会で鈴木秀樹と対戦。7分17秒、ワンハンドバックブリーカーからのダブルアームスープレックスに敗れた。3月13日、新宿FACEでのW−1とZERO1の合同興行でデーモン植田と対戦。6分58秒、胴締めスリーパーでレフリーストップ勝ち。5月11日、ドラディションの後楽園ホール大会のメインで藤波辰爾と対戦。8分47秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。6月30日、W−1を退団。9月18日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインでスーパー・タイガーのレジェンド王座に挑戦。11分17秒、ハイブリッド・ブラスターで勝利。レジェンド王座を獲得した。10月28日、後楽園ホールでのアレクサンダー大塚のデビュー20周年記念大会のメインで杉浦貴と組んでアレクサンダー大塚、モハメド・ヨネ組と対戦。13分21秒、必殺のハイブリッドブラスターをカウント2で返されたが、直後にスリーパーホールドで大塚に勝利。11月1日、全日本プロレスの青森県武道館大会でケンドー・カシンと組んで諏訪魔、佐藤光留組と対戦。15分45秒、船木がハイブリッドブラスターで佐藤に勝利。12月9日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで関本大介を相手に防衛戦。12分58秒、ジャーマンスープレックスに敗れて王座転落。12月27日、ドラゴンゲートの福岡国際センター大会でストーカー市川と対戦。ラウンド制の特別ルールで対戦し、1R54秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。プロレスルールでの再試合は6分22秒、ハイブリッドブラスターの体勢に入ったところでセコンドのタオル投入によりTKO勝ち。 16年3月29日、ドラディションの後楽園ホール大会でタカ・クノウと対戦。11分50秒、ランニングキックで勝利。4月1日、大阪市北区で肉体改造のプライベートトレーニングスタジオ「Hybrid Fitness(ハイブリッド・フィットネス)」をオープン。6月23日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で関本のレジェンド王座に挑戦。13分12秒、浴びせ蹴りからのハイブリッドブラスターで勝利。レジェンド王座を奪回した。7月24日、ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール大会でドン・フジイと組んで藤原喜明、望月組と対戦。12分49秒、藤原のワキ固めにフジイが敗れた。同日、超花火プロレスの大阪府立体育会館・第2競技場大会のメインで大仁田厚の持つ爆破王座に3WAYバット有刺鉄線ボード電流爆破デスマッチで挑戦。初の電流爆破マッチとなった。UWFの入場テーマ曲に乗って登場し、迷うことなくTシャツを脱ぎ捨て、いつものタイツとレガース姿で試合をした。18分59秒、ハイブリッドブラスター、電流爆破バット連打からの体固めでフォール勝ち。爆破王座を獲得した。一度も被弾することなく勝利した。8月8日、「左助軟骨症」で全治1か月の重傷を負い、11日の田中将斗との爆破王座の防衛戦を欠場した。9月10日、リアルジャパンプロレスのディファ有明大会で大谷晋二郎を相手に防衛戦。20分9秒、ドラゴンスープレックスに敗れてレジェンド王座から転落。9月25日、新木場1stRINGでのDSWの旗揚げ戦のメインでXとしてブラックタイガーのマスクを被り出場。ロブ・テリーと組んでロブ・コンウェイ、マット・リビエラ組のNWA世界タッグ王座に挑戦。1本目は2分56秒、コンウェイのエロティックシティに船木が敗れた。2本目の途中からブラックタイガーのマスクを脱いで素顔になり、6分55秒、船木が胴絞めスリーパーでコンウェイに勝利。3本目は2分36秒、イス攻撃で反則勝ち。規定により王座奪取に失敗した。11月15日、ZERO1の兵庫県立文化体育館大会のメインでTARUと組んで大仁田、長与千種組と電流爆破マッチで対戦。18分12秒、TARUが電流爆破バットでの一撃で長与に勝利。11月28日、東京愚連隊の後楽園ホール大会でカブキドリー・ファンク・ジュニアと組んでチャボ・ゲレロ、藤原、西村組と対戦。13分9秒、ドリーがスピニングトーホールドで西村に勝利。12月4日、DDTの大阪府立体育会館大会で坂口征夫と組んで高山、樋口組と対戦。9分39秒、坂口が神の右膝で樋口に勝利。 17年1月9日、DDTの大阪市大淀コミュニティセンター大会で坂口征夫と組んで竹下、ベイリー組のKO−Dタッグ王座に挑戦。14分43秒、船木がハイブリッドブラスターでベイリーに勝利。KO−Dタッグ王座を獲得した。1月29日、ZERO1の博多スターレーン大会で田中将斗を相手に爆破王座の防衛戦。14分59秒、ハイブリッドブラスター、爆破バット攻撃からのチキンウイングフェイスロックで勝利。2月26日、ZERO1のエスフォルタアリーナ八王子大会で大仁田を相手に電流爆破マッチで防衛戦。10分10秒、バックドロップ、毒霧からの電流爆破バット攻撃に敗れて王座転落。3月5日、ZERO1の名古屋国際会議場大会で大仁田と組んでTARU、田中将斗組を相手に電流爆破マッチで爆破王座戦。勝者が爆破王となるルールだったが、19分19秒、大仁田が爆破バット攻撃でTARUに勝利したため王座奪取に失敗した。3月15日、豊洲PITでの日高の20周年記念興行で伊藤崇文と対戦。8分23秒、浴びせ蹴りで勝利。2月12日、DDTの練馬Coconeriホール大会でHARASHIMA、彰人組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分29秒、坂口が坂口式コブラクラッチで彰人にフォール勝ち。3月20日、DDTのさいたまスーパーアリーナ大会で石川修司、遠藤組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分16秒、坂口がダイビング神の右膝で石川に勝利。4月5日、後楽園ホールでのNEWの旗揚げ戦で中井光義と対戦。5分57秒、ハイブリッドブラスターで勝利。4月29日、DDTの後楽園ホール大会で高山、男色ディーノ組を相手にタッグ王座の防衛戦。10分33秒、高山のエベレストジャーマンに坂口が敗れて王座転落。5月12日、NEWの栃木県総合文化センター・サブホール大会で奥田啓介と対戦。7分47秒、ハイブリッドブラスターで勝利。6月2日、NEWの後楽園ホール大会で青木真也と対戦。6分9秒、フットチョークに敗れた。6月8日、NEWの長野県松本文化会館大会で中井光義と対戦。8分10秒、ハイブリッドブラスターで勝利。6月29日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で大谷のレジェンド王座に挑戦。12分49秒、横入り回転エビ固めでフォール勝ちしてレジェンド王座を奪回。8月14日、後楽園ホールでの「垣原賢人復帰戦〜カッキーライド〜」で田中稔とUWF特別ルールで対戦。2分49秒、三角絞めで勝利。8月20日、ZERO1のアクトシティ浜松大会で田中将斗と電流爆破バット&ストリートファイトデスマッチ。12分9秒、スライディングDに敗れた。12月7日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で松本崇寿と対戦。6分29秒、ハイブリッドブラスターで勝利。 18年3月29日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会でマスクマンの船鬼誠勝として出場し、納谷幸男と組んでアイン、カイン組と対戦。ショルダータックルを2度も誤爆されたことがきっかけで船鬼がイスで納谷をめった打ち。11分6秒、ノーコンテスト。試合後、本部席にいた初代タイガーマスクを突き飛ばして退場した。7月3日、原点回帰プロレスの後楽園ホール大会でブラック・タイガー・ジュニアに変身し、世界マスクマン・トーナメントに参戦。1回戦でアインと対戦。1分9秒、ハイブリッドブラスターで勝利。9月20日、原点回帰プロレスの後楽園ホール大会での準決勝でドン・クロコダイルと対戦。12分36秒、ハイブリッドブラスターで勝利。9月30日、大阪府立体育会館・第2競技場でデビュー33周年記念大会を開催。真説タイガーマスクに変身し、スーパータイガーと組んで金本浩二、スーパー・ブラック・タイガー組と対戦。11分17秒、スーパー・ブラック・タイガーのレフリー暴行により反則勝ち。メインで11分1本勝負を3試合行い、AKIRAと対戦し、4分57秒、三角絞めで勝利。佐野巧真と対戦し、5分57秒、ハイブリッド・ブラスターで勝利。最後に丸藤正道と対戦し、11分時間切れ引き分けに終わった。11月24日、新潟市東区プラザホールで行われた新潟プロレスの旗揚げ7周年記念大会のメインでシマ重野と対戦。9分8秒、ハイブリッド・ブラスターで勝利。 19年8月4日、グランメッセ熊本での熊本プロレス祭りで藤原喜明とUWFルールで対戦。6分50秒、アキレス腱固めで勝利。10月6日、ZERO1の豊岡大会で左足腓骨を骨折し全治4週間と診断された。12月5日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会で藤田和之のレジェンド王座に挑戦。9分26秒、チョークスリーパーに敗れた。12月23日、新宿FACEでの黒潮“イケメン”二郎の自主興行で黒潮“イケメン”二郎と対戦。11分41秒、ハイブリッドブラスターで勝利。
明日からまた、生きるぞ!(96年9月7日、東京ベイNKホールでのルッテン戦で、敗れた後のリングでのマイク)
「自分が、自分がね、どうなってもね、いいんだよ。一生懸命生きれば、結果はね、絶対に嘘はつかないから。結果は嘘つかない。これがおれの結果だよ。(船木、泣く。観客の声援)今闘った後、今思ってることは、悔いがなかったということです。だけどおれまだね、やりのこしたこといっぱいあるんだよ。(観客拍手)こんなとこでね、やめてられねえよ!(大歓声)明日から、明日からまた、生きるぞ!(観客大きな拍手)」
パンクラス設立
船木 藤原組の2年間というのは、それまでの人生の中で一番いい暮らしができた時代なんですよ。メガネスーパーという大きなスポンサーが陰で支えててくれて、これ以上ないっていうくらいの生活をしてましたね。
―― ほう。
船木 でも、それはまたすぐに「オレはこれだけの生活をする価値があるんだろうか!?」っていう疑問につながっていくんですけど・・・。
―― 謙虚ですね(笑)。
船木 だって、いきなりボコンと生活水準が上がっちゃったんですからね。「こんなことしてていいのかな」っていう罪悪感が出てきて、次に「これだけのファイトマネーをもらうんだったら、その金額に相応しいことをやりたい」という気持ちが芽生えたんです。で、実験的に、日本人同士の試合では今のパンクラスに近いことをやり始めたんですよ、鈴木たちと一緒に。
―― なるほど、すると当然、他の試合とのギャップが出てくる。
船木 ええ。それが結局、団体内のまとまりをなくして、スポンサーの心証も悪くしていくんですけど、オレたちもやり始めた以上、後戻りはしたくなかった。で、最終的には藤原さんが・・・キレちゃったんでしょうね(苦笑)。
―― 「お前ら、もう出て行け!」と。
船木 いや、「オレと一緒にやれるヤツだけ残れ」と。すごく早い展開でしたよ。で「次の月曜までに結論を出せ」ということになって、「これじゃ当分練習できないな」と思ったから、そういわれた日に荷物をたくさん持って帰ったんですよ。そしたら次の日の新聞に「船木、鈴木が離脱!」って書かれちゃって(笑)。
―― 引き返すに引き返せなくなったわけだ。
船木 でも、不思議と怨むような気持ちはなかったですね。気が付いたら仲間も7人いたし・・・。そこで仲間がいたことが、パンクラスを作る大きな力になりましたよね。最初はもう、鈴木と2人で後楽園を借りて「1試合だけやって引退しようか」なんて話してたんですから(笑)。
(週刊プロレス No.759 1996年 船木のインタビューより)

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